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~つれづれ読書感想文⑤~ミクシィページより

ユダヤ人 最後の楽園 ~ワイマール共和国の光と影   講談社現代新書 大澤武男  {西洋近代史}
「ユダヤ人」の歴史を順を追って丁寧に説明したもの。ドイツ文学、西洋近代史を学ぶ人にとっての良書です。第一次世界大戦後から、ヒトラー台頭まで丁寧に説明されています。「ドイツにおけるユダヤ人」が説明されています。
1、第二次世界大戦後に、締結されたワイマール条約。当時、誰もやりたがらなかった外務大臣を、ユダヤ人であるワアルター・ラーテナウが締結。それはヒトラーのユダヤ人批判の論の一部にもなった。第一次大戦後のドイツの金融不況の原因が「ユダヤ人」である、とされてしまった。
2、ワイマール共和国時代に、ドイツ国内の1パーセントに満たないユダヤ民族が、経済、文学、芸術で活躍した。ノーベル賞も獲得した「ドイツ人」の三分の一はユダヤ系であった。

アインシュタイン、フロイト、カフカなど(ユダヤ系)が紹介されています。この本の中盤が一番面白いです。これらの人の思想・芸術はマイノリティであったからこそ生まれたものもあったでしょう。(カフカは被害者意識が強すぎ、若い頃、苦手な作家ではありましたが)
そのなかでも私はユダヤ系だったホフマンスタールの言葉が心に残っています。芸術論の中で「言葉を発した瞬間、僕から乖離しぱらぱらと崩れていく」というもの。この感覚が、思春期だった私の感覚に一番ぴったりしましたね。なかなかおもしろい作家(評論家)です。おススメ!!

あとトーマス・マンの短編小説「マリオと魔術師(1929)」の紹介もあり。この小説、おススメです!!サーカスでおじさんが聴衆を洗脳していく姿を描いたものですが、ホントにリアル!!これを、ナチス台頭の前に記したトーマス・マンはそれこそ「預言者」です。そして、ベルリンで「理性に訴える」と題する講演もしていたそうで・・・(ナチスの危険性を警告したもの)

さて、この著者ドイツに長くお住まいらしく、自分は日本人であると言い、その意識で「外から日本をみていると・・・」として、次のようなあとがきを書いています。抜粋しておきます。
    
 
  素人の寄せ集めといいたくなるような国会議員団と、現状維持しかできない中央官僚体制が日本の国政を握っているかぎり、めまぐるしく変わりつつある国際情勢の中で日本の主体性、自主外交を実現することは無理であろう。
  日本のように教育水準が高く、人材に恵まれた先進国の日本が、なぜ明治以来の中央官僚体制でなければならないのか。まるで後進国である。地方分権の声が各地から上がっているにもかかわらず、それが一向に進展しないのは、国民の政治意識の低さであろう。(あとがきより)


2008年4月20日第1刷 
2015年02月04日 16:28

◎ニーチェの警鐘  日本を蝕む「B層」の毒害  適菜収著  講談社+アルファー文庫  {社会}
ニーチェというのはどうも好きになれなかった。
ニーチェ=知識人(教養あるおっさん)というイメージであり、なんでもニーチェに結び付けて語る。それはニーチェが言ってるから、真実なのだ・・・的に。また自分の知識を必要以上に誇示する傾向にある。明治・大正期の文化人のおっさんの「ダンディズム」と結びつくのは、あらあら、かわいい・・・くらいで話はすむのだが、西洋かぶれのおっさんが、教養人として「別の領域」を語りだす。
そんなこんなで、なんだかな~、と思っていた。
この本の著者は言う。「8割のニーチェ本は、間違っているどころか、理解していない」と。つまり教養のふりとしてニーチェが使われている。と、される。(人を洗脳するための道具)
この本を読んでいて思ったのは、あ~、これは「関連本」ではなく「本書」をよまなきゃな~、ということ。

男性が政治家に向くとする。女性と男性は区別する。こういうスタンスは「フェミニズム」的な論点から批判されてしまうのだろうが、私はある程度理解できる。これは能力的にどうこう、ということではなく、教育されてきた過程、「女性の~」と言われる職業になるということ・・・の面で。

とにかく、社会に違和感がある、私は。それは「にせものの平等社会」というやつだ。運動会で手をつないでゴールするというやつ。愚民政治ですよ、今は。政治家に「分からない」発言を許しちゃいかんよね。あれ?政治のプロですよね??素人目線だから分かる?・・・いやいや、勉強して下さい(笑)

本当の平等ってね、みんなが異質でいられるってことだよ。知識を利用して洗脳してやろう、という「知識人」多いから、自分で身につけていかないと危険だよ。「騙された~」って、騙されたかったから、騙されたんだよ~。・・・・・・この本を読んで思ったことはこんな感じです。

この著者は選挙に行かないらしい。が、私にはその気持ちが良く分かる。私は常々、思う。「テストしないのかな~」って。日本の政党にはどういうものがあって、党首は誰?とか、定数は何人か?くらいの簡単なテストはしてもいいんじゃない?したら、政治がようわからん人が「イメージ戦略」にみごとひっかかって、投票することがなくなるんじゃない?とりあえず、直前でも覚えようという気がある人が投票権を持つべき。←いや~、すごいこといってますなぁ(笑)

さて「B層」とは、何者か?これは著者の造語ではなく、2005年9月のいわゆる郵政選挙の際、自民党内閣府が広告会社「スリード」ニ作成させた企画書「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」による概念とのこと。
ここではB層を「構造改革に肯定的でかつIQが低い層」「具体的なことは分からないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」「主婦や老人、低学年の若者」と規定しているそうです。

それを踏まえたうえで、気になったところを抜粋しておきます。

B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、再び民主党のマニュフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!!」とわめき続ける存在がB層です。より正確にいえば、B層は民主党に騙されたのではありません。騙されたかったのです。耳当たりのいい理念、<進歩的>なイデオロギーをかかげた集団に盲目的にしがみつきたかったのです。

B層は「客観的」な意見が大好きです。「客観的」に物事を考え「理性的」に判断を下せばすべてが解決すると思っています。そこがB層の限界です。一方、ニーチェは「客観的」な視点など存在しないといいます。そして、「どうすれば客観的に判断できるのか?」という問題そのものを哲学から取り除きました。「真理」は「パースぺクティヴ」に基づくからです。
簡単に言えば、認識者の視点により「世界」は異なります。人間は目や耳や鼻などの器官をつかって「世界」を認識しています。認識の過程においては、感覚刺激が電気信号および化学信号により脳に伝達され、さらにそこでイメージに転換されます。
そして、それが言語化されることにより概念が生まれ、やっと「世界」が発生する。ここで注意をしていただきたいのは、「世界」と括弧に入れていることです。
つまり、「世界」という実体を人間が解釈しているのではなくて、人間が解釈したものが「世界」であるということです。

ニーチェは「ひとりで生きる人たち」「これまで聞いたことのないことに対して聞く耳をもつ人たち」のために語りかけます。本書がその言葉を受け取る参考になれば幸いです。(あとがきより)

適菜収:1975年、山梨県生まれ。作家、哲学者。早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。卒業後、出版社勤務を経て、現職。

