タイで乳がんになった④
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●バンコクの病院で診察
結局私は子供の受験を優先し、バンコクで乳がんの治療を受けることにした。が、言葉と安心を優先すると病院選びは自ずと限られてくる。中東から大勢のメディカルツーリズムの患者が押し寄せる病院ともうひとつ、日本人が多く住むエリアにある総合病院のいずれか、という選択肢。どちらにするか、正直、そう真剣に迷ったわけではない。どこでもいい、早く治療を開始しなければ、という焦りの気持ちのほうが大きかった。そして前回の記事に書いた、夫の会社の同僚の奥さんが(自死されてしまったが。。。。。)通っていた、自宅から近い病院に決める。
まずは診察。毎回通訳の人がついてくれるが、担当者によって日本語のレベルがまちまちで、全然こちらの意志が通じていないと思うときのほうが多かったし、ドクターからの説明もなんだかずいぶんはしょられているなと感じた。タイ語も英語も中途半端、現地で治療をすることを選んでよかったのか、と自問せざるを得ないまま、時間だけが過ぎていく。
●一刻を争うケースではなかった
そして何度目かの診察検査の後、初期の乳がんだったため、今すぐに転移したり腫瘍が大きくなるということはないだろう、よって診断手術まで少しの猶予があると言われた。だが、この間、私が何をしたかというと、よくありがちな、今思うとなかなかに恥ずかしい行為に走ってしまう。まず日本で子どもがお世話になっていた鍼灸治療院に、わざわざ飛行機に乗って出かけた。この治療院、先生は元西洋医学のドクターで、その知識をベースに、鍼灸で身体の土台から治療をしていくという方針。西洋医学ではどうにもこうにもよくならずに駆け込む患者さんが多く通うところだった。私がここに息子を連れてきたのも、今ではやや一般的になっているが低気圧時に関節が痛くなることに頭を悩ませていたから。私自身も子どものときに同様の痛みに悩まされたが、成人する頃にはすっかりよくなっていた。が、可愛い子どもが痛がる姿に居ても立っても居られず、紹介してもらいここの扉を叩いた。そして西洋医学の病院では気のせいですよ、と一蹴されてしまった痛みの話をきちんと理解してくれたため、信頼が生まれた・
●闘病あるある、不安解消のため占いにも走る
鍼灸治療院なので、抗がん剤治療や手術には強くではないが、反対された。が、バンコクに住んでいる以上、ここに通うわけにもいかず、自宅でできる処置などのアドバイスをもらって帰国。が、今思い返して、このときの先生の一言で今でもうなずける一言がある。
「あなた、身体とても冷たいわよ、そしてどうしてそんなに薄着なの?」
バンコクは年中暑い。が、乗り物やスーパーなどは痛いと感じるほどエアコンが強く効いている。私の身体と感覚は、そんな環境ですっかりおかしくなってしまっていたらしい。バンコクではいつも氷の入った冷たい飲み物ばかり飲んでいた。身体を冷やさない、これが病気の原因であったかはわからないが、もはや常識ともいえる健康への概念に無自覚なまま暑い暑いと言い感覚もおかしくなっていた自分、少しだけ反省している。
そしてさらに、バンコクに戻ると、不安な気持ちを聞いてもらえる場所として、私はなんと占いにも頻繁に足を運んでしまっていた。手術にふさわしい日にちや、つけると効果があると言われたストーンなどを購入したり、効果があると言われればドリンクも買ったりした。
何しろ藁にもすがる思い、そして当たり前だが余裕がない、よって判断をいろいろ誤る。
そしてこの後、例によってがんになった原因探しの旅も始まる。
いやあ、誰でも突然のがん告知のときは同様だろうが、我ながら今になって思い返すといろいろつっこみどころ満載だ。
続きはまたね。読んでくださりありがとうございます。
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