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恋愛できるかな

 一人旅の帰り、鹿児島空港から羽田へ向かう飛行機で、私はさらに体調が悪くなった。幻覚のような妄想のようなものが見えていた。やっとの思いで家にたどり着き、這いつくばって、ベットに倒れこんだ。寝付けずに、うなされた。頭が割れそうで狂ってしまうのではないかという恐怖に襲われた夜だった。
一人ぼっちを楽しむための一人旅で、私は虚しさを抱えて帰ってきたのだ。

 それからひどい自己嫌悪に陥っていった。 
私はあの時に、性を解放できなかったことを後悔していた。あの男の子達の中では、バカやって面白かったハマーと、やってしまえばよかったのではないか。優しく心配してくれたんだから。そう思うと、自分がすごくダサく思えた。
「私はなんてつまらない女なのだろう」
でも、同時に思う。
男と恋愛やセックスを出来ない私を「つまらない女」だと思わなくちゃいけないのはなぜだろう?
私の弱点のように感じなくてはならないのだろう?
恋愛できないと一人前の人間ではないと劣等感を感じなくてはならないんのはなぜだろう。
家族が欲しいなら、男性と恋愛をしなくてはいけないのだろう。

高校生のとき、恋愛やセックスを知っている女子と知らない女子の間には、くっきりと境界線ができた。私は後者で友達の話に入れい。
「ねぇ、昨日の夜、彼氏の家泊まってさ、そのまま学校に来ちゃった」
 女子だけになった休み時間の教室で、あんなことやこんなことをしたと細かく話して盛り上がっている。私にはそんなことできない。そんなことがあったのに普通に学校に来られる友達がすごいと思った。私にとって恋愛やセックスは、彼女達みたいにあけっぴろげに話すことの出来るものではい。それは母親が隠そうとしていたからだろう。
私は人間はどうしたら妊娠するのかさえ、私は正確に知らなかった。授業で習っていたかもしれないけれど、頭に入ってはいなかった。
ある日の放課後、先輩と付き合い始めてセックスを経験した子が授業をしてくれた。授業より、同級生の授業のほうが頭に入ってくる。
月に一回の排卵があると知ったのは、その時。
黒板に簡単な折れ線グラフをかいて、高温期と低温期の間に排卵がおこること、それがだいたい生理から二週間後くらいだということ、その期間は妊娠するから気をつけること。
私は自分の体のことを何も知らなかった。 
「先月なんか生理が来なくて妊娠したかと思って焦ったよ」
「ゴムつけてしてないの?」
「うん、中出ししちゃだめって言ってたのに」
「好きだからいいよ~ってなっちゃう」
「好きだからってだめだよ、ちゃんとしないと」
「恋愛体質だよね」
「私もクリスマスまでに彼氏作らなきゃ」
そんなクラスの一人の女子が妊娠をして、高校を中退していった。
「ゆかちゃん結婚したんだって」
「よかったよね」
 ゆかちゃんは、もうお母さんになるのか。そんな風に自分の人生を決めてしまえる友達に驚く。
 中学の頃のグループの女子3人も妊娠して高校を辞めていた。ムードメーカーな彼女たちと、くだらない話で笑い合うのが好きだった。先生たちからは勉強のできない子の烙印を押されていたけれど、ちょっとおバカなところが可愛かった。そんな彼女たちが、ケータイを持ち始めて、恋愛の話を始めれば、私との友情は終わっていく。
「○○くんと○○ちゃんが付き合ってるんだって」
恋バナをしている彼女たちに聞いたことがある。
「付き合って何するの?」私の質問に空気がしらける。「そんなことも知らないの?話にならないやっ」
いつだって、そこのところで私は置いていかれる。

 そんな私も就職してから、通っていた音楽教室の先生に一目惚れをした。
私は性別に関係なくドキドキするするのだけれど、十八歳の私は四十代の優しそうなたれ目と眼鏡の先生を好きになった。頬の皺もいい。声もいい。
職場での人間関係が上手くいかずに辛くても、先生を想って心を保っていた。
ドラムを叩くときの、腕が素敵だった。彼の腕に触れてみたいと思った。
「私もこんな風に男性に肉欲を感じる年頃になったのか」そう思って驚いた。誰よりも早く来て教室に入り、休憩時間にピアノを弾く先生の姿を眺めた。
半年ほど片思いを続けて、「ライブがあったら誘ってください見に行きます」とうとうメアドを交換した。

連絡先を交換してからは簡単過ぎた。先生は十八歳の少女の私に興味を持った。
先生には奥さんも子供もいる。私は気が付いていた。自分がファザコンだから父性のある先生に惹かれたことを。

