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~つれづれ読書感想文⑨~ミクシィページより

〇ねこはなぜ絞首台に登ったか 東ゆみこ著 光文社新書 {西洋文化} 
ホガースの版画は残酷に見える。現代の日本に住んでいる私は、好きではない。いろいろいわれがあることは分かるが、あえて知ろうと思わない。

これは私の感覚であって、この本ではどうしてそのような版画が描かれたのかにスポットがあてられている。18世紀、パリ、ロンドンでは人々の娯楽は残酷だったというのだ。

「カーニヴァル」の感覚も述べられている。当時の階級社会のこと、認識のこと、神話のこと・・・・。

現代の感覚でいうからみると当時の「社会の闇」やら「人々の心理の闇」ばかりにスポットをあたってしまう。実際、そんな美術書ばかりで食傷気味だ。

この本は覗き見趣味だったり、現在のものの見方からの偏見になったりしていないところがすばらしい。

文章も大変読みやすい。西洋史を学ばれている方はぜひ。

ホガースの版画「残酷の第一段階」を読み解くにあたって、私たちは、現代的な「残酷」の視点を無反省にあてはめるという姿勢だけは、とってはならないということになるでしょう。つまり、あることばやある表現が示す示す意味を読解する際には、文脈を考慮して読み解く必要があるということ、しかもその読解によって理解できる事項の意味は一義的ではなく、多義的であるということを念頭に置く必要があるのです。(第1章「18世紀、猥雑のロンドン」より)

逆さ吊りと死の関連は理解しやすいのですが、そもそも「逆さ吊りにする」ということは何を意味しているのでしょうか。普通に考えて、そして、通常の状態をひっくり返すものだといえるでしょう。これを私たちが検討してきた事項でいいなおせば、既成の秩序が転倒するということになります。カーニヴァルにおける上下の地位や男女の役割の逆転、正統な教会の秩序のひっくり返しは、その最適な例です。
 このように、逆さにするということは、ある状態を停止させることなのですが、象徴的な次元でそれをとらえると、ある状態の終わりという点で、「死」をも意味しているのです。そして、この「死」が、また「逆さま」になると、かつての状態が回復されることによって、すなわち「逆さま」が再び「逆さま」にされることによって、生と死は連なっているのです。
 カーニヴァルの原型とみなされることの多い、古代ローマのサトゥルヌス祭に、この「逆さま」と「死と再生」の哲学がうかがえます。サトゥルヌス祭の30日前には、ローマ兵の中から、若くて美貌の者を選び出し、サトゥルヌス神を思わせる王衣を着せ、兵士に付き添わせ、出歩かせたのです。彼はあらゆる快楽にふけることができました。けれども、30日間の期間が終わり、祭りが始まると、彼はサトゥルスの祭壇に立ち、自分の喉を切って死ななければならなかったのです。
 その後、、本祭が12月17日から23日までの7日の間に執り行われます。そこでは、カーニヴァルの逆転の構造のように、主人と奴隷の地位が転倒し、主人が奴隷の給仕を務めたといいます。(略)
 けれども、このような状態は、永遠に続きません。祭りはやがて終焉を迎え、「逆さま」の状態は回復されます。が、現状の回復によって、「逆さま」の力が衰えたわけではないのです。そもそも現状の回復自体が、「逆さま」の力によって成し遂げられているからです。
 よく考えてみれば、そもそも逆さ吊りそれ自体が、まさに死を意味するだけでなく、死の象徴に他ならないのです。(略)要するに、逆さ吊りの意味は両義的で、「死」と「生」を含意していることになります。

(マルセイユ版のタロットカードの「吊るし人」について)
この図柄をみると、両手を背中で縛られた若者が、左足を絞首台に縛られ、逆さまに吊るされています。絞首台は裂け目の両側から生えている二本の樹木で作られていて、どちらの樹にも枝が切り落とされた跡が6箇所ずつ残っています。若者の頭は、大地の裂け目に半分ほど入り込んでいます。足下の縄が切れれば、彼は罰からは逃れられるのでしょうが、体は奈落の底へまっ逆さま。おそらく命はないでしょう。逆さ吊りは、彼にとって、死ぬほどの苦痛を与えるのと同時に、彼の唯一の命綱ともなっていて、にっちもさっちもいかない状態をあらわしています。
 このタロットの意味について、さまざまな解釈が可能ですが、ユング派の心理学者サリー・ニコルズは、イニシエーションをあらわしていると判断しています。なぜなら、吊り下がった若者は世間から隔離され、「それまでの人生と人格の完膚なきまでの解体に耐え」るという試練にさらされているからです。
 しかも、この「つるし人」の次に位置するカードのタイトルは「死」です。そこには、大がまを振り回している骸骨と、頭と手足がバラバラに裁断された二人の人間が描かれています。つまり、「吊るし人」と「死」という一続きのタロットカードは、吊り下げられた若者に死神の魔の手が襲いかかったことを物語るような構成になっているのです。「死」によって私たちの肉体はバラバラになり、すべてが終わりを迎えたように思われます。
 ところが、「死」は、ものごとの終焉だけを意味するのではありません。「死」(マルセイユ版)をよくみると、死体の転がる大地には、若草が生えていて、生命力を感じさせる図柄になっていることに気づきます。つまり、「死」というカードは死と同時に生を、終焉と同時に始まりをあらわしているということになります。
(第5章「絞首刑のアーケオロジー」より )

