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脱皮(親友と心の別れ)

 彼女の姿をはじめて見たのは、文化祭の夕方のステージ。ショートカットの彼女はマイクを握り一人で歌っていた。そんなパフォーマンスをする子は他にいなかったからとても印象に残っていた。
 そのころ高校一年生の私は全てが虚しかった。中学校から抜け出せて、高校は楽しくなるはずだった。けれど現実はそうでもない。自分のコンプレックスばかりに気づかされる日々。膨らんだ自意識を持て余し、私はまだ自分の小さな世界にいた。でもそのことに気付き始めていた。

 二学期、たまたま彼女と隣の席になった。
「文化祭のステージ見てたよ!」
「ありがとう」
「一人で歌うなんてすごいね。緊張しなかったの?」
「そのくらいできないとね。映画監督になりたいから。度胸をつけたいんだ」
 そんなことを思って、一人でステージに立つなんてすごいな。
 私と違って目がぱっちりとして華奢で可愛いサラと早く仲良くなりたいと、ドキドキしていた。学校の裏山でたくさん話をした。悶々としている私の話に耳を傾けてくれた。
 彼女は、原因不明の人間不信に悩んでいた。子供の頃のように、何も考えず友達と会話できないという。どうやって友達になるか解らないと。
 私は最近、考えていたことを彼女に聞いてみることにした。
「死にたいって思ったことある?」
「ないよ」
彼女はきっぱりと言った。
 この頃は「一七歳が病んでいる」とかそういう時代。話題になる映画もそういうものが多かった。病んでいることは文化なのだろうか。私にはなんだか「心を病む」ことがかっこよく見えた。一足先に子供時代から違う世界に行くようで。
 クラスメイトはすぐ「死にたい」と言った。
 その「死にたい」に私も漏れなく感染して、私も漠然と「死にたい」と思うようになった。それはまだ他の言葉で表現できない気持ち、「不安」や「疲れ」を簡単に表せる便利な言葉だった。思春期になると、いろいろなことが一気に押し寄せてきて、考えなくてはならないこともたくさんあって、でも知識がないから解決方法がわからなくって、生きているのが面倒くさくなる感じ。それを「死にたい」と感じていたと思う。
 空想してた高校生活とは違う現実。初めての挫折。
 美術高校なのに自由な表現は許されない。けれど個性を大切にしろという。
 高校へ通う意味が解らず、時間がもったいなかった。ここから抜け出すために自立したかった。辞めて働きたかった。
 母の言葉の暴力から逃げたくて、働いて一人暮らしをしたいと手紙を渡したら、くちゃくちゃにされてしまった。やはり向き合ってはくれなかった。
家も学校での生活も上手くいっていなかったけれど、本当に死にたいわけではなかった。

 サラは授業のデッサンなど絵を描くための基礎を嫌い、作品は内面的なものの表現を重視するので、しばしば先生とバトルになった。自分の考えをはっきり言うのだ。それが非常識でサラの言葉に傷付き苦手だというクラスメイトもいたけれど、私はサラの言葉に傷きながらも、その新鮮で強烈な言葉を受け止めて脱皮をしようと思った。サラは独りよがりで幼い私を正してくれる、何かに気付かせてくれる刺激的な友達だ。

 家が近く、お互い母子家庭ということも私達を近づけた。私は、幸せな家庭の子をひがんでしまい仲良くなれなかった。そういう子たちとは何を話していいか解らなかったから。
 テスト勉強をしないサラに、テストの範囲やポイントを教える役割を見つけた。サラが始めて私の家に来る日はとても張り切った。

