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~つれづれ読書感想文②~ミクシィページより

〇女子のための日本史入門幕末史! まめこ(著、漫画) 外川淳監修 朝日新聞出版{歴史、幕末}
そう、日本にすんでいるのなら、歴史を知っていたほうが、ぐーんと楽しい!!(あとがきより)

この1文です!!歴史にうとい漫画家さんが歴史の学者さんに教えてもらいつつ書いたそうです。
2頭身のキャラたちは、めちゃかわいい!!それから、昔、参考書かなんかで大村益次郎さんの顔をみた途端、私もイラストを書きたくなりました・・・・・あの顔、反則だと思う・・・2頭身、大村さん、かわいい!!
女子でなくても楽しめます。ざっくり幕末がわかるので、手元においておきたいなあ。
土方=ロマンチスト歌人
勝=隠し子がいっぱい
西郷=温泉が大好き
大久保=わが子に首ったけ
岩倉=マゲに執着
木戸=ストレスに弱い
高杉=超甘~い両親

20100730初版発行
2014年11月04日 21:41

巨匠たちのラストコンサート 中川右介著  文春新書 {クラシック}
この方は、あまり思い入れをかたらない。先日読んだ本の書き方が気に入って、また読んでみた。今回も、大正解!!大変おもしろく読みました。
ラストコンサートは本人が分かっていたという例は少ない。寿命、音楽家としての寿命(要請されるか否か)というところがあるから。
つまり、晩年の様子が詳細に語られるわけです。物語がある。特にロストロポーヴィチの話は共産圏だったソヴィエトの政策と共にかたられ、興味深かったです。

世の中には、純粋に音楽を聴くべきだ、演奏者の思想信条や人格や性格やましてや社会的、歴史的背景といった情報は、すべて排除してきくべきだという考え方がある。そう考える人には、この本で示した聴き方は邪道であろう。
 だが、音楽評論の多くが物語性を排除しているので、たまには、こういう本があってもいいと思うのだが、いかがであろうか?

↑音楽評論・・・・自分がかなり思いいれがあってヒステリーなのに、客観的に書いてます・・・・風な評論が多くて腹を立ててます(笑)ここは、私の意見なんだけどね・・・と自覚している文は非常に好ましく、この方の文章は好きです。カラヤンとかカラスとか、好きな音楽家の好みが私とかなり違うけれども、それでも文が好きです。本も面白かった。

トスカニーニ
バーンスタイン
グールド
フルトヴェングラー
リパッテイ
カラヤン
カラス
クライバー
ロストロポーヴィチ

20080520初版発行

2014年11月04日 21:22

ギュンター・ヴァント~音楽への孤高の奉仕と不断の闘い ヴォルフガング・ザイフェルト著 根岸一美訳 音楽之友社{クラシック}
ヴァントの名演集を購入した。知識もあまりなかった私が「なんとなく」で選んだこの指揮者は、私の理想とする指揮をした。縦の線はきっちりあっていて1音1音は芯が通っていて、無駄な装飾をすることはない。
おそらく、あ~これこれ・・・・と思える指揮者はあまりいないと思う。クラシックを聴くたびに「自分で指揮できないくせに」あの部分のあの音があ~だったら・・・・と永遠と考えるからだ。その違いを「あ~でもない、こ~でもない」とクラシックを聴くのが、楽しみだったりする。
そんな「限りなく理想に近い」演奏をする得がたい指揮者だ。このヴァントさんはわかりやすい地位には恵まれなかった。ナチ党に入党することもなかった。劇場の指揮者だった彼は、ものすごく長生きして、晩年には高い評価を得た。
彼は自分の考えを人に話すことは少なかったという。いつもいつも楽譜とにらめっこしていたという。
 そんな彼の一生を描いたものだけれど、やたらと分厚い本にもかかわらず、彼の人となりのエピソードとか、楽曲に対する解釈が書かれていなかったので、あまり面白くありませんでした。この指揮者には興味あるんだけどなあ・・・

20020630初版発行。
2014年11月04日 08:51

クラシック漂流記~ブルーアイランド氏は大忙し! 青島広志著 中央公論新社{クラシック}
この方、すごい方なんです!!TVでお見かけしますが、れっきとした芸術大学講師を長年勤めていらっしゃいます。かぶりものかぶっても、話し方がおねえ言葉でも、ピアノの音をはずしても、すごい人なんです!!表面に惑わされず、よくよく話を聞いてくださいませ!!話し方「あいうえおの口の形」「発声法」のしっかりしたこと。(あの・・・・若い方でいらっしゃるのですが話し方がいいかげんな人が苦手でして・・・とても気になります。)内容も、学術的なことを簡単な言葉で説明して分かりやすい。こういう方の話を幼い頃に聞いていれば、きっと音楽が好きになるでしょう。ベートーベン「運命」に「さがるぞお・・・」と歌詞をつけていたのはこの人です。自治体の公立小中学校に、活動に行っていることも知っています。
音楽界への貢献度がはんぱなく大きいと思うのだけど・・・・どうなのだろう?

さて、そんな彼の著書。ご本人ほど面白くはありませんが、楽しく読みました。主に音楽家の裏話です。にもかかわらず「陰毛について」「男の乳房について」「男性の裸体について」「体臭について」とかあります。。。。(笑)すべての話が2ページでかたられるのは読みやすくてよかったです。
 