穀物霊は時として、猫の形をとることもある。(第6章「穀物霊と神話の力」より)

なぜひとはわかりあえないか。なぜ恋をすると胸が痛むのか。どうして人は病に苦しむのか。若さが永遠のものでない理由は何か。なぜ人は大切なものと別れ、一人で死にゆかねばならぬのか。そして、あたかも死者と入れかわるようにして、新しい生命が次々と誕生するのはなぜか。
 いつの世でも色あせることのない、これらの難問に対して、古代の人々や「民族世界」の人々は、神話という形で回答を与えてきました。一方、現代では、時には哲学、時には宗教、さらには科学といった観点から、この問いに説明を与えることが可能です。したがって、今さら太古の神話など持ち出さなくてもよいはずなのですが、今なお、私たちは神話に心惹かれているようです。
 それはおそらく、神話にちりばめられた賢者の智恵こそ、現代人が失い、そして今まさに探し求めている何ものかだ、と考えるからかもしれません。この場合、私たちは、神話の中に、自覚的であれ無自覚であれ、困難な時代を生き抜くためのヒントを読み取っているのです。
 いうなれば、神話は多義的に読み解ける、開かれたテクストなのです。(「はじめに」より)

20040620初版1刷発行。


 
2016年05月23日 09:04

◎「1913 20世紀の夏の季節」 フローリアン・イエリス著 山口裕之訳 河出書房新社{ノンフィクション・西洋文化}
第一次世界大戦の前年のヨーロッパーーー世界史の転換に人々は何をしていたのか
ひと月ごとに著名人たちの動静の膨大な断片をつなぎあわせながら、1913という一年を微細にしてダイナミックに描き出す、かつてなかった手法による空前のドキュメント
ドイツはじめ世界の読書人の絶大な支持を受けたベストセラー(帯より)

短い文をつなぎ合わせた感じ。同じ時、文化人、芸術家、作家は何をしていたのか?というもの。時代の空気が良く分かるんです。文化が花開き、成熟している。熟れて熟れて腐敗していきそうな空気。平和で何もない。事件は何ひとつ起きていないんですけれども、なんだか生ぬるい空気がただよっているような。
若き日のヒトラーや、ココシャカとアルマ・マーラー、フロイトとユングの別離、トーマス・マンの「ベニスに死す」の執筆、カフカの苦悩。
何もないんです。何もないこの感じの空気がね、けっこう「2016の現在」にも似ているような気もしてきます(気のせいならよいなあ)

西洋美術やドイツ文学を学ばれている方はぜひ。必ず、おもしろい部分があると思います。


この年は、回転数が上がりすぎていた年である。ロシア人のパイロット、ピュートル・ニコライェウィッチ・ネステロフが1913年に、戦闘機で人類史上初の宙返りを行ったとしても不思議はない。また、オーストリアのフィギュアスケート選手アロイス・ルッツは、極寒の一月に凍った湖の上で、熟達した技巧によって空中回転を行った。それによって、このジャンプは今日にいたるまでルッツの名を冠している。そのためには後ろ向きに助走を行い、そのあと左足のアウトサイドエッジからジャンプしなければならない。回転を成功させるには、両腕を上半身にぐいと力強く引き寄せる必要がある。ダブルルッツの場合には当然ながらこれを二回行う。(本文より)


20141220初版印刷。


2016年05月22日 21:38

◎この絵どこがすごいの?名画のひみつと鑑賞のルール 佐藤晃子著 新人物往来社 {西洋美術・日本美術}
奇をてらってなくて淡々と書いているのですが、本当にわかりやすいです。色気はないです。でも、どんな人が読んでも分かりやすいのではないかなあ。

