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ステルス・マーケティングについて私が思っている二、三の事柄

早稲田大学ジャーナリズム研究所が立ち上げたワセダクロニクルが医療問題に関する共同通信社の配信記事が企業によって買われたものであったことをスクープして波紋を広げています。その記事は以下のサイトで読めます。

http://www.wasedachronicle.org/articles/buying-articles/1/

社団法人共同通信社や医薬品メーカーは当然ながら記事内容を否定していますが、問題となる記事を書いた共同通信の編集委員への取材も行なっていて、いい加減に書き飛ばしたものとはもちろん思えません。もっともこの件については私自身、記事以上の詳しい情報を持ち合わせていませんので、ここで明快な意見を開陳できる立場にはありません。続報を待ちたいと思います。

ただこれを契機にあらためてメディアにおけるステルス・マーケティングについての議論が盛り上がってきたのは大変けっこうなことだと思います。ワセダクロニクルの渡辺周編集長は、今回の記事をステルス・マーケティングという業界内部の概念で語ることに何故か否定的な談話を出していますが、業界内部の事情を知ることは一般読者にとっても大変なメリットがあるはずです。ステルス・マーケティングという営業手法が存在することをしっかりと認識することは極めて重要ではないでしょうか。何よりメディアを巧く活用する第一歩はメディアの実態を知ることですから。そこで本稿ではステルス・マーケティング一般について私見を述べてみます。

ステルス・マーケティングとは、日本パブリックリレーションズ協会の公式サイトにある「PR用語ミニ辞典」によれば以下のようなものをさします。

ステルスマーケティング:
「ステルス」とは、隠密を意味しており、自らの正体や広告であることを隠した広告の事を指す。略して「ステマ」ともいう。具体的には、商品やサービスの公告を通常の広告枠で行わず、記事の中や番組の中で自然な形で紹介したり、宣伝と気づかれないよう口コミで発信・伝播を図ることをいう。招待(※ママ、「正体」の誤変換と思われる)を隠して行うため、内容によってはモラルの観点から非難をうける可能性もある。

補足すれば、通常はその過程で金銭のやりとりが生じるケースをいうのが業界では一般的かと思います。(ワセダクロニクルの編集長も今回の調査報道に関して、企業に「買われた記事」が通信社をとおして読者に伝えられたことを問題視しています。)
略語としての「ステマ」は2012年に流行し、その年の各種流行語大賞レースを賑わせました。しかし言葉じたいは2000年代初頭から中頃にかけてメディアでは使われるようになったと記憶しています。

率直にいえば、長らくマスコミの世界で仕事をしてきた私としては、この問題については既視感を拭えません。ステルス・マーケティングという用語は新しいかもしれませんが、やっていることは昔からある古典的なものです。手法としては「サクラ」と本質的に変わりません。

かつて私はPR会社の人たちと仕事をしたこともあります。それは通常のテレビ番組製作の仕事でしたが、PR会社はもともとステマ的な働きかけを一つの業務としているものです。
ワセダクロニクルが記事で紹介しているような事例は生命に関わる医薬品についてのものだっただけに衝撃的であり、事実とすれば厳しく批判されるべき行為ですが、前述したように手法としてはべつに珍しいものではありません。電通系列以外にもPR会社はあります。すでに少なくない論者が指摘しているように記事のようなステマ事例は氷山の一角でしょう。広告・PR業界に友人が少なからずいるので、仕事の邪魔をするなと叱られそうですが、事実は事実です。

ところで、今回はネット・メディアが通信社の行動を批判する形になりましたが、これまではステルス・マーケティングについて語られるとき、インターネット上のパフォーマンスが標的にされるケースが目立ちました。ブロガーが企業や広告会社からカネをもらって何食わぬ形で第三者的な記事を投稿しているようなケースが批判的に取り上げられてきたわけです。
三崎亜記の小説『逆回りのお散歩』でもステルス・マーケティングの話が出てきますが、そこでももっぱらネット上の行為について言及されています。

