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毎日応援133 生涯を捧げる人がいるほど愛されるには理由があった

宮沢賢治って猛烈に愛されている。生涯の自分の集大成の作品にしたい、と、その業界で大成功した人たちが望んで作品にする程、愛されている。

日本、世界の電子音楽の第一人者でもある「冨田勲」さんや、銀河鉄道の夜の映画でもおなじみ、猫のヒデヨシ、他、猫中心に描かれている漫画家の「ますむらひろし」さんも、ものすごい熱量で宮沢賢治の世界を作り上げている。

このお二人の世界観が子どもの頃から大好きで、その大好きな方々が、宮沢賢治の世界を愛しているから、わたしも、と思った。


ところが、幼い頃から何でも斜に見るところがあって、宮沢賢治のことは長いこと好きになれなかった(^_^;)

そして、後に、とんでもないわたしの傲慢な誤解のせいだったことを知って、とても恥じ入ることになる、、、(ーー;)


雨にも負けず、
風にも負けず、、、。


なんかとてもいい人みたいなこと言って、こんな無欲な人になりたいなんて、それは心の中で人には言わず、持っておくものじゃないのか、

それを小説にして、外に出すなんて恥ずかしい、それは武士のすることじゃない、みたいな事を思っていたからだ。
(武士じゃないし(^◇^;)
まあ、例え的に。)


まあ、とにかく思い上がった子どもだった。


大人になって、音楽をやっていたり、好きな音楽家、漫画家さんの作品を見るにつけ、宮沢賢治を知るしかないところに追い込まれ、
いろいろ調べた。


。。。


猛反省したよね、、、。


恥ずかしかったよね、思い上がってた自分が。。。


生涯を捧げる人がいるほど愛されるには、それなりの時代も時間も越える普遍的な理由があるからだよね。


何が思い上がった勘違いだったかって、
なんと、あの「そういうものになりたい」と言うメッセージは、小説で発表したのではなく、
病に冒されながら、余命が長くはないと知りながら、熱にうかされる中で黒い手帳に走り書きした、自分のメモだった。。。


そして、調べて知ったことは、
宮沢賢治はほんとに才能溢れる人で、音楽も書き、楽器もでき、勉強すれば何でもそれをものにし、農学を学べば、その道のプロになれ、肥料の作り方から畑全般、死ぬ間際までみんなに教え、宝石商から瓦まで、なんでも商売に変えることができ、行動力があり、浮世絵が好きで(それも、春画((≧∀≦))、レコードを沢山買い、音楽が大好きで、家族思いで、信仰心があつい人だった。

そんな人が、自分のせいで家族に病気を移したり、家族を病気で亡くしたり、自分の病気のせいで迷惑をかけたり、何でもできるし、やりたいのに、やれるのに、身体がもたない、余命もないということを受け入れざるを得ない。


そんな中で、
ならせめて、命があるうちに、全てをまわりに渡して渡して、肥やしにしてもらって、
命を自分だけものにせず、世界に出し切って渡し切って、死にたい、と
心から思って行動して、物語を書き、歌を描き、
メモを走り書きした。


宮沢賢治が亡くなった後、遺族が手帳の中の走り書きを発表したのが、雨にも負けず、だった。。。





「雨ニモマケズ」

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な身体を持ち

欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず

野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い、

北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず

そういうものに
わたしは
なりたい

歳がいってきて、失敗しすぎて、死にかけたから、この中身が理解できた。
そして、そんな時に、学校の先生の話がきて、その時調べて、この詩は宮沢賢治が出した詩ではない事も知った。

自分の思い上がった傲慢さを知ったわけだった。。。(ーー;)


謝ったよね、、、(ーー;)

本気で。

恥ずかしかったよね(ーー;)


わたしは、死にかけたとはいえ、
生き直しを始めてからは、生きている間は生き切りたいと思うようになったし、
子ども達はかわいいし、
できることなら、いろんな世界を見て、子ども達とも動物達ともできるだけ一緒に過ごしたいし、

生きる事を愛おしく感じられるようになった。

その時、知った宮沢賢治の生き様。


できるのに、やれるのに、やりたいのに、愛おしいのに、
もうすぐ命は終わることがわかっている状態。


それを受け入れてなお、1秒でも命を次に繋いで、次のものの、糧になるように生きた。


信仰にあつく、そっちへ走る姿を見た父親に、常にたしなめられてきた宮沢賢治だったけど、
死ぬ間際まで、いや、さらに高まるその信心深さにとうとう、
お前は大したもんだ、と父に言わしめ、