当たり前のことを当たり前に書いているのかもしれないけれど、そういう美術書って意外にないように思います。


画家と同時に生きた人ならば、絵を見るだけでその描かれた意味が汲み取れたかもしれませんが、何百年もあとに生まれ、宗教も生活様式も異なる私たちには、画家や鑑賞者が共通して認識していた「絵を見るうえでの約束事」がもうわからなくなっています。私たちが「同じ日本語だから古い言葉でも読めるだろう」と古文をみても、最低限の文法を知らないと、正確には意味が読み取れないのと同じことです。
 このように、絵を見るうえでの基礎知識を得る知ることは古文の文法を学ぶようなものですから、鑑賞の助けにこそなれ、邪魔になるものではないのです。
 そこでこの本では、「名画」とよばれる有名な作品を集め、それぞれに解説を加えました。今は忘れられてしまった、絵を見るために必要な約束事だけでなく、画家のプロフィールも乗せていますので、興味のあるページからみていただいてもかまいません。(略)本書が、楽しい絵画鑑賞の一助になれば幸いです。(「はじめに」より)

20120324 第1刷発行。
 


2016年05月22日 19:03

世界最高のピアニスト 許光俊著 光文社新書{クラシック}
この方、苦手です。でもね、今までの本のなかでは一番おもしろかったですよ。

「ピアノを弾かない私だからこそ、クラシックを聴くことができるのだ・・・」的発言、気にさわるなあ・・・・。これだから「西洋かぶれのおっさんは・・・」(偏見には偏見でかえさないとねえ・・・)

ケンプやラローチャを評価したり、バレンボイムをあまり評価しなかったり・・・けっこう、私の意見とはあうのになあ。なんだろう?文章が苦手です。

20110820初版1刷発行。
2016年05月22日 18:39

〇時代の証言者48「漫画」 読売新聞社解説部 読売ブックレット {社会}
水木しげるとやなせたかしのインタビューをまとめたもの。
戦争を知っている世代なんですね。二人が生きてきた時代がよくわかります。時代も人となりもよく分かるんですね。
お二人がしなやかに、そして力強く生きてきた様子が良く分かります。

なんということはないインタビューなんですが、一読の価値があるように思います。とくにお二人に興味を持っていなくても、ぜひお読み下さい。

(読売新聞での2004・9・1~10.5までの水木さんのインタビューの紙面、2005.2.2~3・1のやなせたかしさんのインタビューの紙面を加筆修正したものだそうです)
2016年05月22日 18:31

〇[ 名画]絶世の美女 魔性 男たちを破滅へと誘う120人! 新人物往来社 平松洋著{西洋美術}
カラーで、画像がまぁ~美しい!!
「運命の女」なんてまとめられていますけれども、私はきれいなおねえさんの絵をみるだけで幸せ~な気持ちになります。
この本は簡単な解説しかないのですが、それでいいんじゃないかな?と思います。私は絵のセレクトがすばらしいなあ・・とおもったのですけれども、女性4人を含む編集部の人々の意向も反映されているらしいのです。どうりで、素敵なセレクト!!

手元においておきたい画集です。「宿命の女」というテーマ性から、どうしても19世紀後半のフランス、イギリス美術にかたよってしまった・・・とのこと!!わたしは、偏っていてうれしかったですよ^^ジェローム、ロセッティ、ウォーターハウス、レイトン、バーン=ジョーンズ・・・・お好きな人はどうぞ。

20120630第1刷発行。
2016年05月08日 14:20

◎やなせたかし 明日をひらく言葉 PHP研究所{社会}
いわずとしれた「あんぱんまんの産みの親」のやなせさんの言葉をまとめたものです。「人間とはなんぞや」って堅苦しくなく、やさしく教えてくれます。読んでいるだけでこころがほぐれてくるのです。「あ~、あれ(過去のことなど)ってこういうことだったんだ・・・」って、きっと思い当たるふしがあるはず。やなせさんのやさしさが文面からにじみでる、大切なことを教えてくれる本です。

以下、抜粋。コメント。


こうなってみると、イケメンじゃなくて本当によかった。人並み以上の容姿に生まれついたら、この性格では、仕事なんかそっちのけで羽目をはずし、人生の軌道を大きくはずれてしまった可能性大である。それを抑制するために、神様が容姿風貌を制限されたのだと、大いに感謝しなくてはいけない。


