現代ニッポンに蔓延する政治的マズヒズムについて

政治家の不正や腐敗が顕在化するたびに出てくるのが議員定数の削減論。「こんな役立たずの議員なんかいらない。定数を削減しろ」という声があちこちから聞こえてきます。けれどもそのような意見を見聞して説得力を感じたことは今までほとんどありません。

議員定数削減を叫ぶ以上は「議員が多すぎるから政治腐敗が起きる」という認識に立っていると思われますが、そのような因果関係を立証した論考を未だかつて見たことがありません。そもそも国政に関していえば、人口あたりの議員数はOECD加盟国のなかでは日本は少ない部類に入ります。
「どうせロクでもない政治家しか選ばれないのであれば、いっそ定数を減らして政治コストを安くあげた方がいい」という趣旨なら、端的に民主主義否定論というべきでしょう。ついでにいえば定数を削減しても悪事を働いている議員や無能の議員が淘汰されるという保証もありません。

三権分立とは誰もが一度は学んだことのある統治の原理原則ですが、日本の国政レベルでは三権の構成員のうち主権者たる国民が直接選ぶことができるのは立法府の構成員すなわち議会の議員だけです。つまり現代日本では、国民は議員を通じて政治を民主的にコントロールしようという建付けになっているのです。行政府に対して国民が直接働きかけることができる制度的チャネルは皆無ではありませんが、誰もが手軽に活用できるものではありません。官僚の見識や良識に期待するといっても、国民が直接統制することができない以上、それは文字どおり「期待」でしかないでしょう。

議員定数の削減とは、民主主義の根幹ともいえる議会と主権者との間のチャネルを今以上に細くしようといういうことです。マトモな政治が行われていないから議員定数を削減しようという呼びかけは、民主主義の栄養が足りずやせ衰えた人間が肥満を心配してダイエットしようというに等しい倒錯的変態的な主張というほかありません。

議員定数を削減しても、日本の政治が改善することはないでしょう。議員に関わる支出をわずかばかり切り詰めたところで、放漫な財政を行えば簡単に相殺されてしまいます。
政治を良くしようと思えば、議員定数とは無関係に、有権者が政治のことを今以上に勉強して少しでもマシな候補者を選び続けるしかありません。少し真面目に考えればわかることなのに、どうして議員定数削減論などという政治的マゾヒズムになびく人々が出てくるのでしょうか。

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