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超短編小説:「あなたを呪うその日まで」

人は沢山のリストを活用して生きている。やることリスト、今年中にやりたいことリスト、好きな人間リスト、忘れ物しないためのチェックリスト。きっとランキングなんかも一種のリストなんだと思う。
私も沢山のリストを活用して生きていると思う。ただ私は普通の人が持っていないリストを一つだけ持っていると思っている。
「死んだら呪い殺すリスト」
このリストを持っている人々は何人いるだろうか?
別にこのリストは明文化されている訳ではない。誰がそのリストに入っているとかそういうのを紙におこしたことはないし、あくまで頭の中にフワフワしているリストだ。

このリストは私がとても嫌いな人間を入れるものだが、決してこれは私が陰険な人間だからではないと思っている。むしろ、とても前向きだと思っている。私は前向きな人生を送りたいと思っている。だって、生きている間に嫌いな人間に時間をかけるのは無駄だ。なぜ嫌いな人間のことを思って、イライラせねばならないのか……? であるなら、死後の世界があるとして死んでから彼ら彼女らを祟ったり呪ったりして殺せばいい。そしたら、嫌いな人間に時間も思いも使わなくて済む。

我ながらいい考えだと思ってきた。鼻につく同級生、セクハラな先輩、嫌いな上司、頑固なオッサン、そんな人たちに時間もエネルギーも使わずに済む。無駄のない、いい人生だったなって思う。もう一つ希望があるとすれば、もう少し人生が長ければ……って思う。

私は今、床にふせている。交通事故だった。目はかすかにまだ開く。ぼやけて赤色液体の入った袋と小難しそうな機械が見える。耳もかすかに聞こえる。母親の声だ。目も耳も少ししか働いてないのに、身体の様子は手に取るようにわかる。心臓はずいぶんとゆっくりになってきている。呼吸だって早かったのにゆっくりだ。でも、思考は恐ろしいほど冷静で静かでクリアだ。ああ、きっとこれが走馬灯を見る時の頭の状態なんだろうなぁ。じゃあ、私は死ぬんだ。

だから「死んだら呪い殺すリスト」のことを思い出したんだと思う。さて、嫌いな奴は死んでからだ。今はゆっくりと走馬灯を流してみようと思う。私の人生はどんなものだったのだろうか? たくさんの失敗もあった、たくさんの後悔もあった、私の人生は間違いだらけだ。でも、悪くない人生だったと思う。好きなことして、好きな人もいて、結局幸せだったんじゃないかなって思う人生だった。ただ悲しいかな、楽しい思い出や嬉しい思い出は感情ばかりで走馬灯としては一瞬で流れていく。失敗や後悔の方がそのあとあーだこーだと考えたせいで記憶に鮮明に残り走馬灯の中でも時間は長い。

どこかで思っている自分がいる、ああまだ死にたくない、って。人間が生きる理由っていつだってポジティブな理由じゃない。将来の夢を生きる理由に掲げる人なんて少数、大半がなんとなく生きてる。私はそのなんとなくの一人だった。でも、こうやって死ぬときになって、後悔や失敗に対する未練を生きる糧にすることもできるんだなって考えている自分がいる。

「死んだら呪い殺すリスト」ね……。ふふっ。悪くはない発想だったけど、彼らに彼女らに復讐することを生きる理由にしてたら、私はなんとなくではなく、もっと全身全霊をかけて生きてられたのかな?
きっと、生きる理由って必要だけど。複数あっていいし、全部がポジティブじゃなくてもいいし、そんな自由なもんなんだろうな。



はあ、意外と走馬灯って長いんだな。それとも私の人生が濃くて長いモノだったってこと? ……それはないな。でもなんだか、いい加減に、少し、いやかなり、眠い気がする。そろそろ寝ようかな、お母さん……ごめん、おやすみなさい。







目が覚めると、そこは白い天井、視界の端にはポールや機械とともに、花やフルーツも見える。目の開いた私を見つけてか、看護師さんが近寄ってきて、声をかける。
「大丈夫ですか?」
口は動かない。だから、小さく頷いた。看護師さんはそのままナースコールのためのボタンを押したのちに、お医者さんを呼んだようだった。

走馬灯を見ていたと思っていたようだが、私は死にぞこなったようだ。ドラマの世界じゃ、「自分の身体のことは自分が一番よくわかる」なんていうけど、やっぱり一番分かってるのは看護師さんやお医者さんのようだ。

走馬灯の方の最後の方に思い浮かべたことを思い出す。
「死んだら呪い殺すリスト」って、イイものなのだろうか? それとも微妙なものなのだろうか? 私の中で関心はリストに入っている人物ではなく、リスト自体の使用方法への疑問にうつっていた。

ああ、生きていてよかった。

作:狐面の猫

写真:梅

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