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東京生まれのふるさと

中途半端だ、と自分のルーツを辿ろうとするといつも思う。

私は東京生まれだ。両親も東京生まれ。祖父母も全員、東京生まれだ。
ということは、私には田舎がない。かといって、すごく古い東京人かというとそうでもない。

父方は五代前まで遡れる。五代前、明治維新の頃に江戸に来て日本橋で砂糖問屋を開いた。他の曽祖父母たちも大体同じくらいの頃に新潟とか、東北あたりから東京に来た人が多い。
ということは、例えば浅草あたりで「うちは江戸時代から十代続く……」というほどの古い江戸っ子、というわけでもない。

昔から、「三代続けば江戸っ子」という。
そういう意味では私は「江戸っ子」なのだろう。でも自分が江戸っ子、とは思わない。私の祖母は神田生まれだったが二代目だったので「江戸っ子」ではないと周囲から言われていた。それが癪に触ったらしく、ある日、私にいった。
「あんたの伯父さんは、日本橋で生まれたからあの子は江戸っ子。でも、あんたのお父さんは渋谷で生まれたから、江戸っ子じゃないんだよ。だからあんたも江戸っ子じゃないよ。嘘っこだね」

渋谷は隅田川の外なので、「江戸」じゃない、ということらしい。

私どころか父が生まれた時だって「江戸」はもうなくて「東京」だったので私は祖母が何をムキになってそんなことを子供の私に言い募るのかよくわからなかった。それよりも、聞けば聞くほど自分のルーツがなんなのかわからなくて「一体私はどこから来たのか?」という疑問を抱えることになる。

祖母の実家は当時、羽振りのいい反物の問屋だったのに早い結婚、倒産、戦争、離婚を経験して祖母の中には「こんなはずじゃなかった」と恨みのようなものが溜まっていたのかもしれない。

子供の頃はそんな祖母の心の中がわからなかった。

祖母が亡くなってから、祖母の父、私の曽祖父は双子で生まれたために家族に疎まれ、新潟から一人で上京して故郷に帰ることもままならなかったことを知った。

「自分は江戸っ子じゃない。でも、帰る田舎も甘えられる実家もない」それは、彼女に一生付きまとっていたような気がする。

祖母がしがみついていたものは、なんだったのだろう、と最近思う。

私にも「田舎」がない。実家の母との折り合いも良くない。私には帰る場所がない。

だから、田舎のある人が羨ましかったし、地方の言葉を話せる人が羨ましかった。「生まれ故郷」という言葉に憧れた。夏休みになると新幹線に乗っておじいちゃんの家に行く友達が羨ましかった。「田舎の思い出」は、いつも私の心に切ないものを感じさせる。そしていつも思う。私の田舎はどこだろう?

親世代が東京生まれの人間はみんな、そんな屈託を抱えているような気がする。

私の田舎はどこだろう

思い出すのは、子供時代に住んでいた家の近所の神社の秋祭りや区営プール。踏切近くにあった大きな本屋さん。

それらは再開発でみんな、なくなってしまった。

中高時代に通った渋谷駅も、再開発で私が通っていた頃の面影はほとんどない。

私の田舎は記憶の中にしかない。

祖母も多分、同じだっただろう。

東京人の宿命かも、と思う。(もちろん長く残る風景もありますが)

田舎なんて、どこでもいいのかもしれない、と思うようになった。

帰る場所があれば、それでいい。

だから私は、旅に出る。


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