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古事記と鬼と桃の話 (*✧×✧*)キラーん

神社本庁より


伊邪那岐命は、
伊邪那美命に会いたいと思って、
黄泉国に追って行った。

そして、伊邪那美命が
御殿の戸から出迎えた時に、

伊邪那岐命は、

「いとしい我が妻の命(みこと)よ、
私とあなたが作った国は、
まだ作り終わっていないから、
帰ってきてくれ」

と言った。

すると、伊邪那美命が
答えて言うことには、

「残念です。
もう少し早くいらっしゃれば。
私はもう、
黄泉国の食べ物を
食べてしまいました。
けれども愛しい、わが夫の命が
ここまでいらっしゃったことは
恐れ多いことですから、
帰ろうと思いますので、
しばらく黄泉神と相談しましょう。
私の姿を見ないでくださいね。」


こう言って、
伊邪那美命は、
御殿の内に帰って行ったが、
その間がとても長くて、
伊邪那岐命は待ちきれなくなった。


そこで、

左の御みづらに挿していた
神聖な爪櫛の端の太い歯を
一本折り取って、
これに一つ火を灯して、
御殿の中に入って見た時に、

伊邪那美命の身体には
蛆がたかって
ごろごろうごめいていて、

頭には大雷がいて、 (おおいかづち)
威力が盛んである

胸には火雷がいて、(ほのいかづち)
秀・穂にも通じ尊いこと

腹には黒雷がいて、(くろいかづち)
雷鳴とどろく時に天地が暗くなること

陰部には拆雷がいて、(さくいかづち)
落雷によって
樹木などが切り裂かれること

左手には若雷がいて、(わかいかづち)
若々しい活力

右手には土雷がいて、(つちいかづち)
雷が地面に吸収されること

左足には鳴雷がいて、(なるいかづち)
雷鳴

右足には伏雷がいて、(ふしいかづち)
雲間に隠れる雷


合わせて
八柱の雷神が成っていた。


そして、伊邪那岐命が
恐れをなして逃げ帰る時に、

その妹(いも)伊邪那美命は

「よくも私に恥をかかせましたね」
と言って、

すぐに
黄泉の国の醜女(しこめ)を遣わせて
伊邪那岐命を追わせた。

そこで、伊邪那岐命は、
髪に着けていた黒い鬘を
取って投げつけると、
たちまち
山ぶどうの実が生った。

これを醜女が拾って食べている間に、

伊邪那岐命は逃げて行ったが、
なお追いかけてくるので、
また
右の御みづらに挿していた
神聖な爪櫛の歯を折り取って
投げ捨てると
たちまち
が生えてきた。

これを醜女が抜いて食べている間に、
伊邪那岐命は逃げて行った。

また、その後に、伊邪那美命は、

その八柱の雷神たちに
大勢の黄泉の軍勢を副えて
男神を追わせた。

そこで、伊邪那岐命は
佩(は)いていた
十拳剣(とつかつるぎ)を抜いて、
うしろ手に振りながら逃げて行ったが
なおも追いかけてきて、

黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとに
たどり着いた時に、

伊邪那岐命は

そこに生っていた桃の実を三つ取り
迎え撃つと、
追手はことごとく逃げ帰った。

そして伊邪那岐命は、桃の実に、


「汝、我を助けしが如く 
葦原中津国に
有らゆるうつくしき青人草の、
苦しき瀬に落ちて 
患(うれ)へ悩むときに 助くべし」


「お前は私を助けたように、
葦原中国(あしはらのなかつくに)にいる、
あらゆる生きた人たちが
つらい目に遭って苦しんでいる時に、
彼らを助けよ」

と言って、

意富加牟豆美命
(おおかむづみのみこと)
という名を与えた。

最後に

その妹伊邪那美命が
自ら追いかけてきた。

そこで、伊邪那岐命は、

千人引きの大きな岩
その黄泉比良坂まで引っ張ってきて
これを塞ぎ、
その岩を間に挟んで向かい合った。



現世と黄泉の国の境界を
千引石という巨大な石で
塞いでしまうのです。
伊弉諾尊と伊弉冉尊は
この千引石をはさんで
最後の会話をしました。
つまり、 千引石には、
あの世とこの世を分ける
境界としての意味があり、
これが 墓石の始まり と
いわれるそうです。
また、このように
石をはさんで 話をする光景は、
現在のお墓参りにおける
故人との対話の原点 となった
とも言われています
と、あります。



