長く生きる身としての役割

濃く付き合ってきた友達が亡くなってから、2年たちました。

共通の友達と先日お墓参りに行き、
彼女が生きた37年という短さに改めて実感がわかないよねぇとか、子どもたちに会いたいなとか、もっと生前に言いたいこと、言ってやりたいこと、あったなぁとか、コロナを知らないんだなぁとか、いろんなことを話しました。

それが供養になるとかは特別思わないのだけど、(そういう気遣いは喜ばないだろうし)
こうやって私たちに考えさせてくれる彼女の存在は、とても大きくて、相変わらず素晴らしいのです。

そして人生は長短ではないと思うけれども、
彼女より長く生きる身として、それなりに感じ考え成長する時間というのは多く得るわけです。

だから、長く生きる人間としての、必要な熟し方を得たりとか、役割をやっていこうと感じる日々です。

来年は40代に突入。
いい脂がのってくる時期かもしれないしそうじゃないかもしれない(笑)

でも、今までやる必要がなかったことが自然と廻して、還してゆくこと、身から出る機会が増えているのは感じています。

とても教えるとかに向かなかった今まででした。
それは当たり前で。
さまざまなことから教わることが多すぎて、私の器や、身体が、周りに教えている場合ではなかったんですよね。

それもまだまだ続いていくだろうし、
最近はアドバイスを求められることも自然と増えてきたので、自然とシフトしていくのかもしれません。

それでも「教える」ってことには抵抗あるけどね。

私は教わる、というより
先輩達からは「学んだ」と思っているからかも(^^)


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