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【山形】出羽三山参り、山形県の神社、寺院 ④2016年 羽黒山正善院黄金堂 御開帳

2016年10月、雨の出羽です。

羽黒山正善院 黄金堂

正善院  庄内三十三観音 第1番 

養老六年、慈覚大師の開基と伝えられる。
正善院はかつて
羽黒山十大伽藍の一つ、
手向山中禅寺の本坊
として
配下に三百坊をおいた寺であった。

境内には黄金埋蔵の伝説が残っており、
国の重要文化財にも指定。

苦難除去、現世利益、病気平癒、
厄除け、開運、極楽往生など
とても幅広いご利益がある。

黄金堂

神亀5年(728)に
聖武天皇が勅願所として建立
したと
いう伝承。
源頼朝が平泉の藤原氏を討つにあたり、
勝利祈願のため寄進したもので、
山内の建造物の中で最も古く、
金色に映える
三十三体の観音像が安置されている。
(国指定文化財)
国指定重要文化財黄金堂は
日本遺産にも登録されている

御本尊として祀る
等身大の三十三体の聖観世音菩薩は
一見の価値あり。
黄金堂内で
羽黒山・月山・湯殿山をお参りできる。
商売繁盛、良縁成就の
於竹大日堂も要参拝。

平成28年に完成した
出羽三山立体曼荼羅。
正面の御本尊を参拝し、
堂内回廊を時計回りに進むと
古より伝わる三山参りができる。
堂内にはかつて
庄内三十三観音霊場であった
御本尊をはじめ羽黒山五重塔、
羽黒山頂鏡池の御本尊など
羽黒山修験道の教えを伝える
約80体の仏神像が祀られている。

日本遺産「生まれかわりの旅」では、
羽黒山入口にあり、
観音巡礼はじめ三山参りの際、
最初の拝所となる御堂である。

■御本尊
聖観世音菩薩

当時は長寿寺金堂と称し、
羽黒山山頂にある寂光寺金堂
(現在の出羽三山神社三神合祭殿)の
大金堂に対し
小金堂とも呼ばれていました。
歴代領主からも庇護され、
堂宇の造営や改修、寺領の寄進などが
行われ、
元応2年(1320)には
出羽国判官代栄家が修復し、
文禄2年(1593)から
文禄5年(1596)にかけては
酒田城主
甘粕備後守景継(上杉家家臣)と
直江兼続(上杉家摂政)が
大修復しています。

ご住職、自ら、説明してくださいました。

仁王像は、かなり損壊しており、
修復が必要なほど。

閻魔王さま


中は、撮影禁止

お竹大日堂

伝承によると、
元和から寛永年間
(1615~1645年)、
江戸在住の佐久間家の女中で
「竹」と呼ばれる女性が働いていました。「竹」は働き者の上信心深く、
さらに弱きものを助け
施しなども行っていました。
ある時、修行僧だった
武蔵国比企郡出身の乗蓮が
生身の大日如来がいる事を知り
是非会ってみたいと
出羽三山で修行を重ねていると、
霊夢に
「大日如来を見たければ
江戸の佐久間家で働いている
「竹」を訪ねよ。」
との御告げ
があり、
宿の主人である玄良坊宣安と共に
江戸に上り、「竹」と出会いました。
すると「竹」の背後から後光がさし、
「竹」こそが
生身の大日如来である事を悟り
平伏しました。

佐久間家の主人に事の顛末を話し、
乗蓮と玄良坊宣安は出羽三山に戻ると、「竹」は自分の部屋に籠り
念仏を唱えるようになり
寛永15年(1638)3月21日に
亡くなりました。

主人は「竹」と等身大の木像を彫刻し
暫くの間、佐久間家の守護神として
祭った後、
正善院黄金堂境内に御堂を造営し
「竹」の木像を安置し
以後玄良坊が管理するようになったと
伝えられています。

お竹さんの物語。

歌川国芳 画

歌川国芳 画

こちらの和紙は、お竹さんが働いていた、
佐久間家、
小津和紙を使ってのものです。

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