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~つれづれ読書感想文③~ミクシィページより

◎クラシックの核心・バッハからグールドまで  片山杜秀著 河出書房新社{クラシック}
バッハは「蛙の合唱」である。ショパンはメロドラマである。カルロス・クライバーは無国籍である。
ピンときたら、ぜひこの本を!!
頭の良い文章をひさしぶりに読めて、大満足です。頭の良い人というのは、他者に分かりやすく書くと思う。たとえ、それが共感できなかったとしても。

面白かったですね。ごくごく個人的なイメージや体験のことから語られるのだけど、「核心」に迫っていたのではないかな?平易な文章で切り込んでいて面白かったです。

「蛙の歌」を輪唱でやる。初めてやらされたとき、何か凄い体験をしたなあと思いましたよ。輪唱と言うのはつまりカノンですから。それぞれは単純な繰り返しをやっているだけだ。しかしずれている。ずれるだけのことで聴く側にはたいへん複雑な網の目が作り出されていく。対位法的世界というやつですね。縦に響く音はいちいちとてもびっくりするようなことになってきますよ。(略)同じものの入りをずらすだけでとてつもなく豊かでびっくりする音楽が出てくるんです。<バッハ>
↑これ、そのまんまだと思いました。バッハ好きな人には怒られるかな?学生時代の「聖人」のくだりでは盛大に笑わせていただきました。


モーツアルトは、文字を書いたり文章を組み立ててきちんとしゃべったりするよりも、音符で書いたほうが早いというか、人間の感情を言語的に捉えるよりも先に音が出てきちゃうというか、そういう人として育ってしまったと。
  普通の作曲家だと、たとえば悲しみとか喜びとか勝利とか祈りとか、先に言葉ありきで、それに見合った楽想が降ってくるのをまつんだけども、モーツアルトの場合は言葉を媒介としない。<モーツアルト>
↑自分の考えやら気持ちを表そうとしたとき、一番しっくりする方法というのがある気がする。で、モーツアルトはそれが「音楽」であったと・・・。実に分かりやすい解説でした。そのとおりだ思う。ベートーヴェンは「観念」、シューマンは「言語」かな?モーツアルトは天才で一つの曲に3つくらい素敵なメロディを贅沢にもりこむ。無意識に転調もしていく。自分の手が書くのが追いつかなかったそうだから。モーツアルトの一曲中のフレーズあれば、ブラームスあたりは3つくらい交響曲が書けそうだ。


ピアノでやるメロドラマを、ショパンが開発してしまったわけですね。ショパンというのは、音楽から伝記から何から何まで、みんなメロドラマですよ。ジョルジュ・サンドとの恋愛譚に象徴するように。<ショパン>
↑プーランク、ラフマニノフがこの系譜だと評していて、「わぁ、私と捉え方が一緒!!」と思って嬉しかったです。そして、このメロドラマ(湿っぽさ)は私はあまり好きではありません。日本の刑事ドラマもこういう感じありません?


日本人は欧米人ほどではないかもしれないけれど、西洋文明化した日本で幼少から育っていれば、耳に入ってくるいろんな音楽がマーラーの持っている素材と何か共振しないはずはない。誰にとっても、何が飛び出すか分からない、忘れていた思い出を発見させるおもちゃ箱かがらくた箱みたいなものなんです、マーラーの交響曲は。何でも入っていれば、誰にでもその人なりに気になる要素が出てきますよ。それがマーラーの尽きせぬ魅力につながるわけですね(略)。ともかく、現代人が収集不可能な存在である限り、精神医学を発達させるような人種である限り、壊れているかぎり、そしてたくさんの思い出をかかえているかぎり、マーラーというのは聴かれ続けるのでしょう。<マーラー>
↑マーラー苦手。「酔う」のです。「ブルックナーは世界の中で陶酔。マーラーはいろんなものを抱え込む」とこの著者は述べています。ブルックナー派の私はいまいち納得できません。マーラー共振しないんだけどなあ。

カラヤンは古いたとえで申しますなら「巨人・大鵬・卵焼き」みたいなものだったのですよ。とにかく「カラヤン聴いてます」といっておけば大衆教養主義の最大公約数というか、いちばん話が合いやすいというか、間違いが少ないというか(略)カラヤンは、資本主義国でいい暮らしをもとめてがんばる人たちに夢を与えたんですよ。クラシック・レコードを欲しがるような、ブルジョワ的なものにあこがれるような中産階級の人たちをターゲットにして、ドイツ・グラモフォンと組んでとても上手に、そういう世界を作り上げていったんです(略)カラヤンの時代は、資本主義の豊かな、右肩上がりの経済の流れに連れ添っていました。カラヤンが同じ曲を何度も取り直すのは、録音技術の進歩と関係があるわけで、最新のステレオ装置で聴いて、一番効果的なものを常にカタログに提供していかなければならない、と考えたわけでしょう(略)さらに録音だけではなくて、カラヤンはミュージック・ヴィデオのさきがけみたいに、自分の指揮姿を一生懸命工夫して撮ったりしました。豊かさに憧れる階級のアイテムのひとつとして、クラシック音楽というハイソな趣味は欠かせない。ではクラシック音楽でどう豊かさを実感させるか。単に上手だとか高料金だとかではなくて、音として、響きとしての豊かさや迫力の極限をカラヤンは追い求め、かなり実現した。晩年までそんなに大きな計算違いをしなかった。すごいことだと思いますね。<カラヤン>
↑「私はピアノを弾きます。ショパンとかひきますよ」ってとこでしょうか。カラヤンはね(私の好きでない)キラキラした音楽にはいいと思うの。分かりやすさはあるのよね。時代と共に語るとき、カラヤンは話題にでてくる存在だと思います。
 


