見出し画像

~つれづれ読書感想文⑦~ミクシィページより

◎最新 ヨーロッパの人気世界遺産めぐり  富井義夫著 山と渓谷社{ヨーロッパ}
海外・・・・せめてそんな気分になるために、写真集を開いてみた。
やっぱり、画像として目にすると、理論うんぬんとは違ったよさもあるし。
とは、思っていましたが、この本、すばらしい!!!!!

どの写真もほんとに美しい。そして文章がまた簡潔。文章が妙に湿っぽいと(日本人的なロマンチズム?)私、醒めてしまうのです。これ、さっぱりとした文章で好き(翻訳しやすそうな日本語)


タリンはこぢんまりとした街のなかに中世の面影がほどよく凝縮されていて、どこを歩いていても歴史情緒あふれる佇まいを味わえる心地よさがある。(タリン)


しかし、タリン歴史地区(エストニア)とか、ドゥブロヴニク旧市街(クロアチア)・・・ほんと、美しいなあ・・・・

これは手元においておきたい。それから、この写真好きだなあ・・・。この写真家さん、ホームページでフォトギャラリー「世界遺産・富井義夫」掲載しているそうですよ。私は、すっかり富井さんの写真のファンになりました。

20131110初版第1刷発行。

2015年08月10日 10:03

○音楽への礼状   黒田恭一著  小学館文庫{クラシック・ジャズ}
好きな演奏家にファンレターを出すという形式で書かれたもの。4、5ページで平易な言葉で書かれています。これね、すごく視点が優しいの。こんなふうに、演奏家を愛し、音楽を愛したいな・・・・と思えるんです。おそらく、ほんとに好きなものに対してしか書かなかったのだと思います。だから、「批評してやろう」「批判してやろう」という文ではない。このような文が読みたかった!!と、思っていたら、著者の方、亡くなってしまったそうで・・・残念。


 大切なことを大切といいきり、しかも、その大切なことをいつまでも大切にし続けるという、という、ごくあたりまえの、しかし、現実には実行が容易でないことを、身をもって行いつづけて一生を終えられたあなたのきかせて下さる音楽に、ぼくは、とてもたくさんのことを学んでまいりました。
 ありがとうございました、パブロ・カザルスさん。これからもなお、ぼくはスペインだけが生み出しえた巨大なペガサスを仰ぎみつづけながら、ぼくの道を探していこうと思います。ありがとうございました。(「パブロ・カザルス」より)


20120911初版第1刷発行。
2015年08月10日 09:30

ビジュアル版 ヨーロッパ「ケルト」紀行 下 大陸編 武部好伸著  彩流社{ヨーロッパ}
大陸編。。。
中央ヨーロッパ(オーストリア・ドイツ・フランス ブリュゴーニュ・プロヴァンス)
スペイン ガリシア 
フランス ブリュゴーニュ
イタリア
東ヨーロッパ(チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、トルコ)

東欧いいですねえ。首都ブラチスラヴァの市街地(スロヴァキア)は、実際に観てみたいです。赤い屋根の市街地。デヴィーン城もいいですね(スロヴァキア古城)。ドナウ川沿いだということが分かりました。ドナウ川の感じって好きだなあ。田舎の雰囲気ありつつ、畑の感じがあって(日本でいうと茶畑的イメージなんです。)景色に温かみを感じませんか?

さて、文化的にはフランスブリュゴーニュ地方!!死と密接に結びついた聖人信仰が好奇心をくすぐります。
写真に一言コメントのようなものがあるのですが、そのコメントの抜粋です。

○ブリュターニュにはごまんと聖人、聖女がいる。ロクロナンの教会にはなんと頭蓋骨を抱えた聖女像が祀ってあった。聖域である教会が死と密接に結びついている・・・

○「おまえたちのすべてを殺す!」。こんなおどろおどろしい文言を添え、ヤリを手にしたアンクウは死の化身だ。骸骨丸出し。ラ・ロッシュ・モーリス教会の聖水盤

聖女像、骸骨像・・・独特です。かなり魅力的。私は好きだなあ。


20100630初版第2刷
2015年08月10日 09:13

ビジュアル版 ヨーロッパ「ケルト」紀行 上・・・島編 武部好伸著 彩流社 {ヨーロッパ}
写真を中心にした紀行。さらっと読めます。
さらっとしているが故になんとなくもの足りない感はあります。
写真も「ふーん」という感じ。
興味があったのはアイルランドの道端のマリア像。風雨をさけるためケースに入っているんですね・・・・。なんだか日本にもこんな文化があったような(土着の信仰。日本ではお地蔵様にエプロン着せるとか・・・)ものすごく既視感があります。(カトリック信仰・イシュマーン島)

