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届かない手

「助けてあげようか?」
 声をかけずにはいられないシチュエーション。やむを得ずに善行を積もうとすることを、「偽善」と呼ぶのかもしれない。
「え、結構です」
 偽善で差し伸べた手は、簡単に振り払われる。帰り道で転んで、ひとりでに立ち上がる、少女の後ろ姿。たくましいその背中とは対照的に、僕の心は矮小だ。
 せっかく心を砕いて手を差し伸べたのに。せっかく勇気を出して声をかけたのに。ありがとうございますのひとことすらもないなんて、どうかしているよ。
 ぶくぶくと醜悪な想いが膨れ上がっていく。自ら醜悪と評価できるほどの想いが。
 少女が歩いて帰るのと同じように、僕も自分の家へと歩いて帰る。
 せっかく助けようとしたのに。せっかくの善意だったのに。
 歩いても歩いても、醜悪な想いが膨れ上がっていく。よくないことを考えているのは分かっている。それでも止められない。
「ただいま」
 お帰りなさいと母の声。明るい玄関の明かりが、夕暮れとの追いかけっこに逃げ切った僕を温かに讃える。
 ぶっきらぼうにテレビをつける。夕方のニュース、真面目そうなアナウンサーが、今日あった事件の情報を淡々と話している。
「今日の夕方、行方不明になっていた〇〇県〇〇市の10歳の女の子がー」
 いいニュースだったように思える。その少女は無事に見つけられたのだという。家族の安堵感は底知れない。
 家出だったのかもしれない。きっとなにか、嫌なことでもあって、遠くまで出て行ったのかもしれない。
「無事だったのならいいじゃないか」
 自分が助けようとしただとか、そういうのは本来どうでもいいはずだ。重要なのは、相手が助かってくれること。
「無事だったのならいいじゃないか」
 自分に言い聞かせるように繰り返す。なにも悪いことはしていないとささやく。
 そうせずにいられなかったのは、画面に映る少女の姿がやけに見覚えのあるものだったからだ。
「無事だったのならいいじゃないか」
 彼女が無事だったのなら、それでいい。
 あのとき、振り払った手が何を意味していたのか。助けてあげようかという言葉をどんな想いで聞いていたのか。
 果たして本当に、家族に見つけられたのが彼女にとっての救いだったのだろうか。
 何から助けてほしくて、なにゆえに救いの手を拒絶したのか。
 それはもう、僕には知るよしのないことなのだから。
 ここにはただ、差し出した手を拒絶されて悲しむ矮小な人間と、手を差し出したにも関わらず目の前の一人をも助けられなかった人間がいるだけだ。

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