20120420第1刷発行。

2015年01月30日 12:27

ピアニストが見たピアニスト~名演奏家の秘密とは  青柳いずみこ著 白水社{クラシック}
負をさらけだした人・・・スビャストラフ・リヒテル
イリュージョニスト・・・ベネデッティ=ミケランジェリ
ソロの孤独・・・マルタ・アルゲリッチ
燃え尽きたスカラボ・・・サンソン・フランソワ
本物の音楽を求めて・・・ピエール・バルヒビ
貴公子と鬼神の間・・・エリック・ハイドシェック(目次より)

読みやすいし、史実をきちんと検証していてとてもおもしろい本です。ピアニスト、ピアノ曲が好きな人は読んで損はないと思われます。音楽家って、言葉での説明が拙くなる人が多いんですけど(音楽で説明する・・・的な)この方の言葉の説明は実に的確。
ただ、ピアニストのセレクトですね・・・・。バルヒビさんは師事していたとのことなので、当然としても後の方のセレクトがね・・・あまり好みではないです。

さて、この方、阿川さんに師事していて「伸ばす指」で演奏するピアニストです。やはりそこにはこだわりがあるらしい・・・・。バルヒビさんにも指摘されたそうで(直されたわけではない)おそらく多数派の「曲げる派」の私は言いたいこといっぱいあるんですが・・・(笑)

で、「伸ばす派」のピアニスト、アルゲリッチです。お好きなようで、よく話題にされます。なんでも「ふたご座のピアニスト」だそうです。著者も「ふたご座」ピアニストであることから、特徴が言及されています。「二重人格」「影がないと動けない」「きまぐれ」「自分の立ち位置に苦悩し比較対象を求める」・・・・的な感じ。占星術的にどうかはともかくとして、この本によるとそういう論理。著者の好きなドビュッシーはオカルティズムにはまった人ですし、そういうの好きなんでしょう。なんでも、幼い頃から毎日4時間ピアノに向かわされたそうな(私は少ないと思ったんですが・・・・4時間でピアニストになれるって、才能=ギフトだと思うんですけどね)それを両親に対して「良かったような悪かったような・・・」ととらえている。「親のせいで・・・」というやつ。
古い話になりますが、「ヤワラ」というアニメがありまして、面白いわけではないのですが事情があり観ていました。この主人公、幼い時から柔道の天才であるおじいちゃんから英才教育をうけている。ものすごく強くなるんですが「おじいちゃんのせいで、おしゃれができない・・・」的な発言を毎回毎回するんです。「○○のせいで~」という言葉に辟易してしまい、いつも観るのを挫折しそうになってました。ちょっとこなまいきな女の子・・・時代もあり、女の子には憧れに、男の子には「ツンデレ」でかわいいと思われ、ヒロインとしては人気になったのかもしれませんね。
アルゲリッチにはそんなヤワラちゃんのようなところがあります。幼い頃「嫌で嫌で仕方のなかったピアノのレッスン」でも、コンクールで勝ちたいから、ピアノをするんです。ライバルに勝つことで自分の存在証明するような・・・逆にいうと自分の存在証明のために他者を必要とする。
えーっと。音楽やピアノを愛するわたくしといたしましては「ピアノが好きでない」方に弾いて欲しくない・・・・というのが常々思うことです。
そんなピアニスト、ピアノが好きって溢れているような演奏を聴きたいものです。
外見はロセッティの美女のような、豊かな黒髪、情熱的な瞳・・・・たぶん、殿方が外見にだまされてるんです(笑)マニアさんが多そうなので、悪口はこのへんで・・・。


フランソワさん・・・このかたのショパンワルツ集・・・で撃沈。なんじゃ、こりゃああああ・・・って思ったけど、世の人は気にならないのかな?私は良さを見出せませんが。リズム変だし、音もきれいじゃないし・・・・。

リヒテルさん・・・嫌いではない。この方、正式なピアノ教育受けなかったそうな。

ミケランジェリ・・・どちらかといえば好き。クリアーで冷たい音質。自動演奏??と思うほどの平たい感じなんだけど、そういう演奏がはまる曲はなかなかよいです。ストイックな感じもあるし。さて、この方の最晩年の演奏や、家で弟子の前で弾くときは歌を歌いながら弾いたそうな。完ぺき主義でアンドロイド的なイメージなので、その話、面白かったな。

てなわけで、セレクトは私の好みではないが、なかなか面白かったです。

20050605印刷。
20050620発行。

2015年01月25日 10:31

心を支えるクラシック名曲セラピー   山本一太著 青春文庫 {クラシック}
ひとつの曲を5~6ページにまとめたもの。
作曲家や曲そのものの紹介がありますが、文面がいまいちつまりませんでした。曲のセレクトがいまいちなことに加え、曲そのものの紹介も昔のCDについてきた説明以外のなにものでもない感じ。この曲聴いてみたい!!と、思うこともなく・・・・しいていえば、目次が一番面白かったかと・・・・というわけで目次です。

安らぎに包まれる7曲
優しい慰めが欲しいとき・・・バッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲」
落ち着きを取り戻す・・・ハイドン「弦楽四重奏曲作品76の4」
ざわめく心に安らぎが戻る・・・ワーグナー「ジークフリート牧歌」
生きる気力がなくなったら・・・シューベルト「シルヴィアに」
世界を味方につける・・・グノー「聖チェチェリア祝日のためのミサ・ソレム二ス」
安心して身を委ねたい・・・ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」
大きな力に抱かれたい・・・バッハ「カンタータ第140番「目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声」」

元気を取り戻す8曲
一日の活力を得る・・・モーツアルト「交響曲第35番、ハフナー」
背中を押してもらいたい・・・ベートーヴェン「交響曲第3番」
憂鬱な朝を爽快に変える・・・ガブリエーリ「カンツォーナ」
休んでも取れない疲れを感じたら・・・ドヴォルザーク「交響曲第8番」
足取り軽く歩くために・・・シベリウス「カレリア組曲」
困難にへこたれず前進する・・・ムソルグスキー「展覧会の絵」
にっこりほほえみたいときは・・・プロコフィエフ「交響曲第1番、古典交響曲」
弾む心で一日の締めくくりを・・・ホルスト「セントポール組曲」

悲しみに寄り添う7曲
心に染み入る声が聴きたい・・・モーツアルト「ピアノ協奏曲第27番」
失ったものを思い出すとき・・・マーラー「子供の魔法の角笛」~「美しいトランペットが鳴り響くところ」
感傷に流されてしまうなら・・・クライスラー「愛の悲しみ」
悲しみを自分に納得させる・・・ヴェルディ「ドン・カルロ」~「彼女は私を愛していない」
つらさを心の底にしまうとき・・・モンテヴェルデイ「アリアンナの嘆き」
目の前の現実から逃れたいなら・・・シューベルト「交響曲第7番「未完成」」
悲しみに耐えられない夜に・・・マーラー「交響曲第5番」

恋する心に効く8曲
素敵な恋を懐かしむ・・・モーツアルト「どうしてあなたを忘られようか~心配しないで、愛する人よ」
新しい恋の予感をおぼえたら・・・ワーグナー「ヴェーゼンドンク歌曲集」
幸せな恋に酔いしれる・・・ベルリオーズ「ロメオとジュリエット」~「愛の情景」
想いを相手に伝えたいとき・・・シューマン「ミルテの花」~「献呈」
やさしく愛をささやくなら・・・サテイ「あなたが欲しい」
ちょっと甘えたい気分・・・プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」~「私のいとしいお父さん」
周りを気にせず、愛を告白する・・・マスネ「ウェルテル」~「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」
恋の情熱が高まったなら・・・デュパルク「恍惚」

