自分を肯定する過程

今日は、昼間から大学の図書館で本を読んだ。
暖かい春の日差しが窓から差し込み体を温めた。

髪の毛は金色、8000円で買ったグレーのガレージパーカーと黒のそれっぽいスウェットパンツ、ありきたりなNewBalanceのスニーカー、白の斜めがけのバッグ
に包まれた俺はすっかり大学に馴染んでいるように見えるだろう。

それでも満足できていない気持ちがある。


集団から抜きん出たい
異端でありたい
みたいなキショめな感情が俺の中に確実にある。

本当言うと、黒髪で、もっと地味でオーバーサイズじゃないパーカーで、靴ももう少しボロくて味があってあんまり見たことないヤツがいい。
そういう奴が昼間から図書館で本読んでる。という風にしたい。
それで毎日図書館に通っているような地味な女に声をかけられたい。

「君、いつもいるね」
とかね。

別に100%パフォーマンスで図書館にいるわけじゃないし本も割と好きだけど、

本も好きだし自分のパフォーマンスも見つけられたい。
でも見つけてもらってもパフォやからすぐバレるし、本物しゃないんよなー。

だから本当はもっというと
「パフォーマンスやと見抜かれたい」まである
その上で自分の魅力に気づいて欲しい。

「君、それ誰に向けて本読んでんの?」(お姉さん系)
とか急に心を見透かした事言われたい

本も好きで、それでもパフォーマンスしてる俺。
他人が見つけ出すにはあまりにハードルが高いな。
けど、だからって自分で俺こういう奴です。ってするのは違くない?意味なくない?話変わってくるやん。


パフォーマンスしてるつもりがない時も無意識にいつも人目を気にしている。
だから、パフォなのか、気にしすぎ君なのか、まあ両方なんやろうけど

その両者の違いを挙げるなら
「よく見られたい」の気持ちの有無だと思う。

異端、変な奴やと思われたい。

でももっとメタった視点やったとしても変なやつである事には変わりないな

「誰も見てないようなところで必死に人目を気にしてパフォしてるやつ」は自分でもキショいし変な奴だと思う。


↑これが自分を肯定する過程です。

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