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「なにもない空間を歩いて横切る」観客と、「それを見つめる」俳優

こんにちは、アートマネージャーのてらだです。

突然ですが、ある有名な「演劇」の定義がこちらです。

どこでもいい、なにもない空間―それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ

これは、イギリスの大御所演出家、ピーター・ブルックが著書『なにもない空間(The Empty Space)』に書いていることです。


この中で、「なにもない空間を歩いて横切る」「ひとりの人間」というのは、おそらく、、俳優のことだと思います。

そして「それを見つめる」「もう一人」の人間、というのは、おそらく、、観客のことだと思います。


おそらく、、と書いたのは、これは逆にも取れるのではないかと思うからでです。

「なにもない空間を歩いて横切る」観客と、「それを見つめる」俳優


何が言いたいかというと、舞台芸術において、俳優も、観客も、どちらも生きた存在であるということです。(俳優として舞台に立っていた時、実際に、上演中の客席を「歩いて横切る」観客を舞台上から見たこともありましたが・・・)

当たり前じゃー、と思いますが、究極的に言えば、これが、舞台芸術の一番面白いところだと思っています。その面白さを、追求したい。


観客の体験について考える

舞台芸術を語るとき、もちろん、舞台上の作品について考えることはよくありますが、私は、観客や客席について、そして客席を出て、ロビーにいる人たちについて、ロビーも出て、劇場の建物の中にいる人たちについて、建物も出て、劇場のある街を歩いている人たちについて、考えたいと思っています。

それが、制作、アートマネージャーという仕事をしようと思ったきっかけの一つでもあります。

(趣味が悪いと思われるかもしれませんが、観客を見るのが大好きです。特に大きい劇場では、バルコニー席からの眺めは最高です。上演中も、舞台と客席を同じくらい観ることができます。おすすめです。)

一般的な観客の体験というと、事前にチケットを購入し、公共交通機関に乗って決められた時間に劇場へ行き、硬めの椅子に座り、静かに舞台の方を向いて1時間半から2時間を過ごし、帰りにグッズ売り場をチラ見して帰る、というような感じでしょうか?(体験自体も捉え方も色々あると思いますが)


この体験に、バリエーションはないのか? 他の可能性はないのか?


今まさに、その新しい形が出てきているかもしれません。チケットを買わず、決められた時間に劇場に足を運ばず、自宅で配信映像を観る、というような。

ただ、これは今のままでは、まだショービジネスとして持続可能な形になっていませんし、自粛要請が解除され劇場が再開すれば、また元に戻るでしょう。でも、まさに今、この時期こそが、従来の観劇体験に風穴を開ける可能性は十分にあります。


観劇体験を変える

私は今「静かに舞台の方を向いて1時間半から2時間を過ごし」という部分に、風穴を開けてみたいなと思っています。

この体験を、もう少し、アクティブなものにできないか、と思っています。客席から叫んだり、走り回ったりして欲しいわけではないのですが(そういうのもやってみたいですが)観客が、沈黙を強制され客席に縛り付けられていなくていいとしたら、何ができるだろうか?

舞台芸術含め芸術は、観客が300人いれば、文字通り300通りの見方があります。その中で、観劇後に劇評を書く人もいれば、一緒にきた人と感想を話し合う人、Twitterに呟く人、何もしない人もいるでしょう。別にそれぞれでいいと思います。

でも試しに、観劇中に感じたことをリアルタイムで(何らかのタイムライン上に)呟き続ける、ビジュアル化し続ける、誰かと喋り続ける、ということをしたら、これまでと観劇に臨む気持ちが少し変わりそう。終演後には忘れてしまう心の動きや思いつきを残しておけるかもしれない。舞台上の人たち(作っている人たち)がそれに呼応できるかもしれない・・・

実際に、2019年に東京芸術劇場で行われた演劇公演『プラータナー:憑依のポートレート』では、『プラータナー』スクールと題した新しい試み、観客創造プログラムが行われていました。そのうちの一つが、ゲネプロ(最終リハーサル)に参加者を招き、4時間に渡る上演をグラフィックレコーディングで記録するという試みです。


観劇体験のアップデートに向けて

観劇は「ただ観ているだけだからいい」という意見もあると思います。私も、どちらかというとそっち派です。自分と舞台と一対一の感覚で、世界観に没頭するような。

ただ、観劇に他に可能性はないのだろうか?と思っています。

上記インタビューの中で、プロデューサーの中村茜さんの印象的な言葉があります。

ただみんなに観に来てもらって、終わったら帰っていく、そうやって人を集めるのが消費活動としての「動員」なのだとしたら、我々が求めているのは、皆さんが「経験しに来る」ということなんだろうと思います。


コロナ禍で、業界は危機的状況にあります。ただ、こんな状況だからこそ、新しい観劇体験が模索され、「観劇」という概念をアップデートできるかも、と少しワクワクもしています。

アップデートに向けて、私自身も少し動いてみようか、そんな季節です。




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