プロ奴隷のすすめ
この時代の科学の進歩は「就活」という概念を消し去った。
誰もが自分にとって最も適した職業を知れるようになったから。
わざわざ自己理解を深めたり、高い交通費や貴重な時間を削る必要は無い。無料診断アプリのテストを受けさえすれば、適職から仕事場への紹介まで面倒を見てくれる。
人々の生産性は高まり続け、人類史上最高の栄華を極めつつある。
ただ、適職が「自分のやりたいこと」であるとは限らない。
※※※
「世渡ィ、もっと汗水たらして働け」
工事現場で怒号が飛んでいる。
「は、はい」
絞り出すような返事。かれこれ10時間続いている作業のうち、30分に一度はこんなやりとりが行われている。
世渡散華(よわたり・さんげ)の適職は『奴隷』。
しごかれ、怒鳴られ、使われ、屈しそうになりながらも決して屈さずに仕事をやり続ける。どんな命令にも逆らわず、徹底的にYESの姿勢を貫く。
自分の意志を貫くより、長いものに巻かれていることを選ぶ。勇気?自由?そんなもの――欲しくはない。と言えば嘘になるけれど、それよかその時その時の自分の身の安全が大事なのだ。
※※※
「はあ、今日もへとへとだあ」
くたくたになった散華の体がボロアパートの一室の畳に転がる。
家に帰り着いたら、風呂とご飯。そして歯を磨き、眠る。
余暇を楽しむ間も、副業をする時間も無い。
奴隷の彼にはそれが自然で、あるべき姿だった。
布団を敷き、照明を消す。
眠る前のひととき、ふと彼の脳裏によぎる幼き日の夢。
「あの頃は作家になって、自由に旅をしながら生きたいと思っていたっけ」
過去の自分、そして、故郷で暮らす父や母を思い出す。
「ふたりとも、仲良くやってるかなあ。そういや――」
じいちゃん、元気してるかなあ。
祖父を思い出すと、彼は申し訳ない気持ちになる。散華という名前は、絵描きの祖父が授けてくれたものだ。
散る華のように、美しく、激しく、芸術的であれ、と。
天職が祖父と同じようにクリエイターであれば、格好のつく名前だと印象付けられたかもしれない。
だが、奴隷の彼にとって、散華という名前はどことなく後ろ向きに受け取られてしまう上に、誤って『懴悔』と書くのかと思われることもある。
こんな時代に、よりにもよって天職が『奴隷』だとは――
前世で懺悔しなければならないような大罪でも犯したのではないか?と冗談で言われることすらある。
自分でもそうなのかもしれないと納得してしまうところが、彼の奴隷としての才能を物語っている。
※※※
翌朝目覚めると、散華の携帯に新しい仕事の案内メールがあった。
「今日の仕事は・・・」
――敏腕プロデューサーのアシスタント、だって?
働く場所が頻繁に変わる彼(奴隷には秀でた専門スキルが無いので、職場が頻繁に変わる派遣形式の仕事スタイルとなっている。良く言えば、場所を選ばない天職である)のことなので、これまで様々な仕事をしてきたが、こんな案内は見たことが無かった。
奴隷なんぞに敏腕プロデューサーの手伝いなんて務まるのだろうか。
散華はそんな疑念を抱いていたが、そこはプロの奴隷である。与えられた命令には有無を言わずに従う。
その命令が、どんなことであっても。
※※※
目の前にすらりとした美しい脚が組まれている。
「あなたがプロの奴隷、世渡散華さんですね」
黒く艶めく髪、胸元の開いたスーツ。漆黒のタイトスカートから伸びた脚にはかれたタイツの一部が伸びて、うっすらと地肌が透けている。
「はい、私が世渡です。なんなりと――」
「じゃ、足の裏を舐めてください」
散華の自己紹介を遮り、彼女は椅子に座ったままハイヒールを脱ぎ、さらにはタイツを脱ぎ、透き通るような白い生足が露になった。
「えっ?」
「舐めろ」
強い口調。散華は、逆らわない。
「――さすが、プロの奴隷ね」
プライドのかけらもない、愚かな家畜だわ。いえ、これこそプロとしてのプライドあってこそできること、なのかしら?
散華に足の裏を舐めさせながら、女は言った。
(この人は一体僕に何を求めているというのだ――?)
(この人の元で一体僕に何ができるというのだ――?)
