広島サミットとは何だったのか

 5月19日から21日まで先進7カ国と呼ばれる国々の首脳が被爆地ヒロシマに集まり行われた会議というのは、広島ビジョンを読めば解るのだが、冒頭の次に、このような記述がある。
 「
我々の 安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、 侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている。
 
つまり、核抑止を平然と主張し、「目には目を歯には歯を」という敵愾心は剥きだしで被爆地ヒロシマで開催する会議だったのかということである。
 これはまた、被爆者の人たちを冒涜するに等しい。

上の画像は私の郷里の「原爆被害者協議会」から発刊された被爆者の方たちの被爆体験の記念誌の裏表紙に描かれている田室画伯が描かれたものの一部だが、この記念誌の表紙にははっきりと「終わりなき闘い」と書かれてあり、世界から核兵器が廃絶されるまで闘うという意思が込められている。その、私の郷里の過疎化した山に囲まれた人口僅か7000人あまりの山村ですら、核兵器廃絶、核兵器禁止条約を日本政府に求めている。

 しかし、結果的に広島サミットにおいては「核なき世界、核兵器廃絶」の実現が遠い未来に追いやられてしまったということである。そして、その会議の場に現在進行形の戦争当事国の首脳でもあるウクライナのゼレンスキー大統領が参加し、戦争継続と武器供与の協力を求め、各首脳もそれに応じる姿勢を取ったという事は、徹底的に聖地ヒロシマを裏切ったことに等しいと私は思う。


 さらに、昨今、この広島サミットの影響でもあると考えられる、平和教育も蔑ろにされつつある。

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