眠れない夜に聴きたい9曲
ゆっくりとリラックスするために・・・ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」
朝までぐっすり眠るには・・・ロッシーニ「老いのいたずら」~「やれやれ小さなえんどう豆」
夜の暗さに滅入るときに・・・チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」
とにかく眠りにつくために・・・ショパン「二つのノクチュルヌ作品27」
楽しい夢を見るために・・・ショパン「子守歌」
静かに心を休める・・・リスト「詩的で宗教的な調べ」~「孤独の中の神の祝福」
今日一日をリセットする・・・ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」
明日を楽しみに待つ・・・ブラームス「マリアの歌」
空が白んできたら・・・フォーレ「ヴァイオリン・ソナタ第1番」

気分転換のための9曲
完全無欠のものに憧れるとき・・・ジョスカン・デプレ「アヴェ・マリア」
いつもと違う「なにか」を体験するなら・・・ブルックナー「交響曲第7番」
知らない街を歩きたい日に・・・ヤナーチェク「弦楽四重奏曲第2番、ないしょの手紙」
初めての感覚を味わいたい・・・ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
訳もなく不安に襲われるなら・・・ドビュッシー「もう家のない子供たちのクリスマス」
退屈な毎日に刺激が欲しいなら・・・ストラヴィンスキー「春の祭典」
いつもの暮らしに飽きたら・・・バルトーク「野外にて」
出口が見つからない日々に・・・ヴォルフ「メーリケ歌曲集」~「隠棲」
過ぎ去った日々を振り返るために・・・バッハ「ゴルトベルク変奏曲」


著者のかた。1956年大阪府生まれ。上智大学文学部ドイツ文学科卒業。翻訳家、音楽評論家。

クラシック入門にしても、曲のセレクトが微妙ですし、作曲家の紹介もしきれていません。で、この気持ちから選ぶ曲のセレクトも微妙・・・私は一致しないけどな~。
春祭→戦闘モードのときに
愛の悲しみ→悲しいときに
チャイ「ヴァイオリン協奏曲」→心を静めたいとき
(これらの曲、私も好き)
という、感じ。
それにしてもシベリウス、ハイドン、シューマンは交響曲の方がメジャーですし、名曲な気がします。ベルリオーズは「幻想交響曲」ホルストは「惑星」ではないのか?わざわざマイナーな曲を選んでいるからには、明確なスキスキポイントが書かれていて欲しい。愛が見えてこない。著者の「顔が見えない」感じが不快です。

20111220第1刷
2015年01月24日 23:23

お国柄ことばの辞典 加藤みち男   東京堂出版{言語・民族}
ニホンの方言、ことわざを紹介して土地柄を紹介する本です。
風林火山から、ダサイタマまで、さまざまな時代からの引用が魅力的です。
千葉都民、埼玉都民・・・・関西での滋賀府民が面白いですね。滋賀県民の「そんなこと言ったら、琵琶湖の水を止めてやる」。。。。。的なやりとりも聞いたことありますしね。身近な人に地方出身の方がいたら、なかなかおもしろい本です(自分の出身地はいまいち、ピンとこなかったりするんだけども)
<男・女>
京男と伊勢女
尾張男に伊勢女
京女に江戸男(東男に京女)
筑前女に筑後男{福岡}
越後男に加賀女{福井}
讃岐男に阿波女
信濃の食い倒れ、下総の炒り倒れ(炒り豆){長野}
奈良男に京女房
名古屋男に岐阜女郎
三河男に尾張女
津島女に宮男{愛知県}
龍野女に姫路男{兵庫}

<倒れ>
関東の食いだおれ、上方の着倒れ
下総のくいだいれ、常陸の着倒れ
讃岐の着倒れ
豊前の食い倒れ、長州の着倒れ{福岡、山口}
伊予の着倒れ、土佐ののみ倒れ
肥後の議論倒れ{熊本}
因幡の食い倒れ{鳥取}
江戸の食い倒れ
江戸ののみ倒れ
名古屋の貯め倒れ
大阪の食い倒れ
尾張の着倒れ、美濃の差し(帯刀のこと)倒れ
紀州の着倒れ
甲州の着倒れ、信州の食い倒れ
奈良の建て倒れ
奈良の寝倒れ(農業従事者が多く、早寝だったことから)
備前の着倒れ、因幡の食い倒れ、作州の家倒れ{岡山・鳥取}
松江の茶のみ倒れ
水戸の着道楽
水戸の飲み倒れ
美濃の系図倒れ{岐阜}
四倒れ{秋田・「飲み倒れ」「住み倒れ」「食い倒れ」「着倒れ」を兼ね備える}

<商人>
花巻商人{岩手}
近江商人(滋賀・三方よし、相手・自分・世間の利益につながるようにするこころがけ)

<娘三人>
娘三人持てば竈かえす{津軽}
娘三人持つと家がつぶれる{山形・愛知}
娘三人は人身代{長野。養蚕がてびろくできるので、一財産できるということわざ}

<他>
逆さつぎせば怪我をする{青森}
湯の中に水ではなく、水の中に湯をついで、ぬるま湯にするのは不吉であると五戸地方で言う。←これ、あとから水を入れたほうが科学的には混ざりやすいですが「水をさす」ともいいますよね。どっちが不吉なのか・・・??
チンタラ{鹿児島}
←普通に標準語だと思ってました。方言なの??

20120130初版発行。

2015年01月24日 22:09

音楽家の名言3~壁を乗り越えるためのメッセージ 檜山乃武・編・著 yamaha music media corporation{クラシック}
第3弾。一番内容がうすいような??
その中でも、好きなものを抜粋しておきます。

「興味がそそられることはなんでも深入りしてみること。
それを大切にしなさい。
再発見し、提供し、どんなことをしても、
それがもう一度花開くよう努力することです。」
ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945~1987)多発性硬化症という難病のために将来を嘱望されながら引退し、42歳でなくなった悲劇のチェリスト。
↑言葉そのとおりだな~と思うことが多いです。「深入り」してなんぼ。実行するのって、どれほど大切なことか。・・・にしても「悲劇の」という言葉のセレクトにこの注のセンスのなさを感じてしまふ・・・・。大好きなチェリストだから、細かいとこ気になっちゃうのかな??