とにかくカルロス・クライバーには、背景というか土壌というか風土というか、それがない。国籍とか民族に由来するものが彼の音楽からは捨象されているというのが、一番の基本かと思うのです。カルロスなのにクライバー。「どこの何者だ、おまえは?」と問うたら何も言わずに去って行く。そんな感じですね。ですからカルロス・クライバーの得意のものも「魔弾の射手」、「トリスタンとイゾルデ」、「ばらの騎士」とかはドイツ・オペラの伝統の名作ラインナップですが、その演奏はドイツの伝統に即して云々というのとはまるで違いますでしょう。クライバー側の世界なのです。伝統の蓄積と切断された天才の個人芸なのです。(略)歴史的・文化的・民族的文脈に乗らないということですね。非常に「個」なんです。純粋な個人が根を持たずに世界と対面している感じ。
  カルロス・クライバーは、みんなに共通して言わなくても分かる世界を信用していない。全部、言葉で説明し尽くして、相手にわからせようとする。オーケストラ相手の話ですけれども。「音楽は言葉じゃない」とか言いますけど、カルロスの場合は共通理解の地平がないから、ウイーン人だからこのことは言わずとも通じるとか、ベルリンの人だから言わずとも通じるという認識はない。(略)コミュニケーションのなかで演奏が成り立つということを信じていない。だから全部説明しないと気がすまないというのは、何もないから、何もないところを埋めるためには、いちいち全部自分でやらなくてはならない。それがカルロス・クライバーの特殊性というか、異常性でしょう。<カルロス・クライバー>
↑ちょうど、カルロス・クライバーのドキュメンタリーを観たばかりです。一般的には「少ない録音に一つもハズレはない」と言われている。分かりやすい指揮をするんですね。音楽ってこうだよなあ、と純粋に楽しめる。私は指揮をしている姿がとても好きですね。理想の指揮者です。生き生きと指揮をする。「泳ぎ続けないと死んでしまう青魚」のように、指揮をする。それはもう美しくて泣きそうになります。でも、ぜんぜん自然じゃない。これって「根がなかった」からなんだなあ・・・とものすごく納得しました。ウイーンフィルは自尊心が高いらしいです。古今、どんな指揮者でも「ウイーン・フィル」の音楽になってしまうわけです。クライバーは振っている。そして逃亡したこともあったそうな。東洋思想の本に下線を引いたりして、それはそれは勉強家だったそうな。楽譜も何度も何度も解釈を見つけオケに細かく細かく指示したそうな。でね、この知識や認識を強く求めたり、他者に細かく細かく説明するのは「根がない」ということなのではないか、と思った。
 父のエーリヒ・クライバーも指揮者だった。ウイーン生まれ。ウイーンとかベルリンを拠点にしていたが、ナチスの台頭によってアルゼンチンに行ったそうな。そして、カルロスの母はユダヤ系・アメリカ人。カルロスはベルリン生まれ。指揮者をめざしたが、父に猛反対をされた。しかし、有名な指揮者になる。有名になってからも「父のようには指揮ができない」と、悩んでいたそうな。さて、どの国の指揮者なんだろう?
カルロス・クライバー。大好きですよ。分かりやすくて、美しくて。深みがないなんていう人もいるかもしれないけど。

著者の方は1963年生まれ。音楽評論家で思想史家。吉田秀和賞、サントリー学芸賞、司馬遼太郎賞を受賞、とのこと。日本史的な著書もありそうですね。

20140330初版発行。


2014年11月24日 22:27

〇人の心はどこまでわかるか   河合隼雄著  講談社アルファー新書 {心理学}
この「人の心はどこまでわかるか」って題名おかしくないですか?
と、思っていたら編集の方の題らしいです。

人の心なんて分かるわけない・・・などと常々思うわけです。
「感じたり」「思ったり」することは「感じる自分」「思う自分」なわけですから。
しかし、「予測をたてる」ことはできる。いろんな「経験」やら「認識」をひっぱりだして、あれやこれや「こんな感じかな?」とおとしどころをみつけて、あれやこれや考え続けるわけです。ので「人の心が分かる」っておかしくない?
と思いましたが、内容はきちんとした本。

いわずとしれた「河合隼雄さん」。日本にユング心理学をもってきた心理学界での大御所。昔、「昔話」の著書を読みましたが、それよりおもしろかったです。
ユング心理学的な「父性」「母性」の章を除いては、「ユング心理学」にとらわれることなく、精神医療の現場から・・・・という内容でした。(同時に、この「父性」「母性」という考え方が馴染まないから、私はユングがあまり好きではなかった。また男性・女性という分け方から占星術に持ち出す流派があるのだなあ・・・と発見しました)

面白かったのはクライアントに「三島」や「太宰」を語る人が多いとか。確かに「面倒くさい」人は、「三島」「太宰」を語れるような気がする・・・・(笑)(私も含めて)。そのものを知る必要が必ずしもあるわけではなく、対象のどこが好きか、嫌いかを語ってもらうといいとか・・・。(クライアントが同性愛者で、本を読んだりして想像はできても、そういう体験は出来なかったと書いています)
  
それから「行動療法」と「心理療法」のこと。高所恐怖症の人が「階段を1段も登ることが出来ない」と言う。これを「とりあえずやってみましょう」とするのが行動療法。「話を聞くこと」から糸口を見いだすのが心理療法。行動療法で階段を登れるようになった方が、また登れなくなったといって、舞い戻ってくるという例もあるという。
 そういう例をうけて、「行動療法は表面的だ、我々は内面の深いところがわかっている」という人もいるそうです。でも「行動していることによって、その人の内面や心が大きく変わっているかもしれない」と記しています。私の感覚としては、行動療法も心理療法もおんなじだよなあ。と思います。なにか現実的なものが変わって、やっと心が変わっていくことだってたくさんあると思うから。精神医療の現場では、両輪でやったらいいのにね。
 
一般書より、カウンセラー力を必要とする職業の方向けの本ではないかと思います。

さて、面白かった部分を抜粋しておきます。


かなり症状の深い人でしたが、私のところで話をしたり、箱庭などつくったりしているうちに、感覚が研ぎ澄まされてきたのか、そんなことはぜんぜんなかった人が、急にクラシック音楽をすごく好きになったり、小説を読むようになったりしだしたのです。たとえば三島由紀夫の小説を読んできて、そのことを感激して話された。しかし、その人自身は、「私はいつになったら治るんでしょうか」といって、しきりに普通の生活をしたがっているのです。

