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ジョーカーになった男の話(ネタバレ含む感想)

  タイトル通り。ジョーカー見ました。

  生きる上で不要な雑音や自分を傷つけるものになりそうな出来事や人に対してある程度無視するのは心を健康に保つためのライフハックではあるけど、そうやって無視し続けた出来事や人は世間にどう返ってくるのか、無視され続けた人はどうなるのか、ということを描いた映画だなと思った。

  最初、アーサーは障害がありながらも夢を追いかけている善良な男性だけど、だんだん追い詰められて、そして殺人という出来事が彼を徹底的に変えてしまう。
  彼が追い詰められて堕ちていくところはずっと辛くて閉塞感に溢れていて、どうしても同情してしまうんだけど、その後殺人を犯してからは非情になっていって、でもアーサーの悲しみも分かってといった感じで感情がジョットコースターになった。多分、これ共感性が高い人が見に行ったらめちゃくちゃ辛いんじゃないかな。

  ゴミと失業者が溢れて、格差が広がって、誰も彼もが自分に精一杯で人を思いやる余裕もない怒りと悲しみが溢れた世界がゴッサムシティという架空の街なんだけど、これって今世界中の街で起こってることだと思う。
  最近のカンヌのパムルドールだって、「私は、ダニエル・ブレイク」から始まり「万引き家族」に「パラサイト」と格差と貧困層に焦点を当てた映画が獲ってる。それだけ貧困が世界的な問題になってるってことなんだと思う。だからこそアーサーに自分を重ねる人は出てくるだろう。米国公開で荷物検査までしているのも分かるかな。

  アーサーがマレーの番組で言った言葉は貧困で救いが無い現状に対する彼の怒りであって、それ自体は間違ってない。そしてそれに反論するマレーの言葉も別に間違ってない。別にどっちも間違ってはいないのだ。
  でも、マレーの言葉は切り捨てているのだと思う。アーサーたちを。この前日本でも話題になったが「死にたい奴は1人で死ねば良い、人を巻き込むな」といった言葉や「そういう状況にいるのは自己責任だ。同じ状況でも成功してる人もいる」といった類の言葉。そうやって切り捨てるのとか排除しようとするのは楽なのだ。もちろん殺人を犯したアーサーは悪いのだが、そのアーサーの事情を考えたりはしていない。自分の人生においてのノイズだし嫌悪を抱く方が簡単だから無視していく。でもそうやって無視したり、嫌悪をぶつけた結果がジョーカーなのだ。

  今回アーサーがジョーカーへ変わったきっかけは殺人という大きな出来事だったが、そんなに大きな出来事でなくても人は突然別のものに変貌してしまうことがある。良い意味でも悪い意味でも。言った本人が覚えていない言葉がある人の成功の鍵だったり、逆に恨みを募らせるきっかけになったり。私たちの何でもない行動や発言がその人のターニングポイントになる。昨日話していた人はそのことでジョーカーになってるかもしれない。

  だからこそどうするべきかと言ったら、小学校の道徳で習うような「人に寄り添い思いやりをもって接しましょう」という月並みな言葉になるのだが、多分、これが真理なのだろう。小学校の勉強大事。

  あと映像のことを言えばカットがいちいちカッコよくて良かった。ジョーカーが階段で踊るシーンなんてめちゃくちゃカッコよくて、セクシーで、恐ろしくて良かったな。煙草の使い方も最高。

  それとホアキンフェニックスのアーサーが泣きそうなときに笑うところの演技凄かった。笑っているのに泣いていることが分かる。心に迫る笑い声だった。
  そういえば最近日本のドラマとかでもサイコパスな犯人ってオチ多くて、サイコパス演技が出来るのすごい!て話題になるが、別にサイコパスな演技って異常なこと言って笑っておけばある程度の俳優さんなら出来ると私は思う。(ただダークナイトのヒースジョーカーの得体の知れない恐ろしさは並みの俳優さんじゃ出せないとは思っている。人は初めて見たジョーカーを親だと思って着いていく習性があるので個人的ベストジョーカーはヒースレジャー)
  むしろ難しいのは最初は善良な人間だったり、平凡な人間だったのにだんだんとサイコパスになっていくという変化で、それを上手く出来るかが演技力の見せ所だと思う。具体的な例で言えばヒメアノ〜ルの森田剛くん。殺人するようになってからはあんなに怖いのに、学生時代に虐められてるときの絶妙にターゲットにされそうな感じとか凄くないですか。
  だからこそ今回のアーサーは追い詰められて堕ちて殺人者になっていくところの演技が凄かった。変化に説得力があった。

  ジョーカーにならないためにもさせないためにも人に誠実であろうと思える映画だった。

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