散華は困惑の中、女の足の裏を舐め続ける。
「あなたは今、自分の存在意義に疑問を抱いているようね。だったら私がそれを与えてあげる」
足元の散華の顔をぐりぐりと踏みつけながら女は言う。
「あなたは今日から、私の奴隷よ」
散華はぞっとした。同時に、確信した。
この女(ひと)の元でなら、僕はきっと、ホンモノになれる、と。
「ああ、私としたことが申し遅れたわ」
女は散華に舐めさせるのをやめないままで言う。
「私の名は、大出叶(おおいで・かなえ)。新しい仕事を創りし者。人呼んで職業プロデューサーよ」
※※※
それからの散華の日々は、地獄だった。
叶の家の仕事、カバン持ち、余興、何でもやらされた。
初日のようなことも何度かさせられた。
時には女を教えられた夜もあった。一般的にはアブノーマルと言われる部類に入るものであったことは、初日のアレを考えれば言うまでもない。
奴隷としての心得について語る動画を撮られたり、その日に与えられた命令を投稿するなど、悪ふざけとしか思えないようなこともたくさんさせられた。
ネット上で炎上したり(正式には炎上させられたり)、散華の行動に関する議論が激化してテレビのニュースに取り上げられたりした(そのおかげで広告収入などが増大し、散華に与えられる報酬は倍以上になった)が、そんなことなど叶はお構いなしといった感じだった。
僕は一体、何をしているんだろう――?
いくらプロの奴隷たる散華といえど、この得体の知れない長期案件に疑問を抱かずにはいられなかった。
叶は散華に存在意義を与えると言っていたし、散華は叶の元でならホンモノになれると予感していたが、散華はいまだに彼女の行動の意図がつかめないままだった。
「おい、散華」
今日も叶は散華に命令をする。
「本を書きなさい」
※※※
待っていても何も始まらない。
その言葉は使い古されまくり、手垢つきまくり、既視感ありまくりの言葉であろうが、叶の言いたいことはつまりはそういうことだったようだ。
叶は『プロ奴隷のすすめ』というタイトルで、散華に散華自身のこれまでについて語る本を書かせた。
叶のつてのある出版社から本が出され、販売店に並ぶと同時にSNS等で散華に興味を持っていた人々は待っていましたとばかりに書籍を買い、一時はメディアで大きく取り上げられるほどの売れ行きだった。
当然、散華は各種メディアからひっぱりだこ。
出演料、印税、その他もろもろで、叶も散華もぼろ儲けした。
叶の教育(命令)でその後も次々と本を出し続けた散華は、気づけばほとんど叶の指示なし、アドバイスなしで一冊の本が書けるようになっていた。
散華から叶にアドバイスを求めることもあった。
「叶さん、次に出す本の原稿なのですが、アドバイスもらえませんか?」
散華が原稿を手渡そうとする。
「あら、私から『アドバイスを求めろ』なんて命令も無しにそんなことするなんて」
まあ、いいわ――。
そう言って一通り目を通した彼女が放ったのは、一言だけだった。
「これ、売れるわよ」
※※※
叶の予見通り散華の新作は飛ぶように売れた。
一生働かなくても贅沢して暮らせるのではないかと思えるほどの大金が、彼らの懐に入った。
「叶さん、ヒットの記念にそろそろ旅行でも行きましょうよ」
「奴隷の分際で何を言っているのかしら」
そんなやり取りも増えた。
そして、叶にも思うところがあった。
「散華」
「はい?」
「最後の命令よ。――自由になりなさい」
もうこの人は大丈夫。私がいなくても、自分の意志で、自分の足で歩いて行ける。
職業プロデューサーとして散華にしてやれることはもう無いと踏んだのであった。
「――どういうことですか?」
「だってもうあなた、奴隷なんかじゃないわ。苦労せずとも天職につけるこの世界で、『選択肢の外の選択肢』なんて誰も選ばないようなこの時代で、あなたは自分の本当の夢を叶えた。あなたは本当の自由を手にしたのよ」
なるべく冷静になるよう努めて、叶は続ける。
「だからもう、私の命令なしでも生きて行けるはずよ――自由になりなさい」
二人の間に長い沈黙が流れる。
「――分かりました」
散華は言った。
「僕は、自由になります。――その自由を得た身の記念すべき言葉として、言わせてください」
散華の発言に、叶は目で「どうぞ」と伝える。
「大出叶さん、僕をあなたの――奴隷にしてください」
散華の言葉に、叶は目元を抑える。
「ふ、ふふっ…。見上げた奴隷根性ね...」
――分かったわ。ほんとにもう、仕方ないわね。
涙を指でぬぐいながら、じゃあ、と彼女は続ける。
「世渡散華、私の足の裏を舐めなさい」
散華は地べたに這いつくばり、彼女の足裏を舐めるのであった。
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