「祖国愛は自然なものである。
しかし、なぜ国境を越えてはならないのか。
世界は一家族である。
われわれ一人ひとりは兄弟のために尽くす義務がある。
われわれは一本の木につながる葉である。
人類という木に」
「私が世界の狂気のただなかで
精神の安定を保つことができたのは音楽のおかげだ。」

パブロ・カザルス(1876~1973)平和主義者としても知られるチェリスト。スペイン内乱を経験。
↑やはりこの方の言葉、すごいですね。2に続き、とりあげました。世の中が不安定になると、こういった言葉がとても響きます。祖国愛どころか隣人愛なんて、とんと分からないような私も、とても素敵な言葉だと思いました。二つ目の言葉も好きです。音楽は万能とはいえないし音楽至上主義ではないけれど、私も音楽によってたくさん救われてきました。

これは震災後に発行したもの。あとがきに書いてあります。

20110801初版発行。
2015年01月21日 22:15

音楽家の名言2~演奏への情熱を取り戻すメッセージ 檜山乃武・編・著 yamaha music media corporation{クラシック}
名言集第二弾!!一弾より具体的な感じです。

「ぼくは美しい音楽というのは、日没寸前の、あの大きい赤い太陽のようなものだと思う。」
小澤征爾  ボストン交響楽団、ウイーン国立歌劇場音楽監督などを務め、世界で活躍する日本人指揮者の先駆的存在。

「ピアノの鍵盤を叩いたら音が鳴った。まずそのことが面白いと思ったわけです。その音が2個になって3個になって、やがてメロデイーが作られてさらに音が重なって、音の面白さにどんどんはまっていった。」
佐渡裕(1961~)指揮者。バーンスタイン、小澤征爾らに師事。クラシック音楽の枠にとどまらない音楽の啓蒙にもつとめている。
↑この2つ。原点だと思うんですよ。聴いてみて、音を出してみて、楽しい・・・それが原点。小澤征爾さんの、おおらかな指揮ぶりにぴったりな素敵な言葉です。佐渡さん。ロック少年だったそうですよ。ストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴いて、クラシックに戻ったそうです。けっこう、ロックとクラシック、近いというの分かる。オルフの「カルミナ」は私は「メタル」に聴こえるし(笑)

「いかなる人間も、人間として記憶力、知性、性格が与えられているが、それに加えて、ひとかけらの超自然力を身につけていると私は思っている。この超人間的な潜在力を解き放ち、放射させ、オーケストラの楽員たちに魔法をかけること、これが結局、指揮者の最も大事な役目なのだ」
シャルル・ミンシュ(1891~1968)ヴァイオリンから指揮者に転向。フランス音楽を得意とし、若々しく、情熱的な演奏を聴かせた。
↑「魔法をかける」って、デイズニーっぽいですね。ミンシュは「幻想交響曲」で有名な指揮者です。なんとなく魔法の粉をかけてるイメージです。デイズニー「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」のアニメを思い出すのです。
それにしても「いかなる人間もひとかけらの超自然的力を身につけている」というの好きだなあ。私もそう信じています。

政治とか科学とかがすごく極端に進んできている時に、ときどきそれを引きもどすのが、音楽の役割だと思うよ。
武満徹
↑政治、科学・・・・暴走しがちですもんね。

よく指がまわるというのは、音楽をつくるうえで必要なだけで、それが聞こえるようじゃだめだ。
斉藤秀雄
↑ほんと、そのとおりです。音楽家の教育者のとても真実にせまった言葉だと思います。


あとがきが特に素敵です。

「子供たち一人ひとりに言わなければならない
君は驚異なのだ
二人といない存在なのだ
世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない
過ぎ去った何百万年の昔から
君とおなじ子供はいたことがないのだ」


「子どもが単語の意味がわかるくらい大きくなったら、この言葉は奇跡をおこすのだよと教えてあげるのがいい。見えること、話せること、からだのこと、すべてがいかにすごい奇跡であるかを説明してあげれば、子供たちも自分が奇跡のひとつであることに気がつくだろう。そうすれば、この世の中から戦争や人殺しがなくなる」


パブロ・カザルス(1876~1973)チェロの神様といわれた。

20110520初版発行
2015年01月21日 21:30

音楽家の名言~あなたの演奏を変える127のメッセージ  編・著・檜山乃武  YAMAHA MUSIC MEDIA CORPORATION{クラシック}
小さな本。楽譜屋さんに置いてある一言集のような本。
演奏家でなくても、いろいろと面白く読めました。
以下、抜粋です。


君は間違っている。
君が「情熱」に飽きたのではなくて、
「情熱」のほうが君に飽きたんだよ。
ゲンリヒ・ネイガウス(1888~1964)ロシアのピアニスト。ピアノ指導者としても活躍、リヒテルやギレリスなどの逸材を数多く輩出した。
↑「情熱」ってそんなものですよね。素敵!!


私を真似てはいけない。
私のやり方で私は成功できたが、
あなたはきっと失敗するだろう。
これは私だからできたとしか言えないのだ。

指が5本ついている手が二つあると思うな。
身体から10本の指が生えていると思え。

リスト
↑一つ目の言葉、深いですよ。自分のものにしてはじめて、「なにか」になる。まねじゃなく、自分にとりこんで、自分で消化して自分のものにしていかないと・・・。
2つ目。「足は胸から生えている」とヨガの先生が言ってたのを思いだしました。したら、ピアニストの指は胸から生えている・・・と思って弾くといいかもね。


あなたが音楽家になろうと思ったときから、あなたは音楽家なのだ。
レナード・バーンスタイン(1918~1990)アメリカを代表する指揮者。作曲家としても活躍したが、なかでも「ウエストサイド物語」は有名。
↑バーンスタインらしい。明るい言葉です。前向きになれますね^^

自由な芸術と、作曲という美の知識は、
技巧の束縛を許さない。
心と魂は、自由でなければならないのだ。
ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)ウイーン古典派を代表する作曲家。たくさんの交響曲を作曲したことから「交響曲の父」と呼ばれている。
↑職人ハイドンの朗らかなお言葉。このまんまの素敵な曲をかいてます。


曲を知っているというのは第1段階にすぎません。
第2段階は曲について瞑想することです。
第3段階はそれが貴方の血になるまで吸収することです。
カルロ・マリア・ジュリーニ(1914~2005)イタリアの指揮者。高潔な人柄と優れた音楽性によって多くの音楽家に尊敬された。
↑ねばって、ねばって~のもったり弦。この方の指揮を聴いていると他のものがもの足りなくなります。高潔なお人柄だったんですね。


僕の考えでは「ものごとを面白く体験するための5k」
というのがあるんです。それは、
好奇心、観察力、行動力、向上心、そして謙虚。
特に謙虚は大事。
一番最初のわくわくした気持ちを忘れないことです。
東儀秀樹(1959~)伝統ある家にうまれ、伝統楽器とのコラボレーションによる新しい音楽を創造するニューリーダー。
↑現代の方まで・・・・。素敵なこと、ゆうてはります。


もしも芸術ならそれは万人のためのものではなく、
もしも万人のためのものならそれは芸術ではない。
アーノルト・シェーンベルク(1874~1951)オーストリアの作曲家。無調音楽による12音技法を創始して20世紀の現代音楽に大きな影響を与えた。

音楽は、決して不快感を与えてはならない。
楽しみを与える、つまり常に「音楽」でなくてはならない。
モーツアルト(1756~1791)オーストリアの作曲家。神童と呼ばれ、短い生涯の中で珠玉の作品をたくさん生み出した。

↑芸術はだれのもの?という問題ですね。ちなみに私はモーツアルト派です。でも、実はモーツアルトって演奏めちゃくちゃ難しいと思うんですよ(シンプルだけにごまかせない)

ちなみにですね。注もあるんですが、言葉の真意をとらえていないように思って、かなり、いらつきました。ので、ここにはのせていません。誰の注なんだろう??


