見出し画像

事実は小説より奇なり

 今村(いまむら)が探偵になるための専門学校の存在を知ったのは、刺激を求めて転職を考え始めたころだった。
 中小零細企業で事務職として働いていた彼は、日々の退屈な仕事に嫌気がさしていた。
 気まぐれでミステリ小説を読んだ際に、
「そういやあ探偵なんて職業、実際にあるのかなあ?」
 と疑問に思ったことがきっかけである。もちろん探偵という職業は存在する。存在するのだけれども、今村自身としては探偵と名乗る一般の人間に会ったことが無かったので、いまいちその存在を信じることができなかった。
 そんなこんなで検索窓に「探偵 なり方」と打ち込み、エンターキーを押した。ちなみに「なり方」というワードを選んだのは、今村自身にかすかに探偵になってみたいという願望があったから。
 無数のウェブサイトが検索にヒットする中、探偵になりたいというひそやかな望みを抱いていた今村の目に留まったのは、探偵になるための専門学校のサイトだった。
「ここに通えば、俺も探偵になれるのか」
 探偵、名探偵。
 推理小説の象徴。
 可愛い助手、可愛い依頼者、周囲からの憧れと尊敬。
 そして、スリル。
 探偵になって味わえるもののいくつかを想像した今村の頭は、ドーパミンで満たされていた。
「名探偵今村、かあ」
 彼の中で、何かがはじけた。

※※※

 勢いで探偵になることを決めた今村は、すぐさま退職願を書いた。
 仕事を辞める際に職場の同僚であった叶(かのう)に退職理由を話すと、
「探偵?すごい。がんばってね」
 と、にこやかに(表面上は)応援された。
 叶からすれば、探偵なんて簡単になれると思わないし、なれるかどうか分からない仕事に就くために学校に通うより、ありつけた今の仕事を頑張った方がいいのではないかという疑念があった。
 第一、飽きの早い今村のことだ。探偵になるための勉強に飽きて、結局は学費の無駄遣いなんて結末になるのではないかと心配すらしていたのだ。
 しかし、ひとりの大人が決めたこと。他人がどうこう言うことではあるまい。
「元気でやれよ」
 そういったいきさつで、叶は退職していく今村を和やかに見送った。

※※※

「ここが探偵になるための専門学校か」
 灰色に染め上げられた、7階建てのビル。ぱっと見はどこかの企業の事務所が入っていそうな、オフィスビル、もしくは予備校と見間違うような外観だ。
 事務職を辞めた今村は、先日、さっそく入学願書を提出。探偵学校へと入学する。入学試験はあったが、「一応やる」程度の試験であったため、さほどの苦労は無かった。
 これから2年間、ここで探偵になるための修業を積む。
(立派な探偵になってやる)
 決意を固めた今村は、堂々とした足取りで校舎に入っていった。

「こんにちは、今村さん」
 初日のガイダンスを終え、廊下を歩く今村の元に、温和な雰囲気の小柄な男が駆け寄ってくる。
「どうも、小島さん」
 今村が初めに知り合った同期の小島(こじま)は、ミステリ作家志望だ。この学校には探偵になるという目的以外にも、趣味に活かすため、副業に活かすため、といった様々な理由で入学してくる者がいる。
「今村さん、周りの人と仲良くなれましたか?」
「ええ、小島さん以外にも、何人かとは言葉を交わしました」
 今村は小島以外にも5、6名ほどと言葉を交わしていた。
 専業主婦、フリーター、高校卒業したての青年。
 仕事をしながら学業に励もうと入学してきた者もいれば、この学校での学びに就職の望みをかけて入学してきた人もいる。
 学校とは言うものの、ここにはあらゆる種類の人間が集まっている。

