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Unusual majority

 心療内科に行った。
 結果から言うと、うつなどではなかった。
 だけど僕の心には問題がある。問題があるという自覚は、なんとなくある。だからこそ病院に足を運んだ。
 清潔で、潔白な、白い箱。その中には僕と同じような人たちが、診察を待っている。絵本を読みながら待つ男の子。お母さんと仲良しそうに話す女の子。携帯をいじる青年。ファッション雑誌を読む女性。みんなどこをどう見ても、どこから見ても、普通の人。
「〇〇さん」
 僕の名前が呼ばれる。白衣のきれいな女の人の笑顔に案内されて、奥の診察室へ向かう。
 診察室の扉を開けると、白衣の優しそうな男性医師が、小さな丸椅子に腰を置いている。男性医師はとても重そうな体格をしていたので、小さな丸椅子は潰れてしまいそうでかわいそうだった。
「こんにちは。〇〇さんですね?」
 はい、と答えると、僕と医師の他愛ない話が始まった。夜はすぐ眠れますか?朝は気持ちよく起きれますか?とか。一見、心の問題とは関係なさそうな話が続く。テンポよく話しながらも、きっとこんなどうでもよさそうな話の中から、僕の問題点を探り出そうとしているのだ、と思えてならなかった。
 医師はしばらく談笑すると、唐突に表情を変えた。
「さて、どうでもいい話はさておき」
「どうでもいい話だったんですね」
 本当はどうでもいい話だったらしい。いや、聞くからにどうでもいい話だったのだけれど。心療内科という場所なだけで、僕は医師が探りを入れようとしているのではないかと勘繰ってしまっていた。
「どこが不調なのですか?」
 一見、どこにも異常は見当たりませんが。と、医師は僕の身体全体を見て言った。
「心に問題がある気がするのです」
 両手を組みながら答える。普段はこのような心の内を晒すことは無いので、なんだか緊張してしまう。
「なるほど」
 医師が一泊を置いて続ける。
「あなたは確かに問題ありです。ですがそれは普通のことです。誰もがあなたと同様に問題があるのです。それを問題と思うかどうか、それだけなのです。」
 そう言った医師は、一錠の薬を差し出す。
「これを飲めば、世界の正しい姿を見ることができます。みんな間違えているのです。なにか問題がある、と自分を疑った人間にしか、正しい世界は見えることはありません」
 医師は差し出した薬を、その手もろとも強引に僕の口に突っ込んだ。
「ふ、ががっ、はっ、ああ」
 がはっ、がはっ。僕の口内に薬を置き去りにした後、医師が引き抜いた手は、唾液でねとねととしている。
「診察も治療も終わりです。新しい世界があなたを待っています」
 お大事に、と医師に見送られ、受付のエントランスへと戻る。
「〇〇様~」
 目を伏しながら受付へ代金の支払いに向かう。
「〇〇円です」
 低く、恐ろしい声が聴覚をざわつかせた。受付の女性の声、のはずだった。顔を上げ、受付をよく見る。
「ひっ」
 叫び出しそうな声がわずかに漏れた。受付の女性は、昔話に出てくるやまんばのような恐ろしい姿に変貌している。
「どうなさいましたか?」
「い、いえ」
 必死に動揺を隠す。きっと僕がおかしいだけなのだ。
 お釣りをもらうと、周りを見ないようにして心療内科を飛び出す。飛び出てから気づいた。飛び出すべきではなかった。
「うわあああ」
 両手で頭を抱える。車を運転する鬼、散歩する幽霊、リードでつながれたケルベロス。まるで地獄絵図だった。
「これがお医者さんが言っていた本当の世界?」
 今まで見てきたのは何だったというのだ。頭がおかしくなりそうだった。この人たちはなんでこんな姿に?
「ああ、そういうことか」
 しばらくすると、さすがに落ち着いてきて、合点がいった。みんな、自分をまともな人間だと信じて疑わないから、まともな人間の姿を失ってしまったのだ。いや、そもそも、自分をまともだと信じること、それはまともな人間にできる芸当ではない。お化けの成せる業なのだ。
 何ということだろう。僕は大発見をしてしまった。この世界は初めから、地獄だったのだ。
 ふらふらと歩いていると、遠くに美しい女性の姿が見えた。
「ああ、あそこにも」
 あそこにも、この地獄が見える人間が立っている。急いで駆け寄った。
「あ、あの」
「?」
「僕と一緒に、散歩しませんか?」
 女性はにこりとほほ笑んだ
「ふたりだけの世界ね」
 僕は、この人が僕と同じ人種なのだと悟って、少しだけ嬉しくなった。
 ふたりだけに見える地獄。同じ地獄を分け合える誰かが居たのなら、もしかしたらそこは楽園なのかもしれない。

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