【掌編小説】マグカップ
Netflixで映画を見終わった後、無性にむなしくなる。
感想を語り合う相手がいないだけで、こんなにも寂しくなるものだとは、思ってもみなかった。
——久々にハニーラテでも飲むか
自嘲気味に笑いつつ、孤独感を紛らわせようとキッチンへ向かう。
食器棚には、かつて二つあったマグカップの、そのうちのひとつが寂しげにたたずんでいた。
「……」
虚無感に襲われる前に、それを食器棚から取り出す。
あとはコーヒー豆に、はちみつと豆乳を用意し、目の前にはひととおりの材料がそろった。
それから後は、どうだっただろう。
作り方を記憶からひっぱりだそうとすると、君との想い出までが頭の中に浮かんできてしまった。
「一年記念日、かんぱーい!」
あの日、先に声をかけてきたのは君だった。
「ありがとう。これ、開けてもいい?」
「もちろん。あなたの大好きなやつだよ」
にやにやと笑う君の視線を浴びながら、受け取ったプレゼントの包装を開く。
「おお、コーヒー豆! ……あとは、豆乳とはちみつ?」
僕はじとっとした目つきで君を見る。
「う、うん。ソウダヨ?」
君は僕の視線に耐えかねるように、視線を泳がせていた。
「コーヒーは好きだけど……」
豆乳とはちみつに関しては、どちらかというと君が好きなものだった。
「えー、いいじゃん。豆乳ラテ作ってよー!」
君は眉を八の字にして、僕の肩をゆすった。
「そんなに欲まみれの人には、プレゼントはあげません!」
「えーっ!?」
君がおおげさなリアクションでショックを露わにしたところで、『ピンポーン』というチャイムが鳴る。
僕が「あっ」と声を出すと、何かを察した君はふたたび笑顔になる。
二人で玄関へ向かい、配達員さんから荷物を受け取る。
荷物の正体は、僕が頼んでいた品物だった。
「おやおや、その荷物は何ですかー?」
君からのくすぐったい視線を浴びながら、荷物をリビングへ運んでいく。
僕はそれを机の上に置いて、「……開けてみて」と君へ言う。
「どれどれ」
君は口の端を上げて開封していく。
上質な箱を開けると、現れたのは二つのマグカップだった。
「ふふ。豆乳ラテ作る気満々じゃん」
「……」
僕は頭をかきながら、君の満面の笑みを受け取った。
「まあ、せっかくマグカップもあることだしな」
「やったー!」
僕は飛び跳ねる君を横目に、やれやれ、と呆れ笑いを作りつつ、支度をする。
まずはドリッパーをマグカップの上にセット。
さらにドリッパーの内側に、ペーパーフィルターを乗せる。
ごりごりとコーヒー豆を挽き、フィルターに投入。
そこへ少量のお湯を注ぎ、すこし蒸らす。
「んー、いい匂い」
君は目を瞑り、気持ちよさそうに目を細めた。
「もっといい香りになるぞ」
蒸らしの作業を終え、本格的にお湯を入れる。
こぽこぽと小気味よい音をたてながら、黒い液体がマグカップに注がれていく。
リビングを香ばしい匂いが満たしていった。
「出来上がりだ」
「いや、まだでしょ!」
僕は忘れていたふりをして、「あー、そうだったな」なんて言って見せた。
「ここは、ハニーラテのプロにお任せしようかな」
「ふふーん。お任せあれ」
君は、「とは言っても、豆乳入れてチンしてはちみつ入れるだけだけどね」と笑った。
数分後、二人分のハニーラテが出来上がり、僕らはいっしょになってすすった。
「……美味いな、ちくしょう」
「でしょー!」
僕の感想に、ドヤ顔でふんぞり返る君。
「でもさ、なんでそんなにブラックにこだわるわけ?」
「いや、ね。なんというか、かっこよくない? 大人っぽくて」
「たはー。ただのええかっこしいか!」
「……好きな人の前では、かっこつけたくもなる」
「……不意打ち、きも」
君はそう言いつつも、僕に顔を寄せた。
僕はそれに応えるようにして、君とくちびるを重ねる。
しばし触れたままだったくちびるが、どちらからともなく、名残惜しそうに離れていく。
「……甘い」
僕は心臓がどきどきするのを抑えつつ、キスの感想を述べる。
「そりゃあ、ハニー入ってますから」
君は照れをごまかすかのように、なぜか敬語になって言った。
僕もごまかすかのように軽口を叩く。
「プーさんとのキスってこんななのかな?」
「ふふ、なによそれ」
他愛ない冗談を言いながら、僕らは笑い合った。
それから、ハニーラテを飲みながら、これまでを振り返る。
しばらく思い出を語った後、僕は頃合いを見て君に伝えた。
「あのさ。一年間、一緒に居てくれてありがとう」
僕の言葉に、君もたたずまいを正して、言った。
「……私こそ、ありがとう」
お互いに気持ちを伝えあい、それからもう一度キスをして、抱き合った。
はちみつよりも、ずっと甘いひとときだった。
そんなことを思い出しながら、レンジの加熱時間を待つ。
しばらくすると、チン、という音がして、あたため終了を知らせてくれた。
レンジから取り出したマグカップにはちみつを入れ、スプーンでかきまぜる。
——これでよかったのかな
まだ熱の冷めないマグカップのふちに、くちびるを寄せ、ゆっくりとブラウンの液体をすする。
それは確かにハニーラテのはずなのに、あの日と同じような、包みこまれるような優しい味わいとはほど遠かった。
舌がやけどしそうなほど熱かったのに、胸の中は冷たいまんまで。
甘いにおいがリビングには充満しているはずなのに、コーヒーの苦みだけが、やけに口の中で強調されて仕方がなかった。
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