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居酒屋

 人類なんて滅んでしまえばいいのに。
 小さい頃、本気でそんなことを考えていた。なんでだと思う?-それは、人間以外の生き物が好きだったから。人間以外の生き物(それは虫だったり、魚だったり。とにかく、人間以外の生き物、である)が好きだったから、地球に害をなす人間という種が、嫌いだった。
 今では「先にお手本を見せて滅んでくれよ」なんて言われそうで怖い。言われても仕方がないような気はする。だってそんなことを言っている、当の本人が人間だから。
「そんな不謹慎な思い出話はやめようぜ」
 頬杖をついた友だちが、机越しに言う。この人は真逆。
「人間、みんな最高だよ?」
「それは悪い人間に会ったことがないから言える言葉だろ」
「いやいや、悪いところも含めて、全部最高だよ」
 口角を上げたかと思えば、横に広がった口に、生ビールを流し込んでいる。
「まるで人間じゃないみたいだね、お前は」
 人間じゃなく、神様にでもなれたなら、こいつと同じように考えられるだろうか。いいところも悪いところもひっくるめて、人間という種を愛せるだろうか。
「難しいことばっかり考えていないでさ、思えも飲めや」
 店員さーん、生ひとつお願いしまーす。と、僕の希望など微塵も聞かず、彼はオーダーをした。ビールは苦手なんだけど。
「どうやったらそんなに人間が好きになれるんだよ」
 生ビールです、と、会話の合間を縫うように店員さんが注文を持ってくる。
「俺だってさ、もともと人付き合いとかが好きなわけじゃないんだよ?でもさ」
 彼は片手でジョッキの持ち手を掴むと、グイッと飲み込んだ。何か大事なことを言う前に、気合を入れなおすかのように。
「いつも隣に誰かがいてくれたらさ、その人のこと、好きにならずにはいられないだろう?」
 ジョッキを掴んだままの薬指に、光る指輪。いつも隣にいる誰か、とは、彼の奥さんのことだろう。
「そうなっちまうとさ、他の人間のことだって、不思議と愛せるようになってしまうんだよ。なあ?店員さん」
 彼が突然、さっきの店員さんに話しかける。
「なんの話でしょうか?ところでお客様、あんまり飲み過ぎないほうがいいのではないですか?」
 注意を促した女性店員の薬指には、彼と同じような指輪が煌めいていた。そういやあ、ここで働いてるんだっけ、こいつの奥さん。
「おっと、身が引き締まるなあ」
 そういう冗談なのだ。見ていて楽しい。
 いつものごとく、彼に勘定をしてもらう。店主が友だちだからと言って、毎回おごってもらうなんて、なんとなく気が引けるけれど、お金がない僕に、おごられるのを拒否できるほどの懐の豊かさはない。
「お前も彼女くらい作ったらどうだ」
 店の前、道行く人に気を遣うことも一切なく、彼は大声で言った。
「今ので僕に彼女がいないことが数十人には知れ渡ったぞ」
 周囲からはくすくすと笑い声が聞こえる。
「失礼。今度合コンでもセッティングしてやるから、勘弁してくんな」
 ちょっとお客様、よろしいでしょうか、と店の中から女性の声が聞こえてくる。彼はすたすたと店内へ戻っていきながら、手を振った。奥さんに呼ばれたらしい。
 誰かを深く愛したのなら、他の誰かも愛おしく思うことができるのだろうか。
 そんなことを考えると、少しだけ、人類が滅ぶのは、まだ待って欲しいとか思えてくる。
 だから、僕が愛情について知るころに、まだ残っていて、この星の人類。

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