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~つれづれ読書感想文⑧~ミクシィページより

建築のエロティシズム~世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命 田中純著 平凡社新書{西洋美術}
建築でも、芸術でもね。論理的なもののなかに、性的犯罪的な心理が働いているよね。っていうのを、書いてあります。
論理を組み立てていく中で、自己陶酔みたいのが働いていて、倒錯した自尊心やら劣等感やらが垣間見えます。芸術家なんて、かなり危険な存在のはずですよ。精神構造的に。

これは私の拡大解釈でして、まあ、ここまではっきりとは書いてないんですけれども(笑)「建築家は最大の犯罪者だ」という帯がついております。

アドルフ・ロース(建築家・文化評論家)という人は作曲家のシェーンベルク、画家ココシャカ、文芸批評家のカール・クラウス、作家ペーター・アンテンベルクと親しく、結婚離婚を繰り返していたらしい。で、その人の批評によれば1870~80年代初頭にかけては、マゾッホ(マゾヒズムの語源となった作家)をはじめとする作家による、肉好きのいい豊満な女性に鞭打たれる男性の表現が好まれ、女性らしい肉体を強調とするファッションが流行。そのあと、反動で子どものような女性がモードになり、アンテンベルクの作品で成熟していない若い娘が美化されるようになったそうな。で、これにともなって、少女に対する卑猥行為の件数が急激に増えたという。(モードもね、「欲」を反映しているよね・・・) で、ロース自身幼児卑猥罪の容疑で逮捕・告訴されているそうな。文化ってこわいものだ。絶対、「欲」があおられるように仕上がっているんだもの。   

フェティシズムはかなり字数を割いて説明されています。このところでおもしろかった話がありました。マーラーさんの若い奥様、アルマ・マーラーさんはいろんな芸術家と浮名を流した方だったのですが(「ウイーンの花」)ココシャカさんの子どもを身ごもり、かってに堕ろしてしまったそうな。そして、別れるのです。ココシャカさんは、アルマさんの等身大人形を人形作家モースさんに作ってもらうのですよ。皮膚感覚とか、毛にいたるまで忠実に作るため、なんどもうちあわせをしたとか・・・・・。(すでに、ホラー・・・・)その人形は無残な最期をたどるそうですが、けっこう長い間、アルマ人形に服を着せ、ポーズをとらせココシャカさんの絵のモデルになっていたそうな。アルマ人形の写真が載っていますが・・・・・やっぱりホラー。ピュグマリオンともいえないことはありませんが・・・・・やっぱり、この感覚は気持ち悪い。

あと、フロイト理論による建築の考察もちょっとあります。(「男根信仰」「去勢不安」とかね)

この本は、基本的には世紀末ヴィーンの病理について考察したものであり、私はめちゃくちゃおもしろかったんですけれども、あんまり一般的でないなあ・・・という思いが強いです。ヨーロッパ文化を勉強されている方はどうぞ。


20111014 初版第1刷
2016年03月31日 21:19

○モナリザの罠 西岡文彦著  講談社現代新書 {西洋美術}
ダヴィンチ好きです。私は「レオナルド・ダ・ヴィンチ」田中英道著に学生時代感化され、それ以来のダ・ヴィンチ好き。一度手放さなくてはいけなかったのですが、再度購入しました。文庫版なのに1000円するという代物でしたが、この本こそが、私の美術好きの始まりだったようにおもいます。

ダヴィンチって、冷たいんですね。そのまんま書かなくていいようなことも、人体の解剖図のようにこと細かに描くんです。グロテスクなものが多いですよね。現実は残酷なものなんです。その普通ならぼかすようなことを、無感情に描くんです。この冷たさってどこかで必要な気がします。私はダヴィンチの正直さに感動してしまうんですよね。

ダヴィンチの生きた時代でも、ダヴィンチは理解されなかった。日本に入ってくるときは明治時代の偉大な翻訳者・上田敏を心酔させたという。けれども、紹介のされかたが文学的すぎて、ダヴィンチが、ますます理解されない存在になってしまった。

日本の欧米信仰はこの時代の文学者や翻訳者の負の遺産でしょう。美術評論が文学的でまわりもった表現の方がありがたがられるようになってしまったそうな。その一番の被害者がダヴィンチかもしれません。(音楽でもそうだけど、わかりにくい評論がありがたがられるようじゃ~ダメだよね~)


この本はダヴィンチがいかに誤ってとらえられてきたかを丁寧に説明した良書です。日本に入ってきたときは、「運命の女(ファム・ファタール)」が大ブームだったそうな。「飲み込む女」「男性を誘惑する女」的なものが文学にも美術にも音楽にもあふれていたそうです。「サロメ」が大ブームだったそうで。「メデューサの首」の絵がダヴィンチが描いたものと信じられていたのも、ダヴィンチの幽玄なイメージ(作られたイメージではあるのですが)にひっぱられたものであったようです。