<心理療法家の資質>
ただひとこと言えるのは「自分はなりたい」というより「自分こそ適任だ」と思うような人には、あまり心理療法家に向かないということです。いかに豊富な人生経験をもっている人でも、それによって悩んであげられるのは、きわめて限定された、あるいは表面的な範囲内にすぎません。
  心理療法家にとってなによりも大切なのは、クライアントの考えや感情であって、クライアントの個性を生かすことです。したがって、自分の人生経験を生かしたいと意気込むことは、心理療法家に必要な根本姿勢とはまったく逆の姿になります。
  また、自分の傷つきやすさを、鋭敏さと誤解して、自分は弱い人の気持ちが良く分かるので、そのような人の役に立ちたいと思うような人も問題です。たしかに、傷のある人は他人の傷の痛みがよくわかりますが、そのようなわかり方は治癒にはつながりません。傷をもっていたが癒された人、傷はもっていないが傷ついた人の共感に努力する人、などによってこそ、心理療法は成り立つのです。
  もちろん完全な心理療法家などはいませんから、心理療法をしていても、自分の資質を疑い、迷い、悩み、ときには自分はやめたほうがいいのではないかと思ったりするのも当然で、前述のように、こうしたことを通じて心理療法家は成長していくのです。
  自分の心理療法に疑いや迷いがまったくないという人がいたら、私はその人にこそ強い疑いの念を抱きます。人間の不可解な部分を対象としている限り、心理療法というのは、自分の知識や技術を適用して必ず成功するという仕事ではないからです。


20000301初版発行。

2014年11月24日 15:19

〇極上のオーケストラ鑑賞ガイド 宮本文昭監修 草思社 {クラシック}
薄い本にも関わらず、クラシック鑑賞のヒントがつまっています。使い勝手の良さに感動。が、若干お高いですかね?(2200円+税)
オケの特徴や、コラムもなかなか面白かったです。
「指揮者とオーケストラ 黄金の組み合わせ」という章が面白かったので抜粋しておきます。

<黄金の組み合わせ>
*フルトヴェングラー×ベルリン・フィル(1922~1954)
感覚的次元を超えて魂を揺さぶる真摯かつ感動的な音楽。感覚的美しさ、甘美な夢、憩いといったものではなく、音楽の意味、演奏の意味といったものを極限まで掘り下げた真実性あふれるメッセージ。ドイツがもっともドイツ的だった時代の気迫溢れる人間の営みそのものである。
*カラヤン×ベルリン・フィル(1956~1989)
洗練を極めた普遍的なクラシック音楽の美と品格。素朴さやローカル色はむしろ積極的に排除された、都会的でスマートな演奏を聴かせて聴衆を魅了。明快で、歯切れのよい演奏は、誰にも分かりやすく、世界的な名声を獲得した。
*ベーム×ウイーン・フィル(1933~1981)
誇り高きウイーン・フィルから唯一畏敬されたベーム。緊張感があり完成度が高い演奏。
*トスカニーニ×NBC(1937~1954)
伝説的巨匠の音楽の真髄を伝える味わい豊かな表現。トスカニーニの怖さにより、緊張感があり、気迫と熱気が充満した演奏。
*チェリビダッケ×ミュンヘン・フィル(1979~1996)
作品のあるべき姿に迫る純度の高い演奏の美。自然かつ伸びやかに再現されていく演奏。
*セル×クリーヴランド(1946~1970)
鉄の意志で鍛え上げられた完璧なアンサンブルと情感。100人の楽員に、数人で演奏する室内楽のような緻密できりりと引き締まった造型を要求しながら、音楽が無味乾燥になることはナンセンスと断じ、豊かな情感を添えよ、と厳命した。バランスのとれたサウンドから、えもいわれぬ暖かさが感じられるのが比類なき魅力。明快な論理と揺るぎない信念によってオーケストラを鍛え上げたうえで、演奏に血を通わせる。
*ショルティ×シカゴ(1969~1991)
誰に対してもはっきりものをいうアメリカ人気質の職人たちに、ショルティは決然と明快に、自分が目指す音楽の方向を示した。柔軟な思考もできる完璧主義者だった。しなやかでパワフルなサウンド。
*バーンスタイン×ニューヨーク・フィル(1958~1969)
才気溢れるバーンスタイン。情熱的で感動を生む。晩年のマーラー演奏は感動的。
*ムラヴィンスキー×レニングラード・フィル(1938~1988)
唸る弦楽器、咆哮する管楽器。緻密で美しいアンサンブル。ロシアの濃厚なロマンに包まれた響きとメロディ。
*アンセルメ×スイス・ロマンド(1918~1968)
数学者だったアンセルメ。演奏の組み立て方が精緻でよどみなく、清潔感にあふれた演奏をきかせる。フランス的で、洗練されたアンサンブル、香しい音色、繊細な響きの美しさ。フランスもの、ロシア音楽、バレエ音楽がすばらしい。
*クーべリック×バイエルン(1961~1979)
前任者ヨッフムが築いた能力をアップ。ドイツの古典・ロマン派に偏っていたレパートリーにマーラーの交響曲や現代の音楽、ドヴォルザークなど祖国チェコの民族的な作品を加えた。緻密でしなやかなアンサンブルから香りたつ温かい音楽性。
*クリュイタンス×パリ音楽院(1949~1967)
1967年の時のフランス政府文化相が提唱した「発展的解消」という愚策によって、パリ音楽院は140年におよぶ名門の歴史が閉じられた。(改組されたのが国立パリ管弦楽団)典型的な造型、繊細で美しい響き。フランス音楽が絶妙。
*デュトワ×モントリオール(1978~2002)
錬金術師デュトワと「フランス色」満点のオーケストラ。(モントリオールはカナダだが)フランスのエスプリとエレガンスを基本に、軽やかなリズムにのった魅惑的な歌、華やかで美しいサウンド。
*オーマンディ×フィラデルフィア(1936~1980)
「華麗な」と形容される「フィラデルフィア・サウンド」。「何でも屋」だが、テクニックとサウンドの魅力は一級。
*小澤征爾×ボストン(1973~2002)
洗練された音色。ソロも、全体の合奏も見事。
*朝比奈隆×大阪フィル(1947~2001)
ブルックナーを真摯な演奏で聴かせた日本の名コンビ。