八柱の雷神を

『日本書紀』の一書には

「八色雷公(やくさのいかづち)」

と言います

八雷は

首に大雷、胸に火雷、腹に土雷、

背に稚雷、尻に黒雷、手に山雷、

足上に野雷、陰上に裂雷

と、あります

イカヅチの名義は、

イカを「厳」、ツチを「槌」と取る説や、
ノヅチやミヅチといった蛇神と関連させて、
ツチを蛇の意と取る説もあるが、
「厳(いか)つ霊(ち)」
(ツは連体助詞)の意
と取るのが通説になっている。
このうち、
チは、
カミという比較的新しい、
人態的な神霊観と
捉えられる霊格に対して、
より太古の
非人態的な精霊観に基づいた
霊格を示すとする見方がある。

そこでこのチを
「血」や「乳」と同源の生命力を
表す語と考えて、
八雷神を
伊耶那美神の血
すなわち生命力から生まれた
チ(精霊)の一種とする説がある。
と、あります。

この八柱の雷神を
「鬼」と解釈するものもあります


江戸時代、

用材の確保のために
藩の領主によって伐採を禁じられた木

五木
梅・桃・柳・桑・杉
また、
槐 (えんじゅ) ・柳・桃・桑・梶の木

など、種々の説があります


意富加牟豆美は

「大神つ霊」で、
字義は
大いなる神の霊威

桃は

中国では仙木とも呼ばれ、
邪気を払う呪力がある
と考えられていた。
元旦に飲む桃湯は
邪気を退け、
桃膠(桃の木のヤニ)から作られる
仙薬は、万病に効くとされていた。
また、桃弓と棘矢が
除災の儀礼に用いられていた。

桃が鬼をはらう呪力を持つとする思想は、
中国伝来の信仰習俗の影響
とされている。

『礼記』『春秋左氏伝』
また六朝時代の『荆楚歳時記』など、
古来、様々な文献に
桃の呪力についての記述が認められ、
桃は、鬼がこれを嫌い、
不祥を掃うことができるもの
とされている。

また、後漢の『論衡』
所引『山海経』に見える
度朔山伝説では、

度朔山に生えた広大な
大桃木の北東の枝の間に
万鬼の出入りする「鬼門」があって
神荼・鬱塁という神人が
害をなす鬼を葦の綱で捕まえて
虎に食わせていたので、
黄帝はそれを模して、
桃の木でできた像を立て、
門戸に神荼・鬱塁・虎を画き、
葦の綱を懸けて、鬼を防ぐようにした、
という故事を伝えている。


北東、鬼門、虎!

‼(•’╻’• ۶)۶ こ、これは!


民間でも
門戸に桃の木でできた祭具
(桃梗・桃符・桃板)などを飾って
防塞をする風習が伝わっている。


平成22年、
奈良県の纒向遺跡(まきむく)で
3世紀前半と推測される土坑から、
2千個以上の桃の種が出土した。
祭祀に使われたものとされ、
この頃には日本にも、
桃に対する信仰が伝来していた
と考えられる。
平安時代になると、
追儺(ついな、節分の起源)で
鬼を追うための桃弓や桃杖が使われ、
正月には桃の木片で、
卯槌(うづち)というお守りが
作られた。
室町中期には
「桃太郎」の説話が成立するが、
これは桃が不老長寿の仙果で、
邪鬼を払う呪力があったことに
関係するといわれる。
雛祭りも
「桃の節句」と呼ばれるように、
桃の花を飾り、
桃酒を飲む風習が見られ、
桃の厄災を払う力に係わる
祭りとなっている。

と、あります。


「桃杖」 って

皆様、思い出しませんか?

( °o°)ハッ


きりんさんが、呪術法具を公開した際に

「桃刀」があったじゃないですか!

桃の枝の先を

えんぴつを削るように尖らせたもの!

三月三日の桃の節句に

自前で作る、と!

これですね!


わたしも今年、作ってみようかしら

置いておくだけで

邪気祓いになるんやろか?




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