「ダヴィンチの絵の謎を解く」という感覚は現代にもあってそれが「ダヴィンチコード」という映画にもなっているのですけれども・・・・。著者は映画で描かれていた秘密結社とのつながりを否定しています。そうであったなら、きっとダヴィンチは孤独でなかっただろう・・・・と。私も、秘密結社との関係はあやしいものだとおもいます。ただし、ダヴィンチは「人間マグダラのマリア」を描いたという説は、私も支持するところです。また、図像学的に女性器も意識しているでしょうね。なにせ、ダヴィンチは人体の解剖をするような人で、本当のことを目をそらさず描く人ですから・・・。

ちなみに私がダヴィンチを好きな理由は、ダヴィンチの絵に女性の生生しさがないからです。たぶん、ダヴィンチは女性嫌いだったのだろうと思います。おそろしいほどまで、感情や生々しさを排除した図像に私はものすごくいごこちのよさを感じます。媚がないんですよね。逆に、媚びるようにこちらをみるような絵もあるんですけれども、この「媚」を、まあ冷静に観察している。「これを媚というんだよ」というように。私は、自分が女性だなんてなかなか認められませんでしたし、どこかで女性不信なんですよね。だから、極端に女性の生々しさを廃した無菌状態のような絵は好きだなあ・・・・。

最後にちょっと好きな文章があったので、抜粋しておきます。

 歴史的な事実に反しているというだけで、たとえばヴァザーリが「虚構」のかたちを借りて伝えようとした「真実」に思いをこらすことをやめてしまったならば、近代科学の方法論が確立する以前の文献資料の大半は読むに値しないことになってしまいます。
 実際のところは逆で、私たちは今でも神話や聖書といった、現実にはありえないことを記した書物を精神の糧としています。そこに、人類の長い歴史が記した深い知恵が保存されているからです。
 聖書であれ神話であれ、あるいは文芸であれ歴史記録であれ、その内容を特定の信仰や科学に照らして判断するのではなく(つまり、異教として糾弾したり、非科学的として排斥したりするのではなく)、人類の歴史がもたらした精神的な資産として(略)こうした信仰や芸術文化に対するニュートラルな姿勢のことを「人文主義」といいます。
 じつは、この人文主義というものが確立されたのが、ほかでもないダ・ヴィンチの活躍したルネッサンスという時代のことだったのです。
 人文主義は、14世紀のイタリアで確立され、ルネッサンスを支えた思想です。


20060420第1刷発行。
2016年03月28日 20:43

○ヴァイオリニストの音楽案内 クラシックの名曲50選 高嶋ちさ子 PHP新書{クラシック}
高嶋さんがお好きですか?
好き嫌いはとりあえずおいておきましょう。なかなかおもしろい本です。
以前、続編を読んだ気がします。これが前作かも。

読みやすいです。有名どころの曲を集めています。5ページくらいの量もちょうどいい感じ。

実はですね、わたくしマーラーがあまり好きではないのです。マーラー初心者にマーラーの聴き方を書いてあるくだりがおもしろかったです。

(交響曲第1番「巨人」は)いくらマーラーのなかでは短い曲といっても、第1楽章は15分です。そして始まると、まずはいくら待ってもメロディーらしいものが出てこないのです。なんだか「ぴー」と弦楽器が、ただひたすら裏声のような音でロングトーンを弾き、それだけで初心者はくじけがちですが、聴き方を変えてみてください。これは自然界の音なのです。ヨーロッパの朝につきものの霧の音。自然のなかにはメロディなどなんかなく、あるのは風の音や、木の揺れる音。そして森の中を歩いていると、聞こえてきます。まずはカッコウです。そして澄んだ空気のなか、遠くからファンファーレが鳴りひびきます。これはマーラーが幼いころ、近所の兵舎から聞こえてきたラッパのイメージなので、近くで聞こえてはいけないのです。

↑作曲家のマーラーさんがどうしても好きになれないんですよね。いい年して、自尊心ごりごりな感じが・・・・。あ~だ、こ~だと難しく考えて、「俺って頭いい」と思っている感じ。(あくまでアンチマーラーの私の意見です)
そんなわけで「自然」という言葉が目からうろこでございました。マーラー??不自然じゃん!!
私はメロディなんてなくていい、と思うんだけれども、マーラーはそう思ってなかったんじゃないかなあ??マーラーの曲に恣意的なものを感じるんです。でも、この評を踏まえ「巨人」に再チャレンジしてみますか・・・。


ほかに何点か抜粋しておきます。

「クラシックのアーティストにしては、斬新なアイディアをもち、新しいものにチャレンジする高嶋さん」などと言われることは少なくない私ですが、じつは非常にコンサバティブなんです。つまり音楽に関しても洋服に関しても、何に関しても冒険心のない保守的な人間。そのことが世間にばれないように、心にもない「辛口なこと」を言ってみたり、日々苦労しているわけです。