↑容姿云々じゃなくてね。こんなふうに、ふわっとしたユーモアをもって生きていきたいな、って思いました。自分を卑下するわけでなく、笑い飛ばせるような。


甘くたっていいさ。
甘いのが好きな人もいるし、からいものが好きな人もいる。

漫画と詩をまったく同次元で考えている。どちらもわかりやすくと考えているし、人生を楽しくするために役立つものでありたい。難解な詩はどうも好きになれない。一部の人にしかわからないような詩は詩ではないと思う。子どもからお年寄りにまでわかり、多くの人に愛されるような叙情性あふれる詩。できるだけ、そんな詩を書いてきた。(略)詩は、心によろこびを与えるものでなければいけない。気づまりな人生に吹き込むさわやかな風、ほっとするやさしさがなければならない。それこそが詩の本質だと思う。


↑詩がどのようなものであるにしても、やなせさんがそのような気持ちをもっていたことになんだか感動してしまうのです。「言葉」を意識的につかうものとしての「心がまえ」という感じ。


生きていることが、理屈なしに大切なのです。今日まで生きてこられたのなら、少しくらいつらくても明日もまた生きられる。
そう思って、とにかく生きてみる。そうやっているうちに、次が拓けてくるのです。


↑説明不要ですね。「とにかく生きてみる」ことの大切さを、時折感じます。


人生は椅子とりゲーム。満員電車に乗り込み、あきらめて途中下車せず立ち続けていたら、あるとき目の前の席が空いた。


↑「椅子とりゲーム」だとは思わないのですが、この言葉を読んでえらく感動してしまいました。「目の前」の席があいた時、感謝の念をもって「座ることが」できるかどうか。
時折「目の前の席が空く」ことがあります。それは、決して「何かをした」からではなく。その「目の前の席」は用意していないと座れません。「目の前が空く」ことが当然だと思っていたら、きっとどこかでその驕りからひずみがでていくでしょう。ありがたく席に座り、いつか的確な人に席をゆずれるような人間になりたいものです。


20120718第1版第1刷

2016年05月08日 11:06

○イケメン幕末史 小日向えり著 PHP新書{日本史}
著者は歴ドル(歴史好きアイドル)の草分け的存在だそうです。
題名も本のなかのイラストも、かなり軽い感じ。
でも、1500字程度でまとめられた文は的確そのもの。ちゃらいエッセイではなく、優秀な学生がうまくまとめたレポートみたいです。
だから「イケメン」ということを期待して読むと、若干ものたりなさはあるかもね。歴史好きからみてもちゃらい感じから避けられてしまう可能性が大きく、「もったいない」本という感じ。コラムもなかなか面白いし、いい本なのになあ。

ちょっと抜粋しておきますね。

「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」
「春の草 五色までは 覚えけり」

↑土方歳三の句らしいですが。これ、俳句??当たり前だよ~、というつっこみをいれたくなりますが、句の下手さに胸きゅんする乙女も多いのでは?

「夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし 計画なき者に実行なし 実行なき者に成功なし。 ゆえに、夢なき者に成功なし」

↑吉田松陰の言葉。松蔭先生ほんと、すごい。ますます、松蔭先生好きになりました。


そうそう、ドラマや小説を挙げて「おなじみの・・・」というところが多いので、あまり知らない私にはきつかったかも。

20100629第1版第1刷

2016年05月08日 10:21

「幕末大名」失敗の研究 ~政治力の差が明暗を分けた 瀧澤中著 PHP文庫{日本史}
「たとえ美徳のように思えるように見えることでも、これを行っていくうちに自分の破滅に通ずることがあり、他方、一見、悪徳のようにみえても、これを行うことによって、自分の安全と繁栄がもたらされる場合がある」(「君主論」マキャベリ著)
そのために、ひとつの悪徳を行使しなくては、自国の存亡にかかわるといったときは、悪評を受けろ・・・と、君主論でといているそうです。

そこと結びつけて「貧乏くじをひくな」と、松平容保について述べています。・・・・それはそうなんだけどねえ・・・(苦笑)そこからの論がない。内容がやや薄いような。でもって、論も二転三転しているため、要点がややわかりにくくなってしまっています。

イメージ的には会社勤めの歴史好きのおじさんが、会社の組織論をかたっているイメージかな?

率直にいうと、「あなたのことは嫌いじゃないけど、話はつまらないかなあ・・・」

めずらしく最後まで読まず、五分の三あたりであきらめました・・・。

20150219第1版1刷

2016年05月07日 21:52

○簡単すぎる名画鑑賞術 西岡文彦著 ちくま文庫{西洋絵画}
なぜモナリザは名画なの?とか。現代美術はなにが「美術」なの?ということを丁寧に説明した名著です。とはいっても、まあ「簡単」ではないです。

でも、美術の流れを一作品での「細切れ」解説でもなく、年表のような解説でもなく、とても丁寧に説明されている。なんだろうなあ・・・・。ものの「見かた」がやさしいのよね。

「理解しよう」ではなく、興味のある章をじっくり読むと、おもしろいのではないかな?

