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めもりぃ(『虚構の夏』より引用)

 眼をさますと夜だった。時間は分からなかったけれど、空が暗かったから。もう一度寝ようとしたが眠れない。眠くないと言うより、眠れないのだった。眠りとは《起きている者》の特権なのだ。私は起きていながらも、眠っているような気がしていた。
 認識の曖昧な覚醒には得体の知れない不安が付き物で、私はそのためリビングに向かった。家のものが誰かいるかもしれないし、誰もいなかったら深夜ラジオを聴こう。その時の私は純粋に繋がりを求めていた。誰でもいいから、人間の声が聴きたかった。
 リビングには両親がいた。私をちらと見ると、父は低い声で言った。
「そうか、お前もか」
 意味が解らず呆然としている私を母は無言で抱きしめた。あまりに強く抱きしめられたので、私は一瞬息もできなかったが、すぐにそれが真似事だと気がついてやめた。つまり、息をすることも、息ができなくて苦しむことも。私はもう、全て知ってしまったのだ。涙も出なかった。身体ごと蒸発してしまった私には、涙のための水分さえ残っていなかったから。
 ラジオは相変わらず「ザー」とつれない声をあげていた。ふと、気になって父に尋ねてみた。
「いま何時なの?」
「たぶん朝だな」
「たぶん?」
「時計が止まっているから」
「時計が止まっていると、時間も止まるのかな?」
 父は質問には答えずに煙草に火をつけた。無論、これは真似事で存在の軽さはタバコの煙にも類似してしまう程なのだが。母が口を開いた。
「この時計、壊れちゃったのかねえ。御祖父さんの形見なのに」
「いい時計だった」
 父が眼を半分だけ開いて全然興味がないといった様子で答えた。私は時計を柱から外した。少しいじれば治るかもしれない。案外機械なんてそんなものだ。ところが、時計を手に取った瞬間、それは私の身体を通り抜け、通り過ぎ床に落ちてしまった。
 言葉にし難い奇妙な音。世界が動き出した。雲がゆっくりと集まり始めていた。飛ばさ  れた屋根が飛んできた。私たち家族はおもてに出た。尋常ならざる光景。あの雲は積乱雲だったのか。いや、違う。教科書で見たことがある。終焉のシンボル巨大な、巨大な、巨大な……。一体私たちは何を見ているのか、何を見ていたのか、時計の文字盤を見てようやく納得した。壊れた時計は反時計回りをしていた。その時、雲が急速に一点に収束し始めた。瞬間、耐えがたい閃光、その中ですべてが照らし出され、私は全てを知る。光の中ですべての人間が蘇る。
 爆弾を回収した飛行機は、遥かなる天空で飛行機雲を吸い込みながら去って行った。
 私はこのことをすべて忘れてしまったはずなのだが、記憶と言うものはどうも不可解な跡を残すことがあるものなのだ。


※『虚構の夏』初めて書いた映像作品向けの戯曲(シナリオ)です。

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