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ハッピーエンドは1つじゃない(ネタバレ含む感想)

  新元号になり、2020年になった現在であろうとも「結婚」は依然として女性のゴールとしての幅を利かせている。

 ストーリーオブマイライフはそんな「結婚」という出来事に焦点を当てた映画だ。主要登場人物の4姉妹は結婚という出来事から色々な壁へぶつかる。この映画の原作は若草物語で、原作の舞台は1860年代のアメリカだが、この時代は今よりもさらに結婚というイベントは女性のゴールであり、命題だった。

 長女のメグは愛する人と結婚したものの配偶者は稼ぎが良いとは言えず貧乏生活、次女のジョーは小説家としての成功を目指して上京したが上手くいかず燻っている、四女のエイミーは実家の貧乏生活から抜け出すために好きでもない金持ちの男と結婚しようすることへ葛藤し、三女のベスは結婚に悩んでいるわけではないが、自身の終わりを悟るなかで他の姉妹たちの行く末を心配している。

 この映画は1980年代のお話だが、令和の時代であっても「もう自分の子どもは結婚したから上がり」と言う人は本当にいる(私が九州地方に住んでいるのも要因かもしれないが)。これは文字通り双六の如く人生が「上がり」ということだろうが、そんな訳はない。

 結婚してからもメグのように経済状況という問題は付き纏うし、ジョーのように経済的に成功したいと思えば結婚すると女は家に入ることが当たり前だった当時の状況は足枷になる。エイミーのように安定した生活を手に入れる為にお金持ちの男性と結婚しようとするのだってマーチ叔母様の言う通り結婚しか道がないからだ。

 今の時代であってもそうだが、結婚は別に全ての状況を好転させるミラクルイベントではない。

 結婚はあくまで長く続く人生の通過点であり、到達点ではないのだ。むしろそれからだって人生は続くのだから今後どうするのかが重要なのである。長女のメグはそんな中で貧乏ながらも自分を思いやってくれた夫をより一層愛し、結婚生活を続けていこうと決心した。四女のエイミーは愛していない貴族の男と結婚せずに、自分が愛し続けた男と結婚できた。

 2人は結婚という枠組みのなかで幸せを自分たちで掴み取った。ならば結婚ではない道で幸せを掴み取ろうとした次女のジョーは?

 劇中にあるジョーの台詞で印象的なものが2つある。

 1つはメグの結婚式の日にジョーが言う「自由な中年女になりたい」という台詞だ。

 この台詞を言う前、ジョーはメグへ「結婚なんてしなくても良い。逃げちゃおうよ!」と伝える。それに対しメグは「自分は幸せであって、これが私のハッピーエンドなんだ」と返す。確かにメグにとって結婚はハッピーエンドだ。でもジョーにとってのハッピーエンドは「自由な中年女でいること」なのだ。自分の好きな小説を書き、自由に生きたい。それが彼女の望みだ。

 そしてもう1つは「女の幸せが結婚だけなんておかしい!間違ってる!でも、どうしようもなく孤独なの」と母親へ吐露する台詞だ。

 ジョーにとってのハッピーエンドである「自由な中年女」になるために大きな足枷になる当時の結婚を、彼女はしたいと思えない。自分に告白してくれたローリーに対しての気持ちも、恋だとは思えない。だからこそジョーはその全てに背を向けて自分の夢へ走り続けてきた。
 でも、いつも一緒だった姉妹たちは結婚して自分の側を離れて行き、ベスに至ってはもう会えなくなってしまった。自分への恋を引きずって前に進めなくなっていたローリーだって彼自身の愛を見つけて歩き出した。そんな中、ジョーだけは取り残されてしまった。
 小説家として成功したいと思っていたのに、出版社からは作品を安く買い叩かれ、信頼していた友人からは酷評された。そして、そんな状況の中なのに自分の隣には誰もいない。

 しかし、それでもジョーは自分の力で立ち上がり、「若草物語」を書き上げた。女性にとっての物語がほぼ無かった時代にそれは多くの少女たちにとって迎え入れられ、出版にも漕ぎ着けた。しかし、最後の結末でジョーは編集長と揉める。

 編集長は「主人公をオールドミスにはできない。ハッピーエンド(結婚)にしなければ」とジョーへ注文をつけたのだ。

 だが、そもそもハッピーエンドは1つなのだろうか?ジョーの望みである「自由な中年女」だってハッピーエンドの1つなはずだ。結婚を選択せず、恋人にならなくたって、友人とシェアハウスなんだったりをして家族はつくれる。孤独にならない方法だって十人十色に持って良い。

 ハッピーエンドとは固定化されるものじゃないだろう。誰もが誰かのハッピーエンドを持って良いのだ。だからこそ、色んなハッピーエンドの可能性に気づけるよう創作物に多様なハッピーエンドを描かれることが重要だと私は思っている。

 きっと若草物語の原作者である生涯未婚であったオルコットはジョーを「自由な中年女」として描きたかったのではないか?と考えた監督は原作にはないシーンを入れた。それこそ編集長とジョーがラストの交渉をするシーンだ。

 ジョーは執筆料を増やし、著作権を保持することを条件に編集長の言うようラストをハッピーエンド(結婚)にしたが、それは唐突に入れられる告白シーンへ繋がる。2人が雨の中で愛を伝えだす古き良きラストシーンというやつは、私の目にとても滑稽に写った。監督からの強烈な皮肉だろう。

 今の時代、ハッピーエンドは1つではないと言われることが増えてきた。色々なハッピーエンドを描く物語や色んな女性の姿を描く物語が増えてきたのも大きな理由だろう。とても喜ばしいことだ。私たちのハッピーエンドは1つではないし、ハッピーエンドは周りから決められるものではない。自分で決めるものだ。

 私にとってのハッピーエンドを誰かに決める権利など何処にもないのだ。


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