なるほどプロの記者よりも市井のブロガーやネットユーザーの方が御しやすいということはあるでしょう。ですからステマがネットで増殖しやすいのは事実かもしれません。ただそれにしても、文芸作品はともかくも既存メディアが自分たちだって昔からやってきたことを棚に上げて新興メディアたるインターネットの行状ばかりを非難する態度には私はかねてから欺瞞的なものを感じてきました。
今回のワセダクロニクルのスクープ記事はベクトルが逆で、その意味でもチャレンジングな調査報道だと思います。ただし繰り返しますが、この問題だけに拘泥して共同通信社や電通だけを叩いて良しという話ではないことは確かです。

ステルス・マーケティングの普及というか可視化に伴い、法規制の強化の必要性にまで踏み込んだ論評も目につくようになりました。いうまでもなく私もステルス・マーケティングのような人を欺くような手法には賛同しません。
ですから景品表示法など現行法で対処できるものは適用すればよいでしょう。ただ媒体側にも強い規制をかけるような法改正や立法を行なう場合、技術的な面を含めてむずかしい問題もあるように思います。
新聞は購読料だけでなく企業広告によっても利益をあげています。広告主が買うのは特定の限られたスペースですが、現実にそのような広告収入が新聞事業の一端を支えていることを考えれば、紙面全体が広告主から「買われて」いるともいえます。そのため現実に記事内容がスポンサー企業の意向に影響されることは最近でも本間龍氏が『原発プロパガンダ』で明快に指摘していることであります。法による規制を強化するといっても、違法と合法の線引をすることは必ずしも容易ではないでしょう。

これが映像メディアの場合、もっと線引は困難になってくると思われます。テレビは新聞と違って個々の番組ごとにスポンサーがつきますから、渡辺周氏のように金銭の授受を重視するなら、一社提供の情報番組とステルス・マーケティングとの境界もまた明確には引けません。
またテレビドラマや映画製作の現場では、企業とのタイアップで少ない予算をカバーするのも一般的です。作品のなかでさりげなく企業のロゴマークや商品をうつしだすことで、広義の企業宣伝に貢献するようなスタイルはふつうに行なわれていると思います。

つまり法規制する場合には慎重にやらないと表現や言論の現場を萎縮させるリスクが生じます。このような問題で国家権力の監視を呼び出すことは絶対反対ではありませんが、あくまで最後の手段と考えます。それでなくてもメディアの現場に政治家があれこれと口実をつけては介入してきて情報の統制をすすめているのですから。

そこで、私としてはまず月並みではありますが、一般読者・視聴者に対してメディアの実態を少しでも知るように心がけ、メディア・リテラシーを鍛えあげていくことを強く主張したいと思います。

もちろんステマを見破ることは簡単ではありません。ステマなんかに騙されるヤツが悪いという意見も見聞しますが、そういう当人もステマに騙された経験があることでしょう。巧妙なステマは半永久的に関係者以外にはバレませんから人は騙されたという自覚なしに騙されています。メディア学の文献を探しても、ステルス・マーケティングを本格的に研究したものはほとんどありません。大手メディアに真正面から質問しても「弊社はそのようなことをしていません」と答えるに決まっています。実際、マスコミ企業が現場の社員のやっているステマを全体的に把握することは不可能でしょう。

ですから情報の受け手としては、企業のヒモ付きコンテンツに振り回されたくないと思うなら、ある商品や企業を賞賛しているような描写に接した時にはまずはステルス・マーケティングを疑う、というくらいの姿勢がちょうど良いのではないかと思います。インターネットの時代以前から私たちは企業の息のかかった情報に付き合わされてきているのです。そういう意味では、この問題でネットと既存メディアの対立をいたずらに煽るようなことも私の本意ではありません。

個別具体的な事例の議論はもちろん大切です。が、メディア全体の問題として、メディア全体の健全な発展につながるような形で議論が進んでいくことを望んでやみません。そしていうまでもなく報道記者の方々には、何のための報道か、その原点を忘れずにいてほしいと切に願います。

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