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【伊勢】伊勢神宮ツアーと名古屋、三重の神社 2020年2月 ➄伊雑宮

伊雑宮


天照坐皇大御神御魂
(あまてらしますすめ
おおみかみのみたま)

804年(延暦23年)の
『皇太神宮儀式帳』では
天照大神御魂とされる。

中世から近世の祭神には諸説あり、
中世末以降は
伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる
伊佐波登美命と
玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を
祀ると考えられた。  

伊雑宮御師である西岡家に伝わる
文書において、
祭神「玉柱屋姫命」は
「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と
書かれる。
同じ箇所に
「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。

両神はつまるところ同じ神であると
記されている。
明治以降、伊雑宮の祭神は
天照大神御魂一柱とされる(神宮要綱)。

鎌倉時代成立とみられる
『倭姫命世記』によると、
伊勢神宮の内宮を建立した倭姫命が
神宮への神饌を奉納する
御贄地(みにえどころ)を探して
志摩国を訪れた際、
伊佐波登美命が出迎えた当地を
御贄地に選定して
伊雑宮を建立したとされる。

式内社(大社)論社で、志摩国一宮。

【論社】 似たような名の神社が
二つ以上あって、
どれが『延喜式』に記されている
神社か、決定し難いものをいう。

皇大神宮(伊勢神宮内宮)の
別宮の一社。
度会郡大紀町の瀧原宮とともに、
「天照大神の遙宮(とおのみや)」
呼ばれる。
「磯部の宮」・「磯部の大神宮さん」
とも呼ばれる。

神田を持つ唯一の別宮である。

10社ある内宮別宮の中で
荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ
順位とされる。
一般に、伊雑宮を志摩国一宮とする。
しかし、
志摩国一宮は
鳥羽市の
伊射波神社(いざわじんじゃ)とする
異論もある。

平安時代末期の
治承・寿永の乱(源平合戦)では、
伊勢平氏の地盤だった伊勢国への
源氏勢の侵攻が予想され、
伊勢志摩両国を平家が警備した。
養和元年(1181年)1月、
伊雑宮は源氏の味方となった
紀伊の熊野三山の攻撃を受け、
本殿を破壊され神宝を奪われてしまう。

熊野三山の勢力はさらに山を越えて
伊勢国に攻め込むが、
反撃を受け退却した。
1159年の平治の乱では
平家に味方した熊野三山が、
治承・寿永の乱では
源氏に味方した理由として、
当時の熊野三山と対立した伊勢神宮を
平家が優先したためとされるが、
この事件により、
神職が権力者の庇護を得るために
歴史の捏造を行ったとする説がある。

祓所・忌火屋殿

メジロ

おお!これなんですね!六芒星。
「いざわーいざやーユダヤ」を
表したのではないか、とか。

日本でも、同様の
「籠目」という文様がある。
竹編みの籠の編み目を図案化したもので、
魔除けとして
この図形を用いることがあった。
現在でも使用されている例として、
伊勢神宮周辺にある
石灯籠に籠目が刻まれている。
家紋としては籠目紋といい、
「籠目」、「丸に籠目」などが
使用されている。
江戸時代には、小宮氏、曲淵氏などが
用いた。

上向きの三角形は物質の霊への上昇。
下向きの三角形は霊から物質への下降を
意味し、
人間にあてはめると物質とは肉体。
霊とは魂で、魂と肉体の調和を意味する。

と、あります。

まあ、六芒星だからといって、
必ずしも、
イコール、ユダヤとは限りません。

しかも、よく見れば、
「六つ鱗」という家紋

この、「六つ鱗」は、
鱗は魚のウロコの意味だけでなく、
三角形の模様という意味もあった。
鎌倉北条氏一門の「三つ鱗」紋が有名。
北条時政が
江ノ島弁財天に子孫繁栄を祈願したとき
大蛇が現れ、
三枚の鱗を残して消えたことに
因むという。
後北条氏も三つ鱗紋を使用した。
三角形が連なった形が
蛇や竜のうろこの様に見えることから
『鱗』と呼ばれるようになった。

と、あります。

鱗紋を使用した家柄ー
北条、赤橋、江馬、塩田、吉沢、
緒方、尾形、三田井、大賀、筒井、
宮川、村山など

使用地域ー大分、福岡、神奈川、
三重、和歌山

また、家紋無双さんというサイトでは、

鱗文様は
白と黒の正三角形や二等辺三角形を
並べた連続文様で、
魔除けの力があるとされています。
単純な原始文様として
古代から世界各地でみられ、
日本でも古墳の壁画装飾などに
描かれています。
連続した文様が蛇や龍の鱗のように
みえるため、
鱗文様と呼ばれるようになりました。
家紋としては、
鎌倉時代に幕府の執権職を
世襲した名家・北条氏や、
平安時代末期の武将・
緒方惟義(これよし)で
有名な緒方氏が用いています。

この両氏には
蛇との関係を示す家伝
があります。
『太平記』には
北条時政が美女に化けた大蛇が
落とした三枚の鱗を拾い、
瑞祥として旗の紋としたと
記述されており、
緒方氏には
『平家物語』巻八
「緒環(おだまき)」の中で、
高千穂の大蛇の血を引くという
記述が残されています。
ただ緒方氏については、
別の説もあります。

緒方氏の祖といわれる
大和国の大神氏が、
蛇がとぐろを巻いた形をした
「三輪山(巳輪山)」を御神体とする
大神(おおみわ)神社の社家
でしたので、
もしかすると
大蛇伝説の根源は
大神神社に由来するものかも知れません。

他にも鱗紋は
蛇を神格化した龍を祀る神社などでも
よく用いられているのが特徴です。

と、あります。

伊雑宮に奉納する米の田植えを、
毎年6月24日に行なう御田植式は、
香取神宮・住吉大社とあわせて
日本三大御田植祭
とされる。
御田植式での伝承芸能は、
磯部の御神田(いそべのおみた)として、1971年(昭和46年)に
三重県の無形文化財に、
1990年(平成2年)には
国の重要無形民俗文化財に指定
された。
信頼性の高い記録では
鎌倉時代の1280年(弘安3年)の
記録が神宮文庫に残されている。

1871年(明治4年)の廃藩置県により、
伊雑宮の料田が国有化され、
翌1872年(明治5年)からは
御田植式ができなくなり廃止されたが、
磯部の住民の希望により
1882年(明治15年)に
虫除祈念の名目で再開された。
大正の中ごろに料田を縦断する
道路整備計画が決定したため、
近隣の住民から新しい料田が寄贈された。

割烹 大喜

ツアーを主催してくださった方から、
ここの茶碗蒸しが最高だ!と
いうことをお聞きしまして、
いただきましたら、ダシがすごいです!
おススメです!
かなりお客様で混んでいました。
有名だそうです。

皇室の方々がおいでの際は、
大喜さんで出されるそうですよ!

なにより、店内の神棚が素晴らしい!
神縁のつながりが届きますね。

やはり、こうして店内や事務所、
病院内などに鎮座していただきますと、
こころが落ち着きますね。

二見興玉神社をめざします。

こ、これは~!!!

沢村栄治投手~!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

野球好きには、たまらんっ!

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