ちょっと、いや、かなりそこだけは嬉しそうに満足して、遠くへ逝った宮沢賢治。



銀河鉄道の夜の中で、

火のように輝く蠍(サソリ)の星の話が出てくる。

サソリは沢山の虫たちの命を取り、
自分が今度、いたちに食べられそうになった時、逃げに逃げ、井戸の中に落ちた。

結局井戸の中で溺れて死ぬ、という段になってサソリはこう思って、死んでいき、星になって輝いている、と言う話。


サソリは死の間際で言う。


「ああ、わたしはいままで
いくつのものの命をとったかわからない、
そしてその私が今度、いたちにとられようとしたときは
あんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。

どうしてわたしはわたしのからだを だまって、
いたちに呉(く)れてやらなかったろう。
そしたら、いたちも一日生きのびたろうに。

どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてず
どうかこの次には
まことのみんなの幸(さいわい)のために
私のからだをおつかい下さい。」



。。。


銀河鉄道の夜は大好きだったので、このくだりはとても心にささっていた。


とはいえ、作品が好きでも、宮沢賢治はあまり好きにはなれなかったけど、

これが宮沢賢治自身のほんとの気持ちだったんだろうな、と、
そして、これを地で行く、このままの生き様で生きていたことを知って、

胸がぎゅっとなった。


泣けるような愛おしさと、
人間の中にある美しさと、

言葉にならない、熱いものを受け取って、
宮沢賢治が好きで生涯の作品の集大成として、
宮沢賢治と自分を重ねた作品を作りたいと思う先達の心を少し理解できた。

と思う(^◇^;)



また、宮沢賢治は、生涯、あんなに沢山書いたものが、一冊しか売れなかった。

当時の五円、一冊。


それも、古本屋に全部行き、
それを、文豪の友人が買い取り、また、友人たちが後には買うという、
物書きとしてはそれは、なかなかな末路を辿っていた。
生きてるうちは。


でも、友人達が支えようと動くあたり、
やっぱりずっと慕われていた人なんだと思った。


じゃあ、悲惨な人生かというと、
なかなか面白い人で、

レコードを沢山買い集め、浮世絵の春画を買い集め、お給料をそれにほとんど注ぎ込んでお父さんにお金を借りて、また、買って。

その割に家を飛び出して、東京でなかなかの成績を残したり。


そして、作品からは禁欲的にも見えたけど、
春画は高さ30センチにものぼるほど買い集めてあって、最後、友人には「禁欲ほど、無駄なものはなかった」と、禁欲なんかしなければよかったという話したという^^;


面白い人だなあと思った。


大胆なのか、純朴なのか、

とにかく、面白い人物像が垣間見られた。


と思う(^◇^;)

好きになれなかった人が何を言うとる、と、
過去の自分に自分で言いたいよね(^◇^;)


そんなこんなで、宮沢賢治。


実は、世界の冨田と言われた、彼の音楽を聞かずに育った日本人はいないという程の音を作った冨田勲。

「人生の暮らしの中の、後ろで流れる音は冨田勲が作った」という冨田勲さんが、亡くなる前に作られたのが、
宮沢賢治の「イーハトーブ交響曲」。

(初演前に、遺作となったのは、初音ミクをソリストに迎えた「ドクター・コッペリウス」。その前に作られたのが同じく初音ミクをソリストに迎えた「イーハトーブ交響曲」。)


宮沢賢治が書き残した曲をモチーフに、銀河鉄道の夜をはじめとする宮沢賢治の世界を交響曲にしたもので、
祈りの世界でもあり、いつか宮沢賢治の世界を作品に、と望んでおられた冨田勲さんの交響曲。


ずっと、いつか宮沢賢治の世界を音楽にしたかったんだそう。

(空山基さんの初音ミク(ToT)素敵すぎる…。
空山基さんも大好きなフィギュアやイラスト作家さんだったので、自分の中でも奇跡のコラボだった(ToT)ジャケ買いだけでもレベル。)