さて、抜粋です。
演奏会では必ずショパンの曲のリクエストがかかる。ほとんどの作品が、彼が得手としたピアノ曲だから、B(ご本人)のような腕に覚えのないピアノ弾きは大変に苦労する。音楽業界では「ピアニストはショパンが弾けて一人前」といわれるように、その曲はプロとしての試金石なのである。とにかく一筋縄ではいかないのだ。何がそうむずかしいなかというと、まず最初から最後までずっと弾き続けていることだ。つまり休まずにずっと運動していることになる。ベートーヴェンの曲などは、適当に休みが入っているから、そこで気を取り直して体勢もたて直すことができる。
 次に、鍵盤上での位置の移動が激しいこと、簡単に言えば長い距離を、一瞬のうちに手が飛ぶのである。最も優しい部類に入る「子犬のワルツ」も、左手が特有の「ズン・チャッ・チャッ」というリズムで、その「ズン」が鍵盤の左よりの方を弾くのである。しかもその低音が黒鍵を引く場合が多く命中率が下がるのだ。ピアノの黒鍵は面積が狭い上に、奥にひっこんでいるので、はずす危険が大きいのである。(略)
 第三に、一度に掴む音の数が多いこと。これが古い時代のモーツアルトなら、せいぜい片手で三個までだが、ショパンの場合は5個はザラ。6個ということもある。指は5本なのになぜ6本なのかと言えば、親指を寝かせて、2つの鍵盤を同時に弾くことができるのである。
<弾けない曲、ショパンより>
←ショパンも弾けないのか・・・と思ってはいけないです。彼は、つつましい性格でばりばり弾けます!!と言わない。それを「奥ゆかしい」と思うか「めんどくさい」と思うか、人それぞれだが、だまされてはいけない!!それにしても、ここまで面白くショパンの楽譜を解説した文はなかったと思う。ショパンワルツの「ズン」は外れやすく「チャッ・チャッ」も1度目と2度目を微妙に変えるので要注意です(笑)ピアノ弾く人は面白く感じますよね。昔、「ズン」の音だけひたすら追わされました。「ズン」のとこ鉛筆で「ドレミ」全部書いて来い!!と言われました。懐かしい。「命中率」という言葉のセレクトに笑いました。
 
もともと作品に「謝肉祭」「蝶々」などという幻想的な題をつける趣味があったが、その「謝肉祭」には「最高の速さで」と書いた後に「もっと早く」と記したり、窓から飛び降りても痛くないようにと、アパートの下の階に移ったりという奇行がめだってくる。そしてついにライン河へ投身自殺をはかるという事件が起こる。遊覧船の甲板のうえに落ちて助かったが、再び、レッスン中のクララの目を盗んで同様の行為に及び、今度は猟師に救い上げられてしまう。三回目は、枕元で天使が歌ってくれる歌を書きとめた「主題と変奏」を清書した直後、自ら病院の門をくぐったのである。1854年のことだった。<奇妙なシューマン>
←愛してやまないシューマン。歌曲も書いてます。私は、もっぱらピアノ曲や「チェロ協奏曲」を聴きます。ベートーヴェン的な(あこがれていたのね)しっかりした構成なのに、旋律がロマンチック。躁鬱で、とつぜん豹変します。「万人に愛されるタイプではない」と、青島さんも言っている。それでも私は愛おしいと思うのです。

大震災がおこると、その企画である「世界における日本」が微妙に変化し、「被災者を癒す」音楽が盛り込まれ、そこにまた彼女自身の曲が登場するのだった。批判を恐れずに記せば、真実の音楽家は「癒し」には強い反発を感じるもので、自分たちは医師やカウンセラーほどの力を持たないと悟っているからである。もちろん自己表現としての作曲や演奏を、第三者がどのように使ってくださっても、それはそれでうれしいが。更に残念なことに、その目的で「作曲」された音楽は、強い個性をもたず、ドビュッシーと久石譲の亜流になってしまうのが落ちなのだ。・・・・・音楽家としての良心を捨てたくはないが、自らを売るためにこうした仕事に手を出しては、その度に後悔する。<ちょうちん記事とたいこもち>
←「癒し」ブーム・・・・・・なんとかならないものか。と私も思っているのさ~~

2013・7・10初版発行。
2014年10月31日 21:31

〇イルミナティだけが知っている「金融工学」 ベンジャミン・フルフォード編著 ヒカルランド{社会}
消費税があがって、生活が苦しいです。
食費も野菜やお肉(とうぜん、鳥か豚)の値段が上がり、世の中の人はよく生活をやっていけるなあ・・・・と思います。
でも「消費税が上がるのはしかたないんじゃないかなあ・・・」などという方もいて、びっくりです。皆様、お金持ちのようで。
「そんなに生活に困っていない」人にも「苦しい」人にも、生きていくためのものは必要なわけで、苦しい人への負担が大きくなりますね。これが、消費税のシステムの問題点です。欧米では昔から、給料から差し引かれる文化がありませんでした。ので、所得税、法人税事情が日本と全く違います。にも関わらず「欧米並みの消費税」と、のたまう知識人がいかに「政府のちょうちん」に成り下がっていることか・・・・私は憤りを感じているしだいです。
でも「そんなに生活に困っていない人」というのが、とてつもないお金持ちの太鼓もちになっているのが、なにより悲しい・・・・
この本は、そういう話です。先に「洗脳編」は宗教目線ですが、今回は金融目線です。世界で6000人ほどの大金持ちが富を独占しているという話です。多くの人は「パン」と「サーカス」を適当に与えられているという話。統率する役目も貧民の一人をちょっとした報酬で働かせる・・・ということ。責任は、ちょっとの報酬を与えられた統率兵の責任となる。おそらく不平不満もその人に集まる。黒幕の大金持ちは、何ひとつ手を汚すことはない。
うーん。最近「パン」すら危ういと思う私・・・・。(そろそろお米なくなったから買わねば・・・・)
「洗脳編」より具体的で、読みやすいです。前半のほうが面白いです。
イルミナティはあまり述べられていません。黒幕とイルミナテイは無関係だそうです。(どちらかというと対決していると述べられている)
さて、抜粋です。
<たった6000人による支配とその手口>
1、その6000人は共通の展望と目的を持っているはずである。
したがって、常にお互いが争っていては、彼らにとって非常に不利益なのだ(略)金と権力への飽くなき要求によって統合されている。6000という数学は、巨大な富を分け合うことのできる人数であり、もしそれが多すぎて60万人とか600万人とかになってしまうと・・・・・それぞれの富や権力がほとんど拡散されてしまう。しかも同ランク内での衝突が、頻繁に起こるようになるであろう。
2、その6000人は、大衆を沈静化するためには武力の行使も辞さない。軍や警察がその武力をていきょうしているのだ。
3、その6000人は、他人の行動をスパイしている。
その役割を果たしているのは諜報機関である。
4、一般大衆には、政治の選択肢があるという幻をみせておく。民主主義がその役割を果たしている。
5、一般大衆には、自分が自由だと思い込ませる。
この目的のためには、負の自由を与えなくてはいけない・・・・政治不干渉である(民衆が政府には一切反対しないというのが条件だが)
6、一般大衆には多くの選択肢を与える。
消費社会がその需要を満たしてくれる。人には選べる商品が際限なくあるため、ものを選べることと本当の選択をすることの違いを見失うのである。
7、一般大衆には、食料と娯楽を与える「パネム エト キルンケス」
つまり、「パンとサーカス」・・・・・ローマ人が言った言葉である。スーパーにいけば、安く手軽な食料品が豊富に揃っている。テレビや映画、芝居、音楽、ナイトクラブ、バー、それにプレステ・・・・いくらでも楽しむ方法があるのだ。
8、時には一般大衆を編成意識状態へと逃げ込ませてやり、一時的にせよ、彼らが抱える日々の問題から開放してやるべきである。アルコール、タバコ、鎮静剤はれっきとした合法ドラッグである。それどころか違法ドラッグですら山ほどあることが認められているのだ(結局のところ、国際的な麻薬取引で利益を得ているのもこの6000人なのである)
9、一般大衆には、自分が何かしらすばらしいものを「所有」している、と感じさせなくてはならない。
そのためにあるのが家である。多くの人が実際に我が家を「崇拝するかの」勢いで大切にしており、まるで自分の一部やアイデンティティに欠かせない要素だと感じている。「イギリス人にとって我が家は城である」というではないか。
10、一般大衆には、苦情があれば対処してもらえると信じさせる。
法律がこの機能を果たしてくれる。
11、一般大衆には、「犯罪者」は罰を受けて当然だと思わせる。
刑務所がその目的をはたしている。
12、一般大衆には、死後に望みを持たせる。
宗教がこの機能を果たしてくれる。
13、一般大衆には、親密で愛情にあふれたサポート体系が必要である。
家族がその役割を果たす。