<純銀コンビ>
*オットー・クレンペラー×フィルハーモニア管弦楽団
極端に遅いテンポを探りながら骨太で豊かな叙情で泣かせる名演をベートーヴェンやマーラーで残した。
*プレヴィン×ロンドン交響楽団
チャイコフスキー、ラフマニノフなどのロシア音楽で瑞々しい演奏。
*アンチェル×チェコ・フィル
前任のターリヒが蒔いた種で見事に花をさかせる。ドヴォルザークなどのお国ものは、50年以上経た今日でも新鮮な魅力。
*カイルベルト×バンベルク交響楽団
ゲルマン気質そのものの重厚な演奏が圧倒的。
*ヴァント×北ドイツ放送交響楽団
ヴァントが70歳を過ぎた80年代以降、90歳でなくなるまで、まさに「いぶし銀」。真正なドイツ的ベートーヴェンやブラームスを体感できた。
*カルロス・クライバー×ウイーンフィル
カリスマのオーラでオーケストラに魔法をかけるようなクライバーの指揮。レガートを引き出すのがとても上手。誇り高き楽員たちの評価は相半ばだったため、録音は少ない。

20081001初版発行。


2014年11月21日 21:43

あなたがピアノを続けるべき11の理由  構成・解説 飯田有抄 yamaha music media corporation{クラシック}
ピアノを専門としている人、まったく異なる仕事をしている人、11人のピアノに対するエッセイです。「バイエルで挫折した」という話はよく聞くので、もったいないなあ、と思っているのです。やってみたら、また楽しいかもしれません。私も復活する予定。(が、その他の事にかまけていてここ7年くらいやってないです・・・)
さて、愛してやまないピアノなんですが、いろいろな方が語るんですが、自分もそう!!という箇所や、参考になった箇所があり転記しておきます。簡潔にまとめられていて、短時間で読めておもしろかったです。

(ピアノを続けるべき理由を脳科学的見地から)
1つ目は、ピアノを自分で「弾く」ほうが「聴く」だけよりも、音を捉える脳内細胞(聴覚機能)の働きがよくなることがあげられます。曲を聴いているだけでも音を捉える脳の働きはよくなります。しかし同じ曲を自分で演奏した場合のほうが、この脳の働きはいっそう良くなるのです。つまり、ピアノを練習すれば聴くための神経細胞の働きが促進されて、音楽をより深く鑑賞し味わうことができるのです。クラシック音楽は、演奏者によって違いが生まれます。ピアニストによって同じ曲でも違った表現がなされるからです。(略)
2つめの理由は、ピアノを自分で「弾く」ほうが「聴く」時よりも交感神経が活発化するという私たちの研究結果によるものです。交感神経が働くと、心拍数があがります。人は楽しい事があるとドキドキわくわくしますが、この時脳の中では、ご褒美をもらった時に反応する報酬系とよばれる回路が活動しています。音楽を聴くだけでも、交感神経が働いてドキドキしたり、報酬系が反応するのですが、自分で演奏する場合はもっと交感神経が活発化し、心拍数も大きく上がるのです。(古屋晋一、神経科学研究員)

何事も、挫折していけないことなどない。ピアノはいつやめてもいいし、いつ戻ってもいい。(秦万里子、音楽家)

何事も自分にとってプラスにできるかどうかです。ピアノも他の習い事も、塾通いも、仕事も、それをどうこなすのかは、その人の捉えかたしだいです。せっかくピアノという想像力を高めてくれるツールとであったのなら、それを最大限プラスに活かしていくべきです。僕は、日ごろから生き生きわくわくと遊び心をもって日常を過ごすことが、その人の物事の受け止め方を高め、プラス思考に導くと思っています。ピアノに対してワクワクとせず、「やらされている」と被害者意識を持つ人はおそらく日常生活や勉強や仕事にも同じレスポンスをしているかもしれません。それではどんなにプラスにできることも、自分で逃してしまいます。
 人間の成長はとてもゆっくりとしています。落語もピアノも、1度の練習でできたらこんな簡単なことはありません。そうはいかない自分と向き合っていくことが大切です。(柳屋花緑、落語家)

20110928初版発行。
2014年11月21日 20:06

芸術家たちの秘めた恋ーメンセルスゾーン、アンデルセンとその時代  中野京子著 集英社文庫{クラシック、小説}
「怖い絵」作者の小説。早稲田大学講師。専門はドイツ文学、西洋文学史。
この方の「怖い絵シリーズ」・・・わたくし苦手なのですね。
でも、薄い小説だし・・・と手に取ったしだいです。
小説という形態なので、苦手な文章は少なくほっとしました。その時代というわりに「その時代」のことはあまりかかれていないので注意です。メンデルスゾーン、アンデルセンのことをざっくり知るのにはいい本だと思います。
デンマークの切手になったアンデルセン、ドイツの切手になったメンデルスゾーン、スウェーデン紙幣になったリンドの話。作家アンデルセンはリンド(オペラ歌手、コンサート歌手、オラトリオ歌手)に求婚し、リンドは作曲家メンデルスゾーン(当時、既婚)に恋し、メンデルスゾーンは(おそらく)節度を守った人格者であった・・・という話です。
 

メンデルスゾーンがユダヤ人でなかったら、そして深い教養の持ち主でなかったら、さぞかし鼻持ちならない自惚れた人間だったに違いない。音楽も、ただ明るく調和の取れた優雅なだけの代物になっていただろう。一見満たされた生活の裏に、深い苦悩と静かな諦念をかかえていたからこそ、古典的でありながらロマンティック、ロマンティックでありながらどこかさめたまなざし、というメンデルスゾーン作品の複雑な魅力が生まれたのだ。(あとがきより)

↑これに関しては同意。メンデルスゾーン、アンデルセンの人となりがざっくりわかります。

20110725、初版発行。
2014年11月10日 09:24

〇オーケストラが好きになる辞典  緒方英子著 新潮文庫 {クラシック}
オケのあるあるネタを書いたものです。実際にオケの演奏家たちにインタビューしたもの。写真もあり説明が的確で、とても楽しめました。練習法から、日常生活、楽器の見せ場(緊張する曲)、職業病、向いた体格にいたるまで・・・・。これは、「クラシック好き」さんなら楽しめるでしょう。クラシック動画を見たくなってきました!!誇大広告ではなく「オーケストラが好きになる」良書です。著者の緒方英子さんはサクソフォン奏者のようです。

