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新たな列強の時代へ〜『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』

◆高橋和夫著『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』
出版社:NHK出版
発売時期:2016年6月

世界を人体にたとえると、中東は経済の血液(エネルギー)を体全体に送り出す心臓。ここでの異常は世界に影響を与えずにはおかない。中東が混乱して崩れ、ブラック・ホールのように世界全体を吸い込んでしまう。そうしたシナリオを回避するためには当然ながら中東を理解することが重要になる。──これが本書の趣旨です。書名の「中東から世界が崩れる」とはそのような意味を込めています。著者の高橋和夫は中東に詳しい国際政治学者。

ところで、日本での中東理解は宗教過多に陥りがちだと高橋はいいます。宗教の話をしてわかったような幻想にとりつかれるのは、そろそろやめよう。たいていの事象は宗教抜きでも理解できる。そこで本書では、宗教のみならず政治や経済にも着目し、問題の深層に光をあてていきます。

高橋は、イランとサウジアラビアを中心に中東情勢を解きほぐして、国際政治のうねりの中に位置づけなおします。そのうえで、国際社会が直面するテロや難民の問題を考え、最後に日本の立ち位置について検討しています。

中東で近代国家としての体裁を整えているのは、イラン、エジプト、トルコの三カ国だけ。残りは「国もどき」。これが本書の基本的な見立てです。三カ国以外は「二〇世紀になって人工的につくられた“国もどき”」であり、強い国家意識を欠いているという。「国もどき」の代表格がサウジアラビア。工業化の水準、教育水準、労働力の構成、国民のアイデンティティーの強さなどを考えると、とうてい国家とはいえません。肉体労働者の多くは外国人であり、支配者層である王族は石油の富を使って国民の生活を保障しています。イランが国際社会に復帰する一方、サウジアラビアが中東の盟主として存在感を示すことはこれからもないというのが高橋の認識です。

国もどきのエリアで統治が混乱をきたした間隙をぬってISが台頭してきたのは『イスラム国の野望』で詳述されているとおりです。米国のプレゼンスも低下しており、中東は新たな列強の時代を迎えつつあります。当然、この地域の再編も考えられます。複雑で、多様で、曖昧とした世界が常態化する。日本を含む域外諸国は中東が本来持っていた世界への対応を迫られることでしょう。

日本はこの地域においては独自外交の蓄積があります。植民地をもった経験がないばかりか、ヨーロッパの植民地支配が残した後遺症への対処にも貢献してきました。ゆえに中東諸国からの信頼も厚い。中東に「善意の基盤」を持つ日本外交は大きな潜在力を秘めていると高橋は指摘します。テロと戦うという空疎で勇ましいかけ声を発するよりも、私たちは何よりもそうした「インフラ」を引き継いでいくべきでしょう。

高橋が新書形式で出している著作はおしなべて平易な語りで、晦渋なところはかけらもありません。といって教科書風の堅苦しさはなく、文章には独特の味があります。本書も高橋の個性が発揮された良書ではないかと思います。

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