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人生の恩師が繋げた縁

こんばんは。
昨日書こうと思っていたのに~。
急遽、彼と会うことになったのでお預けになりました。

土曜日は人生で最もお世話になった恩師が教師を引退するということで、OG主催の謝恩会に行ってきました。

その恩師は中学生の時の部活の顧問。
男性と女性の先生がいて、今回は男性の先生が引退することに。
その先生には本当にお世話になった。
私は、そのスポーツを小学校3年生から28歳になるまで続けてきたが、教えていただいた先生の中では断トツで思い出深い先生だ。

もちろん、当時は影で「ハゲ」と呼びながら、嫌っていたこともあった。
思春期真っ只中なのだから仕方ない。

その恩師は弄りつつ、貶しつつ、でも笑える内容で(ブラックユーモア?)私たちにそのスポーツと人間とは…ということを教えてくれたと思う。

特に私はいじられやすかったと思う。
それがまた自分的にはよかったのだと思う。Mなのだろうか。

何を言われたかは私の中に残しておこうと思う。

だが、社会人になった今だからこそわかることはたくさんある。
私は会社員として働いているが、休みのために働いているようなところがある。
休みがあるから、まだなんとかギリギリ働いていられる。

だが、中学時代を思い返したらどうだろうか。
休みは年に2回ほどしかなかったように思う。

お盆に1日、元日に1日。

それ以外はほとんど練習か、練習試合。そして大会。

私たちが部活をしていたということは、先生たちにも休みがなかったということ。
休みもなく、先生たちが頑張れていたのは私たちに勝たせてあげたいという気持ちがあったからだと思う。

当時は練習しすぎて、正直何のために練習していたのかわからずに、闇雲にそのスポーツをしていたような気がする。

ただただ、ボールを追いかける日々。
もちろん、楽しい時間ばかりではなく、怒られる。
そう、死ぬほど怒られていた。

くたくたになるまで練習試合をした後に、体育館を20周走らされたり…
うさぎ跳びとかもしていた気がする。
もちろん、当時は指導のために叩かれたりもしていた。
それが当然だったし、それに関して「あれは暴力だ」などと思ったことはない。(当時はひねくれていたので思っていたかもしれないが笑)

静岡に遠征に行くために、朝の3時に家に迎えに来てくれた時もある。
比較的、私と恩師は近距離に住んでいたので、そういったことがざらにあったのだが、チャイムを押されるその時まで眠りこけていた時もあった。(しかも家族全員)

それなのに。

どこにも負けないくらい強い戦力を持っていたはずなのに。
私たちは試合で負けてしまった。
チームワークがボロボロだった。(単純に仲が悪かった)
当時は少しでも早く負けて引退したい気持ちと隣り合わせだったので、なんとも言えない気持ちだったが、そのためにお金を出してくれた親のことや、休みもなくいろんなところへ試合に連れてくれていった先生たちのことを思うと、なんてことをしたんだろうと今更ながら思う。

あの頃に戻れるのなら、絶対勝つために試合をする。
だが、戻ることはできない。
だから、今を一生懸命生きるしかない。

先生が、恩師が育ててくれたこのキャラクターで、仕事を精一杯頑張るしかない。

当時の恩師は赤鬼のような顔をしていたが、今はもうそれはそれは穏やかで菩薩のような顔をしていた。

恩師に会えたことも嬉しかったが、先輩や同級生、後輩に会えたことも嬉しかった。
これも恩師が繋いでくれた縁なので、大切にしていきたい。

今回来られなかった先輩がいたのだが、中学生の頃から笑いのツボがあっていて、心を許せる先輩がいた。
その先輩にも帰ってから電話をしたら、すごく喜んでくれた。
最近まったく連絡をとっていなかったのだが、当時の頃と変わらずに楽しく会話をすることができた。
私の好きな人たちは私に結婚を急かしたり、バカにしたりすることはない。
そういうところもすごく心地いい。

これから先、頻繁に会うことはなかったとしても、私にとって大切な人がいるということ自体が私の支えになる。

そういうことも含めて、本当にいい一日だったなと思う。

恩師と、それから私の周りにいる人たちに心からお礼を言いたい。


それでは、また。

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