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甘党が『ヴィンチェンツォ』を観ると…

大の甘党の私。和洋中を問わず、世界中のスウィーツを節操なく愛してやまない。高級洋菓子から屋台や駄菓子屋のお菓子まで、美味しければ何でもよい。そして、一度ハマると、明けても暮れてもそのスウィーツが食べたくてたまらない日々が続く。一生モノのスウィーツは別として、通常、ブームの持続期間は2週間から半年くらいだ。

最近『ヴィンチェンツォ』を観た時、主人公やヒロインが屋台で「コイ焼き」を買うシーンが気になって仕方がなかった。

主人公は病気の母親に「コイ焼き」を買って手土産にする。どうやら母親とのささやかな思い出の品でもあるらしい。また、主人公とヒロインが「コイ焼き」と「フナ焼き」の違いについて賭けをしたりする。そこで、韓国には「コイ焼き」と「フナ焼き」の2系統が存在するらしいとわかる。日本の「タイ焼き」も、地方により店によって色々な鋳型があるらしいが、韓国の「コイ焼き」や「フナ焼き」はどんな顔をしてるんだろう?味は日本の「タイ焼き」と同じかな?違うのかな?

それにしても、どう見てもあれは日本の「タイ焼き」と同じシロモノだけど、なぜ「タイ」でなく「コイ」や「フナ」なんだろう?このように、甘党としての探究心がぐいぐいと湧き上がる。

そこで、私なりにそのあたりの事情を少し推測してみる。おそらく、日本の統治時代に日本の食文化が色々と韓国朝鮮に流入・融合した中に、「タイ焼き」も含まれていたのではないだろうか。しかし、誇り高い韓国の人々は、「タイ焼き」とそのまま呼ぶことを良しとせず、あえて別の魚の名で呼んでいるのではなかろうか。しかし、韓国にも元から餡子あんこを食す文化があったのであれば、この推測は的はずれにすぎないかもしれない。

ともあれ、このドラマを見て、私は猛烈にタイ焼きが食べたくなった。ところが、以前は日本の街のあちらこちらで手軽に買えたタイ焼きが、今や私の住む京都市では入手困難な甘味かんみとなっている。Google MAPで検索をかけると、現在京都にはタイ焼きを扱う店舗が数えるほどしかないとわかり、愕然とする。なおかつ、扱っていても、オシャレに丸くデザインされた、モダン過ぎるタイ焼きだったりする。それはそれでいいのだけれど、素朴な昔ながらのタイ焼きはどこに行ってしまったのだろう。一方で、あまたのタイ焼きが、Amazonや楽天では「冷凍品」として販売されていることを知った。今やタイ焼きは通販で買うのが主流なのだろうか?だとしたら、実に寂しい限りである。

私が生まれ育った福岡市では、街のあちらこちらにタイ焼きや回転焼き(大判焼き)を売る店があって、食べたい時には、近隣の店でいつでもすぐに手に入ったものだ。

ああ、焼きたてのタイ焼きの風味と食感がよみがえる。鋳型から出てきたばかりの熱々のタイ焼きは、皮がサクッとしていて、餡子がタイの体の隅々にまでぎっしり詰まっている。ふっくらと炊き上げられた小豆の甘さはひかえめだ。子どもの頃は、頭から食べようか、尻尾からかじろうかと考えるのも楽しみだったし、タイのお腹を割って粒餡と対面する瞬間もワクワクしたものだ。

さて、タイ焼きが容易に手に入らないとなると、一流の甘党は次の手を考える。「そうだ、関西には『御座候ござそうろう』があるではないか!」と。そこで、連休で河原町に遊びに行く娘に頼み、高島屋で御座候を買ってきてもらった。

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https://www.gozasoro.co.jp/products

うーん、美味しい♡ 美味しすぎる。赤餡も白餡もそれぞれの持ち味で甘味はあっさり。小豆も白いんげんも身体に良いのがまた嬉しい。幸福感が身体中に満ちてくる。しかも、1個95円(税込)という超良心的な価格設定。日本の甘味かんみ文化を守る「株式会社御座候」様の素晴らしい経営理念に胸が熱くなる。

しかし…御座候はやたらめったら美味しいし、原材料も多分ほぼ同じだろうけれど、これはタイ焼きではないのだという、一抹の寂しさが拭えない。愛嬌に満ちたタイ焼きのルックスがどうにも恋しい。あの顔、尻尾、立体感のあるウロコ。そして、横長なフォルムは、小さな子どもが両手で持つのにも最適なのだ。この感情は、庶民的情緒に満ちたタイ焼きという甘味文化への郷愁だろうか…。1975年に「およげたいやきくん」というコミカルで哀愁漂う歌が大ヒットしたが、当時、タイ焼きがメジャーな甘味だったことの一つの指標と言えそうだ。それから半世紀近く経ったわけだが、その間に、日本のタイ焼き文化はすっかり様変わりしてしまったようだ。

くだんの『ヴィンチェンツォ』には、屋台で焼き芋を買うシーンもある。かたや現代の日本からは、独特なアナウンスを流しながらトラックで石焼き芋を売る文化もほぼ消滅しかかっている。秋から冬にかけての風物詩だったのだけれど、今や焼き芋はスーパーやコンビニで買うものになってしまった。

宵のしじまに、「やーきいもー、いーしやーきいもー」とアナウンスの声が鳴り渡ると、近所の人々がいっせいにトラックへ集まってくる。私も母からもらった小銭を手に、つっかけ履きで駆けつける。早く行かないと、トラックが遠くに移動してしまうのだ。トラックの荷台に積まれたグルグルと回転する大きな石焼き釜の中から、石焼き芋売りのおじさんが、軍手をはめた無骨ぶこつな手で熱々の焼き芋を取り出してくれた光景、茶色い薄紙の袋に入った石焼き芋のぬくもりを胸や手に感じながら、冷めないうちにと、急いで家に持って帰って家族で食べたこと、さつまいもの種類によって、ホクホク系やネットリ系など幾つか味や食感のバリエーションがあったことなどが思い出される。

韓国では、コイ焼きだの焼き芋だのが、ソウルのような大都会の街中の屋台で手軽に買えるなんて、本当にうらやましい話だ。甘味に限らず、「古き良き日本」の文化は、案外韓国で発見できるのかもしれない。


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