怖い話ですね。多分「愚民政治」になっていっている。「自分や自分の家族」には、かかわりないからといって「大勢」に同意する。少数意見は抹殺される。「自分の票が生きないのがイヤだから・・・・」といって、選挙で受かりそうな候補者に入れている(といっていた)人がいて愕然とした。何のための選挙????「愚民政治」昔からこんな言葉があった・・・のに、人類は学べてないのだね・・・・

後半は、キリスト教のこと。特に、キリストの復活のところの話です。
読んでいて暗い気持ちにはなりましたが、それでも読んでよかったと思います。

2011・4・30初版
2014年10月31日 19:31

隠されたヨーロッパの血の歴史~ミケランジェロとメディチ家の裏側、副島隆彦著 kkベストセラーズ {西洋文化}
副島さん。評論家。1953年、福岡市生まれ。早稲田大学法学部卒。外資系銀行員、予備校講師、常葉学園大学教授を歴任。
だそうです。さて、この本は「キリスト教(主に教会)のウソ」「ルネサンスはなにものか」を書いたもの。
キリストは単に人間であり、マグダラのマリアが妻だった・・・的な話を始めからハイテンションでとばします。それが「日本人には分からないだろうが」という、前置きが多く少々、辟易しました。うん、分からないから読んでるよ~と。「これだから欧米かぶれのインテリなおっさんは・・・」とも思いましたが、私も「欧米かぶれのかわいげのない女」なので人のこといえないかなあ・・・・どっかのクラシック評論家とは違い、腹が立つとはいっても比でないですし、この方の知性はすばらしい!!内容は面白く、ちょいちょい気になる文言があれど、西洋史を学ばれている方はオススメです。
なんで、インテリおっさんって、女性蔑視するかなあ・・・・。いや、政府も「女性の登用」とかいってましたね。その言葉がすでに「女性蔑視」だと思うのだがね。これだからインテリおっさんは・・・・ww

さて、「マグダラのマリア」聖書で読むと、不思議なんですよ。「売春婦」だったり、キリストに触れようとして「触れるな」といわれたり、自分の髪に香油をつけてキリストの足拭いたり(なんか性の香りがします)キリスト最後のときは、なぜか大々的にいる。
私は、どういう立ち位置のキャラクターか高校生の頃から不思議に思っていたのですが、映画「ダ・ヴィンチコード」をみたとき「ああ、やっぱり・・・」と思いました。
「人間キリスト」は教会的にNGなんでしょうねえ。よかった、現代日本に生まれて。わたし、うっかりなにか言いそう・・・・。
帯にはこのように書かれています。「ルネサンスとはローマカトリック教会に憎まれ押しつぶされ、暗殺していった人文主義者たちの思想運動のことだ」
そのとおりの内容です。
が、はじめの方の文章「私はフィレンツェの街を歩いていたら、旅行者たちにまとわりつく亡霊たちの姿がはっきりと見えた。恨みを抱えて死んでいった先駆者たちの恐ろしい形相の霊たちだった。(略)悪霊が現れ、室内の私の周囲をうろついた。そして私にとりつこうとした」・・・・
かなり始めの方で読む気が失せたのですが、内容は実に知性的で彼の感覚だけで話がすすむわけではなく、分かりやすい文章です。内容もおもしろい。

