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わたしの中にある抵抗

5月23日

ここ数日
わたしのなかに
がんがあること。

そのために
近々
入院し
手術をすることを
伝える機会が
増えている。


そうして
氣づくことがある。


わたしにとって

がんは
それほどコワイものではなく

わりと
楽観的であるということ。


話した相手の方が
ショックを受けて
言葉を失うことがある。

その姿を見て
「あれ?」
と感じるのだ。


わたしにとっては
がんのことよりも

やっぱり
「人工肛門(ストーマ)」
のことの方が

抵抗を感じるのだ。


がんのことは
言えても、

人工肛門(ストーマ)のことは
言いたくないのだ。



受け容れる
準備をしているけれど、

まだ
受け容れきれてはいない。


それは
当然のことかもしれない。


だって

まだ
実際に

体験していないんだから。



いやちょっと待って。


わたしは
今まで
本当の意味で
自分のあるがままを
受け容れたことって
あったのかな。


いつも
どこかで
自分に
ダメ出しをしていなかったか?


いつも
「もっとこうだったら…」

自分以外の
誰かになることを
期待していなかったか?


わたしが
受け容れられないのは
ストーマではなくて、
いまのこの
自分自身なんじゃないのか?


そんな問いが
溢れ出る。



そうか

わたしは

ストーマを通して

この先、
実際に生きながら、

あるがままの
自分自身を
受け容れる旅を
続けていくのだな。。。


いま
そんなふうに

感じている。


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