「好き」が加速しメディア運営者に。ライター山田智子はなぜそこまでスポーツを愛するのか?
日本で最も有名なスポーツ媒体『Number』で記事を書いていたり、中日新聞でスポーツコラムを連載していたりと、山田はスポーツライターとして第一線で活躍している。現在は主に愛知で活動しており、バスケットボールのプロリーグ「Bリーグ」のチームを中心に取材している。
そんな山田が2024年1月にAichi Basketball Café「愛B Café(アイビーカフェ)」というWebメディアを立ち上げた。コンセプトは「愛知のバスケットボールを愛する人」をつなぐこと。愛知を拠点とするB1 の4クラブを中心に、愛知県のバスケット全般を取り上げたメディアだ。
愛B🏀cafeの記事の大半は山田が書いている。仕事の延長にあるとはいえ、執筆時間もとられる上に、メディア全体の舵取りもしないといけない。彼女はなぜ、それほどまでにバスケットボールを盛り上げようとするのか? 背景を聞くと、そこにはスポーツがつくり出すカルチャーへの敬意があった。
メディアを立ち上げたきっかけは麒麟の田村さんの一言
「愛知にある4つのバスケチームをつなぐ、坂本龍馬的な人がいたらいいんじゃないですか?」
バスケ芸人として有名な、お笑いコンビ麒麟の田村さんから言われたこの一言がきっかけで、愛B🏀cafeは生まれた。山田は、ある企画で田村さんにインタビューしたときに、「愛知のバスケがもっと盛り上がるためにどうしたらいいですか?」という質問をした。その回答が先ほどの言葉だった。
山田は以前から、愛知のバスケットボールの盛り上がりに課題を感じていた。愛知はB1リーグに参戦するクラブが4つも拠点を置いている。三遠ネオフェニックス 、シーホース三河 、ファイティングイーグルス名古屋 、名古屋ダイヤモンドドルフィンズだ。そのためメディアや雑誌などでは「バスケットボール王国・愛知」と称されているが、他のスポーツと比べると熱は高くないという。
たとえば、愛知の隣にある静岡はサッカー王国として知られ、老若男女がサッカーに詳しい。話を振れば誰しもが熱く語り出す。一方、愛知のバスケはまだそのレベルに達していない。理由は、サッカーより競技人口が少なかったり、プロ化された時期が遅かったりという点もあるだろうが、山田は「分散」を理由に挙げている。
「私はスポーツの世界にかれこれ10年以上いるので、『世の中の人はみんなスポーツが好き。いつもチェックしている』と思ってしまいがちです。でも現実は違いますよね。たとえば新聞のスポーツ欄を見てみると、全体の10%くらいしかありません。スポーツ紙でバスケットが取り上げられたとしても代表選手が中心。そのような状況で、愛知県の選手に注目してもらうためには、情報量を増やす必要があると思いました」
愛知県のバスケ情報が集まったメディアがあれば、既存のファンは更に熱を帯びる。さらに、オリンピックやワールドカップなどでバスケに興味をもった人が、検索をしてたどり着いてくれるかもしれない。だから情報の集約が大事だと山田は言う。
愛知県のB1リーグに参戦する4クラブは、勝敗だけでなく「集客」面でもライバル関係にある。同じエリアに複数のチームがあるため、ファンが分散してしまうからだ。時間もお金も限られる中で、同時に複数のチームを同じ熱量で応援するのは難しい。
しかし理想は、バスケファンを取り合うのではなく、4チームが協力して愛知のバスケ界を盛り上げること。そのための橋渡し役を、麒麟の田村さんは薩長同盟の立役者のひとりである “坂本龍馬” に例えたのだ。その役割を担おうと、山田は愛B🏀cafeを立ち上げた。
ライターは、取材して記事を書くのが一般的なので、自らメディアを立ち上げるケースは極めて稀だ。山田は利益を度外視しているわけではないが、メディア運営のいちばんの目的を「愛知のバスケを盛り上げること」に置いている。それほどまでに情熱を傾けられる理由は何なのか? 一言でいうと、スポーツの力に圧倒された経験があるからだ。きっかけは、バスケットボールではなくサッカーだった。話は大学時代まで遡る。
スポーツがつくり出すカルチャーが好き
山田は大学を卒業後、アート系の専門学校に入学してデザインや写真を学んだ。その中でも特に写真に没頭し、その道で食べていくことを目指す。卒業時に担当の先生に言われた「写真を仕事にするなら、ドキュメンタリーという方法もある」という言葉を受け、それに従った。そこで題材として選んだのが、女子サッカーだった。