さいごに、気に入った文章があったのでちょっと抜粋。

ともかく、美術の解説というものには、むずかしいものが多すぎる。(略)ほとんどなにが書いてあるかわからない場合も多く、読んでいる側が自分の知性と感性を疑うしかなくなってしまう。不思議なことに、こういう場合に書き手の知性と感受性を疑う人はあまりいない。(略)基本的に、書き手の理解度と文章の難解度は、反比例の関係にある。書き手が理解していることに関する文章は具体的で分かりやすく、書き手が理解していない文章は抽象的でむずかしくなりがちである。この抽象的なむずかしさがこうじてくると、しまいには、なにやら荘厳なたたずまいとは裏腹に、ほとんど意味をなさない文章というのが出現することになる。残念ながら、この手の文章が、美術批評(とりわけ現代美術)にはきわめて多い。
(略)当たり前のことを当たり前に語り、なにより「好き」という思いを大切にした解説を心がけたつもりである。本書が、読者の美術鑑賞の楽しみを少しでも増すことができればこれにまさる喜びはない。
{「はじめに」より}

20111210第1刷発行。

2016年05月05日 16:54

ヴィジュアル新書 おしゃべりな名画 木村泰司著 kkベストセラーズ{西洋美術}
以前読んだ、[名画は嘘をつく]よりはおもしろいです。あれは1ページ半くらいの細切れ解説でしたから。

しかし、このおじさんとはなかよくなれないな~、って思うことが多くて(苦笑)や~、「わからない人」がわからないなりに絵を見たっていいと思うんですよ、私は。その人の目線でそれなりに見るわけさ。その「素直な感想」を抱けば、いいんじゃないかなあ・・・と(自分自身だってかわるからね)

だから、この著者のなんとな~く「気の利いたことを書いてやろう」っていう感じが私は、苦手なんです。素直な感想を書いていいような気がする。むう・・・。「毒舌」っていうのも、センスがいることなのねえ・・・。

番外編の「西洋絵画に描かれた猫」はおもしろかったです。

20120314初版第1版発行。
2016年05月05日 16:22

音楽という<真実>  新垣隆著 小学館 {社会}
あの「ゴーストライター」騒動のお人。あまりあのおじさんとの接点はなかったようだが、結果的に大きな問題になってしまう。あのおじさんの「嘘」に加担していることに良心が耐えられなくなったのでしょう。そのあたりの経緯が書いてある。

日本は音大や芸大が多いという。卒業後、どのようにしているのかは想像に難くない。そのなかで、講師にしろ芸術の職を得るというのだから、ものすごく有能な人なのだろう。

芸術家が表現をする場を得るというのは、想像以上にたいへんだ。たとえ、ほそぼそであっても、自分の作品を公にすることに喜びを得たのだろう。

新垣さんのいかに「音楽」が好きかという文面が、とてもいきいきとしている。音楽のことを書くときの勢いと騒動を説明するときの勢いがまったく違う。音楽のくだりは、音楽好きにとってはおもしろい。

この本はどのようにも読める。私は「芸術で職を得るのは大変だよなあ・・・」という感想。

ちょっとだけ音楽評論ともとれる文面を発見!!抜粋。

 私が行ったことの一番の罪は何かといえば、それはワーグナー的に機能する音楽を作ってしまったことでしょう。人々を陶酔させ、感覚を麻痺させる、いわば音楽のもつ魔力をうかうかと使ってしまったわけです。
 「HIROSHIMA」はスタイル的にはロマン派で、20世紀前半、戦後ちょっとくらいまでの音楽を踏襲しています。和音のボキャブラリーは少し豊かになっていますが、基本的にはワーグナー以来のある種の伝統のスタイルにのっとって書いてあるだけの作品だといってもいいくらいです。
 ああいう作品は、実は19世紀の終わりから20世紀半ばくらいの間に、クラシックでもたくさん書かれていました。それを時代も地域も違う現代の日本でたまたまやったのが、私だったということになります。そして、ロマン派の音楽は、人々を陶酔させ、感覚を麻痺させやすいんです。これは坂本龍一さんはじめみなさんがおっしゃることですが、そういうほうが音楽は作りやすいんです。そういうロマン主義的な、なるべく荘厳で壮大で、というイメージは、もちろん彼が求めたものでした。そして、わたしはそれに忠実に応じてしまったわけです。

20150622初版第1版発行
2016年04月01日 16:47

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