島編というだけあって、「土着」という感じが写真からもひしひしと伝わります。好きな人は好きだよね。この感じ。

<「ケルト」というキーワードから、ヨーロッパの歴史・文化を見直す旅  スコットランド・へブリーズ諸島 ウェールズ イングランド(マン島、コンウォール)北アイルランド、アイルランド>帯より

20100630初版第1刷
2015年08月10日 08:50

授業のための 日本の音楽・世界の音楽 日本の音楽編 島崎篤子・加藤富美子著 音楽之友社{音楽}
この本、すばらしいです。日本の音楽といっても広く<祭り囃子><沖縄音楽><琴><雅楽><狂言><文楽><歌舞伎>・・・・・・のことが書かれています。

国文科の学生さんにおススメかも。阿波踊りには「男踊り」と「女踊り」があって、とか、歌舞伎の「外郎売」の早口言葉は、約2000字とか豆知識的なことが面白い!!

以下、抜粋です。

<1>雅楽が語源の言葉
「按配」・・・・・・・・物事の加減を表す「按配」という言葉は、雅楽の「塩梅」が語源になっています。塩梅は篳篥の管の調節と息の強弱によって音を濁らせて、指をかえないで旋律に抑揚や「ゆらぎ」をつける奏法です。
「二の舞を演じる」・・・これは前の人の失敗を繰り返すという意味ですが、雅楽の「案摩(あま)」の舞の次に、「案摩」をまねて舞おうとするが、まねられずにこっけいな仕草になる舞いを「二の舞」ということからきている言葉です。
「太平楽を並べる」・・・これはのんきに構えて好き放題を言うという意味です。舞楽の中でもっとも豪華な装束をまとって太平を祝う舞ですが、飽きるほど長大な音楽であることが語源になっています。
「千秋楽」・・・雅楽の曲名ですが、舞楽会などの最後に演奏されたことから、相撲や歌舞伎や芝居の最終日のことを千秋楽というようになりました。

<2>雅楽の理論と陰陽五行
 日本では、平安時代に複雑な唐代中国の音楽理論を簡素化しました。理論の中心は、五音七声、六調子、呂律などの理論です。
 五音七声とは中国で生まれた階名を表す用語です。宮(ド)・商(レ)・角(ミ)・微(ソ)・羽(ラ)の五音(五声ともいう)に、変宮(シ)、変微(ファ♯)を加えた七声のことですが、後年、名称が変わりました。
 六調子とは、壱越調(主音はレ)平調(ミ)、双調(ソ)、黄鐘調(ラ)、盤渉調(シ)、太食調(ミ)の6つの調のことです。この6調子は音階や節の感じから呂旋法と律旋法という2つの旋法に分かれていますが、呂は長調の感じに近く、律は短調の感じに近い旋法です。この呂を陽、律を陰と捉えて陰陽思想と融合しました。また6調子は五行(天地に循環する木・火・土・金・水の5つを万物組成の元素とする中国古来の哲理)とも結びついて、各調子に多様な意味が付け加えられました。平調と主音が同じ大食調を除く5つの調子は、陰陽五行とも結びついています。

調子・方位・五行・五音・国家・色・内臓・体の部分

双調:春・東・木・角・民・青色・肝臓・目
黄鐘調:夏・南・火・微・事・赤色・心臓・舌
壱越調:土用・中央・土・宮・君・黄色・脾臓・-
平調:秋・西・金・商・臣・白色・肺臓・鼻
盤渉調:冬・北・水・羽・物・黒色・腎臓・耳

<日本の音楽>
日本の声の発声はきわめて独特です。民謡や長唄などでは、女性と聴き違える程、高くて豊かな声で歌う男の歌い手が少なくありません。一方、語りものの代表ともいえる義太夫節の声は、迫力と表現力のあるダミ声です。真偽の程は分かりませんが、かつて太夫は声を作るためにあえて一度は声をつぶすという話をききました。胸声混じりの日本的な発声は、透き通った美しい響きの魅力的な発声です。西洋のベルカント唱法を学んだものには、かえって習得するのはむずかしいようです。「日本の音楽」では、声が楽器に合わせるというよりも、楽器が声にあわせようとします。ですから三味線弾きは歌い手に合わせて調弦します。また声明(お経)では、各僧侶が自分の声域に合う高さでお経を唱えるため、音の層ともヘテロフォニー的効果を創出してきました。日本語に「息をあわせる」という言葉があるように、「日本の音楽」では、何よりもお互いの呼吸を感じ、自然に呼吸を合わせて集中して演奏することを重視しています。(本文より)