 父の愛を途中で失ったから、自分に足りないものを埋め合わせようと私の無意識が渇望する。街中で小さな女の子が「パパ!」と嬉しそうに呼ぶ姿を見て、私のインナーチャイルドの傷がチクンと反応する。
 父のお姫様抱っこで二階の寝室に運んでもらうためにわざと居間で寝ていた私。父が音楽が好きだったから楽器を習い、吹奏楽部に入った私。父が作った木製のボードゲームで地域の子供たちと遊び誇らしかった私。父とキャンプへ行ったり山へ行ったり自然の中で遊ぶ楽しさを知った私。父が拾ってきた子犬と親友になった私。
 でも父は私たち家族を捨てた。私という子供がいることを忘れた。家族より自分が優先の人だった。だから、嫌いになった。

 教室へ向かう道、ケーキ屋さんの前を通ると、バターとシナモンの香がかおってきた。私はアップルパイのような温かい家族がほしいのだ。なのにどうして。
先生が私に興味を示すと、むくむくと、私のエロスが膨らんでいくのを感じた。
先生を誘惑したい私がいる、大人の反応を試したい私がいる、エロいことしたい私がいる。
「ドラムを習ったころから先生のことがずっと好きです」
 私はメールで好意を伝えた。先生は
「ありがとう」
 とだけ、返信した。
 私は、唐突に聞いた。
「先生の裸を見せてくれませんか?」
「全部脱ぐの?」
「全部、見たいです」
「パンツも?」
「よければ先生の体に触ってみたいんです」
「起っちゃうよ」
「生理現象ですから大丈夫です」
「今から行くよ」
先生は乗ってきた。私の家の近くの公園の駐車場に、彼の車はあった。私が助手席に乗り込むと、彼は素早く私に座席を倒しキスをした。好きな人とのキス。私は何の感動もないことに驚いた。興奮を隠しきれない彼と反対に、私はどんどん冷静になっていく。
公園の駐車場は街灯があって明るかった。彼は街頭のない市民体育館のほうへ車を移動させた。その運転の素早さが少し滑稽だった。
そしてシャツを脱いでくれた。
私は触れてみた。ドラムを叩くがっしりした腕に。厚い胸板に、頬を当ててみた。先生は運転席の座席も倒し、ズボンを脱いだ。私のことも脱がそうとしたけれど、私は「生理なので」と言った。スカートの中を確認して私がナプキンをしていることで納得してくれた。
キスをしながら体に触った。男性器を手で触れると膨らんだので咥えた。先生は腰を動かし興奮していく。
「射精するところを見せてくれますか?」
先生は自分の手で擦りはじめた。
「食べてもいいですか?」
「どうなっても知らないよ」
 私はただ、じっと観察していた。とてつもなく冷静になって見ていた。
「いく」という合図で、私は口で受け取った。

「ツタヤに行くって言って出てきたから、そろそろ帰るね」
先生はそう言って服を着た。私の感情は何もなかった。ただ、口の中が熟していない果物をかじったように青臭くて、のどがイガイがした。

 それから音楽教室に通うと帰り際にキスをされ、私の恋は嫌悪に変わった。性的な意味しか持たないキスだ。私はそういうい関係に憧れていたわけじゃない。ただ、どうしようもなく求めてしまうことを止められなかっただけだ。

私は私に裏切られた。好きな人がいるから頑張れたのに、あんなに好きだったのに、性的に興味を持たれた途端に嫌悪に変わってしまう。
あの恋愛感情は何だったんだろう?
私はドラム教室をやめた。

心の穴を作った人物像が、恋愛や性的な対象となってしまうのは、私のインナーチャイルドが、子供の頃に失敗してしまった関係を、似たような人物と、今度は上手くやろうと再現したい力学なのだろう。
 だとしたら、私は父性の有る人しか好きになれないのだろうか?そこから抜け出せないのだろうか。でも、人の家庭を壊すつもりは全くないのだ。これは恋ではなく無意識の渇望なのだから。

平日の夕方。職場からの帰り道。私は今日も、誰とも話をしなかった。
一人でいると、誰も味方がいない心細さを感じずにはいられない。
電車に乗っていたら「人恋しい病」はますます酷くなり、電車に乗っている女の子や、男の人を見て色々なことを考えた。触れてみたいな。触れられたいな。
人間の温もりがほしかった。
「ああ、ひどい。人恋しい病だ。重症だ」人を見ないように目をぎゅっと瞑った。
一人の家に帰りながら夕暮れ時の家の明かりを眺めた。家族団欒があったらこんなに孤独を感じないのだろう。
恋人が欲しいわけではない、家族がほしい。
以前、母に「お見合いをしたい」と相談をした。「若いのに何言ってるの」と笑われた。
私の年齢だと、家族がほしければ恋愛をしなければいけないらしい。恋愛ができないと人間として一人前ではないような扱いをされる。

