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ツァイガルニクの悪戯

 英雄(ひでお)が見つめるテレビ画面の中では、アクション俳優が大勢の敵に囲まれている。
「うわあ、なんて数だよ。これじゃ勝てっこないじゃないか」
 切迫した状況、感情移入して無意識に声が漏れる。
 画面の中の主人公は言った。
「お前らじゃ俺には勝てない。なんせ、俺にはとっておきの秘策があるからな」
 彼が不敵な笑みを浮かべてセリフを吐くと、液晶には「続く」の文字が表示された。
「えええ?そんなところで終わっちゃうのかよ」
 続きが気になって夜も眠れない。英雄はそんな心境になった。


 
 教壇では白いTシャツに黒のスキニーパンツという、教授とは思えないような姿の男が話をしている。外見から予想できる年のころは二十代半ばというところだろうか。きっと実年齢より若く見えている。
 彼、柳(やなぎ)教授の講義は人気があり、学生から知識のひけらかしと揶揄されがちな大学の講義の中では珍しく、受講生の定員を大きくオーバーするほどの応募があった。
 英雄もこの講義を受ける学生のひとりである。
「進撃の巨人の新刊が待ち遠しい人はいませんか?」
 学生たちの目線が、ぐいっと壇上の柳に引き付けられる。
「半沢直樹の続きが気になる人は?そして、ハンターハンターの続きをずっと気にし続けて待ちぼうけ食らっている人はいますか?」
 くすくす、という学生たちの小規模な笑いが講義室に響く。
「実は、こういった未完成の物語の続きが気になってしまう現象にはツァイガルニク効果という名前がついています」
 ツァイガルニク効果、とゴシック体の大きな文字が黒板代わりのスクリーンに表示された。
 英雄は昨夜見たドラマの切迫した状況を思い出す。
「わざと未完成の状態で終わらせて、見ている人の心を引き付ける。連続ドラマや連載漫画などで使われる手法です」
 柳が簡単な説明を終えると、スクリーンの画面が変わった。宿題、と書かれている。
「先に宿題から出しておきます。ツァイガルニク効果をあなたならどのように有効に使うか考え、レポートにまとめてきてください。今から行う今回の講義を参考にしても構いません」
 文字数は問いません。評価の基準は私の独断と偏見です。
 壇上の男はそう付け加え、講義を続けた。



「いやあ、今日も柳教授の講義面白かったねえ」
 沙耶(さや)がいつもと同じようなことを言う。
 彼女も英雄と同じく柳の講義を受けている。同級生のふたりは、講義が終わると決まって学生ホールで休憩をとる。
「特に最後の小芝居。柳先生のああいうユーモラスさが好きだなあ、私」
 
 講義終了の際、柳は携帯電話をポケットから取り出し、
「はい、私だ。なんだと?今すぐ行く」
 慌ただしくそう言って電話を切ると、
「今日の講義は終了です。次回、ツァイガルニク効果の真の使用方法とは?に続きます」
 そう告げて走り去っていった。
 柳は講義の随所で小芝居を取り入れていて、学生たちには恒例となっている。
 
「ああ、確かにいろいろと気になる終わらせ方だったな」
「ね。やっぱ柳教授、最高」
「ところで沙耶、宿題についてはどう考える?」
 柳が出した、自分ならツァイガルニク効果をどう使うか?という宿題の件だ。
 英雄の問いに沙耶は「そーだな」と一言置いて、上目遣いでじっと英雄を見つめる。
「ねえ、ひでくん」
「な、なに?」
「今度の日曜さ、一緒に自然公園行こうよ」
 自然公園。彼らの住む街では有名なデートスポットだ。
「どうしたんだよ、いきなり」
 英雄の胸が高鳴る。今日は水曜日。日曜日が来るまで沙耶のことが頭から離れないかもしれない。どぎまぎした彼の表情に気づいた沙耶が口元を緩める。
「って感じで使うかなあ」
「なんだよ、沙耶まで芝居かよ」
 ふたりの間の緊張の糸がほどける。
「ごめんごめん。でもさ、恋愛の場面では使いやすいと思うんだよねえ。ひでくんはどう使う?」
「そうだなあ、どう使おう」
 うんうんと思考するものの、なかなか思い浮かばない。
 仕事?学生の身分だから、どのように使えばいいか想像がつかないなあ。
 勉強?わざと途中まで勉強して、記憶に残しやすくするとか?まあ、ありがちな回答みたいでつまらなさそう。
 英雄があまりにもうんうんと唸っているものだから、沙耶がしびれを切らして彼の思考を遮った。
「まあ、次回までにはきっと思いつくよ。思いついたらまた今度、聞かせてよね」