 能や歌舞伎の題目や舞台のことも面白かったです。どこの民族音楽も舞踊と結びついてはいるのですが、日本の音楽の舞踊との結びつきの強さが面白い。
テーマ・文学・様式・・・・音楽にそのようなものとの結びつきが強い。日本の音楽は「形式」が重視されていて「音を楽しむ」という側面が少ない気がするのよね・・・。もともと「神」にささげられるところから音楽はできたということになっていますから、日本の音楽の「形式美」は、原始的ともいえるでしょう。文学とか基本理論みたいのは好きです。「天」「地」「人」という考えかたも面白い。でもね、西洋音楽に親しんだ私は、日本の音楽聴くと・・・・あれ?音程ずれてる???と、思ってしまうのです。音程とれてなくて気持ち悪いのですよ・・・・その、グレーゾーン的なよさがわかるほどの耳をもちあわせておりませぬ。でも、お経は好きよ^^お経好きというと「お坊さんにひしゃくで水をかけられた夢を見た」と、書いた平安時代の女流文学者を思い出します。そう。平安時代は、お坊さんがアイドル並みに人気あったそうですし、お経ってセクシーだと、私は思うよ。

2014013第1刷発行。


2015年07月31日 23:19

授業のための 日本の音楽・世界の音楽 世界の音楽編 島崎篤子・加藤富美子著 音楽之友社{音楽}
世界の音楽っていうので、当然「クラシック」かと思ったのですよ。が、しかしクラシックどころか「ヨーロッパの音楽」の記述がとても少ない。
何の本かと思いましたら、世界の楽器や音楽理論の説明なのですよ。竹の楽器の作り方、フラメンコの踊り方・・・とか、なかなかお目にかかれないことが記述しています。

韓国、中国、インドネシア、インド、アフリカ、ブラジル、スペイン
の音楽の説明。地域に根付いた伝統音楽という側面での記述が多い。

良書です。こういうことがあるんだな・・・・という新鮮な感動を覚えました。かなりマニアックな話を丁寧に丁寧に書いてあります。

20131010 第1刷発行。
2015年07月31日 22:27

人の心がこわいほどわかる深層心理のトリック 樺亘純著 日本文芸社パンドラ文庫{社会}
このうさんくさーい題名からは想像できないほどの良書。(これトリックという言葉がよくないと思うの)
「こういう人いるよね~、こういう人の心理はね~」とやさしくよみといてくれます。実例を挙げているので、非常に分かりやすい。とくに職場での「あるある」が満載なので、人間関係に悩む社会人の方におススメです。

さて、私がおもしろかったのは「自分と他者」とのかかわり。


交流分析の一つに「人生の基本的構え」と呼ばれるものがある。それによると、人間の基本的な態度・考え方は、次の4つのパターンに分類されるという。
1、自分も相手もOK・・・自分を大切にし、他人も大切にする
2、自分はOKだが、他人はNO・・・自分は大切にするが、他人は大切にしない
3、自分はNOでも、他人はOK・・・自分が大切にしないが、他人は大切にする
4、自分も他人もNO・・・自分も他人も大切にしない