「もともとサッカーが好きだったことも選んだ理由なのですが、偶然テレビで『女子サッカーの日本代表選手の大半が、仕事やアルバイトをしながらプレーしている』というニュースを見たことも大きいです。日の丸を背負っている選手でも、サッカーだけでは食べていけないんだと驚きました。何が彼女たちの原動力なのか? それを知りたかったので彼女たちを追ってドキュメンタリーをつくりたいと思ったんです」
さっそく山田は、日本代表選手が所属するチームに連絡を取り「ぜひ選手たちを撮影させてください」と頼みにいったところ、快諾してもらった。そこからは手弁当で女子サッカーを追いかける日々が始まる。とはいえ、それだけでは食べていけないため、平日は働きながら、土日はカメラマンとして活動していた。
それから数年経ったある日、山田に転機が訪れる。第9代日本サッカー協会の会長を務め、Jリーグを創設した立役者の一人でもある、岡野俊一郎氏の講演を聴いたことだ。そこで山田は、スポーツが社会に与える影響を知ることになる。
岡野氏の話をまとめるとこうだ。
「ドイツでは休日になると家族みんなで総合スポーツクラブに行き、芝生のピッチで老若男女がスポーツを楽しんでいる。そうすることで地域コミュニティとの交流が生まれ、健康寿命を伸ばすことにもつながっている。それを日本でも実現させたい。日韓ワールドカップを開催した目的の一つには、日本の各地に拠点となるスタジアムを作ることがあった」
この話が山田の原点となる。
「岡野さんの話を聞くまで、私にとってスポーツは『プレーして楽しむもの』『観て楽しむもの』でした。でも実はそれだけではなく、日本が抱える社会問題まで解決できる力があると知りました。『ヨーロッパに根付いているスポーツカルチャーを日本にもつくりたい』という岡野さんの言葉を聞いて感銘を受けたので、私はこれからもスポーツに関わり続けたいなと思ったんです。今でもそれはずっと変わらない、私の原点と言えます」
スポーツのもつ力を被災地でも目の当たりにした
それから山田は、 Web制作会社でディレクターとして働きながら、「日本に総合スポーツクラブを根付かせるためにはどうすればいいか」を考えるようになった。やがて縁がつながり、数年後にサッカー協会へ転職。広報部に配属され、日本代表や国内大会のプロモーション業務に携わることになる。
また、サッカー協会の一員として、2011年6~7月に開催された第6回女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会にも帯同して、現地から選手の声を届けた。そのワールドカップで日本代表は初優勝を果たした。決勝のアメリカ戦は2―2の同点からPK戦にもつれこみ、3―1で勝利するという劇的な勝利。テレビや新聞で毎日のように報じられ、女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」は、誰しもが知る存在になった。
ワールドカップ優勝後、帰国した選手たちは同年3月11日に発生した東日本大震災の被災地を訪れた。そこにも帯同した山田は、「あの試合に勇気づけられました。ありがとうございます」という声を数多く聞いたという。
「選手たちが優勝に向かって全力でプレーした姿が、多くの人の心を動かし、感動を呼びました。被災地で実際に感謝の声を聞いたとき、スポーツは人々に夢と希望を与えられる素晴らしいものだなと、改めて思いました」
その後、山田はチームとより近い立場で仕事をしたいと思い、翌年のロンドンオリンピック後にサッカー協会を退職。フリーのカメラマンとして、地元のプロサッカーチームの写真を撮る仕事をする。やがて、写真のみならずライターの仕事も任されるようになり、スポーツライターへと転身した。
バスケにはアリーナスポーツならではの魅力がある
スポーツライターとして活動を続けていた山田がバスケットボールと出会ったのは、WEBディレクター時代に仕事をしたことのある知人がきっかけだった。その知人を介して、『シーホース三河』から記事を書いてほしいと依頼を受けた。バスケットボールは観戦したこともなかったので、最初は断ろうと思ったが、知人の誘いに乗って一度観に行くことにした。
