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戊辰戦後デモクラシーとしての動き〜『自由民権運動』

◆松沢裕作著『自由民権運動 〈デモクラシー〉の夢と挫折』
出版社:岩波書店
発売時期:2016年6月

実におもしろい本です。
「戦後デモクラシー」といえば、アジア・太平洋戦争後の民主化・民主主義運動のことを指しますが、戦後史研究者の三谷太一郎は、日本近代史においては、それぞれの戦争がそれぞれの戦後になんらかの政治参加の拡大を引きおこしていることに注目し、複数の「戦後デモクラシー」が存在することを指摘しました。

松沢裕作は、この指摘をさらに一つ前の時期にさかのぼらせ、戊辰戦争という内戦の後に発生した政治参加の拡大要求として自由民権運動を位置づけようとします。すなわち「戊辰戦後デモクラシー」としての自由民権運動です。

戊辰戦争という、二百数十年ぶりの全国的軍事動員は、近世の身分制秩序を大きく揺るがした。とくに戦場での功績は、武士から都市下層民に至るまで、戦後のしかるべき処遇を求める動きを生み出したのである。(p23)

河野広中、板垣退助、尾張の博徒たち、のちに自由民権運動に參加することになる彼らに共通するのは、戊辰戦争における勝利の経験でした。その意味では自由民権運動とは高邁な理念に駆られた行動とは必ずしも言いがたい。本書の観点からいえば、民撰議員設立建白書は失脚政治家たちの「わりこむ」ための道具でした。

近世社会は身分制秩序に基づいて、それぞれの階級はそれぞれの共同体にまとめられて統治されていました。それぞれが所与の「袋」の中で生活していたわけです。それが同時に彼らの安心や安定を保障していたともいえます。しかし明治維新はそれらの共同体を解体しました。「袋」がやぶれてしまったわけです。

自由民権運動とは、何よりも所属すべき「袋」からあふれ出した人びとが拠り所を求めた運動であったといえます。各地に創設された結社がそうした人びとの不安に応えるものとして機能しました。ゆえにそれぞれの結社がかつての封建制に基づいた身分の保障をしたとしても不思議はありません。それはたとえば「結社に入れば兵役を免れる」「永世禄が支給される」「税金が免除される」などの宣伝としてあらわれました。松沢は人びとが結社や運動に託した思いを〈「参加=解放」型の幻想〉と呼び、自由民権運動の重要な要素であったことを指摘します。この認識は本書の核を成すものといってよいでしょう。

ところが政府が国会開設や憲法制定を宣言したことで自由民権運動は大義を失うことになりました。自由民権運動の衰退期には暴力的な事件がいくつも発生しましたが、それも戦後デモクラシーという文脈でみれば理解可能です。

暴力に訴えてでも新しい秩序を自分たちの手で創出するというのは、自由民権運動の中心となった自由党の存在意義そのものであり、自由党の思想の中核にありました。そうした思想の淵源には、実際に暴力で旧秩序を打ち倒した戊辰戦争の体験があったのです。

以上のように要約すれば、本書の記述は身も蓋もない史実を明らかにしたということになるのかもしれません。といって過去の国民的な運動を後世の高みから冷たく突き放して眺めているというのでもないことは付け加えておくべきでしょう。松沢は結びで述べています。「少しでも生きやすい世の中を自分たちの手でつくりたい、という自由民権運動を支えていた人びとの欲求は、また私のなかで完全に失われていない欲求」でもあるのだと。自由民権運動について新たな視点をもたらしてくれる好著であるといっておきます。

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