これは「人生の立場」とも呼ばれている。こうした4つの態度は、乳児期の母親とのスキンシップが深く関わっている。母親から「あなたは価値のある子よ」といった愛情を注がれて育った人は、「自分はこの人生から歓迎されている人間なのだ」「自分を取り巻く社会は、信頼していいものなのだ」という安心感をもつ。自己肯定感(I AM OK)がある人は、自分を大切にし、他人に対しても思いやりを示す。優しく寛容で、他人の幸福を嫉むことなく心から喜ぶ。困難な状況に立たされても、それを乗り越えようとするし、失敗しても立ち直りが早い。(1)タイプの人は、考え方や行動が前向きなので、人に好かれ、良い人間関係を築いていくことができる。
 もしも母親が、こどもに対して否定的な感情をもっていたり、十分な愛情を与えずに育てられたりすれば、子どもは自己肯定感を持つことができない。(2)は自己中心的、他人の幸福を嫉むことが多く、自分が成功するためには人を利用するといった、自分さえよければいいといった考え方が強い。(3)のパターンは「自分はNOでも、他人はOK」というパターンである。ヒモのような彼氏に尽くす女性もそうだが、頼まれたら嫌とはいえず、結局は引き受けてしまう。自己評価が低く、自信を持って行動できない。「拒絶すると、相手から否定されるのではないか」という不安が常につきまとい、相手のいうなりになってしまうのだ。
 このように、人は母親のフィルターを通して自分の存在価値や人生を理解していく。その結果、4つのパターンのどれかが、そのまんま人生に対する基本的な態度の中心となる。行動パターンの原型としての心の奥底に焼きつけられるのは、およそ3歳から10歳までの間だといわれている。(本文より)

平成17年9月25日 第1刷発行。


2015年07月31日 22:16

現役の女医が書いた!ツメの小さな女は淋しん坊  おおたわ史絵著 二見書房{社会}
おおたわさん。TVでよく見かけます。分かりやすいコメントとはっきりとした語り口。

この本は、かなりやわらかい感じで「女医が書いた・・・」という触れ込みはいささか印象が違うかな?でも、恋愛指南書的には面白いです。読みやすいですし。

さて、内容です。
眉間には恋愛成就の秘密が隠されている
まばたき男は小心者の浮気性
目じりにしわのある男は女を幸せにする
唇の乾いた男は嘘をつく
女の手料理は舌の色で決まる
半開き口の女は男のフェロモンを感じ取れない
ピアス女はなぜかダメ男にハマる
サリーちゃん足の女は毎日がだらだら生活
背中の形で現れるオバタリアン度
首のにきびに隠された恐るべき真実!
鼻毛ケア女に隠されたコンプレックス
枝毛女は白馬に乗った王子様を待っている
二の腕の細い女は美意識が高い
↑帯より


面白かったのはですね・・・・
1、眉毛の薄い男には人にいえない過去がある
眉毛だけが他の毛とは大きく異なる特徴があるとのこと。
それは「一度剃ったら、二度とは生えてこない危険がある」という点。
↑こわいですね~。勢いで眉を細くしたら、生えてこない~てきなことはよくあります。女性は化粧でごまかせますが、男性はねえ・・・。若気の至りで細くしてしまった末、薄い眉毛にお悩みの新社会人いるんじゃないですかねえ。

2、唇の乾いた男は嘘をつく・・・・
唇を舐める男。これは一種の緊張症の表れです。唇には唾液腺のひとつ、口唇腺というものがあり、自律神経によって、その分泌がコントロールされています。人間は極度の緊張状態に置かれると、交感神経が優位になり唾液の量が激減しますから、唇が非常に乾きます。唇が乾くから気になって舌を舐めるわけですが、この「舐める」という動作にも、実は深い意味あいが隠されているのです。有名な心理学者フロイトは、人間の性格をいくつかのパターンに分類しています。それによると、唇を異常に舐める人は、いわゆる「口唇性格」と呼ばれるタイプ。これは母親への執着が強く、自分が愛されているか否かが、不安で不安で仕方がないといった傾向を示しています。唇を舐めたり吸ったりするのは、一歳前の赤ちゃんでいえばママのおっぱいを吸っているのとおなじこと。子どもは不安やイライラを感じたときに、母乳を欲しがりますよね。大人になってもこの習性が残る場合は、緊張や不安感を消すために、頻繁に唇を舐めまわすくせになります。つまり、こういう男は、不安感が人一倍強くて、小心だと言い換えることができるでしょう。そしてもうひとつ、唇を手でいじるくせというのも実はクセモノ。行動心理学では「人は嘘をつくときに手を口元にもっていく」と理論づけられています。実験的にも、人間は言いたいことがあるのにいえないときや、嘘を隠さなければならない場合のカムフラージュとして、口元に触れるという結果が出ています。となると、このテの男は小心者なばかりか、それを隠すために嘘を並べている可能性があることになってしまいます。不安感から唇が乾き、それをうるおすために舌で舐める、またそれが蒸発して乾き・・・・と、これを繰り返すと、唇はぱさぱさになってしまいます。そのうえ指でいじるとなると、もう唇はばりばり。
↑以前、ある殿方が唇がばさばさで血もにじむほどで、痛々しいと思ったので薬用リップを差し上げようと思ったことがありました。でも、そういった関係ではないのでスルーしました。
のちのち、その方には「唇をつまむ」くせがあると判明・・・・ひょっとしたら、嘘をついているのかもしれませんね。いいたいことが言えない時にしているのかもしれませんね。さらに前に出会った、その殿方とは別の唇ばりばりの方はひどい方でした。
この論理、結構あてはまるのです(当方調べ)だから、ついついくいついてしまったわ。


