【掌編小説】桜

 風に舞う薄紅色の花びらが、目の前を横切ると。

 ふと、あの日の僕らが目の前に現れた。


「こうして見ると、すごく綺麗なんだな」

 君は出不精な僕を無理やりに連れ出して、桜並木の中を一緒に歩いてくれたね。

「あはは。桜なんていつだって見れるって言ってたくせに」

 満開の桜に心おどらせる僕を見て、君はいたずらに成功した子どもみたいに笑ってたっけ。

「この道、ずっと昔には何も無かったらしいよ。町のみんなで桜を植えて、いつしか名所になったんだってさ」

「へえ」

 僕が生返事で返すと、君は僕の前に回り込んで、むすっとした顔で言ったんだ。

「ねえ。当たり前のことなんて、この世界にひとつだって無いんだよ?」

 ぷくっと頬をふくらませ、眉をよせてかわいく怒った君。

「私とあなたが出会えたことだって、奇跡なんだから」

「……ああ、そうだね」

「もう。本当に分かってる?」

「分かってるよ」


 手のひらに舞い降りる花びらを見て、ぽつりと思う。

 そう言って笑い合ったのも、もう去年の話なんだな、って。

 あの頃の僕は、本当は、何も分かっていなかった。
 薄紅色の風が舞うこの景色が、決して当たり前ではないということを。

「……去年よりも、綺麗だ」

 今は目の前に広がる光景が奇跡なのだと、痛いほどに感じながら歩いている。

 君が隣にいたはずの、桜並木の中を。


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