そんな感じの「難あり」だが「オススメ」本です。

20121105初版発行
2014年10月29日 15:12

〇イルミナティだけが知っている{洗脳工学篇}  ベンジャミン・フルフォード編著  ヒカルランド {社会}
まず、日本でしか発売できないであろう本。
人との付き合いにおいて宗教と政治の話はタブーとされるところがあると思います。また世界の戦争は宗教か人種がらみで起きていたりします。だから、著者が命を狙われているというのもあながち嘘ではなさそうです。
そんなわけで「宗教とはなんぞや?」とか「ユダヤ教、イスラム教、キリスト教(主に一神教)の病理)」とかが書かれています。神社、仏閣、教会が混在し、生まれたとき「神社」結婚は「教会」葬式は「お寺」(もちろん、そうでない人もおります)な日本ですもの。ヴィヴァ日本!!こういうとこは大好きです。
  私が過ごした学校は「無宗教」でした。校門近くに、小さいおいなりさんがあり、校舎の一Fには、菩薩さま。2Fには聖母子像があった。で、入学してすぐ、何らかの教会がやってきて、聖書をくれた。もーね。私、大好きだったの。この「なんでもあり」感。そして、ひさしぶりにみてみたら、あんなにたくさんあった仏像やら、宗教画だのが撤去されてる・・・・とても残念でした。(校長もかわったし、ぐだぐだぶりは対外的に問題なのかも・・・)
さて、この本はイルミナティと銘うったこの本。でもイルミナティというより、宗教とはなんぞや、とか、支配・被支配のことについての記述が多いです。宇宙論、人間の右脳・左脳、哲学、心理学、原子、アインシュタイン、ヘーゲル、カント、ユングなど。これはすべて分かる人はまれかも。とりあえず、こんなもんだろう、と予想して、読み進めました。
めちゃくちゃおもしろかったです。おそらく一生、この本を手にする必要なんてない人も多いのだろうけど。
 地震は、軍事的にひきおこされたもの、だの、宗教戦争は石油の利権を持っているひとたちが引き起こしているだの・・・・信じるか信じないかはあなたしだい・・・という話が続きます。私はあながち否定はできないと思いますが、そういう考えがあるということを認められないと「トンデモ本」ということになりますね。 
キリスト教は奴隷の宗教ですからね。時の権力者が支配しやすいよう改変したと記述されていますが、これは全面的に賛成します。
で「宗教」です。特権階級が支配しやすいよう作り出した。「神はいない」という。これ、日本以外で「神はいない」なんて言ったら暗殺されますね・・・・

神はいるのか?まあ、私はいてもいなくてもいいや。と思っていて(←いいかげん)大昔、「自分の最も善い部分が自分にとっての神」という言葉を人に発したこともあり、そう思っているのです。なんでもイルミナテイの教義では、神はいない。知識をもちなさい。と説くらしい・・・・おおお、私、「ひとりイルミナティー」じゃんwwwなんて思いました。知識っていうより「認識の応用力」が大切だと思うの。海外で「無宗教」というと、「無神論者」ということになり、面倒くさいから「仏教徒です」と言うといいらしいですよ・・・閑話休題。

面白かったですね。わくわくしながら読みました。ちょっと、気になったとこを、転記します。

問題は、これら3つのアブラハムの宗教が本物であるかどうかではなく・・・なぜこれほど大勢の人間が、非論理的で、首尾一貫しない、矛盾に満ちた、信憑性のない、ばかばかしい宗教をいつ終わるとも知れない書物の中で述べられている無数の欠陥を信じ続けているのかということである。そしてその答えは単純明快である・・・・。
 人々は、自分が心地よいと感じる形で「制度」を与えられた場合には、なんでも信じてしまうのだ。宗教は人間に道徳観、共同体、歴史、世界規模の家族、永遠の命という希望・・・・天国という希望を与えてくれる。そして何よりも、宗教は人間に自我同一性を与えてくれるのだ。

神にひざまずいて祈る人は・・・・非常に不幸で・・・自己嫌悪におちいっている。そうして自分自身に拷問をかけているのだ。(略)自分ではどうすることもできない・・・・救ってくれるのは神だけだ、とその人は思うかもしれない。彼こそが、疎外された魂なのである。そこで、人々が「神とは外在しているのではなく、内在する存在なのだ」と気づいたらどうだろう?

左脳は一般的に言語と論理の源であり、一方の右脳は芸術、数学、音楽の領域と考えられている。自閉症サヴァンは、芸術、数学、音楽の分野で驚くほどの技術的専門知識をみせることがあるが、語学、論理、共感に関してはしばしば発達の遅れがあるとみられている。
←共感・・・・

20110430初版発行
20110520第2版
2014年10月19日 00:09

醜い日本の私  中島義道  新潮選書{文化論}
この本の帯には「{美しい国}が好きな人には読んでいただかなくて結構です。」とある。これは微妙に内容がずれていて「{美しい日本の私}に違和感のある方はお読み下さい」の方が正確だと思うのです。
「ヒトラーのウイーン」の帯もいまいちだったけど、これは誰がつけるのかなあ???
さて「ヒトラーのウイーン」のなかで評論と日記をごっちゃにしていて、なんだこのおっちゃん??(おそらく帯がエッセイと銘打っていれば、こんなに変に思わなかったのですが)と思っていた人です。自分とヒトラーの初ウイーンを重ねるような人です。
それは疑ってかかりますわね。
さて日本のサービス気持ち悪くないですか?あの開店と閉店のときのお辞儀とか、「お客様は神様です」的「神対応」食べ物やで、注文のときひざまずくやつ・・・・あれ、いごこち悪すぎて、二度とくるか!!なんて思いますが、日本の方は大丈夫なの??
美容院では話を盛り上げなければならず、ものすごく緊張します。あれ、話しかけて欲しくないんですが・・・・。まあ、こちらも「面倒な客」にならないよう頑張ってへとへとになります。そんなわけでよっぽどのことがないと「美容院」にいきません。じぶんで、じゃきじゃき切ります。私は「ネイルサロン」だの「エステ」だの行く人の気が知れません。
で、この本の中では日本のサービスを「奴隷的サービス」と断じています。カフェの店員さんでも「どうぞ」とか「ありがとうございました」(鼻にかかった感じで、ありがとうございましたあ、ではなく)とか、普通にしてくれればいいのに。発し手は、組織の方法があるので、わかりますが、受け手が平気でいられるのが、いまいち感覚として分からない。
で、「きれいに使っていただいてありがとうございます」ってやつ。あれ、大嫌い!!日本の方って平気なの?「きれいに使えよ」って脅しだよね?当然、きれいに使うさ。でも、この言葉の暴力への怒りをどこにぶつけていいものか・・・って思ってた。
なんでもTVでみたけど張り紙のある家庭は子供が非行に走りやすいですよ。そうなんだよ。言葉って強い。公共の場のお上の顔を借りた「いい言葉」に対する批判が日本にはない。優しく言えば、みんながいいと思える言葉への耐性に優れていて鈍感になっていないか?
お祭りの太鼓の音、大人たちのカラオケ大会、役所の放送、私はめちゃくっちゃ腹がたつのですが、あまり腹を立てている人を聞かない。役所の放送、緊急のことだけ使えよ!!と思う。
まあ、私はこんな人なので、生きにくかった。ばりばり日本人なのに、感覚がおかしい・・・・。最近はあきらめもつきました。でもね、中島さん、言葉にしてくれた。もうね、感涙ですよ。。。。ありがとう!!!なんか、あー、生きててもいいんだ、と思った。で、要点を抜粋↓