1031初版発行。

2015年07月31日 20:43

音楽奇談 今だから語れる本当の話  大日方俊子著  yamaha music media corporation{音楽}
クラシック・ジャズ・ヒップホップ・シャンソンの面白い話を3ページほどにまとめている良書。

でもね、表紙があまりにスタイリッシュだから、こんなに良書だとは思いませんでした。

ヒップホップの東海岸西海岸の抗争(1990~2000年代)は、驚きましたね。日本ではあまりニュースになっていなかったから。なんだか、アメリカ社会の闇・・・みたいのも感じます。
マリアカラスやマリリン・モンロー・ダイアナ・・・・とか、映画にありそうな話もあります。(知ってはいても彼女たちの半生を改めて読むと・・・・きついですね)

でも、クラシックが多いかしら?中には「妻紹介コラム」「墓紹介コラム」があり、面白かったです。

気にいったのは「ハイドン」妻です。

1760年に31歳のマリアと結婚した28歳のハイドンはその後40年間、この妻に苦しめられた。彼女は音楽家の仕事をまったく理解せず、新曲の譜面を包み紙に使ってしまうような女性だったのだ。ハイドンはマリアの死後の晩年にかなりのカノンを書いているが、「むなしい幸せ」「自由の男」「トルコは忠実な犬だった」「つかの間の楽しみ」などマリアにあてつけたような題の曲が多く、そのままズバリ、「悪妻」というのもある。(本文より)

ソクラテスの妻・・・という言葉もありますから、名を残す人の妻というのは悪妻が多いのでしょう。私は、ハイドン大好きなんですよ。実直に音を組み立て、仕上げていく感じ。たくさんの交響曲を残したこと。。。。。職人ですよね^^明るくて温かくてハイドン曲は大好きです・・・・で、これはハイドンが「部屋にひきこもって、曲を書くのが唯一の楽しみ(作曲オタク?)」になるほどの悪妻のおかげだったのかもしれませんね。


20120410初版発行。
2015年07月31日 09:01

男はなぜ急に女にフラれるのか? 姫野友美著 角川ONEテーマ21{社会}
ある先輩社員が彼女に振られたという話をしていた。彼女に突然「気持ち悪い」と言われたという・・・・

これ、聞いてて思ったんだけど、「突然」じゃないんですよね。「嫌だ嫌だ・・・」と思ってて、ちゃんとそういう類のことを言ったり、サイン出していたりするんですよね。ところが、男性ってなんで「突然」って思うのでしょう?要は、それまでろくに「彼女の様子」を観察していなかったんですよね。


本のはじめの方にこんな話もあります。

ある主婦は言った。
「先生、聞いてください。先日風邪をひいて、だいぶ熱が高かったので「ちょっと具合が悪いんだけど」と主人に訴えたんです。そうしたら、返ってきた言葉が「じゃ、オレの夕飯どうするんだ」・・・・私、耳を疑いました。信じられます?うちの主人にとっては私の体調よりも自分の晩ごはんの方が大切なんですよ」(本文より)


あ~。なんか、あるあるですよね。著者の方、医学博士、心療内科医とのことです。かなりやわらかめ。夫婦問題が多いので、だんなさんに不満のある方、読んでみては?