それから、自分に同情した。
何で、私は恋愛できないの?精神的に未熟なの?
付き合って何をするのか、この答えが解らないままだった。

好きになれそうな人を探さなければならない。
 どこかに私が好きになれるような人はいないだろうか。
心に引っかかっている子はいたかな?一目惚れじゃなく、ときめきなんかいらないから、
「私が好きになれそうな若者……」
私は、子供のころからの知っている限りの男の子の顔を頭の中に浮かべてみた。どんな男の子に好意を持ったのか。スポーツができてリーダーシップのある子、一緒に遊んで楽しい子、音楽の才能がある子、面倒見がいい子。

その中から、一人の男の子の記憶を引っ張り出し、最後のチャンスに賭けることにした。
私が小学生の頃、たまに遊んでいだ6個上の人。
団地の中にある公園で、チャイムが鳴っても、私と妹はブランコで遊んでいた。彼はブランコの周りをうろうろしていた。
「ユウスケくん何で帰らないの?」
「トンボちゃんたちだけじゃ危ないよ」
「そうなんだ」
何もせずただ私たちが帰るまで見守っているユウスケくんの優しさに甘えた私は立ちこぎをしながら靴を飛ばした。
いつも遊んでいる靴飛ばし。靴は、グランドのほうまで飛んだ。
「ねぇ、ユウスケくん靴とってきて」
私はわがままを言った。
何度、靴を飛ばしても彼は何も言わず靴を拾ってきてくれた。
その記憶は心地いものだった。あのとき、私は男の子に甘えられた。私が男の子に甘えられることなどほとんどなかったから、ユウスケ君になら、自分を出せるかもしれないと思った。

こうなったら恥ずかしがってなんかいらんない。実家にあった電話帳で連絡して、私はすぐに会いに行った。
小さいころに遊びに行っていた、平屋の公営団地は、マンションのように建て替えられ、通路は新しいゴムのにおいがした。
四〇五「KAWASIMA」のプレートを確認してチャイムを押すと、ユウスケ君のお母さんが出迎えてくれた。
「トンボちゃん、おひさ~。びっくりよね、すっかりお姉さんになって」
「昔、ユウスケ君に遊んでもらったことが懐かしくて会いたくなったんです」
私は堂々と彼に会いに来たことを伝えた。
「あんな奴に~?喜ぶよ。どうぞ上がって」
お母さんは
「お邪魔します」
玄関を入ってすぐの四畳半が彼の部屋だった。物がほとんどなくてソファーベットとテレビだけの部屋だった。
「久しぶり」
ユウスケ君は、背の高い青年になっていた。オシャレなパーマをかけていたけれど、色白で面長の懐かしい顔だった。

子供の頃、地域の気の合う家族同士がよく集まっていた。旅行などもみんなで行った。その時も優しいお兄ちゃんのユウスケ君の姿は良い思い出だ。
最後に会ったのは私が一二歳で、彼が一七歳くらいのとき。ご近所の家族仲間とのキャンプに行ったのだ。高校生だったユウスケくんはパサパサの金髪で、〇ゲージのピアスを開けて、透けているプラスチックのピアスをぶら下げていた。
白い腕には根性焼きの後がいくつもあり、かさぶたになって剥がれかけていた。肉がテカテカとピンク色に光っている。思春期らしい人体改造に励んでいるけど、変わらずに優しかった。
彼はいわゆるヤンキーだった。どこか影のある方のヤンキーだ。悪いことはできなそうなヤンキー。静かな夜に突然響き渡るバイクの音は、穏やかな日常を壊したいかのように主張する。「俺たちはここに生きているんだ」「俺たちのことを見てくれ」と。
若いときはそのエネルギーの使い方が解らない時がある。行き場を失ったエネルギーを持て余す。私も、もれなくエネルギーを持て余していた。

ヤンキーを卒業した彼は、看護師のお母さんの影響もあって介護の仕事をしている。彼の部屋にある資格の本を見て、仕事のことを聞いたり、壁に掛けられたラケットを見て趣味のバトミントンの話を聞いたり、小さいころ一緒に遊んだ彼の弟や家族のことを聞いたりした。
ユウスケ君は子供のころから知っているから居心地がよかった。彼にどうにか興味を持ってほしかった。けれど私が質問するばかりで、彼から何も質問されない。こちらが興味あっても、向こうは私に興味がないなら仕方ない。ダメだった。
帰り際に彼のお母さんが「ユウスケは恋人がいたことないんだよ」と教えてくれた。
ドキっとした。そうなんだ。きっと、どこか私たちは似ているのだろう。

帰り道、もう、いいよね。諦めついたよね。と自分に言い聞かせた。恋愛しようと努力したよね。仕方ないさ。自分に与えた最後のチャンスを終えた。