【掌編小説】マフラー

 冬も終わりに差し掛かるというのに、空気はまだ冷たい。

 街道を歩き、スポーツ店の前に立つ。
 ショーウィンドウのガラスに映る私。
 その首元に巻かれたマフラーを見て、思わず苦笑が漏れる。

 ——まだ付けているのか

 そんなふうに笑われた気がして、視線を上げると。
 スキーウェア姿のマネキンと目が合った。

 マネキンはあの日のあなたとそっくりな服装で。
 否応なしに私はあなたとの日々を思い出してしまう。




「いい人、いないかなあ」

 そう言ってゲレンデを見回すのは、隣に立つ友人。

「スキーをしに来たんじゃないの?」

「それはもちろん。けど、出会いは常に求めてるから」

 親指を立てた彼女の瞳は、ゴーグル越しでも分かるほど、キラキラと輝いていた。
 肉食系な彼女に、私は口を酸っぱくして言う。

「がっつくのはいいけど、ゲレンデマジックには気を付けてね」

「なにそれ?」

「スキーウェア姿は3割増しで魅力的に見える、ってやつ」

「なるほど……脱がしてみないと分からないってことね」

 彼女はそういうと、一面の銀世界に颯爽と繰り出していった。

 ——はあ、まったく

 ほっぽかれた私は、仕方なくひとりで楽しむことに。

 スキーに来るのは何度目かになる。
 要領はだいぶ心得た。
 雪景色の中をさくさくと走り回るのは気持ちがいい。

「……!」

 束の間の快感に身をゆだねていると、気付けば急斜面に差し掛かっていた。

 ——やばい

 コースアウト目前となり目をつむる。

「……?」

 しかし、待ち構えていたような、滑り落ちる感覚はない。
 代わりに感じたのは、肩を支えるがっちりとした手の感覚。

「大丈夫?」

 目を開けると、体格の良い男性が立っていた。
 スキーウェアを着ていても分かるほどの、しっかりとした体つきだった。
 私はその姿と声に、一瞬、どきっとした。

「だ、大丈夫です。すいません。ありがとうございます」

「そっか。じゃ、コースに一緒に戻ろっか」

 横歩きになりながら、斜面を登る。
 その間の沈黙に耐えられなかった私は、思わず口を開く。

「あの、お礼とか……」

「え? いいよ、そんなの」

「でも、悪いですよ。お仕事ってわけでもないでしょうし」

 男性の格好は、私と同じようなスキーウェア。
 どう見てもスキー場側の人には見えなかった。

「あはは。別に大したことじゃないのに。もしかして、僕に惚れちゃったとか?」

 冗談めかして男性は言った。
 そ、そんなんじゃない! ……と、内心でぶんぶん首を振り、努めて冷静に口を開く。

「……スキーウェア姿の男性は、実際の3割かっこよく見えると言われています」

「え?」

「なので実際は6割くらい不細工だと思って見ているので、惚れたなんてことはありません!」

 ムキになって言った私の言葉に男性は、横歩きのままで「あはは!」と豪快に笑った。

「面白いこと言うね。せっかくだから、一緒に滑らない?」

「……助けてくれたお礼ってことで良いのなら」

 それがあなたとの出会いだった。


 それからというもの、意気投合した私たちは交際を始めた。
 スキーをはじめとし色々なデートを重ね、ついに初めてのお泊りへ。

「あの日、友だちに笑われたの。『ゲレンデマジックがなんちゃらって言ってたくせに!』って」

「それは僕でも笑う」

 泊まったのはスキー場近くのコテージ。
 私たちは薪ストーブの前でホットココアを飲みながら、おしゃべりをしている。

「それで、実際はどう?」

「えー、それ言わせる?」

「僕は君のこと可愛いと思ったけど」

「……もー、なんかチャラい」

 なんて言いつつも、私はあなたにベタぼれだった。

「それはともかく、ココア、美味しいね?」

 私は質問には答える代わりに話題をそらした。

「そうだね」

 あなたは追及するでもなく、一緒にココアをすすった。

「知ってる? ココアには媚薬効果があるんだよ」

 私は言いながら、隣り合うあなたの左手に、右手を重ねる。

「ふうん」

 あなたは握り返し、私の手に指を絡める。

「……もう。分かってるでしょ?」

「何にもわかんないな。とりあえず、薪ストーブは消しておこうか」

「寒いの、いや」

「大丈夫。きっと汗だくになる」

「ふふ……変態」

 私は毒づきながらも、あなたとくちびるを重ねた。


「くちゅん!」

 翌朝。起きて早々にくしゃみをすると、それを見たあなたがからかってくる。

「くしゃみ、可愛いね」

「うっさい。伝染してあげよっか?」

「それもいい」

 あなたは何も気にした素振りもなく、ノーモーションでキスをしてきた。

「……ばか」

 心も体も許したからなのか、私はこれまでよりも素直に照れてしまった。

「はい。これ付けて、あったかくして」

 あなたはそう言って、私の首にマフラーを巻いてくれた。
 顔をうずめると、鼻腔をくすぐるあなたの匂いに安心感を覚えた。

「あは。くさい」

「失礼だな」

 そんな冗談を交し合う度に、ぬくもりを感じていた日々だった。




「おーい!」

 あなたとの日々を思い出していると、手を振りながら友人がやってきた。

「ごめん、遅くなって……ん? そのマフラー」

 友人は私のマフラーに気付くと、にやにやと笑う。

「勘違いしないで。別に、未練とかじゃないから」

「とか言ってー」

「寒いからまだ捨ててないだけ」

「じゃ、新しいの買いに行く?」

「……お金ないから、良い」

 あからさまな私の強がりを見抜いたのか、友人は困り眉毛で笑った。

「とりあえず、いこっか」

「……うん」

 友人と一緒に歩き出す。
 気付かれないように、マフラーに顔をうずめる。

 もうとっくに上書きされたはずなのに、あなたの匂いが海馬を刺激した気がして。

 大きな手で優しく温められたあの時の余熱が、まだ、冷めてくれそうにない。




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