銀河鉄道の夜のシーンの中で歌われる讃美歌の歌詞も、亡くなる前に冨田勲さんが書いたので、息子さんは、亡くなる前に賛美歌を書いたのも何か父は予感があったのか、不思議な感じがするとお話されていたのを見た。


「いつなのか わかりませんが
主はわたしに いわれるでしょう
もうよい おまえのつとめはおわった
その地をはなれて ここにおいで
どこなのか わかりませんが
とわに平和に くらしましょう
御神とともに いつかどこかに」


亡くなる前に作られた賛美歌だったそうで、
まさに、世界の冨田、巨星のおつとめ後のお迎えとも言える歌詞になっている。。。


わたしはほんとに冨田勲さんのことが、
お会いしたことはないけど、他の人ほど詳しくもないけど、大好きだ。

13歳の時、音楽の授業で先生が聴かせてくれた冨田勲さんの「展覧会の絵」の衝撃から何十年も経つけど、あの鮮明な衝撃と感動はいまだ色褪せる事なく、わたしの情熱の火種となっている^ ^


止まらないので、この辺で(^◇^;)


そして、これまた子どもの頃から漫画が大好きで読んでいた「アタゴオル」の漫画家「ますむらひろし」さん。
その漫画の中の猫と人間とファンタジーの世界は唯一無二。

宮沢賢治の研究とアニメの先駆者でもあった方だけど、最近ものすごい熱量の銀河鉄道の夜を出されている。

中を開くと、とにかく原画を見るような圧倒感。

何かがドーンと伝わってくる。

紙とペンと想いの、熱いスパークをそのまま受け取れる感じ。

白黒の漫画っていいね(ToT)


そして、間に挿し込まれる美しい青のあふれるカラーの世界もまた、素敵。。。

「銀河鉄道の夜 四次稿編」の第二巻まで発売されたところで、全4巻総ページ、600ページにもおよぶ大作になるということで、続きを楽しみにしている^ ^


人生をかけて、宮沢賢治の世界に何かを込めて、生み出している。
それを人にさせてしまう宮沢賢治の世界。


本人が知ったら驚くだろうね^ ^

それだけ、人の中の深淵で美しいものを、表に顕してくれた人なんだろうね。。。


あんなに、酷いこと思ってましたけど、、、
(ToT)


そう、そして、何で今回はこんなに宮沢賢治で想いが広がって書いてしまったかというと、
「藤井風」という人気のアーティストさんの歌を聞いていて、宮沢賢治みたい、と思ったから。

いい歌、いい声、と思って聴くことはあったけど、「帰ろう」という曲を聴いて、あんまりにもピュアで素敵で、もの悲しくて、まるで宮沢賢治みたいだったから、また胸がぎゅっとなって、宮沢賢治のことを書きたくなった。


藤井風の「帰ろう」という歌の歌詞の中でこんな言葉が出てくる。


「ください ください ばっかで
何も あげられなかったね
生きてきた 意味なんか 分からないまま

ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう」


あの世に逝く前のことが含まれている感じの歌詞の中で、
「もらってばかりだった、だから、与えて与えて、
荷物をもたずに帰ろう」
という内容があるけど、

こんな内容を、こんなにピュアに真っ直ぐ人は歌えるもんだろうか、と、思うくらい、
真っ直ぐに歌っている。

涙が出そうで出ないけど、
なのに、魂が泣けてしかたない、
そんな感覚になる歌と歌声だった。


これを聴くと、宮沢賢治を思い出す。


今の若い人は、素晴らしいといつも発信しているのは、こんな美しいものを素直にまっすぐ表現できるのが、今の若い人の特徴だから。

昔ももちろんいたけど、数がめちゃくちゃ増えている。


素敵だね^ ^


長くなってしまって、宮沢賢治、トリビュート展みたいになった(^◇^;)



心が洗われた歌と世界のお話^ ^


人の中にある、真我の世界。
みんなの中にあるもの。




あ、昔、宮沢賢治をディスってたわりには、好きだったから若ーい頃、ちゃんと描いてた^ ^
銀河鉄道999と、銀河鉄道の夜を混ぜて描いた絵。

大好きだったね(^◇^;)



みんなの旅はどんな旅かな^ ^




今日も皆さまにとって健やかで安心の時間が沢山流れていますように。



ありがとうございます。




戸張碧月

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