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~つれづれ読書感想文⑥~ミクシィページより

◎人はなぜ恋に落ちるのか? 恋と愛情と性欲の脳科学 ヘレン・フィッシャー著 大野晶子訳  ソニー・マガジンズ{科学}
久しぶりに面白い本を読みました。

日米の人にアンケートをとったり、被験者になってもらったりしながらの、検証も書かれています。

年齢・地域に大きな差はなく、「人間の恋心」というものは共通点が多いことが面白かったです。

動物のことも触れられています(象の繁殖期の表現がグロテスク・・・・)

四年で恋心はおさまってしまうのは、自然のことだとか(これ、動物なら交配のあとすぐに別れたり、子育てが大変な動物でも長くても4年とか)なんでも、新しいパートナーを探して、何回か出産するのが自然・・・・とか(人間、こうだったらたいへんですよ~)


妙な恋愛指南書よりも、よほど分かりやすいと思います。

面白かったところを抜粋しておきます。


女性は、高いほお骨と力強いあごをもった男性を好む。これもまた、無意識的な理由からだ。男らしいほお骨とごつごつしたあごのラインは、テストステロンによってつくられる。そしてテストステロンには免疫システムを抑制するはたらきがある。そんな効果をものともせずにごつい顔をつくりあげることができるのは、ありあまるほど健康的なティーンエイジの男の子くらいだ。驚くことではないが、女性は毎月の排卵期の際、男性のそうしたテストステロンの兆候にいつもより敏感になるようにできている。妊娠が可能なその時期に、無意識のうちに、より優秀な遺伝子を持つ男性をさがそうとしているのだ。
 おもしろいことに、妊娠しやすい女性は、ユーモアのセンスあふれる男性により惹きつけられる傾向にある。これはおそらく、ウイットに富んでいるということは、一般的な知性がより高いということと関係しているのだろう。
 生物学者のランディ・ソーンヒルは、女性は基本的にふたつの顔を見せると考えている。排卵期の女性は、優秀な遺伝子を持つ男性を求める。これはあらゆる哺乳類に見られる発情期のなごりだ。そして月経周期のほかの時期は、献身的な男性を求めるという。じっさい、自分の好みにぴったり合うまでコンピューター画面上の男性の顔を加工してもいいといわれると、イギリス人女性も日本人女性も、排卵期にある場合にはより男らしい顔立ちを好んだ。一方、月経周期のほかの時期にいた女性たちは、よりソフトで、女性的な顔立ちをした男性を好んだのである。しかし新しいデータによれば、特定の相手がいない女性の場合、排卵期でも献身的な男性を求めるという結果が出ている。<月経周期で変わる好みの顔>


 ジョギングやサイクリングなどの精力的な肉体的活動は、脳内の側座核のドーパミン分泌量を引き上げることで知られている。結果、多幸感が沸き起こってくる。
 また運動は、セロトニン、そして鎮静物質であるエンドルフィンの一部を高めてくれる。それに、記憶をつかさどり、新しい神経細胞を保護、製造する海馬内のBDNF(脳誘導神経向性因子)を増やすはたらきもある。じっさい精神分析医のなかには、運動(有酸素、無酸素を問わず)が心理療法や抗うつ薬と同じくらいうつ症状の治療に効果的だと信じる者もいる。
 日光もまた、恋に破れて落ち込んだ人を元気づけてくれる。日光は脳内の松果体を刺激する。松果体には体内リズムを整えるはたらきがあり、その結果、気分が高まることが多い。だから日光を浴びながらできる活動を選ぶこと。屋外活動がいいだろう。<失恋の痛手を癒す技術>


男も女も、個人的な秘密を共有したり、ともに楽しい活動に従事したりすることは、親密な証拠だと考えている。男性の場合は、横に並んで仕事をしたり、遊んだり、話したりすることに感情的な親近感をおぼえる傾向がある。じつのところ男性にとって、目をまともに見つめ返されるというのは少し脅威に感じるし、挑まれているように感じることが多いものだ。だから男性は角度を変えて腰を下ろし、相手の目を直接見つめようとはしない。この反応は、おそらく男性の祖先に端を発している。はるか昔から男性は敵と面と向かってきた。その一方で、味方とは肩を並べて腰を下ろすか歩くかしながら、ともに狩りをしていた。(略)
 たいていの男性はスポーツを楽しんだり、観戦したりすることから親密さを得る。何百万年にもわたって動物を追跡し、取り囲み、倒してきた男たちは、平均して、女性よりも空間的な把握能力が高い。これは男性ホルモンであるテストステロンと関係する知性のひとつだ。だから一緒にスキーに出かけたり、山登りをしたり、チェスをしたり、テニスやフットボールの試合で応援したりすれば、男性はとりわけ女性に惹きつけられるかもしれない。
 女性は、面と向かって話をすることから大きな親近感を得る。女性は男性よりも相手に近い位置に腰を下ろしたがるし、言語学者のデボラ・タンネンが「つなぎとめの凝視」とよぶ方法で相手の目をまっすぐ見つめ返す。この傾向もおそらく、太古の女性たちが赤ん坊の顔を自分のほうに向けて教育し、なだめ、言葉であやしていたことからくるのだろう。<愛しい人を振り向かせる魔法はあるか?>