 今までの私は、人のことばかり気になって、自分と向き合ったことがなかった。中学時代に友達と繋がっていたのは、同級生の悪口だった。そんなことくらいしか共通言語がなかったのだ。でも、私たちは違った。好きな作品、ファッション、ミュージシャン、画家、写真家、モデルについての話が尽きることはなかった。
 表現すること、作品を作ることについて語り合い、時に哲学的なことをかじって話した。私たちは「思春期だね」と言って笑った。
 思春期だからと自覚しながらも、そのただなかにいるとどうしようもない。私たちは経験がないから、もがくしかない。思春期という危機を、とにかくもがいて生き延びるしかない。
 その中で自分の感性や衝動のままに生きているサラのいくつかの武勇伝に驚いた。生き延びるに足る生命力、行動力があって、我慢せずに、未知の世界に飛び込むエネルギーを発揮する。
 私と全く正反対の人間を見つけたと感じ、サラと親しくなれることが嬉しかった。サラのようになりたいと思った。とにかく情熱的に突き進むサラに、私はとても憧れた。
 何かを一緒にやりたいと思った。
 このままでは窒息しそうで焦燥感でいっぱいだった私は高校を辞めては働こう思っていたけれど、サラと友達になって私の高校生活は一変する。

 サラと一緒に作品作りを始めた。まずは、私がモデルでサラがカメラマン。衣装とメイクをきめて、小道具を用意し、電気スタンドの照明を使う。
二人でアートなカワイイを表現した撮影はとても楽しかった。

 文化祭では二人でファッションショーを企画し、美大や服飾の専門学校のショーを見学に行き、衣装をデザインし、ミシンをかけ、モデルを選んで、音楽や照明で演出した。服作りの期限を守らないサラだけど、モデル選びがとても上手かった。先輩も臆せずスカウトしてきた。サラの行動は、私と全く感覚が違う、心が純粋で、しなやかで、曇りがない様に見えて、その感覚にはかなわないと思った。反面、彼女はすぐに感情的になった。同じクラスでモデルになってくれた子とも喧嘩するので私が取り持った。彼女は感情的で、私はそうでないから二人は上手くいった。
 同じ絵画を専攻し授業の課題でも刺激し合った。
 バンドも組んだ、映像作品も撮った。音楽の授業の発表会で作詞作曲までした生徒は初めてと言われるほどに、私は二人での創作活動が楽しかった。
学校は、二人の作品を発表できる場所となっていた。私は授業やそれ以外の創作にもエネルギーを注ぎ込んだ。

 卒業が迫り、一緒に作品作りをする機会がなくなった。
「路上ミュージシャンで、かっこよくて、すごい刺激的な人と出会ったんだ」とだけサラの口から聞いた頃から。
 サラが十八歳の誕生日も一緒に過ごした彼氏のことらしい。

 サラは彼氏のことを詳しく私に話さなかった。彼のことで頭がいっぱいで、すごく惚れている事は話してくるのだけれど、肝心なことは何も話さなかった。
 秘密にしていた。「本当に大切なものは取られたくないから話さない」と言っていたサラの性格を知っているから、私は聞き出そうとはしなかったけれど話してほしかった。私はサラを親友だと思っていたけれど、サラはそうではなかったのか。
 私はその頃、新たな悩みを抱えていた。恋愛というものができそうにないということ。でもそれを恋愛で忙しそうなサラには話さなかった。
「私たちは、全てを見せ合えることはない」そう確信した。
 彼女が大切なことを私に話してくれないのだから私もそうしなければ。
 十八歳の誕生日、私は一人ぼっちだった。その日、学校で会ったサラに「今日、私、誕生日なんだ」って、一言が言えなかった。サラは私のことなど見えなくなっていた。彼氏のことしか見えていなかったから。

 三年間、一番長い時間を過ごした友。いろいろなものを一緒に作った友。私の高校生活の支えだった友は、恋人のもとへと去っていった。

 路上ミュージシャンに声をかける……私はそんなことをしたことがなかった。知らない人に話しかけるなんて考えもしなかった。サラはいつもそうやって、新しい人たちと出会っていた。サラはもう私なんかに興味はなかった。

 彼女の行動力を吸収した私は、自らの世界、価値観、新しい環境、新しい人間関係を作るため、飛び立った。