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不登校児の35年後の世界①〜後遺症〜

ここまで生きながらえることができて、先週42歳になりました。
真冬は自律神経失調症ちゃんにとっては眠りに時を捧げる季節。
それでも社会人としてどろどろながらに起床はしないといけないので、なんとか自分の唯一無二の身体と仲良くしたいし、上手にお付き合いしたいなと、最近はまめに散歩に出掛けています。

42歳にもなってと我ながら思うのですが、散歩の最中、いつも胸が苦しくなります。特に日中の時間帯にお散歩することがとても苦痛です。
なぜだろう。何がこんなに苦しいのか?
研究を重ねた結果、誰かに顔を見られる状態にあることに苦しみを覚えているということが判明しました。
かねてより人から見られることにものすごく抵抗があります。そんな私に人は「自意識過剰だよ。」とか「誰もあなたのことなんて気にしてないし、見てないよ!」といったありがたいお言葉をくださいますが、気にしないようにしても気になってしまうものなのです。

思い起こせば、小学校低学年で学校に行かなくなった時も、中学3年で学校に行かなくなった時も平日は朝から夕方5時まで家から出ることを禁じられており、本屋さんまで漫画を買いに行く時も帽子を深く被り、マスクをつけて顔が見られないように必死に変装していました。
私が学生の頃は不登校の子どもはそんなに存在していなかったので、登校拒否児はものすごく好奇な目で見られていた時代。学校を休んでいるのに、本屋で買い物していた!なんてシーンを誰かに見られようものなら、悪い方の意味で一気に噂が広まる時代でした。
我が家の母や祖母は特に世間体をものすごく気にする人間だったので、車に乗っていても後部座席に普通に座ることはなく、身を横にして誰からも見えないように乗車していたのが常。(今思うと自分がとても可哀想。。。)子供ながらに「世間体」をしっかり気にして、私は存在していないかのように、影のように過ごしていたものです。

なるほど。だからか・・・。
かつての自分を顧みて「スーパー世間体気にする子供」の余韻は未だ私の全細胞に染み付いているのだなと思った次第です。

この「顔を見られたくない症候群」はどうしたらマイルドに回復していくのだろうか。30年ほど時間が経った今でも後遺症は息をひそめ、私の行動を制限しています。ここまできたら棺桶まで道連れに!と開き直っていますが、当分は目出し帽でも被って気持ちを楽にお散歩したいものだわ。








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