古代ギリシャ人は、さまざまな種類の愛を吟味することにかけては達人だった。愛のタイプを分類するために10以上の言葉があったほどだ。心理学者ジョン・アラン・リーは、部分的に重複するそれらのカテゴリーを6まで減らしている。しかしわたしから見れば、それぞれが脳内の三つの基本的交配回路をちがうかたちでブレンドしたようなものだ。基本交配回路とは、すなわち性欲、恋愛感情、そして愛着である。
 いちばん有名なのが、「エロス」。とても特別な相手にたいする、情熱的で、性的で、エロティックで、よろこばしく、エネルギーがみなぎる愛である。エロスは性欲と恋愛の組み合わせだと思う。
 「マニア」は強迫観念的で、嫉妬、いらだち、独占欲に駆られた、依存症的な愛。情熱的な恋に落ちた人間ならたいてい、相手のことが頭から離れず、筋の通らないことばかりで、独占欲が強くなるものだ。
 「ルーダス」は、駆け引きやお遊びを意味するラテン語だ。これは、気軽で、縛られることのない、戯れの愛のこと。そういう愛を抱く人たちなら一度に複数の相手を愛することができる。彼らにしてみれば、愛はいわば舞台であり、芸術の一種なのだ。この「ルーダス」は軽い性欲をともなう、おもしろ半分のかわり種だと思う。
 「ストルゲ」は、きょうだい愛的な、友人にたいするような愛で、感情の表出をともなわない、深く、特別な友情だ。こうした愛を抱く人たちは、感情について話すほうを好む。フランスの思想家プルードンにいわせれば、「熱情や狂喜をともなわない愛」ということになる。わたしにいわせれば、「ストルゲ」は愛着の一種である。
 「アガペー」は、やさしく、寛大で、従順で、与える一方の利他的な愛、とくに精神的な愛となることが多い。これも愛着の一種。こうした愛を抱く人たちは、自分の感情を熱情ではなく敬意だと考えている。愛する人のためにいちばんだと思うなら、進んで相手との関係を絶つ人すらいる。そうやってライバルに降伏するのだ。
 最後は「プラズマ」だ。これは適合性と常識にもとづいた愛。実用的な愛である。「お買いものリスト」的な愛とでもいおうか。プラグマ的な愛を抱く人は、得点を記録しているようなもの。相手との関係の長所を見つけると同時に、欠点も見つけている。こうした愛を抱く男女は、大きな犠牲や感情に心動かされたりはしない。彼らにしてみれば、ふたりの関係の核は友情なのだ。わたしはこの「プラグマ」については、まったく愛だとは見なしていない。<古代ギリシャ人による愛の分類>


20050920初版第1刷発行


 
2015年06月05日 15:49

名曲の暗号・・・楽譜の裏に隠された真実を暴く  佐伯茂樹著{クラシック}
「運命」の冒頭は「運命がドアを叩く音」ではなく「鳥の鳴き声」だった。(帯より)

クラシックの曲というのはニックネームがおおくて、作曲家の意図したイメージと乖離することが多い。それはそうなのだけど・・・・

楽譜からみたことが多く、しかもあまり「目新しさ」がありません。特定の曲をこよなく愛していれば面白いかも・・・ですが、別にこの曲のこの部分がこういうモチーフ・・・って説明されたところで。。。。

管楽の好きな人はどうぞ。

私は興味が持てませんでした~~。

20131231第1刷発行。

2015年06月01日 13:14

○ミッキーマウスはなぜ消されたか 安藤健二著 河出文庫{社会} 
これ、面白いです!!
ノンフィクションというジャンルなのですが、ゆるーい話題で、本質をついている感じ。
文章も読みやすい。権威が全く感じられず、ガセネタとして抹殺されそうなことです。でもね、こういうとこに結構、真実ってあると私は思うので、面白かったです。

封印された観光地・・・・東日本大震災の傷跡。

「いわき市海竜の里センター」
海と山に囲まれた広い広い場所に、突然大きなキョウリュウの模型があるんです。車に乗っていると、すぐわかるんですよね。私、行ったことがあります。観覧車もあって、地元のお父さん、おかあさんが、子供を連れて車で行くようなところでした。
原発30キロ圏内だということで、休園中だそうです(現在もそうかは調べていません)
写真がなつかしくて、とても複雑な気持ちになりました。

核兵器が封じられた魔の洞窟・・・小笠原・父島の怪伝説の闇。

核兵器の収納庫があったとされた父島。米軍がらみのことですし、まあ、あったんでしょう(私の見解)非核三原則とか・・・・わざわざなんでそういうことになったのか、日本における米軍の歴史に興味がでてきました。

捏造された日本人差別・・・タイタニック生還者が美談になるまで。

ymoのメンバーの細野さんの祖父の話。日本人は一人しかいなかったのに、いろいろなとこで目撃されて「無理やり乗り込んでいった日本人がいた」とする話もあった。(中国人を日本人と思って証言したからたくさんの日本人の目撃談になったらしい)それから、細野さん祖父は批判された。(そのご名誉回復)らしいのだけど・・・・さて、この日本人の差別は、どこから発生したのか~、という話。実は、「無理やり~~」の証言は「日本人」って特定してないらしいのですよ。

ミッキーマウスのタブー・・・大津市プール事件と著作権問題。
小学校の卒業制作(1987)で、プールの底にミッキーとミニーを描いたら、ディズニーから抗議がきて、教職員が消した・・・・という話。これ、後日談があって「ディズニーランドに招待した」という。
どうも、招待話は嘘らしい。二次製作でも、ディズニーものは、著作権が厳しく、いわゆる「コミケ」でも、ディズニーものはできないとか・・・・
このあたりのディズニーの「裏」の顔。ウェルト・ディズニーが存命中は、有色人種のヒロインはひとりたりともいない。意外にブラックなのよね。ディズニーって。と思いながら面白く読めました。

こんな話が10章。とても面白かったです。(ひぐらし、ハルヒ、宮崎勤話もおもしろかった!!)

1976年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、産経新聞に入社。2004年に退職して以降は、ノンフィクション・ライターとして活躍中。(文庫カバーより)

20111020初版発行。

2015年06月01日 13:05

ゲームキャラしか愛せない脳  正高信男著 PHP新書 {社会}
かつてバブルの時代、性交を主題とした「失楽園」という小説で、女性の人気も釘付けにした作家は、最近のエッセイでも、女性を目の前にして服を脱がせたいという欲望を感じない男はいないし、また抱かれたいと感じない女もいない、というような意味の文をしたためている。
 しかし、彼が時代の寵児であったまさにそのころ生をうけた男女は、性をめぐる情報を湯水のように振り掛けられて育ってきた世代である。音刺激に例えるならば、セックスについて、パチンコ店状態のなかで大きくなったようなものだ。少々の刺激ではもはや、びくともしない。あまりに過剰な性刺激が、淫することを妨げ、性欲の活動を抑制しているのではないかと思われる。(略)性の解放のみを知らされてきた世代には、ナマの異性の体よりも、ポケットゲーム機の中のキャラのほうが心に響くものがあるのかもしれない。結果として、ヴァーチャルな対象にしか「萌え」なくなってしまったのだろう <おわりに、より抜粋>


だんだんとフェチ化して、「正しく欲情」できていないのではないか?という話でした。

たしかに、擬似恋愛だけで満たされてしまうと、別に「欲」を持たなくなってきますよね。
社会のなかで、あまりにもいろいろなものが用意されて「与えられて」満たされるから、飢餓状態というのを感じにくい世の中だな・・・と思う。

この本はあくまでも「まじめに」語っている。

ニホンザルの性交は長い。合間に毛づくろいをするそうだ。いちよう決まった相手と関係を続けるそうです。そのために前戯的なものがあるのか。それはヒトとニホンザルくらいなもので極めてめずらしい例らしい。(動物は、たいていハーレムか乱婚状態なので)