20101001初版発行。

2015年01月13日 18:10

○クラシック新定番100人100曲    林田直樹著  アスキー新書{クラシック}
クラシック初中級の方は面白いのではないかと思います。ひととおり有名どころは知ってるけど・・・くらいの方が(例えば、私!!)こんな作曲家もいるのか~とか、この曲ってこんな感じだよね~とかいう楽しみ方。セレクトが著者の好みではありますが、1作曲者に対し、1曲にしぼったことで、分かりやすい本です。読みおわった後、何度も斜め読みをしました。1曲に対し4~6ページ。簡潔かつ、面白かったです。

○私は高校生の頃からスクリャービンの音楽が大好きだった。そのことを音楽楽理科出身のある若い女性に言うと、即座に「変態・・・」と返されてしまったことを思い出す。
↑ツボにはまりましたね(笑)なぜか、今わたくし「ハイドン」「スクリャービン」ブーム中で(←全く似てないはずなんだけど、なぜか。両方とも小難しくない感じだからかな?)、スクリャービンのピアノ協奏曲をエンドレスで聴いているとこです。そっか・・・変態かぁ・・・・(笑)まあ、なんかねっとりしているんだよね。しかも、ラフマニノフ的ロマンチズムも表面にでてなくて「分かりにくい」「偏執」が、「変態」なのかもしれない。当方、乙女(?)の皮をかぶったおっさんなので、こういう「エロいよね~」トークで林田さんと盛り上がれそうな気がする(笑)磯山さやかってかわいいよね~~(←例です)的な目線で。

○たった一人のスターが主人公になるのではなく、誰もが主人公になりうるオーケストラのあり方を、それは想像させる。そしてどの作品も厳粛な情緒を漂わせている。娼婦の私生児たちに、これほど高貴な音楽を与え続けたヴィヴァルデイは、つくづく立派な教育者だったに違いないと思う。(ヴィヴァルディ)
○山あり谷ありの大曲なら音楽の起伏が激しいから、熱演で盛り上げることもできるが、ハイドンはそうはいかない。知性も情熱も、節度も気品も、経験も遊び心も、すべてバランスがとれていなければ、いい味は出ない。ごまかしがきかない世界なのだ。
 ハイドン自身の言葉によれば、作曲という行為は「美しい学問」で、そのためには「精神と心を自由に」しておくべきものだった。このスタンスは、私たちが芸術音楽に対してなんとなく思っている「芸術家の自己表現」とは、明らかに違う。ハイドンの時代まで、作曲家という職業は、むしろ科学者や数学者に近い分野の仕事だったようだ。社会的地位は侍従にすぎず「料理番より上」程度だったが・・・・。つまり、音楽は「真理の探究のための手段」だったのだ。ハイドンはそういう考えに基づいて作曲した最後の人だったかもしれない。(ハイドン)

好きな作曲家の評を並べてみました。何だか、ものの見方が優しくてほっとするんです。ともすれば鋭い言葉を並べるのが「批評家」みたいに思われますが、こういう評を読むとほっとします。この本の表紙に書かれたご本人の肩書きも「音楽ジャーナリスト」です。評論家・・・じゃないんだよね。

さて、この方「クラシック専門チャンネル」にでてくるおっちゃんです。解説を聞いていて、まず批判はしない。初めはうさんくさいな~と思っていたんですが、赤字覚悟で自主レーベル立ち上げてます。大手RCAの音に関して批判したりして問題になったとか・・・・?なんにしても「いい演奏を残そう!!伝えよう!!」と思う志はすばらしいです。一見、普通のおじさんですが、私は好きですよ。
好みも、私と大分かぶります。ブラームス好き、もったり感好き・・・とお見受けしたがどうかしら?そうとうお好きなようなテレーマンは私、苦手ですが。


20081210初版発行。

2015年01月13日 17:06

○おとなの楽習 クラシックの偉人伝  クラシックジャーナル編集部  自由国民社 {クラシック}
現代用語の基礎知識編集部からだされた「おとなの楽習」シリーズのうちの一冊のようです。
クラシックの基礎知識。作曲家の生涯、作品を簡潔にまとめたもの。不必要な情報はほぼなく読みやすい一冊。右も左も分からない・・という方。おススメです。
作曲家も22人にしぼってます。ちゃんと下世話なことも書いてます。作曲家ってほぼほぼそんな人だもん。(逆に清廉潔白な作曲家なんて異例中の異例でしょう)
あまり、接しない作曲家の欄を改めて読むのも面白いかも。基礎だけど、基礎だからこそ(?)手元におきたい一冊。
あとがきは「クラシックジャーナル編集長 中川右介」。短いけど、いい文章でした。

20110408、第1刷。
2015年01月12日 00:29

まだまだクラシックは死なない!  松本大輔著 青弓社{クラシック}
第4弾。
相変わらずの、CD紹介ですが、知らない曲があったりして面白く読めます。

さて、大好きな曲がかぶったので(あまりない・・・)引用しておきます。

むちゃくちゃかっこいい曲があったのだ。第1楽章の冒頭のかっこよさはハイドン疾風怒濤の中期シンフォニーにもまさり、マルティン・クラウスにも肉薄し、モーツアルトの25番をも脅かす。そのドラマティックな展開と、胸が張り裂けるような切ないメロディー。とにかくむちゃくちゃかっこいい。こんなかっこいいシンフォニー、どうしていままで隠してたんだ!(略)・・・「HEN」    で、作品辞書を見てみたら。「めんどり」。おい。「めんどり」ってなんだ。それはないだろ。なんでこんなにかっこいい素敵な曲が「めんどり」なんだ。

↑ハイドン交響曲第83番ト短調。ほんとうに素敵な曲です。第1楽章の第2主題がめんどりの鳴き声に似ていることで後世の人がニックネームがつけたそうです・・・。まったく大迷惑な話です!!だいたいハイドンの曲のニックネームにセンスが無く(ほかに「熊」「王妃」とか・・)いまいちオシャレじゃないのです。曲はいいのに。これがかっこいいニックネームなら、世界的ベストセラー間違いなしなのに・・・・。ハイドンはつまらない。。。と思っている方。ちょっくら、ハイドン聴いてみませんか?ハイドンイヤーは終わってしまったけど。


20110717第1刷
2015年01月12日 00:16

それでもクラシックは死なない!  松本大輔著  青弓社{クラシック}
第2弾。
ちょうどコンピクラシックアルバムが、はやっていた時期のようです。
うーん。あれは酷かったね・・・・と考えながら、この本を読むとまっとうなことを言っているように思います。ケーゲルの「運命」のアルバムってこの頃、発売されたのね。私、このCD大好きだけど、許光俊氏のライナーノートに違和感を感じているのです。(その後、違和感は嫌悪に変わっていったり・・・(笑))時代とCDの発売時期を見くらべて、面白いと思いましたよ、私は。

できれば一人で、できればいろんなことを思い出しながら。でも決して危険な道具は近くに置かないように。
ベートーヴェン「交響曲第5番「運命」」
バッハ「G線上のアリア」
ヘルベルト・ケーゲル指揮、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
19891018 altus alt056

↑「危険な道具は・・・」のあたりが、許氏にひきずられているような・・・。なんだか、この退廃的なナルシスティックな言葉のセレクトが嫌いなんですが・・・・演奏、CDはとても良いです。


そうなんです。これはすでにクラシック音楽を享受するとかいう次元ではないんです。これはきっとなにかの夢なんでしょう。そう思って聴かないとこの危険物は大爆発を起こします。くれぐれもご注意くださいませ。
宇野功芳「一期一会のコンサート」
モーツアルト「歌劇「フィガロの結婚」序曲」「交響曲第40番」
ベートーヴェン「交響曲第5番「運命」」
ハイドン「セレナード」
宇野功芳指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団
20050420、大阪、ザ・シンフォニーホール、EXTON OVCL107