<ヴァイオリン>
・指先はかえるのごとく関節より太く、肩はハンガーが入っているかのようにイカり、腕は身長に比して相当に長くなった。
・あごにあざができる。黒ずむ。
<ヴィオラ>
・バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ロッシーニ、ドヴォルザーク、バルトーク、ヒンデミットはヴィオラを愛奏していた。
・体の特徴はヴァイオリンと同様。
・ヴァイオリンより大きく(ヴァイオリンは35・5センチ、ヴィオラは45センチ)調弦が違い(ヴァイオリンの五度下)分数楽器がない。ことを除き、ヴァイオリンと構造は一緒。
<チェロ>
・チェリストの左胸からみぞおちにかけての部分には、楽器があたるためあざができる。
・コントラバスとユニゾンのことが多い。オーケストラ低音部の要。
・座る姿勢が不安定なため腰をいためやすい。
<コントラバス>
・立てたとき2メートル近くある。
・ラヴェル「ボレロ」では、最初のピチカートしか出てこないので、弓はサイドの椅子においておく。いよいよ弓を持つ時、全員が同時に弓をとると、その間のピチカートは途絶えてしまう。そこで、手前の奏者から順々に弓を持つようにする(ウエーブ!!)ラヴェルの「展覧会の絵」でもミュートのつけはずしで「ウエーブ」をみることができる。
・コントラバスがエンドピンを軸にくるりと一回転するのでおなじみのルロイ・アンダーソン「ブリンク・ブランク・ブルンク」。楽譜には「楽器のボディを手のひらでこすり、きゅっとならす」と指定されているだけ。「楽器まわし」は名古屋から西は右まわし、東は左回し(うなぎ??)
・5本のもの、4本のものがあり、ドイツオケでは5本が給料が高い。(日本は一緒)モーツアルトは4本弦のほうがクリアな音がでるからいいのかも。
・チャイコフスキー「悲愴」第1楽章の終盤。ほぼ最低音のF#で35小節間(約1分半)fffで刻み続けている。確実に右手が麻痺するそう。
・マーラー交響曲第1番「巨人」第4楽章の中盤。A線上のCの音でppで45小節(2分半以上)の伸ばしがあり、2小節の休みをとったあとさらに37小節がつづく。
・あれだけ華やかなラヴェルの「ボレロ」。しかしコントラバスは、全曲中10分以上にわたってCとGのたった2音しかないという苦行。
<フルート>
・世界的にみても、管楽器の売り上げでナンバーワンをほこる韓国では、管楽器販売数の約半分を占める。
・ピッコロは同属楽器。
<オーボエ>
・篳篥(ひちりき)やチャルメラと祖先を同じくする。
・5度下を出すコールアングレ(別名イングリッシュホルン)はドヴォルザーク「新世界より」の2楽章(俗称「遠き山に日は落ちて」)のソロで使われる。短3度下を出すオーボエ・ダモーレはバッハのカンタータやラヴェルの「ボレロ」にも登場。1オクターブ下を出す「バリトン・オーボエ」、「オーボエとアルペン・ホルンをミックスさせたようなダブル・リード楽器」というワーグナーの依頼から、ヘッケルが開発したヘッケルフォーン・・・など同属楽器が多い。
・オケのチューニングでオーボエが基準となる。442ヘルツ(N響)、444(ドイツのオケ)。
・指揮者になる人も多い。(ソロが少ないから?)ケンペがミュンヘン・フィルの主席オーボエから指揮者に。ベルリンフィル主席のシェレンベルガーもN響の定期公演の指揮者として客演。ホリガー、ブールクも。
・オーボエの名曲として。モーツアルト、シュトラウスの協奏曲、モーツアルトの四重奏、五重奏、プーランクのトリオ、サン・サーンスとプーランクのソナタ。
・高血圧になりそうな曲・・・チャイコフスキー「交響曲第4番」(チャイコフスキー交響曲全般)
<クラリネット>
・吹奏楽ではオケのヴァイオリンパートを担う。
・ヴァイオリンのかわりができるほどの音域の広さ(4オクターブ)早いパッセージを軽々とこなす運動性が特徴。
・レスピーギ「ローマの松」のソロのように、くもの糸のごとくきわめて繊細な表現から、ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」のソロのように色気がありパンチのきいた表現まで、守備範囲が広い。
・ソプラニーノからコントラバス・クラリネットまで10種類も同属楽器がある。
・日本でバス・クラといえば、音大のクラリネット科の中でも、オケやアンサンブルで必要なときに演奏されるもの、という認識であるが、オランダやハンガリーでは「バス・クラ科」が独立して設けられている。
<ファゴット>
・「薪の束」の意味
・「ドラえもん」のBGMにもでてくるが、TVでコミカルな場面で登場。
・ドヴォルザーク「スラブ舞曲」は休みがなくて、ずっと吹き続ける曲。
<サクソフォン>
・運指は小学校で習ったソプラノリコーダーと一緒。
・ソプラノ、アルト、テナー、バリトンと種類がある。
・ジャズ、ポピュラー、演歌でも登場。
・クラシックでは「アルルの女」が有名。クラシックは透明感のある音色。
<ホルン>
・音がひっくりかえりやすい。
・マーラー「交響曲第1番、巨人」の最後には、ホルンのスタンドプレイが用意されている。その箇所に差し掛かり、ざっと一斉にホルン・パートが立ち上がって勇壮に吹く姿は「かっこいい!」の一言に尽きる。
<トランペット>
・古代エジプト時代から、呪術、儀式、戦争などの重要なシーンでこの楽器を男性が受け持った。高音域で音量も大きいためミスをしても言い訳ができない。また、他の金管楽器に比べて唇へのプレッシャーが大きくうっ血状態になりやすい。
・高血圧になりそうな曲・・・ラヴェル「ボレロ」の最後のほう(ピッコロも)メシアン「われ死者の復活を待ち望む」(吹き始めからffで高音)
<トロンボーン>
・昔、コントのおちに使われていた。
・19世紀にはいると、軍楽隊やオケの主要メンバーとして採用され、ベートーヴェンの「交響曲第5番、運命」を皮切りに、勇壮さを表現する切り札として使われるようになった。
・「ボレロ」にソロパートがある。
・ラヴェル「ボレロ」、マーラー「交響曲第3番」、モーツアルト「レクイエム」は活躍できる一大イベント。
<ユーフォニアム>
・ギリシア語の「ユーフォノス=気持ちのよい音」が起源。
・オケには定席は持たないが、吹奏楽では中音域の要。ボリューム満点の豊満な音色は、オケの中でもひときわ温かみを帯びて母性を感じさせる。
・ムソルグスキー「展覧会の絵」の「ビドロ」、ホルスト「惑星」、R・シュトラウス「英雄の生涯」「ドン・キホーテ」、マーラー「交響曲第7番」で活躍。
<テューバ>
・楽器の歴史が浅い。ベルリンで最初に作られたのが1820年代。
・オケの作品では、ベルリオーズ「幻想交響曲」(1830年)に採用されたのが最初。ワーグナーはこの楽器を大変気にいり、あらゆる作品に登場、活躍させる。
<ティンパニ>
・ステージ最上段からオケを見守る。
・ベートーヴェン使い出す。べルリオーズ「幻想交響曲」では、4個を4人で叩かせる。「死者のための大ミサ(レクイエム)」では16個を使う。
・ルーセルの「バッカスとアリアーヌ」第1組曲のティンパニは、手よりも足(ペダル)が忙しいほどしょっちゅう音程を変えなければならない。そのうえ4台も使用するので、どのティンパニが何の音か混乱しそうになるらしい。1925年に演奏しながら音程をかえることができるようになったため、バルトークら近現代の作曲家たちが、ペダルならではのグリッサンド奏法などを積極的に取り入れ始め、ティンパニ奏者は汗だくに・・・・
・非常に静かな場面で音程を確認しなければならず、緊張・・・・ベートーヴェン交響曲第3番、第2楽章の最後の部分。
・強く叩いていると実感する曲・・・・チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」終楽章
・叩いている時間の長い曲・・・・マーラーの「交響曲第3番」最初から最後まで叩いている印象
・叩いている時間の短い曲・・・・マーラー「大地の歌」曲は長いが、ティンパニは数小節だけ。パート譜には、トライアングルとティンパニが一緒に書かれていることも。
<打楽器>
・タイコの歴史は、記録に残されている人類の歴史に重なり、いつも人々の生活に密着をしていた。ドラムもトライアングルもシンバルもカスタネットも鈴も銅鑼も、ルーツは呪術や祭祀の邪気払いだった。やがて歌や踊りの友となり、戦いの士気を高める気付けとなった。
・生傷がたえない。セッテイングやかたづけ時に。ストラヴィンスキーの「春の祭典」で銅鑼を鉄のバチでしゃーっと引っかくときに、指が楽器に直接こすれて火傷を負った。本番中、思い切りシンバルを叩いたら、もち手の紐がほどけて床に落下。足の上に落ちなかったので重症を免れたが、派手な落下音でオケが重症。
・~打楽器のハーモニー~
大太鼓+シンバル・・・ラヴェル「ダフニスとクロエ」の5拍子になる直前に登場。
タンブリン+トライアングル・・・一緒にリズムを刻むとスペイン系、イタリア系に。踊りの曲で活躍。18世紀の華やかな音。
チェレスタ+ハープ+グロッケン(ヴィブラフォン)・・・・夢のような世界
小太鼓+トランペット・・・・ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」やリムスキー=コルサコフ「シェへラザード」で登場。
ティンパニ+大太鼓・・・・とても華やかになる。ストラヴィンスキー「春の祭典」など。
・~打楽器の活躍する作品~
小太鼓・・・ラヴェル「ボレロ」
大太鼓・・・ストラヴィンスキー「春の祭典」
木琴・・・ハチャトゥリアン「ガイーヌ」より「剣の舞」、サン=サーンス「動物の謝肉祭」
チェレスタ・・・・チャイコフスキー「くるみ割り人形」
グロッケンシュピール・・・デュカス「魔法使いの弟子」
ヴィブラフォン・・・バーンスタイン「ウエストサイド物語」、ハチャトゥリアン「ガイーヌ」・・・効果音的に用いられる
マリンバ・・・メシアンの曲にしばしば登場。現代曲に多い。
シンバル・・・ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、ブルックナー「交響曲第7番」←1時間にわたる曲中で出番は一回のみ。ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」←ppで効果的に使われる。ドヴォルザーク「交響曲第9番、新世界より」の第4楽章←シンバル一発。
カスタネット・・・ファリャ「三角帽子」、ラヴェル「スペイン狂詩曲」「道化師の朝の歌」←スペインの独特な薫り。
トライアングル・・・リスト「ピアノ協奏曲第1番」←トライアングルを初めて用いた協奏曲のため「トライアングル協奏曲」ともいわれる
タンブリン・・・チャイコフスキー「イタリア奇想曲」、ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」、ドヴォルザーク「謝肉祭」
鈴・・・外山雄山「管弦楽のためのラプソディ」、モーツアルト「3つのドイツ舞曲」←音程の異なる4種の鈴を使う
銅鑼・・・チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」(4章は一発のみ)ムソルグスキー「展覧会の絵」
木魚・・・ブリテン「青少年のための管弦楽入門」・・・三発ほど叩くくらい
ウインド・マシーン・・・R・シュトラウス「アルプス交響曲」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」