フェチのところで谷崎文学を持ち出してきたり、かなり面白かったです。

「わざとでも声をあげるべきなのか」
この方、男性ですからねえ。そういうこと「女性は悩んでいる」とは限らないような・・・(笑)なんだ、この副題・・・・と思い、かなりツボにはまりました。答えは本でどうぞ。


20101129第1版第1刷


2015年05月22日 08:53

モディリアーニの恋人 橋本治・宮下規久朗著 新潮社とんぼの本{西洋美術}
モディリアーニが苦手です。
あの人間味のない絵のどこがいいのでしょう?瞳は描かれていなくて、モデルの女性バカにしてるのか?と、思って非常に不愉快になります。人形にしか見えない。同じ人間味がないのならラファエル前派のように美化して描いて欲しいわ~~。
それでも、贋作の多さは「値が高い」証拠であります。悲劇的な最期は特に日本人好みです。うわ~「お嬢さん好みの、どうしようもないすけこまし芸術家」・・・・・これがね、ほんとに「善い」お嬢ちゃんの評価が高い。自分にないもの求めて悪い男に惹かれるんですね~・・・・・
ニヒルを気取る・・・・どこかで聞いたことが・・・・と思ってたら、太宰に似てる。女性を道ずれ。。。ってとこも。宮下さんの文章を読んで、やっぱり~、と思いました。宮下さんも太宰とモディリアーニを並べてる(弱み見せないように頑張ってるメンズに萌えるけどね~。俺はだめだ~とか、ぐだぐだ言う男はすかん。)

そんなわけで「モディリアーニ」嫌いなんです。が・・・・
センセー、いつの間に書いてたんですか~~?
と、思いました。
橋本治先生が書いていたのです(第2部)
思い切りスルーするところでした。
はい、文章はやっぱり面白かったのですがね、好みは合わないようです(笑)
彼は高校を卒業したあたりから、モディリアーニの絵の女性が美女にみえたという。「なんて美しいんだろう」「この人の絵をもっと見ていたい」「この人に世界中の人間を一人ずつ描いてもらいたい」・・・・と思ったそうな。
友人であったユトリロのことにも触れてくれ、それがうれしかったですね~。ユトリロって白い建物ばかりひたすら描いているのだけど、その白さをみていると、涙すら出てくるのです。感情がリセットされる感じ。。。


私生児としてパリに生まれ、奔放というか自由というか、「いたって現代的」とでもいうべき母親のシュザンヌ・ヴァラドンは、画家のモデルから女流画家に転じ、哀れな幼い素っ裸にされ、母親の絵の練習台になっている。子供の段階でアルコール依存症への道を歩き、絵を始めたのも「依存症の治療として始めさせられた」で、若い彼は独りで黙々とモンマルトルの壁ばかり描いていて、やがて母親は、息子よりも年下の若い男と再婚する。「女にもてる」ということとは無縁のユトリロは、脚光を浴びた途端、「愛よりも名声目当て」としか思われないような、年上の大女と結婚する。記録映画に残るユトリロの姿は、「金ぴかでエネルギッシュな大女の横で、黙々と土産物(注:カラフルな絵葉書を描くように妻にいわれていたらしい)づくりに励んでいる影の薄いオッサン」である。「無責任な母親に棄てられた彼を引き取ったのは、強欲な継母でした」というような、ディケンズ的悲惨が頭をよぎる。ユトリロには「苦悩する」という選択肢さえないのだ。
 男前で、彼自身のありように従って苦悩し、酒に溺れ、女を渡り歩き、最後は献身的な妻に支えられて早死にするモディリアーニは、ユトリロからすれば「目もくらむ太陽」のようなものだろう。モディリアーニの立場からすれば、ユトリロは「存在感の薄い脇役」のようなものだ。(第二部:ジャンヌの瞳より)


2008年にモディリアーニ展があったらしく、その頃出版されたらしい。

20080325発行


2015年05月16日 17:08

聴かなくても語れるクラシック  中川右介著 日経プレミアシリーズ{クラシック}
この著者、親切なんですね。
文章も「おいらのいってることに間違いはないんだ」的な傲慢さを感じたことがありません。

クラシック音楽とはなんぞや、とかCDの規格はどうやってできたのか、とかクラシックビジネスはどうやってなりたっているのか・・・とかそういう話。特定の音楽家の話とか曲の話はほぼありません。

クラシック音楽そのものの情報を求めている人にとってはなんの面白さもないでしょう。

クラシックを「ビジネスツール」として使ってみてはいかが?という提案です。おきにいりの演奏家の一人二人、みつけてみては?という提案。

クラシックマニアと語るためではありません。「クラシック好き」のおじさんに話をあわせられれば、話題にことかかないかもしれません。天気の話よりも仲良くなれるかもね。特定のアーティストだと世代によって全く通じないけど、クラシックだと通じるもんね。

まあ、「クラシック好きなおじさん」がどれだけいるかはわからないけれど。

クラシックにちょっと興味があったら一読してみてもいいかも。

20120808 1刷
2015年05月09日 11:09

呪われた画家たち  モーリス・セリュラス著 藤田尊湖訳 八坂書房{西洋美術}
不運と不幸とスキャンダルに苛まれ、理解されたいという強い欲求を感じながらも、自分を表現できず苦悩しつづけた21人の画家たち。作品分析を通して、彼らの激しい葛藤を追う!
{表紙より}

ユトリロ目的で読みました。結局、一人当たりの記述が少なく、物足りない。
しかし、必要以上に「悲劇のヒーロー」に画家を書いていない点が好ましく感じました。「高みの見物的に」芸術家の悲劇を執拗に書いていない点も気にいりました。(私が、某ベストセラーシリーズが好きではない理由はこういったものです。)

心理学的病理に迫ろうという試みが「はじめに」に書いてありましたが、これは成功しているとは思えません。画家の人生を綴るわけでも、ひとつの絵を言及するわけでもありません。図版が多いので、もの足りない感はどうしてもあります。

この本のおもしろさは、グループ分けにあると思うのです。例えば・・・

静寂と孤独の獲得~フェルメール・ゴーギャン

この二人の画家。絵の印象が全く異なるのに、なぜ同じグループに分類されるかというと・・・

「ここではないどこか」を夢見た画家だから。というのですね。フェルメールは日常生活を描いた事になってますが、画法は恐ろしく先進的でしたし、日常風景を書いているわりに「現実味」がない。学者を描いた絵などは、特に「ここではないどこか」を目指していたのではないか・・・・と。