↑聴いたことないですが、想像でき、笑えます・・・。こんな人がいてもいいよね。と、私は好意的にとらえてます。購入するか否かは別ですが。


20061110第1刷
2015年01月11日 23:49

クラシックは死なない!      松本大輔著 青弓社 {クラシック}
この方、CD屋さんの店主。CD屋さんのクラシック責任者を経て独立したそうです。(ネット通信販売)
実際のCDを具体的に上げているので、分かりやすいです。そして正直。許光俊さんと懇意らしく、それだけでかなり苦手なんですが(笑)この方、この本には悪気はありません(きっと)

さて、やっぱり「クラシック」マニアさんというのは、とかく埋もれた名盤・作曲家・演奏家をとりあげがちなのですが、この本も多分にもれずそんな感じ。が、先ごろ読んだ名盤的本よりは面白く読めました。まあ、この方の愛というか、そんなのが垣間見られるからです。


氏の言葉を借りると

コメントを読んで興奮して喜び勇んでCDショップにいって、店員さんに「それはもう手に入りませんよ」と言われたときにはきっとひどく落胆されることでしょう。そして「くやしい!絶対に手に入れてやる!」と思って欲しいんです。「欲しいものがなかったけどとりあえず1枚買おう」みたいな生ぬるい購入動機でなく、何年にもわたるようなすさまじい購入動機、視聴希望をもってほしいんです。

愛ですよね。そんな「何かをしたい」という欲求こそ、生活を楽しくするスパイスでありまして「クラシック」というものに愛を持って語っているのは、良いように思います。(何に愛を持つか、いつ持つか、どこに持つか?は人によって違うでしょうが・・・)


私も大好きな指揮者アンチェル(1908~1973)のことが書かれていたので、引用しておきます。

アンチェルの音楽は優しい。(略)普通にさらっと流して聴いていたのでは決して分からない、音楽の機微。こうしたものをさりげなく、しかしきっちりと残していく天分。その曲を聴き込んだ人にもしっかり聴かせる音楽性と、初めての人にも優しく手を差し伸べる善良さ。そして聴いたあとに充実した爽快感を感じさせる高潔さ。考えてみればチェコだけではない。音楽史に現れたあらゆる指揮者の中でアンチェルは完全に独自の世界をもち、そこで完結している。(略)1930年代後半、プラハ放送交響楽団の指揮者として活動していた彼は、当時ファシズム批判の現代音楽最前線の舞台だった解放劇場で作品を上演していたということで解雇され、その後ユダヤ人だったために、家族全員が収容所に入れられる。収容所を転々としたあげく、1942年、アンチェルの両親と妻と子供は、アウシュビッツでドイツ兵によって惨殺される。そして、アンチェルは、テレジンの収容所で1人終戦を迎えた。(略)
18年におよぶ長いチェコ・フィルとの関係が続くが、その関係を断ち切ったのはまた国と国との戦いだった。
  1968年、チェコで起こった自由化・民主化の運動を鎮圧させるために、ソ連はワルシャワ条約機構を進駐させた。チェコ事件である。そのときたまたまアメリカ演奏旅行中だったアンチェルは、かねてからチェコ政府に対して反感を抱いていたこともあり、チェコ・フィル、プラハ音楽アカデミー教授職を捨ててカナダに亡命する。そして前任者の退任が決まっていたトロント交響楽団に着任する。が、その後は肝臓疾患と糖尿病に苦しみ、ほとんど目立った活躍することなく、73年に異国の地でこの地を去る。65歳だった。


20031120 第1刷
2015年01月11日 23:12

関暁夫の都市伝説4~2013年 新時代の扉がいま開かれる  竹書房{社会}
3と4との間に大きな違いがあります。大震災が起こったのです。
その地震が仕組まれたものではないかという仮説を立て、話は進みます。
0911のこともありますし。ワクチンで精子を劣化させ、精子ビジネスを進めるビル・ゲ○ツの話とか・・・・脳に電気ショックを与え、思考能力、記憶力を低下させる。とか。(携帯電話、電子機器によって電磁波を飛ばしたり、ネットで監視できたりする)
まあ、ない話ではないですよね。だから、この本を読んでいるわけで・・・。こういう本を読んでいると、何が良いって「自分で考えるように」なるわけです。
「トンデモ」本は、どこが「トンデモ」なのか、どこが真実なのか???
それを応用していくと、ニュースで流れるあんなこと、こんなことの、仮説を立てられるようになります。歴史がどれだけ大切か、ともよく思うし。「歴史は繰り返す」っていうの、結構当たってるように、私は思ふのだよ。

かなり宇宙の話が多いです。おまけもかなり多め。


20120808初版発行。
2015年01月10日 01:28

関暁夫の都市伝説3~幸せを呼ぶピンクの四葉のクローバー  竹書房{社会}
トンデモ本3巻目。3Dめがね付きです(笑)
ビートルズ、ディズニー、ビートルズ、マイケルジャクソン、ケネデイ、エヴァンゲリオン、ジョージ・ルーカス、「セックス・アンド・ザ・シティ」・・・・かなりやわらかめの話題によってます。が、相変わらずの「イルミナティ」の話に繋がります。
読みやすかったですし、楽しめました。

○「スターウォーズ」・・・ルーカスは日本の時代劇のファン。日本の音楽家やオビワン・ケノービ役にと三船に打診。(結局、断られた)ライトセーバーは日本刀からヒントを得た。衣装は着物と柔道着がベース。オビワンは、柔道における一番を表す「黒帯」の意味がこめられている。
○なぜ野口がお札の肖像に選ばれたのか?野口がアメリカで在籍していたのは、ロックフェラー医学研究所。(ロックフェラー一族はイルミナティの一員とされている)野口の研究では梅毒、黄熱病で、人体実験をしている。梅毒の研究では病気の患者と、健康な子供たちの皮膚に注射してデーターを集めた。野口は研究中に黄熱病によって亡くなったが、発病したのはアフリカのロックフェラー研究所本部。(←とても立派な記念館があると聞いた。あまり人がいないような土地柄だそうだ。どこからそんなお金が?と考えるとかなり怖い。)
○龍馬はグラバー(イルミナティと関連あり)によって、動かされていた。脱藩した人間が海外と貿易したり、留学したり、写真を残したり、不自然すぎる。(これは、他の作家の本で読んだなぁ。「石のなんちゃら」とかいう??)
○エヴァンゲリオンには、フリーメイソンの教義が満載。実質的な最後の使徒は17番目のダブりスとなるが、その正体こそ「第弐拾四話 最後のシ者」で登場した「渚カヲル」。渚を分解するとシ+者。カヲルをアイウエオ順で一字前にずらすと「オワリ」。主人公の碇シンジの碇は「石」と「定」。石工と定規(フリーメイソンのマーク)。定規とセットになっている「コンパス」。海のコンパスといえば「六分儀」シンジの父親の旧姓は「六分儀」。(エヴァファンの人はきっとたくさんのことを知っているのだろうと思う。旧約聖書、カバラ思想の影響が多くて、調べたら果てしないだろうなあ。)

後ろの方、「大人のおまけ」だそうな。私は不要。でも「いかがわしさ」で逃げ道を用意しておかないと、結構「危険思想」の本なのかも。

20101105初版発行。
2015年01月10日 00:58

関暁夫の都市伝説2~受け継がれし語られるものたちへ  竹書房{社会}
この方が番組で、宗教的な闘争が起こりえるヨーロッパの小さな教会にロケしているのを観ました。あれ、ほんと危険だったと思うんだよ。それ以来、割とテレビで好きで観てました。その方の「トンデモ本」です。
第二弾です。(2、3、4と読んだところ、これが一番読み応えがある)アル・ゴアのノーべル賞とか「モンスターズインク」、日本の通貨の謎の話・・・とか。いろんな話がありましたが、気になった話題を3つほど。