<そのほか>
~眠気に耐える人々~
概してモーツアルトの第二章というのは、ティンパニ、打楽器、ホルン以外の金管楽器は睡魔との戦い。あまりに静かで美しい。
~わるぢえ~
弦楽器の譜めくりのお話。譜めくりの箇所までまだまだあるのに、難しいところに差し掛かったら、さっさと弾くのをやめて、さも譜めくりの準備をしているような顔つきで待っている人がいる!?
~ト音記号が読めなくなる人たち~
コントラバス、チェロ、トロンボーン、ファゴットの人々は日ごろヘ音記号ばかり読んでいる。
~左利き~
左利きで逆に構えるヴィオラ弾きが実在したらしい。ノイマン指揮のチェコフィルの動画で確認できるとか。
~書き忘れ?~
ドヴォルザークの「新世界より」では、テュ-バの出番は第2楽章ラルゴのたった8小節のみ。他の楽章を書き忘れたのでは?という説が。試しにコントラバスの譜面を吹いてみると、音量はアップしてハーモニーが安定するし、響きが豊かになるそう。

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要約してみましたが、読んでいて「オーケストラが好き」になってきませんか?私はDVDやTVで確認したくなりました!!ピアノ、クラシックギターの項目もあるのですが、私は打楽器がとても気になりました!!
CDのライナーノートに楽器のことが書いてあれば、もっとクラシック人口増えるのになあ・・・・とても、面白い本でした。