現実逃避ですよね。お二方とも。ちなみにどちらの絵もいまいち私は好みではないのですが。(フェルメール、このところ流行ですねえ・・・)二人を並べるのはおもしろい考えだな、と思いました。

モーリス・セリュラス(1914~1997)
ルーブル美術館デッサン部門の主任学芸員など務める。レジョン・ドール4等勲章受勲、国家功績勲章美術文学部門3等受勲。専門はドラクロワ。また画家としての経歴もあり、その作品はパリ近代美術館などに収蔵されている。

2010年7月25日 初版第1刷発行。

2015年05月09日 10:51

まんがで読破 人間的な、あまりに人間的な ニーチェ作 イースト・プレス {哲学}
<裏表紙より>
ヒューマニズムへと進むヨーロッパ社会の裏に潜む、人間の矛盾した生活を独自の逆説的理論で暴き出し、批判するニーチェ。その思想の起点であり、人々に「自由精神」の啓発を促す書「人間的な、あまりに人間的な」。また人々を支配する「善悪」の起点を探り、その定義に疑問を投げかける「善悪の彼岸」、「道徳の系譜」。ニーチェ思想を代表する3作を漫画化。

ニーチェ。社会が信じられなくて・・・・っていうひねくれた考えは同意するのだけど(そう思っちゃうよね~、という共感)、どうしても好きになれないのですよ。
「スノビズム」がね、鼻に付く。なんだ「超人」って・・・・

ところでやたら「神父」「神学校」が出てくるのだけど、ニーチェってよっぽどそういうものに恨みがあったのね。「神」なるものへの恨みがさ。

神に依存しすぎた結果、「裏切られた感」が強くなってあーでもない、こうでもない言ってるんじゃないの?などと勘ぐってしまう。西洋文化では「神」を信じるにしろ、信じないにしろ無視できないですものね。そこにこだわるのは「ニーチェが西洋文化で育った人間だからだ」きっと。

なわけで、ニーチェ・・・西洋文化をこよなく愛する知識人のおっちゃんは好きだろうが「まあまあいいかげんな日本人」の私はピンとこなかったりする。

でも、西洋文化好きだもん。文句をいいつつ、ニーチェをこの先も読むだろうな、私。

<本書より抜粋>
持たざる者たちの目でみるならばこの社会は実によくできた箱庭であろう。
檻の中の法則でさえ守っていれば孤独になることも攻撃され危害にあう心配もない・・・
多少の窮屈さもしのぐ術さえ心得ていればさほど苦痛はない・・・

だが彼らは自分を偽っているだけなのだ。
この檻の中にいる限り人間の魂が健全な輝きを取り戻すことは永遠にできない!!

さぁ 選ばれし資格を持つ者よ共にゆこう!
人間の人間的なしがらみの根源・・・
善悪の岸を越えるのだ!
さあ 恐れることはない!
今 我々は生命のもっとも根源的な作用の導くままに闘わなければならぬ!

そうこれは過酷な道だ
お前を蝕む闇や虚無が
絶えずお前に襲い掛かってくるであろう!
だがそうした闇の恐怖を知り乗り越えなければ我らに未来はないのだ!!

そう檻だ!
このような偽りの平穏と安寧など我々は望んでなかったはずだ!
健全な魂を持つ人間であるならば!
誰もが求めているはずなのだ!
自由な精神の開放を!
自らの持てる力の解放を!

20100910初版発行。 


2015年05月04日 14:52

まんがで読破 社会契約論 ルソー作 イースト・プレス {政治哲学}
ルソーの思想はフランス革命のもとになったといわれる。
ルソーの「国家と個人」の思想は、当時は画期的なもの。
民主主義を説いたもの。

この方、教育論や芸術論で見かけたり、「君主論」と比較されて出てきます。
「社会契約論」まんがとはいえ読んでみて、こういうことだったのね・・・と思いました。

この方、すばらしすぎて(ユートピア思想的な・・)この人、実在するの?どっかの団体が担ぎ上げたんじゃないの?と邪推してしまうんですがね。でも、当時のセンセーショナル的な捉え方はできないでしょうけど、現代でも思うところはあるんですよね。

わりとおもしろく(そしてわかりやすく)読めました。

20110410初版発行。
2015年05月04日 14:10

生きづらさはどこから来るか~進化心理学で考える 石川幹人著  ちくまプリマー新書{科学}
社会ものかと思いきや、意外に理系の話でした。個の能力の話。遺伝の話。狩猟時代の話。サル科の集団生活の話。結婚制度の話。

つまりは、個が生きていくために集団のなかで能力を発揮し、生きてきた。そのなかで環境(集団、社会)と個がうまくいかないことで、いきにくさを感じる。

という話。中には霊長類のオスの特徴の比較の表があります。チンパンジーの睾丸が体に対し大きいことや、ヒトのペニスが体に対し大きいことが分かります。で、チンパンジーは、強い個体の子孫を残すために、乱婚状態とか。

水の中に大量の食料があったとする。泳ぎの得意な人にとってみれば「楽園」であるが、そうでもない「個」にとっては生命の危機にもなりうる。そして「泳げるように努力しないのは怠惰ではないか?」と、外部の人間に思われたりする。

理系嫌いでも読みやすい一冊。自分探しをしている若者は(若者じゃなくてもいいけど)一読するといいかも。なかなか面白い本でした。

20120710初版発行。
2015年05月04日 13:59

西洋哲学の10冊   左近司祥子編著  岩波ジュニア新書{哲学}
 不満が煮詰まったのが、今で言う、思うとおりにいかなくてぶちきれたくなるということでしょう。いずれにしろ、そういった一触即発の不満が、哲学などというめんどうくさいことにつながるとはとても考えられません。それよりリセットするほうが手っ取り早い解決法です。なにしろリセットは、一押しさえすれば実現します。それが哲学ともなれば、ああでもないこうでもないと問題をこねくり回して、まるで不満の感じ手が、疲れ果て、問題解決などどうでもよいとほおりだすのをまっているようなものです。
 でもリセットして新しく始めたゲームは、そんなにスムーズに思った通りいきますか。私などは、新たに始めたゲームでもほとんど同じようなところでまたまたつまずいてしまい、やめた、やりなおしだ、となるのですが。
 ここはひとつ、どうでしょう。(略)あなたが感じるこの世の中の不満、納得できないこと、それと同じことにつまづいて、考え込んでいる哲学者がきっといるはずです。その人の言い分を聞いてみませんか。そのくらいの余裕はあなた方にはあるはずです。(はじめに、より)