○田中角栄、細川護煕、橋本龍太郎の共通点。アメリカに反感を買った。日本独自の石油供給網を作ろうとした田中、クリントンと対等な立場で話をしようとした細川、アメリカ国債を「売る」とほのめかした橋本。三人ともスキャンダルによって辞めている。吉田、佐藤、中曽根のように5年以上首相を務めるためにはアメリカと良好な関係を築く必要がある。三人は「日本が生き延びるため」にアメリカと手を組んでいたが小泉元首相は「アメリカのために」動いていた。
○プレステ2の中には軍事転用できるある高性能の部品が使われている。(当時から、ゲーマーの間では有名な話でしたし、販売店も警戒していたそうですが)
○男性下着の広告で上半身裸の男性モデルに対し、ものすごく批判が多かったが、男性器の形の影を入れることで、批判がなくなくなったという。逆に売り上げが伸びたとか。(経済を動かすのはそういう欲というものなんですかね)

まあ、そういった調子で話は進められます。(信じるか信じないかはあなた次第です、というスタンス)GHQのはなしとか「日本のユダヤ起源論」とか、日本の政治経済の話が多いです。


20080709第1冊発行
20080724第3刷発行
2015年01月09日 23:50

○映画で入門 カルチュアル・スタディーズ 本橋哲也著 大修館書店{社会}
「私はなぜこの私であって、他の誰かではないのか?」
「なぜ私がこのようなことをしているのだろうか?」
「なぜ人は自分にこんなことを言ったり行ったりするのか?」
「どうして私たちはこの言葉を話し、こんな食べ物を食べているのか?」
「自分や人があるものを面白いと感じ、ほかのものをつまらないと思うのはなぜだろうか?」
「なぜ世界はこのような問題に直面しているのだろうか?」
「私の抱いていろこうした不満や満足の原因は何だろうか?」
「自分たちが属する共同体はどのようにしてできているのだろうか?」


こういう疑問を持ち考えるうえで文化論・比較文化論は使えるよ、という話です。自己と他者・自己と社会を考える上で入門として映画をとりあげてみましょう、というとても親切なテキストです。が、しかし、疑問に思ったことがあります。


皆さんが独自に、あるいは学校や職場で使いやすいよう、体裁に工夫を施してある。(略)映画を18本とりあげている(略)章の終わりにはみなさんご自身で考えていただけるようなQESTIONSをこれも5つずつ用意し、そのための参考や題材となるような映画と本のリストも挙げてある。


学校や職場で・・・(笑)入門??映画を使って、とかいってるのに難解極まりない。このテキストを使い講義できるお人がいるなら、わたくし講義を受けてみたいと思ったですよ。著者以外に使いこなせる人いるのだろうか???とても親切で面白い本なのだけど難解すぎる。これは今度、映画観た時の宿題だなあ・・・と思いました。一度には理解できず、そうはいっても考えるヒントとして宝物がいっぱいつまった本です。とりあえず、私の知っている映画を挙げてみましょう。


<クエスチョン>
1, 越境をテーマとした他の映画をひとつ取り上げて、自己が自らの新しい可能性と出会ういきさつについて考察してみよう。
2 名前がアイデンティティの指標であるのはどうしてだろうか?個人の名前だけでなく、民族や土地の名前について例を挙げて考えてみよう。
3 宮崎駿の映画には、自己と他者とが分身としての関係を築くものが多い。彼の映画をもう一つ取り上げて、主体化のプロセスに他者との出会いが不可欠な理由を考えてみよう。
4 食べることのほかに、自己と他者との混交をもたらす営みにはどのようなものがあるだろうか?
5 人間は物語る動物であり、物語として古来多くの芸術が編み出されてきた。そのうちのいくつか、たとえば演劇と小説と映画とを比較し、それぞれの物語としての特性を考えてみよう。<「千と千尋の神隠し」自己>

↑「千と千尋」大好きなのです。私は、日本の「穢れ」の文化、「あの世」の考え方、神のとらえかた、言霊信仰、色の使い方(特に朱色)がきになっていました。今度、観るときはクエスチョンを考えて観ても面白いかも。


<クエスチョン>
1 あなたが自分や他人の血筋や家系について考えたことがあるとすれば、それはどんなときだろうか?もし考えたことがないとすれば、それはなぜだろうか?
2 私たちにとって日常的に「想像の共同体」を可能にしている条件や媒体にはどんなものがあるだろうか?
3 異界や他者の世界との出会いは人間の成長に不可欠である。現代社会のように隅々まで管理しつくされているように見える世界では、異界への通路はいったいどのようなところに見出されうるだろうか?
4 「鏡」を重要なモチーフに使った文学作品や映画をひとつ取り上げて、その役割を考えてみよう。
5 「ハリーポッター」シリーズをはじめとした「魔法」を主題とする物語が、私たちを現実の問題から逃避させる安易なファンタジーに過ぎないという批判があるが、それはどの程度当たっているだろうか?<「ハリーポッターと賢者の石」家族>

↑タロットカードにハリーポッターのイメージを使ったものがあり、面白いなあと思っていました。イギリスの「血統」という文化はわりとニホンジン好みな気がします。ルーツという。この感覚は歴史的に支配・被支配の少なかった「島国」の感覚(だから混血が少なく、混血児は異端とされやすい)なのではないか?なんて思いますが、どんなものでしょう?「選ばれた血」というのがなんとなく「王族」「天皇」(実権ないですけどね)を冠する国ならでは・・・だと思ってしまうのです。そんなわけで、あまりハリポタに思い入れが無い私は、この解説や、クエスチョンを読んでなるほどな~と思ったわけですよ。つまり「ハリポタ」にはまらなかった私ははまらなかったなりの理由があるんですね。なるほど。一方、ハリポタにはまった人が身近に多かったので「ニホンジン好み」だと思うのですが・・・。

で、難解なこの本を書いたこの方は下記のような方だそうです。


1955年。東京大学文学部卒業。イギリス・ヨーク大学大学院英文科博士課程終了。現在(
?)東京経済大学教授。カルチュラル・スタデイーズ専攻。


20060401第1刷。
20070901第2刷。 
2014年12月28日 10:37

われら二人超アンダーグラウンドとかく戦えり ベンジャミン・フルフォード アレクサンダー・ロマノフ著  ヒカルランド{社会}
以前読んだ、イルミナティだけが知っている「洗脳工学篇」「金融工学篇」に続く著書。第8巻目にあたるそうです。
二冊は面白かったのですが、これはいまいちでした。対談形式ですが、二人の議論がどんどんずれていく。お互いにはぐらかしてる感じ。
週刊誌的な面もあって、まあ、面白い話もありました。ビン・ラディンの死体は出てこなかった、とか、オバマさんがゲイが集まるサウナに入り浸り、3人くらい証言者が出てきたとか、年上の白人男性がスキとか、歓び組の話とか・・・・まあ、なんでもありです。チェスの世界チャンピオンの話が出てきたので米ソの冷戦とかつなげてもらうとおもしろかったのですが・・・。