20071010初版発行

2015年07月25日 08:44

「人間嫌い」のルール  中島義道著  php新書{社会}
この方、くせがあるなあ・・・。
文章に同意しかねる部分はあれど、ちょいちょい納得するところもある。


他人に対する共感は、自他に対する誠実さを大切にする人間嫌いにとって、難題中の難題である。共感すべきであることはわかるが、自分が事実共感していないとき、自分の感受性をごまかすことができない。だが、その結果、他人を傷つけ、不快にさせ、その場の空気を濁らせる。(本文より)


これは、「あ~」って思いました。他者を傷つけることが耐えられなかったりする。だから、人とのかかわりに慎重になるんだよね~。その場に即した「言葉」とか「感情」が決まっていればいいのに・・・・。私はこのような「人間嫌い」。

この作者は冠婚葬祭が嫌いらしいですが、私は大好きなんですよ・・・・。どんな顔をすればいいか分かりやすいから・・・・。

「人間嫌い」にはこの本によるとタイプがあるらしいですよ。

1、動物愛好型
童話作家、動物園勤務、幼稚園・保育園・小学校勤務の人に多い。「大人嫌い」。宮沢賢治・灰谷健次郎の系統
2、アルセスト型
「人間はなぜもっと美しい心を持てないのだろう!」と嘆くタイプ。
自分は純粋だと思っているぶんだけ、自己批判精神が欠如しており、言うならば精神発達不良。藤村操・原田統三・太宰治
3、自己優位型
世の中にうじゃうじゃいるバカな人や鈍感な人や趣味の悪い人などどうしてもうまくやっていけない。彼らが自分の高みに至らないため。三島由紀夫・芥川龍之介・少し自己反省を入れると夏目漱石。ほとんどの芸術家はここに属す。
4、モラリスト型
人間の心の醜さに嘆き顔を背けるのではなく、それをあえて観察の対象にしようと決意した人間嫌い。パスカル・モンテーニュ・兼好法師・カント・ニーチェ。
5、ペシミスト型
人間や人生に対して深い恨みを抱いているタイプ。所詮この世は生きるに値せず、人間は醜い、この世は闇だ、といい続けることによって、かろうじて均衡を保っている。ショウペンハウアー・永井荷風
6、逃走型
社会から逃れて放浪するタイプ。あるいは「ひきこもる」。西行・鴨長明・サン=テクジュベリ。
7、仙人型
世の中を達観した人間嫌い。「優しく見守る」人間ぎらい。悟りに至った禅僧など。

↑同意しかねるところもありますが・・・・灰谷さんとか、太宰がどうも苦手な私はなんで苦手かが分かりました。


20070727第1版第1刷
2015年07月18日 08:58

あなたがピアノを教えるべき 11の理由 yamaha music media corporation{クラシック}
「あなたがピアノを続けるべき11の理由」の続編。
同じく、気になるところがありました。音楽ってやっぱりいいよねえ・・・と、しみじみ。
以下、抜粋です。
 

 人はなぜ音楽を求めるのでしょうか。音楽の起源は鳥や虫の声ではないかと言われることがあります。雄が雌を求めて交わされる声です。となれば、音楽はコミュニケーションのツールということになります。しかし、音楽の意味はそれだけではないと私は思います。音楽の始まりをもっと考えてみると、最初は物を叩いて打楽器のようにリズムを打ち鳴らすことだったのかもしれません。実は生命が生きているということ自体が、ある種の打楽器的なリズムを含んでいるのです。それは呼吸、心臓の脈拍、脳の神経が行き来すること、筋肉の伸び縮みといった波動です。生命体はそうしたリズムや振動で満ち溢れているのです。
 ところが、現実の社会生活が忙しかったりストレスフルだったりすると、人は自分の体の中にそうしたリズムがあることを忘れてしまいます。生命のリズムが聞こえなくなってしまうのです。人はそれを取り戻すために、身体の外部に自分の生命のリズムとシンクロするような何かを求めているのではないでしょうか。それが音楽を演奏したり、鑑賞したりすることの源であるように思います。(略)
 人は「知る」ことよりも「感じる」ことのほうが常に先にあります。指導者が子供たちにピアノを教えるとき、技術や必要な知識を与えることはできますが、「感じる」ことを強要はできません。しかし、子どもたちは生まれながらにして、生き生きと何かに驚き、美しさに気づく心を持っているのです。これは地球環境問題にいち早く警鐘を鳴らした科学者のレイチェル・カーソンさんが、最後の著作「センス・オブ・ワンダー」(新潮社、1996年)で論じていることです。(略)
 教育の目的とは、この「センス・オブ・ワンダー」の「ありか」を子供たちに伝えることだと思います。古いことわざに「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」というものがあります。ピアノを弾いてごらん、聴いてごらん、と子どもたちをいざなうことはできるけれど、これはすごいんですよ、美しいですよ、と感じ方や感動を強要はできません。しかし、「センス」のすぐそばの水辺まで子供たちを連れて行ってあげることは、教育者たる大人たちの責務だと思うのです。(福岡伸一・生物学者)

↑ 
「感動」は強要できないんですよね・・・しみじみ。「感じるのは自分」ですものね。それでも、楽しいかも?を提案するのは大人の役目ですものね。私にとって、とても入ってくる言葉です。
レイチェル・カーソン・・・久しぶりに聞きました。(昔、英語の教科書で読んだような?)