<きれいに使っていただいてありがとうございます、について>
なぜ私はこう言葉に嫌悪感を覚えるのか?このあたりの感受性は大部分の同胞の感受性とずれているようなので、正確に説明しなければならない。それは、わが国の文化の「体温」に対する違和感であるから、いくら説明しても、その体温がきもちのいい人には、なかなか理解してもらえないであろう。そこを何とか努力してみると、個々人の多様な感受性を抹殺して、どんな人でもこちらが高飛車にではなくへりくだって柔らかに頼めば、きっとわかってくれる、という一見謙虚だが、じつはずうずうしい態度が透けてみえることへの反発である。

<提案>
各人の感受性はおそるべく多様であることを、小学校のころからもっと徹底的に教育すべきであろう。わが国では、教育においてとくに「共感」を強調する傾向が強い。「他人の気持ちがわかる人」とか「他人の痛みがわかる人」というスローガンのもとに、他人の感受性を尊重する教育がなされているように見える。だが、この場合、実は「わかる」内容は、感受性のマジョリティが「わかる」ことに限定されているのだ。
 そうであってはならないと思う。自分がされたくないことでも他人はされたいかもしれず、逆に、自分がされたいことでも他人はされたくないかもしれないではないか。このことは、各人の感受性の差異を顧みればあたりまえのことであるのに、真顔で「自分がされたくないことを他人にするな」という説教を子供たちのからだに叩き込むアホな教師があとをたたない。その結果、暴走族の騒音に苦しむ人には共感し、エスカレーターでの放送には共感しない感受性を育てるのだ。
  もっと子供たちの想像力をはぐくみ、自分が快適なとき、あるいは不快でないときも、すぐ隣の人が不快に思い、苦しんでいるかもしれないことを教育すべきである。文字通りの共感はできないかもしれない。だが、10歳の子供でも、そういう感受性がありえると想像することはできるはずだ。彼らを排除するのではなく、「そういう人っているんだなあ」と承認して、配慮することはできるはずだ。他人の気持ちをわかろうという教育ではなく、他人の気持ちは分からないかもしれないが、自分と異なった他人の気持ちを尊重しようという教育はできるはずだ。異なったものを排除するのではなく、同一化するのでもなく、異なっていることを認めたうえで、そのものとしては理解できないことを認めたうえで、彼らも自分と同じように生きる権利を持つことを承認することはできるはずだ。

20061215初版発行。
2014年10月18日 15:50

新版クラシックCDの名盤、新版クラシックCDの名盤演奏家編。宇野功芳、中野雄、福島章恭著。文春新書{クラシック}
この二冊、三人の評論家がそれぞれ、おすすめCDを出してきます。
人気のものらしく、旧版もあったそうな。
CDが売れない昨今、とても売れたらしい。
なるほど。3人がそれぞれ、出してくるのはよいな、と思った。
比較検討できるから。
ただ、これを買うのであれば、お気に入りのCDを買いたいなとも思ったですよ。

結局、全部読んだけど、データーとして取り入れるといいのかな?読み物ではありませぬ。
クラシック好きな人は、みんな持ってるんだろうなあ・・・・

      20080720初版発行
演奏家編20091120初版発行。
2014年10月14日 15:26

〇高嶋ちさ子の名曲案内~心が10倍豊かになるクラシック~ 高嶋ちさ子  PHP出版{クラシック}
高嶋ちさこさんが好きか嫌いか?高嶋さんが、芸術的に優れているか否か?はたまた、親しみやすく・・・とする活動のよしあし。。。
そこはおいておいて、とりあえず読んでみましょう!!
1つの曲に対して4ページにまとまっているのが、すばらしいです。
簡潔でわかりやすい。高嶋さんの毒舌で、何度か吹きましたし。
食わずぎらいはもったいないですよ。
自分で演奏もしないような、批評家よりよっぽど、ためになりますもん。
さて、気になったところの話。
オルフさん。(今、私のブームでして・・・)

作曲者のオルフは、40歳を過ぎてから作曲活動をしたという変わった経歴の持ち主です。そのきっかけになったのが、ミュンヘンの王立中央図書館に眠っていた「カルミナ・ブルーナ」との出会いでした。これは中世の名もない流浪僧や吟遊詩人たちが、自由奔放に歌い綴った詩を集めたもので、作曲に際して、それらの詩を「春」「酒場(特に飲酒と酒場)」「恋愛」のカテゴリーに分け、さらに自作の歌詞まで加えたのがこの「カルミナ・ブラーナ」にあたるそうです。
でも、「酒や女」というより「中世の魔女狩り」のようなこわーいイメージなんですね。しかもバリバリの宗教音楽だと思っていたら、その対極にある世俗音楽だっていうんだから、私の感性を疑いたくなります。というか、曲と詞が合ってないよ!オルフさん、君とは感性があわん。
 この原稿のために、歌詞を読んでみたのですが「森の花の美しさ」「酔っ払いの坊さん」なども描かれ、なかでも第12曲「昔は湖に住まっていた」は、焼き鳥にされる鳥の心境を綴ったもの。ますます歌詞と音楽のギャップに驚きました。(略)
それにしても驚くのは、ドイツでもっとも売れたクラシックアルバムが、カラヤンでもパバロッティでもなく、このCD(ヨッフム指揮「カルミナ・ブルーナ」)だということ。こうなってくるとドイツ人とも友達になれないきがしてきた。とにかく人気曲であることは間違いないらしいです。