この左近司さんの文章にだまされ、読んでみました。なるほど彼女が書いたプラトン、アリストテレスの章は面白いのですが、そのほかの章がつまらない。哲学の本、そのままの要約のような章もあり、つまらんです。

<目次>
○恋が求める究極のもの
プラトン 饗宴
○人と関わりながらよく生きる
アリストテレス 二コマコス倫理学
○自分の中で自分に出会う
アウグスティヌス 告白
○「私」から出発する
デカルト 方法序説
○理性の運命を物語ろう
カント 純粋理性批判
○人間の自然
ルソー 告白
○だれにも読めるが、だれにも読めない書物
ニーチェ ツァラトゥストラはこう言った
○「自由に生きること」とは
べりクソン 時間と自由
○「存在への問い」を問いつづける
ハイデガー 存在と時間
○ブタへの熱意をもちつづけること
ラッセル 幸福論

20090120第1刷発行。
2015年04月25日 14:36

聖書物語  山形孝夫著  岩波ジュニア新書  {西洋文化}
旧約聖書、新約聖書をやさしい言葉でまとめたもの。
絵本のような言い回しです。やや古めかしい言葉です。(例:神は、あなたの子らをも・・・)好きな人は好きでしょうが、聖書の言い回しが気になって、内容が入ってこないよ~、と思う人にとっては、ややマイナスポイント。
ノートの部分は、言葉の説明や歴史的背景が詳しく書いてあり、とても親切。
古めかしいですが、親切設計の良書です。発行年も古いし、古めかしいのは仕方ありませんね。
19821217第1刷発行
19880915第10刷発行
2015年04月25日 14:02

○本当にわかる倫理学  田上孝一著  日本実業出版社{哲学} 
倫理学ってなにもの?と思っていたのですが。哲学の一部のようなものらしい。

倫理学は個人がどう生きるべきかを問うだけでなく、人間にとって善い社会とは何か、個人と社会の両方を考える必要がある。倫理とは「個人の道徳規範」であり、「共同体の倫理」である(本文より)

うん。私はこちらの方がよりしっくりします。
私とはなんぞや?よりもいかに社会で「生きるべきか」ということの方が興味があります。
哲学とひとくちにいっても、さまざまな分野があり「倫理学」っておもしろいなあ・・・と思いました。思えば、小学校の自習時間、好んで読んでいたのは道徳の教科書でした。

さて「老人に席をゆずること」についてです。こういう身近なところから論を進めていくので、分かりやすい本です。

席をゆずることを「偽善的」とする考え方もある。人によく思われたい、ずうずうしいやつだと思われたくないという動機を「偽善」とする考え方である。で、結局は席を譲ったのだから「善」の行為とする考え方もある。
で、このよい結果が得られればすべてよいとする考え方は帰結主義というらしい(ベンサム・功利主義{最大多数の最大幸福})
ところが、この「外面的結果」も「内面的な動機」も大切で、極端になってはいけないということを知っているというのだ。だから過失致死傷罪などというものがある。
「良識」「善」「規範」はどこから生まれるのか、すべての人が持ち合わせているのか{性善説・性悪説}・・・・ということを考えた哲学者もいた。(要約)

わかりやすくて面白かったです。後半は代理母、クローン、ギャンブル依存、エコロジーなどの問題。こちらはちょっとつまらなかったかな?

現代の複雑化した社会のなかで、われわれは日々様々な問題に接して生きている。そのなかには無視できない、とりわけ自分自身にとって重要な問題も少なくないはずだ。
そうした問題に対し、われわれは明確な「べき」をいいたいのではないか?こうあるべきでありそうするべきだと。しかし想いとはうらはらに、どうにもうまく表現できない。つまり倫理学を学ぶことは、伝える「言葉」を得ることといえよう(はじめに、より)

20101120初版発行。

2015年04月25日 13:52

哲学塾授業 難解書物の読み解き方  中島義道著 講談社 {哲学}
カントやニーチェあるいはキルケゴール。哲学書は自分勝手によんでも、実は何もわからない。この塾で伝授されるのは、正確に読み解くための独特の技術。手加減しない師匠の、厳しくも愛に満ちた授業を初公開。(帯より)

この「人間嫌い」を自称される方の、哲学入門。(入門・・・・・、難解すぎます)哲学塾を開いているらしいのですが、その講義録です。

わからんですな。もっと簡単な言葉かと思ってたんだけどな。これは、この本を読むための入門書の入門書が必要だわ~~、と思いました。こんな講義、こわくて受けられん!!

で、よんでて「ニーチェは他罰的、キルケゴールは自罰的」という解説が、最もしっくりした。私がニーチェ好きじゃないのって、きっと他罰的だからだ。私はうちにこもるからな~、殻作って作って、自分でがんじがらめになってるタイプだから。外に目が向くのは、私はピンとこないのだと思う。

というわけで、難解かつ、教科書的ではないです。

20120425初版発行。
2015年03月17日 22:47

まんがで読破 方法序説  デカルト作 イースト・プレス {哲学}
とうとう足をつっこんでしまった「哲学」・・・・
高校で実は「政経・倫理」なんてやってた私。哲学は「倫理」教科書と、「反哲学史」木田元著二冊で充分・・・・と思っていました。でも、私の中で必要になってきたんですね。

最近は教育TVで、海外の講義の様子を放送していたりして、ひそかな哲学ブームとか・・・・?いや、私の周りにはいないですけど、ひそかに哲学ブームな人がいると信じて・・・・(笑)
なんでも、高校倫理の教科書が10年ぶりの改訂とか・・・・で、参考書を買ってほそぼそと読んでます。センター向け参考書は意外とわかりやすい!!

さて、この単行本サイズのまんが。ざっくりとらえるのに最適!!