平成22年1月1日発行。

2014年11月09日 21:55

すぐわかる!4コマ西洋音楽史2 バロック中期~ロマン派初期 森本眞由美著・千原櫻子まんが yamaha music media corporation{クラシック}
ヘンデル・バッハからシューベルトまで。職業音楽家が誕生した時期。イギリスでは立憲君主制になった時期の話。ルネサンスを経て、1600年にフィレンツェでオペラが誕生。これを境に「クラシック音楽」が変わっていくとのこと。(まさに関が原なんですね!)大バッハ、ヘンデル、モーツアルト、ハイドン、ベートーヴェンが活躍するのは、この後だそうです。

私は、ハイドンファンです。ピアノの練習曲集の「ソナタアルバム」で私の心を捉えたのはベートーヴェンでもモーツアルトでもなくハイドンでした。ピアノアルバム「ハイドン集」はあるにはあるのですが、もの足りない。もっとたくさんのピアノ曲あるんじゃないかな???と思いますが、マイナーなのかな?ぜひ、人気作曲家になり、新しいピアノ曲集を発行してもらいたいものです・・・交響曲も100曲以上書いたという。じっくり聴いていこうかな?

さて抜粋です。

会員同士の親睦を目的にし、善行を奨励するという友愛団体であるフリーメイソン。古代のソロモン神殿の建築家の集まりを始まりとする、あるいは中世のテンプル騎士団がその由来など、さまざまな説がありますが、絶対王政から啓蒙思想を経て、市民階級の台頭が始まろうとしていた18世紀末、フリーメイソンは、世界各国で数多くの信奉者を集めるようになっていました。神聖ローマ帝国の皇帝フランツ1世をはじめ、フランスのナポレオン、アメリカ合衆国の建国の父ジョージ・ワシントンなどの政治に関わる人たちや、ゲーテやヴォルテールなどの芸術家もフリーメイソンでした。モーツアルトとも親しかったハイドンや、大バッハの息子ヨハン・クリスティアンも会員で、ベートーヴェンもそうだったのではないかという説もあります。

↑最近、話題のフリーメイソン。気になります。芸術、思想、哲学そのものが、メイソンと関わっていることも多く、とても興味があります。最近では有名な映画監督とか・・・・。

このシリーズ。第三巻がオススメです。
2014年11月08日 16:04

すぐわかる!4コマ西洋音楽史 古代・中世~バロック初期 森本眞由美著・千原櫻子まんが yamaha music media corporation{クラシック}
そもそも、「クラシック音楽」とは何なのでしょうか?
「クラシック」という言葉には、「古典的」あるいは「由緒ある」「正統派」というような意味があります。そして、「クラシック音楽」は「ポピュラー音楽」に対する言葉として、明治以降、使われてきました。そこで語られる「クラシック音楽」は、当初、J・S・バッハ(大バッハ)やモーツアルト、ベートーヴェンというような、1600年以降の「バロック」や「古典派」と呼ばれる音楽が主流でした。1600年から始める「バロック時代」に達するまでは、何千年という歴史の営みがあったのです。(←はじめにより)

クラシックの歴史をみていくと宗教の歴史に重なります。音楽、舞踊は神に捧げられたものだったからです。古代エジプトの壁画やパピルス、シュメール人の粘土板に音楽家が描かれています。ギリシャの哲学にもかかわり、キリスト教ともがっつりからんでいきます。そういうわけで、宗教音楽が好きなクラシック好きさんには、おもしろいことでしょう。古代文明、宗教の歴史もとてもわかりやすく説明されています。このシリーズ。一つの話題で2ページ。4コマまんがつき。わかりやすいです!!
興味があるところを抜粋↓

大学という組織ができあがる前の11世紀から12世紀にかけて、各地の教会学校から学校へと渡り歩く遊学生(書生)のような若い聖職者の集団がいました。彼らの師匠とされたのは、謎の司教と呼ばれていたゴリアス。「ゴリアス」という名は、旧約聖書において、ダビデ王と戦った巨人ゴリアテの中世ラテン語形からきています。この師匠の名に由来して、彼らは「ゴリアール」と呼ばれていました。ゴリアールは、「大食い」を意味するラテン語の「グラ」に由来するという説もあるように、彼らは大酒のみで、また風刺の名人でもありました。
  社会や教会が十字軍の遠征で盛り上がる中、その裏にある教会の腐敗や政治体制に対して、痛烈な批判を浴びせるゴリアール。聖歌や賛美歌の歌詞をもとにして、酒や女、パロデイを描いた詩や歌作りを行っていました。彼らの若い自由な詩作は、当時のラテン語が持つ自然なアクセントを活かした新しい表現を作り出していたようです。
  19世紀に入り、ドイツ南部のバイエルン州の修道院で発見された詩歌集「カルミナ・ブラーナ」には、彼らの歌が載っていました。

↑ものすごくはまった「カルミナ」。宗教曲はどことなく馴染めなくて(そういう文化で育った人には心地よい音楽なのでしょうが・・・)歌曲も苦手な私が「カルミナ」にはまったのですね。その理由がわかりました!!教会を「風刺」していたんですね~。ので、笑ってよかったんですね・・・・。「カルミナ」きくたび、わくわくしたり笑ったりしたけど、この感覚はそう間違ってはいなかったかな。

(ヴィヴァルデイの時代)当時のヴェネツィアには、慈善養育院が4つあったと言われています(略)親に見捨てられた孤児たちがたくさん生まれていたのです。その数jは6000人にのぼり、慈善養育院が作られる前は、哀れな子供たちは運河に投げ込まれていたともいわれています。慈善養育院に送られた女の子たちは、都市の費用によって集団生活の中で育てられ、音楽の教育を受けていきました。(略)もともとはヴェネツィアのあまり裕福でない階級から聖職者になったヴィヴァルディは、40年の長きにわたり、この女子慈善養育院のコンサートのために数多くの曲を作り続けました。そしてそこで作曲されたヴァイオリン協奏曲は大バッハをはじめ、続く古典派の時代の作曲家に大きな影響を与えていきました。

↑赤毛の神父さんだった、ヴィヴァルデイ。私は「四季」がめちゃくちゃ好きで、クラシック好きになったわけですが(ピアノに編曲された楽譜を、幼い頃、弾きました)この時代の音楽にしては、「神様、すばらしい~」という感じがないのが、不思議でした。人間の生活感(なまなましさ?)があるのですよ。「あったか~い」とか「さむ~い」とか。ので、これを読んで、なるほど~と思いました。「四季」夏、冬が大好きです!!(2つとも短調だね)冬2楽章なんて、優しくて優しくて涙が出るフレーズです。「四季」は、欧米でははっきりした季節がないためか、マイナーな曲らしく、こんなに人気なのは日本くらいなものらしい。で、ヴィヴァルデイ。ケーゲル指揮のものをいくつか聴いたのですが(短調多かった)本当に素敵!!ヴィヴァルデイ。大好きです!!