いやー、おもしろいですよね。オルフさん。カルミナ・ブルーナ・・・このところ、狂ったように聴いていますけれど、そういうことかあ。と思いました。

酒、女、魔女、踊り、祭り・・・・おおらかな魔女文化というのが、南ドイツにあると思うんですよ。日本にも、おおらかな性のお祭りが古来あったような。魔女狩りっていうのはキリスト教文化が、古来の文化を弾圧したようなものだから(私個人の認識です)「酒や女」=「魔女」という感覚は非常に適切だと思うのですよ。宗教曲をきちんとやるとなんか楽しくなってくるというのもあって、宗教曲っぽい世俗曲という感覚も面白い!!とても変な発言ですがお経のお坊さんの声って、めちゃセクシーじゃないですか???あれ?私の感覚がおかしい??「おどろおどろしい」を、うわー、なんだか笑える、と思う私は「カルミナ・ブラーナ」の虜!!!かなり、好き嫌いが分かれそうだし、日本人受けしないのかも・・・とも思いました。いや、私、バリバリ日本人ですけれども・・・・そんなこと思いました。

さて、この本、おもしろいですよ。こんな風に、ゆるーくゆるーく音楽を楽しんでいきたいな、と思いました。

20081128初版発行。

2014年10月14日 15:14

宇野功芳、人と批評  想田正著  青弓社 {クラシック}
1930年、東京生まれ。1960年、国立音楽大学声楽科卒業。
宇野さんは、こういう方。音楽批評の重鎮なんですね。
で、インタビュー形式で、宇野さんの考えが紹介されています。
今までの、批評も紹介されています。
他の評論家絶賛したものを批判したり、誰もとりあげられなかったものを紹介することも多かったそうです。同じCDも、批評がかわってきたりもしたそうです。

評論そのものには、私の考えと異なるものもありました(ケンプさんはわたしの理想のピアノ弾きなのだよ)が、「自分の耳で」「できるだけ公正に批評しよう」という考えに大いに賛同できたし、ご自分が音楽をされていることもあって、彼の考え、とらえかたがはっきりしているのが、なんともすばらしいと思います。それに、受け手が変わっていく以上、評論もかわるのもありうることですから。
最近の傾向として、平均化されたランキングがもてはやされていますが、いろんな批評家のいろんな意見をききたいのであって、ランキングされた情報なんていらない・・・・のだがなあ。こういう、ちゃんとした批評家、今の時代にいないよなあ・・・・。
 
20101204初版発行。
2014年10月05日 09:12

最高に贅沢なクラシック  許光俊著  講談社現代新書  {クラシック}
僕が、約十年前、それまでつとめていたある国立大学を去って別の大学へ移った理由のひとつは、洗面所が汚かったことだ。僕はそんな洗面所を使うのがイヤで、学校へはなるべくいないようにした。どうしても仕方がないときには、車に乗って近所のファミリーレストランまで用を足しにいった。人はこれを極端だ、病的だというだろうか。だが、僕に言わせれば、その程度の感じやすさを持たない人間に芸術を語ってもらいたくない。少なくともクラシックやオペラについては。(本文より)

教授、なるほど~。聴くものにも資格があるのですねえ~だから次のような繊細な文章をお書きになるんですね!!!!

そもそもタクシーなど、ドア・ツー・ドアの快適さがあっても、しょせん公共手段にすぎない。僕は、人間やら消臭剤やらわけの分からない臭いのするタクシーに乗るたびに、どんな男と寝たかもわからない娼婦を連想して、はやく降りたくなる。(本文より)

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毒吐きました(笑)そもそも、車と娼婦の発想って、繊細な人間が発するものですかね?病的と芸術って似てるようで違う。昔、少年犯罪の犯人が書いた文を「天才だ」と、女性の作家が大絶賛した。あの程度、自尊心と劣等感で病んでる中学生なら、みんな書ける陳腐な文だ。今で言うところの「中二病」というやつ。
それを、好きか嫌いかは、人それぞれ。

このかたの文は、ヒステリーで、自分の意見と客観的事実を分けられなくて稚拙。ライナーノートは、詩的に書いても、感想文でも、客観的事実だけ述べてもいい。でも、発している本人が、自覚していない。

私は、ケーゲルの指揮のCDで、きに入ったものがあったのだけど、この方の文で感動が10分の1ほどになりましたわ。邪魔しないでね。二度とライナーノート書かなければいいのに。

作曲された土地で、その国の指揮者が、その国の楽団で演奏されるのが、正しい芸術と思っていらっしゃる。繊細な神経をお持ちだと、そのような聴き方しかしちゃいけないんだと。

日本人にも分かりやすい指揮をしてくれる日本人指揮者がいてもいい。日本の作曲家の曲がその土地風にアレンジされて、広まったら嬉しいじゃない?優れた訳者は、原文に匹敵する。時として超えることもあるかもよ。

聴く方だって、その人によって、いろいろと思うところがあるはずだ。何度か聴いて、違って聴こえてくるのもたのし。とにもかくにも、ライナーノート読んでなんでこの人嫌いかなー?、と思っていた謎が解けました。

この方は、大学教授ですと。どんな大学?と思ってしまうよ。話題性??
それとも、われわれの大学は特別な大学だという洗脳教育??
それとも、学生にわれわれはクラシック聴く資格があると洗脳して、車やCD、酒などの消費を活発にして、日本経済を活発にするための国策??