デカルトさんはね、「我思う、ゆえに我あり」の人ですよん。
この言葉だけで涙が出てくるのです。私は、これが原点だよなって思うのです。

(以下要約)
1596年デカルトはフランスのラ・エーで生まれた。学問で得た知識はあなたの人生のなかでとても役立つものになる・・・と幼い頃からきかされていたデカルトは人生に役立つ知識を習得したいという強い願望を持っていた。そしてデカルトはイエズス会が創設したラ・フレーシュ学院に入学した。その学院は先進的なものを多く取り上げており、さまざまな学問に触れる機会を与えてくれた。デカルトはここにこそ私の求める学問があるのだ・・・と期待に胸を躍らせた。学院では語学・歴史学・雄弁術などたくさんの学問を学んだ。それだけではあきたらずデカルトは錬金術や占星術など秘術的で珍奇な書物を手当たり次第読破した。だがそのなかで学べたことといえば、これらの学問はものごとの価値を知り、人に騙されないように用心するしかないということくらいであった。デカルトは机上の学問から学べることはないと感じ、実生活のなかに真理があると考えた。大学卒業後、旅に出る。デカルトが求めていた学問はすべてに通用する「普遍性」と実生活で役にたつ「実用性」のあるものだった。デカルトが生きた時代に神学から離れて「自分」ということを考えたのは画期的なことだった。
すべては考えることからはじまる  それは人間の精神の本質・・・
私は考える   ゆえに私は存在するのだ


20110510初版発行
2015年03月17日 21:52

まんがで読破 精神分析入門 夢判断 フロイト作 イースト・プレス {心理分析学}
フロイトさんは臨床から始めたのですね。催眠療法をやってて、心理分析学を作った人。そもそも、「精神の病気」というのは発見するまで、認知されてなかったわけで・・・・創始者という側面において、ものすごく重要な人物だとおもいます。
女性の患者さんに慕われること・・・・も、自分のこともしっかり研究し正直に書いている。人間の心理には上司やセンセイに憧れる心理ってありますもんね~。
そのほか、アドラーさんとか、ユングさんが彼の派閥から離れていくわけです。そのあたりもちらっと書いてます。フロムさん・・・・・名前くらい出して~~。「自由からの逃走」ほんとすばらしいので。(鈴木晶氏がフロムの「愛するということ」をTV講座でやったらしい・・・・しまった、見逃した・・・テキスト買ったけど・・・ちなみに「愛するということ」は恋愛指南書ではありませぬ)

この本は、ざっくり分かるのでおススメです。

20100510初版発行

2015年03月17日 20:55

クラシック批評こてんぱん 鈴木淳史著     洋泉社{クラシック}
クラシック批評をどのようにとらえるか?
ということが書いてあるのですが、正直そんなにおもしろくありません。
同業者にたてつくことになりますし、そんなにずばずば書けないのは仕方ありませんね。

文売業を語ってるからには、もっとおもしろい文を読ませて欲しい・・・と思いました。そんなわけでこのシリーズの「クラシック名盤ほめごろし」の方が数段面白いです。

小泉内閣総理大臣が「感動した」と言った頃の著書らしいです。

20010820初版発行。
2015年03月17日 17:27

LPジャケット美術館 クラシック名盤100選  高橋敏郎 新潮社{クラシック}
LPはお世話になったことがなく、なんら思いいれもないのですが、このようにジャケットを並べてみると、すばらしい文化だな~、と思います。
昔はシングルCDだってパッケージに凝っていた。曲と画像のイメージをうまく組み合わせてる、よいCDがあった。部屋に飾りたくなるようなCDだった。
そういえば、デジタル化され、本やCDという媒体があまり注目されなくなった。表紙をみて、いろいろ思い巡らせるという文化が以前はあったはずだ。

というわけで、この本。音楽の話もありますが、ジャケットがまぁ~美しい!!近現代美術史の美術書に近い。
○ロストロポーヴィチ西側デビューを祝うシャガールのジャケット画。
○「画家シェーンベルク」による自画像ジャケット
○ストラヴィンスキーとピカソの友情が生んだジャケット画・・・・・

とくに面白いと思ったのが日本の画家。藤田嗣治、岡本太郎、加川又造(現代の琳派)、勝井三雄(グラフィックデザイナー)、森島紘史(グラフィックデザイナー)、杉浦康平(グラフィックデザイナー)・・・・どのジャケットもお洒落で曲のイメージにあっている。この時代、素敵なデザイナーがいて、活躍する場があったことがステキだと思いました。

他には、ブーレーズ指揮のドビュッシーの交響詩<海>のジャケット!!葛飾北斎の「神奈川県沖」!!なんでも、ドビュッシーがこの浮世絵からインスピレーションを受けたらしいのですよ!!「やっと会えたねっ!!」というところでしょうか?ジャケット、ほんとにステキ!海外版ジャケットだったそうで、それが残念。

1ページにつき1ジャケット。演奏者や曲のことも触れられていますが、簡潔。だって主役はジャケットだもん!!絵本のような、楽しみ方ができる本です。

20070725.発行。
2015年02月07日 23:28

ニュースで分かるヨーロッパ各国気質  片野優 須貝則子著  草思社{西洋}
ニュースで分かるということで、各国の首相、大統領、裁判、芸能人のニュースから語られてます。2010年代の新しいニュースか載っていることもあり、かなりタイムリー。おもしろい本です。
このお二方、今はウイーンに住んでるそうで、ハンガリーのブダペストにも住んでいたそう。

そういえば、なんで日本は政治家の女性スキャンダルに騒ぐかな?とか、改めて疑問に感じましたね。本人の政治的能力とは関係ないのにね~。さて、昔ながらのジョークというのも掲載されています。海に飛び込んで欲しい時・・・・アメリカ人には「ヒーローになれますよ」イタリア人には「女性にもてますよ」ドイツ人には「規則ですから」イギリス人には「紳士ならば」・・・っていう話。久しぶりに目にしました。

こてこてのジョークの中で次のようなものが気に入りました。
アメリカ人の男には妻と愛人がいるが、彼は愛人を愛している。
イギリス人の男には妻と愛人がいるが、彼は妻を愛している。
フランス人の男には妻と愛人がいるが、彼は妻も愛人も愛している。
イタリア人の男には妻と愛人がいるが、彼は自分のママを愛している。
ロシア人の男には妻と愛人がいるが、彼はウォッカを愛している。

ドイツ人の項目のところに「ドイツ人の人前で裸になりたい、という傾向性は、自然を愛するゆえか、ストレス解消のためか、はたまた自己陶酔の芸術のためか、あるいは変わった成金趣味なのか、今後の課題としたい」とある。日本人の私が察するに、通常、まじめなことをまじめにするドイツ人は「はじける」のではないかと?!まじめな人がはじけるとこんな感じ・・・・といういい見本ですよね~。ビール祭りなどを見ていると、はじけ方、半端ないです。裸だって、妙にあっけらかーんと、楽しんじゃうんじゃないですかね?