「はあ、まったく思いつかない」
 英雄は机の上で頭を抱えていた。気づけば明日は水曜日。沙耶と言葉を交わした日が、つい昨日のように感じる。
 次回までにはきっと思いつくという沙耶の言葉も空しく、英雄はツァイガルニク効果の使い道を思いつかずにいた。もう講義前日の夜の十一時だ。
「諦めてドラマでも見るか」
 英雄は現実逃避に洒落こむことにした。前回から続きが気になっていたドラマを観賞しよう。何かいいアイデアが思い浮かぶかもしれない。

 三十分後。
「ああ、またいいところで終わってしまった」
 案の定、続きが気になるような終わり方であった。
「勉強してから改めて見ると、本当に続きが気になるように作られているなあ。あっ、待てよ」
 天啓のごとく、彼の頭にアイデアがひらめいた。



 宿題提出から一ヶ月が経ち、学期末を迎えていた。
 柳の授業の単位はどうだっただろう。きっと高評価に違いない。
 英雄はそう期待し続けてこの日を迎えた。
 彼はアイデアを元にレポートを作成し、提出した。その出来栄えには自信があった。評価に関しては単位の評定に反映するらしい。
 単位の取得状況を確認しようと、パソコン室のPCの前に座る。
 そして柳の講義の評定を見る。
(うわ、なんてことだ)
 同じタイミングで単位取得状況を見ていた隣の席の沙耶が、英雄に話しかける。
「ひでくん、私、柳教授の講義、優だった…って、ひでくん?」
 肩を落とす英雄を見た沙耶は、何かを察した様子だった。

 PC室を出たふたりの前に、偶然にも柳が通りかかった。
「あ、君、坂田英雄君だね?」
「え?は、はい、坂田ですけど...」
 学生の名前を憶えているのか?
 英雄は柳から声をかけられたこと以上に、フルネームで呼ばれたことに驚いた。
「いやあ、君のレポート、良かったよ。まさか小説を提出してくるとは。僕の講義をしっかり聞いてくれたうえで、続きが気になるような物語を書いてくれたんだね。はっはー、洒落が利いてるや」
 柳は愉快そうに話した。彼の言う通り、英雄は絶体絶命の場面でラストを迎える小説をレポートとして提出した。
 恥ずかしい気分になりつつも、単位を取れなかった理由が気になった。
「レポートの評価をいただけて光栄です。しかし、ならばどうして単位を与えていただけなかったのですか?あくまでも小説であり、レポートではなかったからですか?」
 質問に対して、柳はそれがねえ...と続ける。
「僕、君の書いた小説の続きが気になっちゃってさあ。来年も受けてくれたら君はきっと物語の続きを書いてくれるだろう?」
 そんな理由で?
 英雄は思わず、ぽかんとした表情になった。
「単位を取得して、卒業して小説家になったら続きを書きます、なんて注意書きでも添えといてくれたらまた話は違ったかもしれないけどね。まあ、そういう訳で、来年もよろしく」
「え、あ、ちょっと...」
 引き留めようとする英雄を構うことなく、柳は去っていった。
 英雄は来年度で最終学年である。来年、この授業の単位を取得できなければ卒業は危うい。
 果たして、彼の運命やいかに。

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