20120620初版
2014年10月04日 17:38

クラシック音楽は「ミステリー」である  吉松隆  講談社アルファー新書{クラシック}
この方は作曲家のようです。読みやすいし、例もわかりやすくておもしろいし、本の構成も良いと思います。
特に、オペラ・・・最初に登場人物をざっくり説明することで、オペラの内容を良く知らない私も読めました。
が、どうも天才型作曲家への言葉がきつすぎて少しイヤでした。ご本人は天才型作曲家への嫉妬というカッコつきの記述もされていますが。それにフェミニズム的に許せない表現
(私は「悪妻」って男性社会の考え方からしばしば作られる、と思うのです)もありました。あと、主張を文にごちゃまぜにしてしまうところがあり、少々「いや、ここからはあなたの考えだから・・・・」とたしなめたくもなり・・・・クラシック好きの男性は鼻につかないかもねえ・・・・・
さて、もっとも納得いかなかった文を転記しておきます。

例えば、「ピアノがうまく弾ける」というのは「ボタンの早押し」や「もぐらたたきゲーム」と同じ反射神経の問題だし、どんな音もドレミで聴こえるという「絶対音感」にも、パブロフの犬以上の意味はない。それは、訓練と対応能力の問題であって、「音楽」の才能とは全く別の要素だ。また、子供の頃から「音楽」の早期教育を施し、ほかの時間を「無駄」と切り捨てて「音楽」だけを吸収させることもきわめて危険だ。


20091220初版発行
2014年10月04日 16:40

ぼくたちクラシックつながり~ピアニストが読む音楽マンガ~ 青柳いづみこ  文春新書{クラシック}
この方のエッセイ(クラシック関連ではない)を読んだことがあって、読みやすい文だなー、と思っていました。この本も、全くそのとおりでわかりやすく、とても正直にクラシックのことが語られます。うん。クラシックなんて、お金儲けにはならないですもんね。なんでも、日本は音大生が多い国柄らしい。(美大生もおおいと思うのだが、そこのところどうなんだろう?)なんというか、芸術に携わってますう・・・的な、そして、そこから生まれる美辞麗句がないのが、本当に信用できる。コンクールのこと、音大のこと、コンサートのプログラムのこと・・・など、かたられます。彼女なりの見解をはさむときはきちんと表記し、引用もとも明らかにしている、とてもきちんとした文章です。

最近、クラシックまんが(ゲーム)も増えてきて、まんがのこと「のだめカンタービレ」「ピアノの森」「神童」のストーリーも例にあげて語られます。まんがを知っていれば、もっと楽しめたかも(のだめ・・・主人公に共感できず、挫折・・・・)

フランスの若手ピアニスト、アレクサンドル・タローはこんなことを言っています。「ほとんどすべての国際コンクールのファイナリストには日本人がはいっている。でも、世界でもっとも知られた20人か30人かのピアニストの中に日本人が入っていないでしょう?(著者独白・内田光子を無視するな!)なぜかというと、コンクールはもうたいした効き目はないからですよ。今はあんまりたくさんありすぎる!演奏家としてせいこうするために国際コンクールは必要ないですよ。エレーヌ・グリモーをごらんなさい」(本文より)

著者独白がうれしかったですね。全く、同感です。

20080220初版。

2014年10月04日 16:12

図説アイルランド  上野格・アイルランド文化研究所編・著   ふくろうの本 河出書房新社{アイルランド} 
古代アイルランドはラテン語で「へベルニア」(北の地)と呼ばれた。そう呼ばれるほど魅力のない土地だったらしく、ローマ支配をのがれ、ためにケルト人独自の社会生活や文化が長い間保たれた。(文中より)

↑このまんまです。口述伝承が発達したため、物語文化の土地柄。「ガリバー旅行記」の作家、スウイフト、オスカーワイルド、ドラキュラの作家のストーカー、の出生地。そのため、音楽やら絵画やらは、あまり発達しなかったのかな?
宗教的な石像。素朴で、日本の地蔵様のようです。丘や田園風景はのどか。なんだかとても、日本に似てる。島国だからですかね。

最近、話題のアイルランド。英国との違いを知りたかったわけですが、いまいち。このシリーズのなかでは、中身の薄い本になってる気がします。たんなる旅行ガイド?

そもそもの神話や、アイリッシュ気質みたいな話があってもいいかもね。
この本の「アイルランド」話はつまらん。

さて、わたしはアイルランドというとレオナルド・デイカプリオを思い出すのです。「タイタニック」のレオが、貧しいアイルランド系の男でアメリカに旅立とうとしていましたね。で、ヒロインと一緒にアイリッシュダンスを踊っていました。「ギャング オブ ニューヨーク」でも、ニューヨークの闇組織の男を演じていましたね(たしかアイリッシュ系の役)。
ちなみにタイタニックの船は、アイルランドで作られたらしいです。

19990225初版発行。   20131020、5刷発行。


2014年10月04日 15:39

〇大作曲家たちの履歴書  三枝成彰著  中公文庫{クラシック}
作曲家は奇人変人です。
ショパンはひもだし、シューマンは変に男気があったため、才能ある妻や後輩(ブラームス)にたいして劣等感のかたまりです。ワーグナーは女性にだらしないだけでなく、お金にもだらしない。しまいには、王様までだまします。まともなのはユダヤ人であるメンデルスゾーンくらいなものです。

ベルリオーズは、女性と女性の母親、女性の夫を殺害し自身も自殺しようと画策。使用人の服やら阿片やらストリキニーネまで用意するのに、列車の遅れと空腹のため挫折。。。(笑)
ブラームスは、上半身と下半身が別人で現実の女性には手を出さない。そのてのお店には通いつめる。これを純愛とするか。。。。かなり疑問です。なんだか、気持ち悪くないですか?ベートーベンはもっと面倒くさい。観念でしか、ものを見ない。「きもい」おじさんです。

お金と暇をもてあましたご婦人方が、ひも男にちょっかいをだす。婦人は芸術家に「ファムファタール」あつかいをされる。だれだれ婦人の不倫相手が、作曲家、画家のだれだれで・・・・という話ばかりです。愛だの恋だのはなしのなか、けっこうすてきな作品が生まれたりします。アルマ・マーラー(マーラー婦人)なんてどうしようもない女だと思いますが、すてきな芸術が生まれたと思えばよかったのでしょう。