トンデモ本ですが、他の著書が面白かったならよんでみてもいいかもしれません。

20120231初版発行。
20120210第二刷。
2014年12月27日 21:14

○17歳のための世界と日本の見方~セイゴウ先生の人間文化講義  松岡正剛著  春秋社 {思想}
正しい体の動かし方というのがある。体重が重い人がいきなりランニングをすると必ずといっていいほど膝をこわす。体重の7倍ほどの力がかかってしまうからだ。(私は、ドスドスとランニングマシーンに乗っている人をみるとはらはらする)
軽いとはいえない私の体は、下手にうごかすとおそらく支障をきたす。そのために、前もって体の動かし方を学んだ。だが、人は「体の動かし方」を教えてはくれない。おそらく「体を動かすことに慣れている人」は「体の動かし方」も何もなく、当たり前に体を動かしているからだ。そんな人は「とにかく体を動かすことが大事」という。それは正しいのだが、体を動かすことに慣れていない人が闇雲に動かすと、故障する。こういうことをいきなりすると「危険だよ」ということはある。
  走る前に、正しいランニングフォームがある。体幹で体重を支えなければ、関節に負担が大きく掛かることは明白だ。股関節がある程度動かないと、膝関節、足首に負担がかかることは明白だ。
  ので、負担を減らすために、当然、体重を減らすことが必要になってくる。負担の少ない水中での運動、体幹部のトレーニング、正しいフォームでのウォーキングが「走る」前にやっておくことではないかな~と思う。
  さて、この本は「正しい頭の使い方」の本である。大学に入学する前に必読すべきである。いろんな思想があるのだけど、思想の成り立ちや宗教の成り立ちの話。西洋思想史だけでなく日本思想史も言及している。日本の神話から能の話まで。
  そもそも・・・というところが分かる、親切な書。

○「死海文書」のなかの「善の教師」というリーダーはクムラン宗団のなかでは神から遣わされた預言者とされていて、紀元前50年ごろに処刑されている。残された人々は「善の教師」の復活を信じた。「救世主への期待」「救世主への信仰」がすでにみられる。キリスト教はユダヤ教の中でも、最も信心深い一派の人々が育んできた救世主信仰を「盗作」したのではないか?
○いざなぎといざなみが最初に産んだ子供は「ヒルコ」という手足もはっきりしない奇形児。世界神話の中でも特殊。えびすさんとして商売繁盛の神様として祭られる。
○亡くなったいざなみを、いざなぎが黄泉の国まで会いに行く。うじ虫だらけのいざなみをみて逃げ出す。命からがら逃げてきた(よみがえり)後、体を水で清めて禊をする。黄泉の穢れを清めた(穢れの文化)

のあたりが面白かったです。

1998、4月から2004、3月まで大阪の帝塚山学院大学の教授として、一年向け講義「人間と文化」という講義をまとめたものだそうです。

情報がたくさんある世の中ですが、それを取捨選択し、結びつけて、自分で考えていくためのテキスト。17歳なんてはるか昔の、おにいさまおねえさまにもおススメできる良書です。

2006年12月25日初版発行。
2007年01月30日第4版発行。


2014年12月27日 19:14

クラシック幻盤 偏執譜  竹内貴久雄著 yamaha music media corporation {クラシック}
盤暦50年で聴き分けた20世紀の演奏記録
稀少廃盤を追い続けて50年!
復刻盤・ライブ盤の乱立時代に、本物に出会うための情報源!
(帯より)

夭折した指揮者・演奏者ばかり紹介されていていささか、辟易しました。稀少廃盤好きなのでそうなるのも仕方がないことではありますが・・・。クラシックの情報が「重箱の隅をつつく」ような情報のひけらかしにならないよう願うばかりです。稀少だからといってすばらしいわけでも、売れているからといってすばらしいわけでもないのですが。
さて、第3章(指揮者)、第4章(演奏者)はそれなりにおもしろく読めました。アルゲリッチを挙げず、ラローチャを挙げる感覚は私も好きです。


バレンボイムという人は、ピアノを弾いているときにはとても粒立ちの良い造形感覚に優れた演奏をするのに、オーケストラの指揮では、デビューして数年後にはべたべたと引きずり、情念の塊のようになってしまった。汗臭い下着で顔中を撫で回されているような感覚だ。ひょっとしたら、夫人だった天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュプレに弦楽の表現スタイルの影響を受けすぎたのかもしれない、と思うことがある。わが道を行けばよかったのに、彼女が偉大すぎた?このシューベルトの全集は、特に4、5番が、オケの優れた造形感覚に安心して、彼の熱っぽさを聴き取れる。シューベルトに必要な熱が、バランスよく放射されている。(1985~88録音「シューベルト:交響曲全集」ベルリンフィルのCD評)

パリ管との録音は概ね、バレンボイムの大暴れのおかげでオケの音が泥んこになってしまい、ブラームス全集などでのシカゴ響は、指揮者の思いが空回りしてすっぽ抜け感があるが、このブルックナーは様になっている。オケがいいんだと言ってしまっては身も蓋も無いが、バレンボイムという人は、やりたい音楽は体中から溢れているのに、それが指揮棒にまで伝わっていかないもどかしさがある。このブルックナーは、オケがとても協力的だ。今日、こうした呼吸の深いブルックナーを堂々とやる人は少ない。みな浅い呼吸でこせこせしている。この人、指揮技術を問われない老人になったときに、続々と名演を生むタイプかもしれない。(1992年録音。「ブルックナー:交響曲第7番ホ長調」ベルリンフィルのCD評)

↑バレンボイムに対する評が、ここまで私と異なることに驚愕しました。
私は天才ピアニストのバレンボイムを全くといっていいほど評価していないのです。「技術のひけらかし」ピアノを自己実現のツールでしかないかのような態度(演奏家には、多かれ少なかれそういった面はあるのでしょうが・・・)に憤りを感じておりました。指が回りすぎるためか、微妙にすべった感じや、リズムが前のめりになっていると思うのです。
若いころのバレンボイム。指揮者に転向した後も「恣意的な」指揮ぶりに嫌気がさしていたわけです。この頃の指揮を「汗臭い下着で~~」と評しているのでしょう。デュプレの怨念があったことは確かだと思います。散々、夫人の「情念~歌いたい気持ち」をぷつぷつぶったぎってきたわけです(共演したCD録音から)
ところが「本当のジャクリーヌ・デュプレ」公開から、バレンボイムは好転しているように感じるのです。ある意味、墓標となったのではないでしょうか?映画そのものは妹の成功を嫉んだお姉さんが史実を曲げて書いた本を原作にしたものだとされています。原作となった洋書では、そんなに嫌な感じはなかったのですが「バレンボイム」や「デュプレ」を貶めるものだとし公開の反対を訴えた演奏家がたくさんいたそうです。
その映画公開後のバレンボイム。。。不思議とそんなに嫌ではないんですよ。ピアノも指揮も。やっと「待てる」男になったわけです。自分があって「他者」がいて。他者のことが考えられるようになったわけですよ。自分の技術に「ちゃんとやれよ~」と他者を追い詰めていた彼が、他者のことを思いやれるようになった。私は、これからの指揮が楽しみです。決して「指揮技術が問われない老人」になったからではなく・・・それにしても「老人の指揮は技術がない」ってめちゃくちゃ偏見だと思うんですよね~。

20120710初版発行。
2014年12月20日 18:44

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