20140127第1刷発行。
2015年02月07日 22:58

名盤鑑定百科~ニューデーター編  吉井亜彦著  春秋社  {クラシック}
2013年10月までの新譜を含め、2500種の新旧ディスク情報を網羅。

というのが、帯に書いてました。
1997年10月に第1巻となる「交響曲編」が発売されて以来、9巻を発行してきたそうな。
でもって、その補足データーということらしい。
一行のコメントというのは、いいです。シンプル・イズ・ベスト。しかーし、なにかがおかしい。

スメタナ・交響詩<わが祖国>アンチェル&チェコフィル
◎東欧出身の中では新しい感性を持った指揮者の姿が良く分かる(63、sup)

この演奏。曲も演奏も指揮者も大好きなので褒めているのはうれしいんですが・・・1963年の演奏を新しい感性というのはちょっと・・・この方、いくつ?と思ったら「1944年旧満州生まれ」とある。思ったより若い。

さてsacdの音がとても気に入ったらしく、そればかり褒めます。それから「フルヴェン信者」らしい。私も大好きだけど「フルヴェン最高!!」とばかりいうのは、回顧主義で進歩がないよね~、と思う。
その2点に注意すれば、いい本じゃないですかね~。好きな曲の項目をみて確認すべし。

20131220.初版第1刷発行。
2015年02月06日 22:45

これが闇の権力イルミナティの内部告発だ!  ベンジャミン・フルフォード著   青志社  {社会}
イルミナティの最高幹部であるというレオ・ライオン・サガミさんとの対談。
イルミナティが一枚岩ではないことや、悪魔崇拝をするグループもあることや、世襲制(血縁をどれだけ重要視するか)のはなし・・・そういう話です。日本人ではない人々が日本を語っているくだりとか面白いです。外からだから、より見える・・・という感じもあります。ただ「日本人は嫌いだという人はいないでしょう」・・・・??これは言いすぎですね。なんでも、東洋思想を見につけているというのは、強みのようです。墨子は、自分の息子でない新たな指導者を見つけるべき、とといたらしいし。宗教的にも日本は特殊ですもんね。よけいなことを言う私・・・。わたし、やっぱり日本に生まれてよかった・・・(笑)

さて、ちょっと面白かったところを抜粋しておきます。

例えば、オカルトに関わる人のリストを作るとしたら、最初にリストアップされるのはノルウェー人ですね。ノーベル平和賞を選考しているのですから。スウェーデン人も悪魔教信者と協力していますね。スウェーデン人は第2次世界大戦に参加しませんでした。その能力がなかったのです。
 ヒトラーの軍隊はノルウェーを侵略するために列車の代金を払ってスウェーデンを通ったのですよ。チュートン(ドイツ)騎士団の本拠地はスウェーデンにあります。スウェーデンにはソビエト連邦に資金提供していた人たちがいます。スウェーデンには多くの悪魔教信者がいます。誰も彼らのことに触れられないのです。
 ノルウェーも同じです。どうしてノルウェーには2012年に向けて、あんなに多くもの地下施設があるのでしょうか?(注:2012年には、結果、大きな出来事は起こりませんでしたが)どうして種とかいろいろ持ち込んだ島で作業しているのでしょうか。彼らはナチスの一派です。スカンジナビアに住んで、社会を破壊しようとしています。ロシアの本部もあります。だからアイスランド語が語源のトゥーレ(世界の果て)と呼ばれるのです。SSの最後の残党、SSの隊長がいまだに生き延びている場所が、アイスランドの領地です。誰も彼らに触れられません。

↑種という話は、トンデモ本の類でよく目にしますね。SSの話もそうですね。私がちょっとひっかかっているのが「ノーベル賞」。ノーベルさんが、莫大な財産を「平和のために」と残したということですが・・・・・。もともと軍用に転用されてしまったという歴史があるだけに、ホントかな?なんかの組織のPRでは?と疑っているのです。科学者と宗教、政治・・・う~ん。きな臭い。私は北欧を「きな臭い」な~とか、思ってます。だからこそ面白いんですよね~、北欧。(一度、疑い始めたら、ムーミンまで怪しい・・と思えてきた)


20091109。第1刷発行。
2015年02月06日 21:51

クラシック名盤 ほめ殺し   鈴木淳史著  洋泉社{クラシック}
このCD評は、三段階に分かれておりまして・・・

悪魔マーク*大推薦盤。必ず聴いてね。買わんとお迎えに行くで(買ってもいつかはお迎えにいきますが)
宣教師マーク*まあ、聴いたら人によってはイイかもよ。説教と同じね。
天使マーク*悪魔的にはぁ、ぜんぜんすすめないんだけどぉー、みんながいいっていうからー。


この噛み合わない感じが面白く、天使と悪魔の討論ですすめられます。CDにつき、2~3頁で読みやすいです。とにかく褒めます(笑)「端正な指揮ぶり」=「冷たい」、「圧倒的なパッション」=「暑苦しい」と、まあ、こんな感じで「名盤」を改めて考えてみるというスタンスで作られています。

そのなかでも褒めやすいCDがあるそうで・・・(以下、要約)
①ベートーヴェンの交響曲:ネームバリューがあり、聴き手にも理想の演奏がありがち。
カラヤン=表面を取り繕って立派にみせてやろうという生真面目な野心がとても微笑ましい演奏。
アバド=やる気がないんだけどお仕事だしー、でも同じ仕事をするんだったら楽しくやらなきゃねー、という前向きな処世術が感じられる。
クナッパーブッシュ=デフォルメの限りを尽くした交響曲第8番。演奏の理想とは「偏見」ともいえる。偏見とか、先入観というのは、悪しきものとして糾弾されがちだが、面白い演奏をもっと面白く聴くためには必要。
ワインガルトナー=ほのぼのウイーン風。
ジンマン=伝統なき者の勝利。
②ベルリオーズ「幻想交響曲」
聴き手が醒めてしまおうが、ばかばかしく思ってしまおうが、まったく無関係にハイテンションさを披露していただける作品として定評がある。有名なミュンシュの他にも、クリュイタンス、マルケヴィチ、ヴァンデルノートなど「とんでもないことをやってそうな奴は、やはりとんでもない演奏をしている」ことで、安定感がある曲と申せましょう。
クーべリック・ライブ盤=不気味なほどに青白い狂気を放っていたり
ケーゲル・ブーレーズ旧盤=極端に暗く厳しい
狂気の本質に迫る演奏に対しては褒めにくい。
③ブラームスの交響曲
褒めてもらうために演奏されているようなもの(特に1番)「こんなに病的で中途半端に堅固な曲は、俺の必殺技で仕留めたる」と奮い立った演奏家による、俺が俺が光線を満喫することができる。
アーベントロート:完全に曲の持つ威厳を取り払ったジャコバン派の演奏
マルケヴィッチ:ハッタリ造形運動
ミュンシュ:大暴れで小節の縦の線を消去してしまった英雄
コンドラシン:最後の最後でフッと力を抜く美学
マンデール:最後に変なアコーギクで聴衆腸捻転
エッシェンバッハ:どことなく変態風を吹かす
宇宿:「音の空騒ぎ」
④ブルックナーの交響曲
「ブルックナーはかくのごとく演奏されねばならない」というアンチテーゼに反した演奏、それにしたがったためにさまざまな人間くささを露見した演奏。どちらもホメ印。
前者:ベートーヴェン風苦悩のドラマを追加するフルトヴェングラー、マーラー風苦渋の表情を添付するテンシュテットが二台巨頭。最近では、バルビローリ、ライブ盤が人気。
後者:クナパーツブッシュ、シューリヒトによる些細な事柄に執着しない感じが秀逸。これを寂寥感として解釈できるようになればホメ上手。
⑤チャイコフスキーの後期交響曲
ブラームスと並んで、褒めたくなる演奏の宝庫。過度に興奮派、および叙情派の面目躍如が期待できる作品。ベルリオーズの幻想交響曲と同様、あいつはナニかやりそう、と思われる演奏家は、それぞれに立派な回答を示している。
第6番<悲愴>を例にすると・・・・
非人情派のギーレン、ドイツくささがたまらぬベーム。トンデモ解釈の名盤はゴロワノフ。

