【掌編小説】にんにく

 久々に食うか、と足を運んだラーメン屋。
 いらっしゃーせー、という元気のいい店員さんの声と、食欲を刺激するスープの香りが出迎えてくれた。
 カウンターテーブルに通された僕は、さっそくオーダーを済ませる。
 漬け物を食べながら待っていると、数分後には注文したラーメンが目の前に置かれた。

「いただきます」

 箸をとる前に手を合わせ、一緒に頼んでいたおろしにんにくをラーメンに投入していく。

 ——?

 そこでふと、脳裏に疑問が浮かんだ。

 僕はいつから、にんにくをラーメンにいれるようになったのだろうか。
 かつては追加の調味料なんて入れない派だったのに、と。

 すぐにその答えにたどり着き、僕は思わず苦笑した。




「たのもー!」

 元気よくラーメン屋ののれんをくぐったのは、あの日の君。

「こらこら。道場破りじゃないんだから」

「いやー、そんくらいの勢いがないとダメっしょ!」

 後からついてくる僕が引き立て役になるほどの存在感に、店内の人々が君を一瞥する。
 跳ぶようにやってきた店員さんに案内され、席へ着く。

「これお願いしまーす」

「僕はこれで」

 オーダーを終え、一息つく。

「マジでいい匂いー! やっぱラーメンよね、ラーメン」

「ふふ。喜んでくれて何よりだけど……ほんとに良かったの?」

 その日は一応、君の誕生日祝いということになっていたのだ。

「あたぼう。うち、実はここのラーメン大好きなんだ。本当はずっと、一緒に行きたかった」

「へえ……」

 付き合って長かったが、初めて耳にした情報だった。

「なんで今まで教えてくれなかったの?」

「……それ、聞いちゃう?」

 君は恥じらっているかのような演技じみた表情で僕を見る。
 どう見ても聞いて欲しそうな顔だったので、当然のごとく僕はうなずいた。

「猫被ってたんだ、うち」

「……は?」

 僕は驚愕に目を見開いた。

「だってさ、ラーメンが死ぬほど大好きな女子って、女子っぽくないじゃな」

「違う、そこじゃない」

 違和感を無視できず、僕は君の言葉をさえぎった。

「猫被ってたの?」

「うん」

「ごめん。重大な秘密を打ち明けたみたいな顔してるけど、あんまり驚けないんだけど……」

「そ?」

「そ。ラーメン食ってそうだよ、普通に」

 豪胆な元気娘。そんな印象が第一に来る君だったから。

「そっか……女子っぽくないか……」

 悪く言った覚えはないのに、なんか急にしょげた君。

「女子っぽくないとかは知らんけど、僕はそういう君が好きだけどな?」

「……!!」

 僕があわててフォローするや否や、君の顔が満面の笑みに切り替わる。

「きゅんってなった♪ 嬉しい。ありがとう」

「ははっ」

「? 何笑ってるのー?」

「いや、可愛いなって――」

 僕らが会話を交わしていると、「お待たせしましたー!」という元気の良い声と共に、『それ』が僕らの間に置かれた。
 ドオン、という効果音付きで。

「MAXラーメン大盛りでございます!」

 それは、とんでもない量の野菜とチャーシューがトッピングされた、デカ盛りラーメンだった。

「やっぱこれだよねーっ!!」

 君の目が輝く。
 可愛いって言葉、訂正しよっかな。
 ……なんて考えさせるほどのインパクトだった。

 しかし衝撃はこれで終わらない。

「にんにくも入れなきゃだよねーっ」

 君はおろしにんにくをこれでもかというほど投入した。
 見目麗しい小柄な女性には似合わないその光景に、周囲の視線が集まる。
 まるでこの後のデートプランなんて、まるっきし頭に無いかのような、そんな豪快さだった。
 そして君は巻き込むようにして、僕にも豪快さを発揮する。

「はい、あなたも」

「!?」

 僕のラーメンに、君の手によって注がれていくおろしにんにく。

「けっこうたっぷり目にいれるのがミソだよ」

 これはおろしにんにくだけどね! ……なんて笑っていたが、てへぺろどころの騒ぎではない。

「この後の……デートプラン……」

「へーきへーき! 有名な恋愛ソングの歌詞にもあるじゃん? 二人で一緒ににんにく臭くなろう、って」

「そんな名曲しらん」

「まあまあ。それに、」

 おろしにんにくを投入しまくりながら、君は続ける。

「後先ばっかり考えてると、今がおざなりになるよ?」

 にんにく用のさじを僕に向けて言った。
 君という人間を端的に表した様な、そんな言葉だった。

「……そうだね」

 僕は若干の呆れ笑いを浮かべる。

 ——そういうところに惚れたんだよなあ

 なんて、これまでのことを思い返しながら。

「さ、食べよ?」

「ああ」

 いただきます、と手を合わせて食べ始める。

「おお、美味い!」

 初めは恐ろしくてはしの進まなかった僕だったが、あっと言う間ににんにくの香りと、それが引き立てるラーメンの味の豊かさや香ばしさにやみつきになった。

「でしょう? にんにく、パないんだから!」

 大盛りのラーメンをほおばりつつ、君はドヤ顔を決める。

「これはハマってしまうな」

「ふふっ……じゃ、また来なきゃだね?」

「ああ」

 約束を交わして微笑みあう。

 そんなことが積み重なり、僕は台風に巻き込まれるようにして、君色に染まっていったのだった。




 けれど、君は僕の前からいなくなってしまった。
 それこそまるで台風みたいだった。
 君のいなくなった日から続く今日までの日々は、まるで台風一過の晴れ渡る青空のようだった。
 あとくされも何もなく、ただ清々しく君は去っていった。

 けれど、確かに君は、痕跡を残していった。

 ——やっぱり美味いな

 おろしにんにくをしこたま投入したラーメンのスープを飲みながら思う。
 この味わいは、君と出会わなかったら知らなかったものだろう。
 僕の部屋にはもう、君の家具も思い出も残っていないけれど、確かに僕は君と一緒の日々を過ごしていたのだ。

「ありあとやしたー!」

 会計を済まし、店員さんの声を背に店を出る。

 ——これはもう帰るしかないな

 苦笑しながら自宅への道を歩く。

 口の中に残るにんにくの匂いが、食後のブレスケアを口にしてもなお、いつまでも消えてくれない。




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