見出し画像

第十話 うちなる衝動を信じて

ライティングインストラクターの養成講座はリアルタイムのオンライン講座と、通信講座とで構成されていた。通信講座は毎日届き、週1回の返信ミッションに返信すると、師匠がフィードバックの添削をしてくれるという赤ペン先生のような仕組みだ。その最初の返信にはこう書いてあった。

「言葉のチョイスが素晴らしい♪ちょっとフツーじゃないので、ぜひフツーじゃない講座を、好きな人向けに開催してみてください」

(ん?これは、褒められている・・・のか(?))

褒められているのか、褒められていないのかさえもよくわからなかった。だけど「フツーじゃない」とキッパリと言い放たれたことで、10人に1人どころか100人に1人くらいにしか届かないのかも・・・と覚悟を決める私がいた。とはいえ、そんな「フツーじゃない」商品を、どうしたら100人に1人の誰かに届けられるのだろう?その答えはわからないままだった。

おまけに講座を受けるたびに「フツーじゃない私」が発動し、書けば書くほどコーチングではない何か・・・「表現」に対する衝動のようなものが自分の中に湧き起こる。もはや抑え込むのが困難なほど膨らんでいった。

一方のコーチングはというと、周りからは「売れないなんて変だよ」と言われていた。売ることができない私というよりも、売るのがイヤな私がいたのだ。

(なんで売るのがイヤなんだろう…。わたし、本当にコーチがしたいのかな?)

そんな疑念がふわっと湧きおこる。だけど、そのたびにここまでに投じてきたお金のことはもちろん、注ぎ込んできた家族との時間が頭をよぎる。沸き起こる疑いは打ち消さなければ。そう思うのに、コーチングの商品開発を先輩に頼めば『バカの匠』という商品ができあがり、バカを極める人とつながりたい私が登場してしまうのだった。

やっぱりフツーじゃないんだな・・・ということだけは、妙に腑落ちした。だけど、こんな商品、今のままでは売れないだろう。行き先を見失った『バカの匠』は、マグマのようなエネルギーを沸々と抱えたまま、ひっそりと地中の奥深くにしまわれた。

なんにせよ「フツーじゃない何か」がくすぶっている。だけど、その衝動をどう表現し、どう届けたら必要とする人に届くのか。そもそもこんな「フツーじゃない何か」を必要とする人がいるのだろうか?暗中模索の状態が続く。

そんなある日、私はコーチングの勉強会で師匠のデモセッションを聴いていた。気になったことばだけを書き留め「詩」のようなものを走り書きしていたのだが、なぜかその日、ふと思い立ってその"詩のかけら"のようなものをクライアント役の人に渡したのだ。

そんな走り書きを「人に渡した」のは初めてだった。字も汚ない。なぜ、その時、そんなことをしたのか自分でもわからない。でも、そこに並んでいた言葉は、すべてその人から飛び出した言葉で、何か特別なものを感じて、どうしても渡しておきたくなったのだ。

その走り書きを見た瞬間、目の前でその人の表情がぐわっと変わった。

「これが私の言葉?」

驚きを隠せない様子だったが、その目には静かな力が宿っている。魂からほとばしることばには、私たちには想像しえない力がある。そのことを目の当たりにした瞬間だった。と同時に、わたしという土の中に芽生えを待つ「種」のようなものが、パンっとはじけた気がした。

第十一話につづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?