 
 
さて、おもしろかった文章を2つ、転記しておきます。

①ベートーヴェン/ピアノ協奏曲(全曲)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)オットー・クレンペラー指揮ニューハーモニア管・英emi(67)

悪魔:ベートーヴェンのピアノ曲といえば、やっぱりクレンペラーとバレンボイムのemi盤を推すね。名人芸の発露であるヴィルトゥオーゾ性よりも、がっちりとした構成で聴かせているのが、この曲に見事にマッチしている。
天使:でも、あれって管弦楽だけが雄弁で、ピアノが何もしていないっていうか、素直すぎて弱いんだよね。そもそも、オレってバレンボイムは好きになれないんだよ。変に権威主義的なところあるじゃん。尊師フルトヴェングラーの解釈に何の疑いもなく平伏し、かと思えばこの協奏曲のように、当時の実力者だったクレンペラーに張り合おうって気もないみたいだし。年が若かったから仕方がないけど、グールドみたいに自分の主張をもっと大事にしてみてもいいと思うんだよね。
悪魔:くだらんね。そもそもクラシック音楽を聴こうって人間は権威に弱い、いや、伝統を大事にされる方が多いんだから、こういう演奏はうってつけなの。若者が年長者の顔を立てる。「おじいさん、この席にお座りください」「おお、すまんねぇ」、なんて美しいじゃないか。そういうことをわかってるバレンボイムはえらい!孔子もご推薦の儒教的見地に則った演奏だ。
天使:ひどいこというね。でも、ピアニストはともかく、このクレンペラーの演奏は本当に立派であることは認めざるを得ないな。完全にピアノ伴奏付きの交響曲と勘違いしちゃってるんだから。第2番の冒頭なんて聴くと、その低弦がズズーンとくるあたり、のけぞってしまうよ。

↑これ、笑いました。私はクレンペラー好き、バレンボイム嫌い。ピアノ引っ込んでろ!とか思うので、そのほうがいいんですが。ピアノ協奏曲としてどうなのか??とか、思いますよね~。孔子ご推薦!!(笑)

②ベートーヴェン/チェロ・ソナタ(全曲)
ミッシャ・マイスキー(ヴァイオリン)マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
悪魔:原始、女性は太陽であった、ということですね。
天使:あなたがおっしゃってること、何か決定的にズレているような気がするわ。でも、本当にアルゲリッチは容赦なく弾いているわね。マイスキーは得意のカンタービレが全然できていないくらいに。まるで田嶋陽子がまくしたて、ビートたけしが毒舌を発揮できずに、口ごもっているような演奏だわ。
悪魔:おかげで、フェミニズムのセンセイ方にはウケているらしいですね。ただし、彼女たちが露骨に男性優位文化であるクラシック音楽にどれほどの関心を払っているのかは、ともかくとしても。
天使:他には、男性的だと思われているベートーヴェンを優美すぎるくらいに演奏したケンプとフル二エなんてどうかしら。
悪魔:マッチョだから男性的、優美だから女性的という型のはめ方は、非常に危険な構造だと思いますよ。しかも、ケンプのあのナヨッとした弾き崩しは、まさにオトコにしか出せない味なのではないでしょうか。歌舞伎の女形の美しさのような。この演奏は録音もかなり特殊なので、そういう印象を持たれたのでしょうけど。

↑ケンプのピアノを「オンナみたいでなよっとしてる・・・」とか言ったの、宇野センセイでしたよね(確か)?ケンプ大好きなわたくしといたしましては、その評によってどれだけ「ケンプさんの食わず嫌い」な方が生まれたか、被害ははかりしれません。センセイ、面白いから好きだけど、評をまる飲みしてる方もいるからな~。
ケンプさん。きらきらしたピアノは弾けません。が、しかし、伝統芸能的な「美しさ」「良心」を感じるのです。だから「女形」なピアノというのは的確かもしれませぬね。

音楽評論は、感想文だよね~なんて思っている私なんですが、その解釈に自信を与えてくれたのが、このあとがきです。

悪魔:音楽の表現は言語のそれとは完全に異なるものだ。つまり、そこには大きな壁がある。それを乗り越えるなんて、妄想でしかない。どれほど譜例を示そうと、音楽用語を駆使しようと、すべての音楽に関する文章は想像の産物なのだ。この本は、そういう意味でちゃんと「これは妄想ですよ。うっふん」とはっきりわかるように書かれている。なんと画期的な書物であろうか。あらゆる企ては妄想から始まるのだし、すべての音楽評論は妄想として読まなければならぬのだ!


著者紹介のところに「名演奏や名盤は存在しない。あるのは、それを認識する個々や社会のシステムのみ」という一貫した立場から、クラシック音楽に関する戯曲を発表している。売文業および音楽評論屋。・・・・とのこと。なるほど~。私も音楽評論家のあやし~さを、感じてたりするので、この紹介は好きだな。


20000621初版発行。


2015年02月04日 17:20

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