音楽は、何かを言葉のように「伝える」ことはできません。しかし音楽によって、言葉にできないもの、とても個人的で主観的に感じているものを、だれかと「共有する」ことはできます。「共有する」という経験は、人が自分と同時に他人と向き合うこと、いわば「世界」と出会うことを意味します。(塚原利理・教育発達科学研究者・ピアノ指導者)

「共有」って、ちょっくら苦手です(笑)だって、そうは思わないんだもん・・・って思っちゃうから。それでも、他者と「共有」できたら、新しい世界が見えるよね・・・ということは感じます。他者があって、はじめて違うものが生まれる・・・・。うーん。頑張ってみるか・・・・


教育論かな・・・とも思ったけれども、それほど偏っていませんでした。短いエッセイを集めたものなので、非常に読みやすいです。

20130310初版発行。

 
2015年07月16日 19:31

関係する女・所有する男 斎藤環著 講談社現代新書{社会}
この方の説明があまりに的を射ていて、「僕」って言ってるけど、ぜったい女性だって思いました!!それほどしっくりしたんですよね。

「女性が強くなった」という表現がリアルであるうちは、依然として女性は抑圧されていると考えるべきなのだ


この文だけで、「あ~分かってらっしゃる」・・・と女性の私は思いました。

「女性の登用」・・・・もう、この総理大嫌いなんですが(笑)
女性の・・・ということで、ものすごく腹立たしい。女性だろうと男性だろうと無性だろうといくつだろうと、そりゃ優秀なら活躍していただきたいものですよ。

こんな感じで読み進めていきましたら、「腐女子」の項目が・・・。他のどの論よりも、正確に評しているとは思いましたが、やっぱり「男性」。ここを読んだ時。男性なのね・・・と、思いました。

あとがきに、「文章を読んで女性と間違われることがある」と書いてあった。それほどまで、女性の感覚にフィットしている。すばらしいことだと思う。

女性がする「フェミニスト運動」に、違和感がある。でも、男性社会の中で、妙な扱われ方をされている感がありました。だから、こういう本は嬉しいなあ。

そう「男性脳・女性脳」じゃなくてね、文化的なことを論ずるこのような本があると嬉しいなあ。

この本によると・・・
女性は「関係」を望むそうな。そして、必ず「身体」を通して人と関係するそうな。

多くの女性は、その生育過程を通じて女性的な身体を獲得するようにしつけられ、成熟してからも、もっぱら身体性の配慮によって、「女性らしく」ありつづけようとする存在なのだ。これが「女性になる」ことのひとつの側面である。
 女性は常に、自分と他者の身体を意識しながら生きている。そもそも化粧やファッションへの関心は、身体への強い関心なくしてはありえない。女性は男性よりはるかに「見られる性」であり、自分がどうみられているかを常に意識させられている(本文より)
 
女の子は道徳的な掟ではなく、美的な掟で教育されるそうな。「そんなことしたら、かわいくないよ」って小さな子を諭すんだと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

女性ってなにかしら?女性の肉体に対応できなかった「ひねくれもの」は、自らの肉体にとまどう。でも、肉体を通してしか「自我」が確認できなかったりする。
面倒な性ですな。「かわいい、かわいい」と言われ「かわいく」育てば、女性であることに戸惑いを覚えないのだろうか??


20090920第1刷発行。

2015年07月16日 18:05

星占いのしくみ~運勢の「いい」「悪い」はどうやって決まるのか?  石井ゆかり著・鏡リュウジ監修  平凡社新書{西洋文化}
いわゆる「星占いの方」が書いた本です。さらっと読める割に、きちんと書いてます。
私ってどんな人?とかの興味で、この本を手にとってもなんら答えは書いていません。

西洋占星術はざっくり言うと、生まれた時の「月」と「惑星」の位置の地図を読む。地図(舞台)の中で10人の登場人物がいて、リーダーが太陽なわけで。「私はさそり座」というのは、「生まれた時太陽がさそり座の位置にあった」というだけ。あとの9人の役者によって人間だいぶ違います。