そのほか、器楽曲の流行、ストラディヴァリ、ルイ14世がバレエを発展させた話など・・・・まだ、バッハでてきません。

20111201初版発行。
2014年11月08日 15:20

作曲家別演奏法(シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ショパン) 久元祐子著 ショパン {クラシック}
ピアノを弾く人に「ショパンをショパンらしく弾く為に・・」と書かれたものですが、その「らしい」とはなんぞや?というところにせまる良書です。簡単に作曲家のおいたち、パーソナリティが語られます。参考に楽譜も出てきます。知っている曲なら、細かい説明も面白い!!ピアノを弾かない人でも、ピアノが好きなら読んでも面白いと思います。

美しく流れるだけでなく、わくわくするようなイマジネーションをかきたててくれます。そしてきくたびに、新しい発見があります。それは、ケンプはこんなふうに弾いていたのかという演奏自体にたいする発見と、ケンプを聴いて、自分自身の中に生じる新たな想像やファンタジーなどです。何回聴いてもまた聴きたくなる、そんな魅力をもっている盤こそ名盤というものなのでしょう。
 誤解を恐れずに言えばケンプの演奏は攻撃的です。何か変わったことをしているとか、異例なテンポで弾いているとか、そんなことではなくて、毎回毎回、聴き手を挑発するかのような不思議な力を持っているのです。それは聴いていてとても楽しいひと時です。ケンプはここをどう弾いているのだろうかという次元を超えて、ケンプの演奏自体に耳を傾けることが、自分自身を豊かにし、新たなインスピレーションを生み出してくれるーーーそんな音楽聴取体験です。<ケンプのピアノにかんして>
↑ケンプを「温かみのある」とか「人間的深み」とか「技術面での問題」とか「バッハ研究者」とか評したものに、いまいち納得がいかなかった。この文章が一番しっくりした。目新しいことは何もしていないのに、ほほ~、と感心する。内声がきっちり聞こえるよう演奏するからだ。ああ、いい音楽だな、と思うからだ。それは、目の前の音の美しさでごまかそうとせず、楽譜をきっちり読み込んだ末で「音楽」を奏でるためだと思う。上記の評をピアニストである著者がしたことが、嬉しいとおもった。

シューマンはベートーヴェンをとても尊敬していましたが、音楽の内容はまったく異なっていることは確かです。つまり、個々の曲は、最初からさまざまな矛盾した要素ーー闘争と和解、自信と不安、快活と憂鬱、孤高と甘えなどーーを含んでおり、それらの矛盾は動きの中でますます深まり、最終的に解決されることはない、というイメージです。
  また、それぞれの曲をみてみますと、内声部を含む複数の声部をもつのが普通で、それらはお互いに独立して動き、とても複雑な関係をもちます。拍節構造を曖昧にし、またひとつの和音の上に長くとどまることはなく、和声は頻繁に変わります。常に変容を求めて動き続ける、不安定な音楽というイメージです。<シューマン>

ショパンはモーツアルトやベートーヴェンに比べても、早くに完成された作曲家であり、花の都パリですぐに頭角をあらわしました。ショパンに対するイメージとしては、祖国ポーランドからの脱出、いくつかの悲恋、結核による夭折など悲劇的な雰囲気がついてまわりがちですが、パリでのショパンは、選りすぐられた人々が許されたサロンでもてはやされた成功者で、専用の馬車を乗り回し、贅沢なアパルトマンにすみ、ビロードの上着を着てエナメルの靴を履き、贅沢三昧の生活を楽しんだ金持ちでした。この時代、モーツアルトの頃とは比較にならないほど芸術家の地位は上がっていました。ショパンは、そのような世界に生きていることをよく自覚していました。その芸術は、貴族的な自意識に支えられていたように思います。
  ショパンを弾くときは、このようなショパンの人となりや芸術の特質を意識しておいてください。ショパンを弾くときには、過度な感情移入は避けたほうがいいでしょう。曖昧なもの、雰囲気的なものを排除し、明晰な意識をもって、スコアにかかれてあることがらを正確に音にする姿勢が大切だと思います。<ショパン>

1809年生まれのメンデルスゾーン、1810年生まれのシューマンとショパン、そして1811年生まれのリストはほぼ同じ時代の音楽家であり、互いに尊敬の念を持ち、影響を与え合いました。シューマンの<謝肉祭>には<ショパン>と題された小作品がおさめられていますし、ショパンがなくなった1849年にリストが作曲した<葬送曲>のなかには、ショパンのポロネーズの旋律が出てきます。
  しかし、この4人の大作曲家の個性にはかなり違いがあることも確かです。メンデルスゾーンが美しい情景を曇りない目で描こうとするのに対し、シューマンはそこにもっと幻想的で神秘的な世界を発見しようとします。そしてリストは、大地から生まれでたような並外れたエネルギーをもっていました。リストの音楽は、尽きることのないかのような生命力に溢れています。
  ショパンの音楽はシューマンの音楽と比べてみるときによりその特徴がはっきりするように思います。シューマンが夢の中の混沌とした世界、幻想の世界に分け入ろうとするとき、ショパンは現実のサロンの部屋にとどまります。そして研ぎ澄まされた感性をもった聴き手の耳に鮮烈に意識し、最も高級な音楽を弾こうとします。ショパンの感性はずっと醒めたものであったと言ってさしつかえないでしょう。<4人の違い>


シューマンの音楽評、リストの音楽評に多少、異論を唱えたくもなりましたが(シューマンはベートーヴェン好きなのに、その形式美はとっているのに、憂鬱な気質を抑えられずとうとうそれを表現し切れなかった、と思うので夢の中の混沌とした世界を表現しようと自覚していなさそうなので。リストはもっと現実的に音楽を活用しようか考えていたと思うので、「大地」という表現には違和感があるなあ)演奏家からの音楽評論は、やはり何よりも参考になるなあ・・・と思いました。

20050625初版発行。
2014年11月04日 23:49

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