能登支援の政府の初動遅れは何故起きたのかコメント求む。

 能登半島地震が起きたのは元旦の午後4時過ぎですが、司令塔でもある首相官邸の危機対応は十分だったのか。交通網寸断で陸の孤島となった半島での救助作戦も検証が求められているのも実情だろう。
 救助の要を担う自衛隊派遣は2016年に起きた熊本地震の時には3日目には1万4000人余を投入していたが、一方で、今回の能登半島大地震においては、東京新聞が熊本地震と比べて次のように表してしている。

 いわゆる、政府の思惑が透けて見えるのが災害救助や支援よりも国防という事だろう。ちなみに私が住む千葉県船橋市の習志野駐屯地では7日から「空挺団降下訓練初め」が行われ、これに伴い、米英など計8カ国でヘリなどを飛ばしていた。名目としては「奪われた離島を奪還訓練」というもので、まるで、戦争準備と言っても過言ではなく、視察には木原稔防衛相が訪れ、訓示を行っていた。
ちなみに船橋市の能登半島への支援は10日発表で職員派遣など実施されたのは確か後になってからだ。以前、船橋市は「兵站」の街だと書いたが、今でも、まさに、そのとおりだろう。

今回の能登半島地震において、国会議員として、現地に最初に訪れたのはれいわ新選組の「山本太郎」代表だが、支援食の残り物だったカレーを食した事で与党やメディアから批判を受けているが、国会議員としてあたりまえの行動であり、他の議員も見習うべきであると私は思う。ちなみに、私はれいわ新選組の支持者ではない。
 さて、各、地方の自治体だが、以前にも伝えた私の郷里である広島県神石高原町からの支援は募金も含めて1月5日から始まっている。


 ちなみに、私の郷里は決して豊かな財政があるわけではない。現在の神石高原町は過疎化が進み、高齢者も増えて、限界集落が集まったような自治体であり、税収も財政豊かな船橋市などから比べると比較にもならないほどだ。そのような、小さな町が真っ先に被災地に支援をし、財政豊かな自治体が戦争の練習で災害支援は後回しとは一体どういうことなのか。コメントをいただきたい。

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