と、私のざっくり説明より、やさしく丁寧に説明されております(笑)

前半はこんな話。後半は石井さんと鏡さんの対談。

読みやすいので、「星占い」に興味のある方は、ぜひ。

20091113初版第1刷

2015年06月19日 11:12

なぜ、その人に惹かれてしまうのか?  森川友義著 ディスカヴァー・トゥエンティワン {社会}
以前、この著者監修の、漫画を読みました。
その内容とほぼ重なっていました。
男性ホルモン・女性ホルモンの話が主。
恋愛は五感を駆使してしているのだよ(←これが要約)
かなりやわらかい内容の読みやすい本です。
恋愛ハウツー本のちょっと専門的な感じです。

コラムとしてあった「森川流マーフィーの法則」を転記しておきます。
プラトニックの恋愛は、一生引きずる。
男性は好きな女性にふられると最初はうらむがそのうち美化する。ふった場合は美化しない。
恋愛関係では好きではないほうが、力関係が上である。
ケチはもてない。
将来の夢を語る男性は、現在の自分に自信がない男性である。
女性には見え見えのぶりっ子も、男性には見えない。
いい男は、自分からはふらないで、相手にふらせる。

・・・・そうは言ってもね。正攻法が一番強いような気がするなあ。


20070530第1刷。
2015年06月14日 22:03

人はなぜ泣き、なぜ泣きやむのか? トム・ルッツ著 別宮貞徳・藤田美砂子・栗山節子訳 八坂書房{科学・文化}
泣くのは「うまく説明できない」からだ。
よく「泣いたからといって許されると思うな~」的な言葉を聞くが、これはおかしいよね。と、思う。私は、泣いてはいけないときほど泣き、泣くべき時(卒業式など)にはうまく泣けない。泣いてる状態にあたふたしてるのは自分自身だったりする。ので、空泣きできる人ってうらやましい。

間の悪い「泣く女」な私は、涙とはなんぞや?と思って手に取った次第。

この本でも「若者たちがタイタニックを観て泣く」って例になっている。「タイタニック」で泣けない女はどうすればいいのだ・・・・(「ローズ、かっこいい~~」って思ってしまう。)

さて、この本で気になったのは聖書の「マグダラのマリア」のところ。キリストの足を自分の髪に香油つけて拭いたことになっているが、香油のところが「涙を流して」という説もあるそうな。(やっぱり性の香りがする)

「赤ちゃんはなぜ泣くか?」「お葬式で泣いてはいけない国がある」の話がおもしろい。

「私の言葉は私の涙である」とはサミュエル・ベケットの弁だが、多くの人にとってはその逆も真だろう。涙は一種の言語形態、コミュニケーションの基礎的な、ときに原始的な形態である。泣くという言語は、多種多様な目的を達することが可能で、悲しみばかりでなく願望を、わかってもらいたいという願いばかりでなく、知られたくないという願いを伝える(略)こうしたコミュニケーション機能を備えているからには、涙が無言のジェスチャーと音声という次元のままで終わってしまうことはめったにない。涙はたいてい意味解釈を求めるもので、これを説明するためには必然的に言葉にもどっていかなければならなくなる。(略)科学者と人類学者で意見が食い違うのは、この世界ではよくあることだし、それぞれの分野の中でも、基本的な問題で意見の不一致がひろく見られる。科学者には、涙に含まれている化学物質とたんぱく質は、濃くなると鬱病や潰瘍の原因になるので排出しなければならず、したがって泣くという行為は排泄の一形態であり、排尿作用と変わらないという人もいれば、涙の情動の過剰な高まりによって加熱ないし充血した目の冷却装置にすぎないとするダーウィンの説を支持する人もいる。また、心理学者、人類学者、哲学者の中には、泣くことが健康と成長のしるしであると考える人もいる一方で、日常から泣くという行為をなるべく排除すべきだと説く人もあり、さらにはいつまでも理性的に暮らせるように、情動を徹底的に廃棄したユートピアを夢想する人までいる(略)時と場所によって、また時と場所が共通していてもその主体となる集団・個人によって、(涙の意味の)解釈が著しく異なっている。心理的、社会的、政治的、文化的に掘り下げていったとき、泣くという行為が持つ意味は絶えず変化し、お互いに相容れないことが少なくない。{序章より}

20030623初版第1刷発行。

2015年06月14日 21:34

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,457件