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Wikipedia最強!(但し使い方次第)

理系の人間だけど逆行することを言いたい話。

皆さんは学生時代にWikipediaを使用しないことって言われたり怒られたりしたことはありますか? 私はありますね。口酸っぱく言われて、それでも鉄の意志で使用した記憶があります(中学時代なので許してください)。

さて、そんな昔話はどうでもいいのですよ。皆さんはWikipediaは使いますか? 私はバリバリ使います。ただそれは硬い文章(レポート)を書くときではなく、簡単な雑学を調べたい時などに使用しています。あれってどういう意味だっけ、あれっていつ頃の時事だっけみたいなときですね。

ただ私は思うんですが、単にWikipediaを使わないこと! っていう教育って愚かで馬鹿で酷いなって思います。自分を正当化したい気持ちもあるのですが、根拠を並べればきっと正当化ではなくちゃんとした意味を持つと思うので、今回はその2つの理由を並べたいと思います。

①Wikipediaは調べモノのスタート地点として考える。

Wikipediaはいわゆる誰でもが書き込めるツールではっきり言って信憑性に欠けます。しかし、それは根も葉もない情報と言うわけではないです。大事なのは情報を得た後にそれが正しいかどうかさらに調べることです。
Wikipediaで得た情報により、「あ、この時事にはこういう裏があったのか!」と発見して、その後調べて公的な文章で正しいと分ければ使えばいいし、出てこないなら使用を控えればいい。また使用するときも調べ直した方の文献を参照すればいい。情報の取っ掛かりだと思えばいい。
また最近はそれを助けてくれるように、「出典」や「外部リンク」が書かれていて、そのリンクに飛んだりその書物を調べたりすればソースの確認が可能です。であるなら、調べるのも楽ですし、そのリンクや書物が信頼に足るかを考えればいい。

②大衆的にはどう認識されているかを調べるツールとして考える。

Wikipediaの悪いところとされる誰でも書き込める点ですが、これは逆にとればめっちゃ良い所でもあります。これは単に有識者が無料で書き込めるプラットホームがあるという考えだけでなく、誰もが編集できるからこそ多くの人がそう考えていて間違ってないと思っているということです。
言い方を変えれば、誤情報が乗っているWikipediaのページがあったとして、でもそれは世間では常識としてまかり通っている。ちゃんと調べた人からすればそれが間違いだと気付ける。通説と正しい情報両方を持っていることは周りに分かりやすく1つ飛びぬけた情報を持っているわけですからそれってすごく良いことだと思うんですよね。
それにいくら正しい情報だろうが、自分がいくら正しい情報源を参照したって、理解も確かめようとも知れないことの方が多いのが世の中であるのだから、正しさに固執して輪を乱す方が処世術としては微妙かもしれません。(和を乱さずに訂正できる技能がある人は別ですが)

私が思うに世の中は大いに教育の仕方を間違えている。Wikipediaを使わぬことは確かにいいかもしれない、Wikipediaから誤情報を掴まされないという意味では。しかし、本質的な誤情報を誤情報だと見抜けるスキルが身につかない。(ひ〇ゆき風に言えば「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」ですね笑)

あんまりこの例えを使うのは好きではないのですが、
川があって溺れると危ないからといって、川を封鎖するのではなく、泳ぎ方を教えて安全な遊び方を伝えることが教育ではないでしょうか?
(この例えは某ヨットスクールの創業者の例えなので使いたくないのですが、正直完璧すぎる比喩なので使用)

おんなじでWikipediaには嘘があるから使うのを禁止するのではなく、どのサイトでもいいですが、Wikipediaでもなんでもその情報が正しいかどうか調べる手段とWikipediaというサイトの特性を教える。それこそが本当のネットリテラシーの鍛え方なのかなって思います。

むしろ、こんな興味のきっかけを与えてくれるWikipediaを真っ向から否定する人はネットリテラシーを低いとも感じますね。これは言いすぎか……。まあそういう記事だからいいか笑

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:OTERA

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