個人個人はどうしようもない人ばかりなので、音楽教育では、あまり若い人には教えないらしい。。。。もったいない。昔は「クララ・シューマン」とか「ショパン」とか学習漫画で読んだきがしますが、今はないのでしょうか?芸術ってそんなに崇高なものでもなく、実社会にあまり適合できないようなどうしようもない人が素敵な作品を作る。観念でしかものをみないベートーベンですが、気持ち悪いおもしろさ・・・があるわけで。。。。音楽を崇高なものにしちゃったのもベートーベンなんですよね。クラシック好きなんていうと、高尚な趣味と言われてしまう。。。。そんなとき、返答に「不倫」や「自殺」などのスキャンダルが大好きだから!!!といえばいいそうな。クラシック好きさんに聞いた話ですが。

女性関係図や家系図があって、とてもわかりやすかったです。またシューマンの話がでたら、ブラームスの話。リストの話がでたら、ワーグナーのはなし。関係深い作曲家をきちんと絡ませて説明するのもわかりやすい。作曲家、指揮者の著者のわかりやすい文章もほんとすばらしいです。クラシック好きなら必読の一冊!!

モーツアルト、バッハを追加しての文庫化だそうです。

上 バッハ
  モーツアルト
  ベートーヴェン
  シューベルト
  ベルリオーズ
  メンデルスゾーン
  ショパン
  シューマン
  リスト
  ワーグナー
下 ヴェルディ
   ブラームス
  チャイコフスキー
  フォーレ
  プッチーニ
  マーラー
  ドビュッシー
  Rシュトラウス
  シェーンベルク
  ストラヴィンスキー

「大作曲家たちの履歴書」(1997.5)中央公論社。
大作曲家たちの履歴書(2009.12.25初版)中央文庫

 
2014年09月18日 20:23

カラヤンがクラシックを殺した  宮下誠  光文社新書  {クラシック}
カラヤンの演奏を少なからず、聴きました。
CDをあえて買おうと思わなくても、曲の紹介的なものに必ずでてきます。
好きだとも、嫌いだとも思いませんでした。どうでもよかったんですね、多分。
「アダージョ・カラヤン」なんていうのもありましたが、おそらく「つぎはぎ」なんでしょ?と否定的でした。
カラヤンを否定するのが、クラシックファンの主流だった時期もあったようです。見識者に同調し、良く知らず批判するのもイヤでした。が、この本を読み、なんで私がカラヤン好きにならなかったかが分かりました。

クラシックが「癒し」なんて言われました。「アダージョ・カラヤン」なんてその典型でしょう。そもそも、国民性や政治的なものが絡むもの・・・クラシックに毒がないわけありません。クラシックが「すばらしい芸術」「高尚なもの」「癒し」になんでなってしまったのか?

全体のオケがぼろぼろでも、ああああ、この低音好きーとか、この躁鬱のとこ好きー、とか思ったっていいではないですか?もしくは、毒を求めて、音楽を聴いたっていいではないですか?

カラヤンの音楽が(パッケージ、販売戦略が)「このようにきいてください」というように感じたんですね。

「泣ける映画」が大嫌いです。どんな映画で泣くかなんて、受け手次第。「タイタニック」「アルマゲドン」の泣き所が分からない私は「モンスターズ・インク」で、泣くぞ。

昔、本を読んでいる同級生の娘に「何読んでるの?」と、声をかけましたら「本の話題をしないで」と強く怒られました。その時、読書ということがハイソな文化と捉える考えがあることに驚愕しました。分かろうが分かるまいが、好きな本を好きなように読むことは、ゆるされないのかしら?と、思いました。

クラシックはこういうもの、という押し付けをしてしまったように思うのです。戦後のクラシック音楽の流れはやはりおかしかったのかも。日本のクラシックファンは、アイドルのおっかけのように、指揮者や演奏家に群がる人が多いという。なんてこったい。「売れる」CDを作ろうと思ったら、アイドルCDのように、イケメンや美女パッケージのCDばかりになるのかしら?おじさんが、おどろおどろしい指揮してるCDなんてなくなってしまうのかしら?

あーでもない、こーでもない・・・・と思うのが、音楽や読書、映画の醍醐味であって、無菌のきれいなパッケージのものなど、欲しくないのです。

無自覚に「癒し」を求めていく受け手にも十分責任があり、発し手の「こんなものでしょ?」感に気づかないのでしょうか?分かりやすさを求めて、自分で何かを掴もうとする意識を手放してしまったように思うのです。それは、音楽だけでなく、「講義」や「本」であっても。

というわけで、カラヤンのヘイトスピーチではなく、クラシック論にも通じる良書です。まあ、ケーゲル好き、クレンペラー好きは分かったけど、対比がいまいちだったかな?(ケーゲルが躁鬱だったのはおもしろかったけど)

<アダージョカラヤン>に関して
「癒し系」という言葉はいつごろ誕生したのだろう?この言葉自体が世界の、或いは人類の絶望的状況の深刻さを逆説する。このアルバムはカラヤン死後にリリースされ、世界的ヒットを飛ばしたオムニバス。これくらいつまらないアルバムもめずらしい。美しさのきわみだが、カラヤンの名誉のためには即刻回収処分するべきだ。

本文より
(音楽を、耳の快楽、感覚の喜びと考える向きに関して)しかし、ここで、ほんの少しの時間でも良いから踏みとどまって考えてもらいたいと思う。音楽はそのようなもの以上のものだとわたしは確信している。音楽は悟性の歓びであり得るし、認識の歓喜でもあり得るのだ。音楽を聴くことによって、人は、世界とは、人類とは、個人とは、芸術とは、文化とは、或いは幸せとは、不幸とは、絶望とは、苦しみとは何か、ということを考える契機を手にすることもできるのである。そのような聴き方があっても良い。そう私は考える。

著者は西洋美術史、芸術学の学者さんのようです。

20081120初版。

2014年09月06日 18:34

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