※※※

「成田さん、後をつけるのが上手いですね」
 尾行の授業が終わり、休憩時間。今村は背後から忍び寄る成田(なりた)に言う。
「え、ばれてたんですか?」
 成田が両眉を上げてオーバーに驚いて見せる。
 成田は尾行の天才だった。どこで培ったスキルなのか、彼に尾行されたら最期、決定的瞬間まで尾行されていることに気付く者はいない。
 今村は、そんな成田の尾行に気づける唯一の人間だった。
「成田さんならきっと、どんな証拠でも見つけられるような、名探偵になれそうですね」
「いやあ、今村さんに言われても説得力無いなあ」
 そう言いつつもまんざらでもない表情の成田。
「私でもなかなか成田さんの尾行には気付けないですよ。ところで成田さんはー」
 なにが目的でここに入学してきたのですか?と喉元まで出かかったタイミングで、次の授業の予鈴が鳴った。
 教室の違う二人は「ではまた」と言って、二手に分かれていった。

※※※

 探偵学校を卒業して2年。
 今村は目覚ましい躍進を遂げ、名探偵として大活躍していた。その最中、ストーカー被害の案件が舞い込む。
 さっそく問題解決に取り掛かった今村は、被害者を囮にし、ストーカー犯をおびき出すことにした。
 現在、まさに捜査中である。
(あ、あそこに誰かいる)
 車内から張り込みを続けていた今村は、電信柱の陰に隠れて被害者の背後をつける人影を発見する。
(あいつが犯人で間違いなさそうだ)
 今村は確信すると、ゆっくりと車を降り、犯人に忍び寄る。
 気づかれぬよう、ゆっくりと。
 しっかりした体形。どうやら犯人は、男性らしい。
 そしてぎりぎりまで近づいたところで、声をかける。
「そこで何をしているのですか?」
 今村が犯人に声をかけると、犯人の男はゆっくりと今村の方へ顔を向けた。
「あ、やっぱ見つかっちゃいましたか」
「あ、あなたはー」

※※※

「専業主婦が夫の浮気についてつづったエッセイが人気を博しています。なんでも著者の女性は、探偵学校に通っていたことがあり、浮気現場を見つけるのが得意なのだそうです」
 つけっぱなしのテレビでは、近頃のエンタメの話題について紹介されている。
 テレビの音をうるさく感じてきた叶は、テレビを消し、小説を手に取る。
 叶はミステリ小説が好きだ。流行のミステリ小説は、必ず読むようにしている。
「とある町で起こった事実を元にした小説、かあ」
 今手に取っている本の帯にはそういった、ノンフィクションに近いものであることをほのめかす言葉が躍っている。
「へえ、この小説、面白い」
 一通り読んで、著者の名前を見る。
「小島造。つくる?ひろし?なんて読むんだろ」
 小島造、とある。
 まあ、小島さんでいいか。と、叶は湧いてきた疑問に蓋をする。
「それより、元になった事件はどんな事件なんだ?」
 叶はわくわくしながら小説の元になった事件についてネットで調べる。
「探偵学校を卒業した二人が、思わぬ再会を果たす、か」
 事件について詳細に述べられている記事を見つけた。
 事件を解決に導いた今村探偵と、ストーカー事件の犯人であった成田は、ともに探偵学校時代の同期であった。
 成田は秀でた尾行技術を持っており、同期の中で今村だけが成田の尾行に気づくことができた。
「もともと気づかれないように尾行するのが上手かったんだな。つまりはこれまでにも、誰にも気づかれないようにストーカーしていた、ってことか。となると、もしかしたら、ストーカー技術を磨くために探偵学校に入学したのかも」
 叶はそんな推理を立て、続けて記事に目を通す。
 記事によると、その後、成田は今村に対して勝負心を燃やし、自分のストーキングを見破れるかどうかを試したくなった。
「それで名探偵として名を上げる今村探偵の事務所付近で、ストーキングを働いたってワケねえ」
 最初から被害者は目当てではなく、今村との勝負が目的だったのだ。
 ネット記事を読み終えた叶の脳内には、事実は小説より奇なり、という言葉が浮かんだ。
「それにしてもこの今村探偵ってやつ、まさかあの今村じゃないよな。まあ、あの飽きの早い今村が名探偵になんてなってるわけないか」
 今頃、どうしてるんだろうなあ。久々に飲みにでも誘ってみるか。
 叶は携帯を手に取り、かつての同僚に電話をかけた。

サポートいただけると、作品がもっと面白くなるかもしれません……!