「試合を観たら、サッカーとは違う楽しさがありました。特に、試合の合間のショータイムでおこなわれていた、炎や照明を使ったり、音楽で盛り上げていたりという演出が面白かったです。チアリーダーが中心となって、応援の一体感を作っているのも印象的でした。あとは観客席とコートが近いので、目の前で2メートル近い選手がプレーをしているのは迫力がありましたね。どれもアリーナスポーツだからこその魅力です」
山田はバスケットボールに魅せられたものの、仕事として携わるのはまた別の話だと思った。しかし、せっかくチャンスをいただいたのだから試しに1本だけ書いてみることに。そこからシーホース三河との縁が続き、気づけばバスケットボールがメインのスポーツライターになっていた。
サッカーとバスケには、実は深いつながりがある。というのも、Bリーグの創設には、Jリーグの創設を主導したひとりである、川淵三郎氏が深く関わっていたからだ。Bリーグはサッカー界が大事にしている「スポーツで日本を幸せにする」という考えを踏襲している。
現に、Bリーグが掲げている3つの成長戦略のひとつに「夢のアリーナの実現」があり、その目的は「市民のスポーツ文化交流の活性化(心身の健康)」だ。プロ化されてからの歴史が違うのでJリーグと異なるところもあるが、目指している世界は同じ。それも、山田がバスケットボールに魅せられた理由のひとつだ。
愛知バスケットボール界の坂本龍馬になる
山田にはスポーツがつくりだすカルチャーへの深い敬意と共感がある。スポーツの世界に身を置く者として、自分は何ができるのか? を考えた彼女が、愛知のバスケットボールを盛り上げるために愛B🏀cafeを立ち上げたのは自然の流れに感じる。そして、その想いをもっているのは山田だけではない。
今年の9月には、日本バスケットボール協会とジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグが「AICHI CENTRAL CUP 2024」を主催する。愛知に席を置くB1クラブ4チームによる、バスケットボール愛知No.1決定戦だ。2024-25シーズンの前哨戦と位置付けているが、「AICHIのバスケを、沸騰させる。」というキャッチコピーからも分かるように、愛知県のバスケットボールを盛り上げることが目的だ。
「この大会が発表されたとき、ファン・ブースターはすごく盛り上がりました。そして大会の主催者側にも、私と同じように愛知のバスケットを盛り上げたいと考えている人がいることを知って、勇気づけられました」
愛知のバスケを盛り上げるために山田が立ち上げた愛B🏀cafeは、無料で読める記事と有料会員しか読めない記事がある。今は有料会員が徐々に増えている状況で、会員になってくれる人はチーム・選手のコアなファンか、山田と同じく愛知のバスケを盛り上げたいと考えている人が多いという。
「運営者としてこんなことを言うのも変なのですが、このサイトの目的は愛知のバスケットを盛り上げること。限られたお財布の中から、有料会員になるかチケットを買うかを選ぶのであれば、迷わずチケットを買ってほしい。このメディアも楽しく観戦できるような発信をしているつもりですし、会場に足を運んでくださる方がバスケットを盛り上げることにつながります。その上で、愛B🏀cafe の目指す世界に共感してくださるのであれば、『山田の活動を支えてやるか』という気持ちで応援してくれたら嬉しく思います」
その言葉を聞いた筆者は、山田が愛知バスケットボール界の坂本龍馬になる日はそう遠くないように思った。
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山田 智子(やまだ ともこ)
岐阜県在住のフリーランスライター。日本サッカー協会広報部勤務を経て、2014年に独立。現在はバスケットボールを中心に、スポーツの価値を伝える活動を行っている。NumberWeb 、朝日新聞『4years.』をはじめとした、雑誌やWeb サイトにインタビュー記事を寄稿する他、中日新聞でスポーツコラムを連載中。また、名古屋のバスケットボールを盛り上げることを目的とした『愛B🏀cafe(アイビーカフェ)』というWebメディアも運営している。
※愛B🏀cafe(アイビーカフェ)
https://www7.targma.jp/aichi-basketball/
取材、執筆/中村 昌弘
編集/久保 佳那
撮影/中村 昌弘