↑あ~。これ、分かります。高嶋さんの様子からおそらくそうだろうなあ・・・という感覚。なんのことはない。自分もこんなところあるなあ・・・と思うからです。そんな「めんどうくさい自分」に類似するものを高嶋さんに発見するからこそ、高嶋さんを好きにも嫌いにもなれない私がおります。はい。


(徳永)先生は続けて、「100パーセントの演奏をしようと思ったって、たぶん出せる力はよくて40パーセントぐらいなんだよ。だから200パーセントの練習をしておけば80パーセントは出るでしょ」(略)だから今でも仕事で「一生懸命やったんですけど」とかほざくガキがいると、「結果を出せ、おらあ!」と殴ってやりたくなるのです。

↑わたしも、同じように思っていました。本番では60パーセントしか出せないから、足りない分は練習(勉強)しておかないといけない。・・・と、思っていたわけですが、このパーセンテージ甘かったんだなあ。私、甘いわ・・・・。40パーセントか・・・。

身近に多くの試験を落ちまくった人がいるのですが・・・・「スキーで足を怪我した」「風邪をひいて寝込んだ」「バイトで忙しかった」「前日、寝られなかった」そんなことばかりいいます。何十年もたってから他のことで試験を受けるとのことで「今から準備しておいたら?」と、申しますと「今からやっても忘れちゃうから・・・」というわけです。
あほ~。勉強なんて、覚えて忘れて、覚えて忘れて~のくりかえしじゃ~~などと殴りかかりたくなりました。
あとですね。フィギュアスケートのある選手が難易度の高い技に挑戦するとのことで、報道されていたのですが・・・・・「練習では60パーセントの確率で「○○」がきまり、本番に期待できます」・・・・
え?練習で60パーセントしかできないものを本番でやっちゃうの?と衝撃を受けたのを覚えています。フィギュアというのが特殊なものなのかもしれませんが、ごりごり体育会系でピアノを練習してきた私にとっては、衝撃でした。


エッセイ風でかなり読みやすい本でした。

20051031第1版第1刷


2016年03月02日 22:49

名画は嘘をつく  木村泰司著 ビジュアルだいわ文庫{西洋美術}
単行本で絵画の紹介点数が多く、カラー!!お値段もお手ごろ・・・なのですが、いかんせん文章がいまいちです。1ページから1ページ半くらいで紹介をするため、もの足りなさがあります。内容も「ゴッホの同じ部屋をいろいろな色で書いているのはゴッホが感情的に描いたから」「i依頼主を喜ばせるため、肖像が実物より美しく描かれている」「ヌードを公にするため、多くの神話画が描かれた」・・・・・・
当たり前です・・・・・

こんなに細切れの解説では、初心者は興味を持てない。残念な一冊。

20141115初版発行
20150605第9版発行
2016年03月02日 21:44

あさのあつこのマンガ大好き! あさのあつこ  東京書籍{エッセイ}
「the manzai」という本の作者さんです。ドラマCDを聞いたことがあり、なんとなく手にとってみました。

主に80年代、90年代のまんがの思い出がかかれています。少女マンガ・少年漫画に触れられていて、おもしろいです。私はあまりまんがは詳しくないのですが、楽しく読めました。一時、少女マンガって純文学のようだったよね。そんな時代のまんがは、へたな小説を読むよりも読解力がつくらしいですよ(大学受験国語の参考書かなにかで読んだ気が・・・)

肩ひじ張らず、お読みくださいませ。

20110914第1版発行
2016年03月02日 21:34

古事記~少年少女古典文学館1~    橋本治著 講談社 {日本文学}
橋本治さんの本を久しぶりに手にしました。本文は「です・ます」口調で、子ども向けに書いているのだなあと思いましたが、もともとの題材そのものが難解なためかやや難しいです。絵本っぽいつくりにはなっているのだけれども、読みにくいですね。で、コラムや注は、本当に面白いんですね。これを読むだけでも価値はありそうですよ。神話の世界観がよくわかるので。

橋本治さんのあとがきは「橋本節」本文より難解なんじゃない?とも思いましたが、いわんとすることは私はわかるような気がします。きっと、「どうとらえてもいいよ」って橋本先生がおっしゃてくれているから、わたしも安心して文を読むのです。

あとがきの、日本神話は世界の神話のなかではめずらしく、「人間のはじまり」のはなしがでてこないというはなしがおもしろかったです。

こんな文体も、この本の文体に影響を受けたものです。みなさまもお気づきですね。

さて、あとがきがとても気にいったので、転記しておきましょう。


「古事記」の原文というのは、いまでもまだ、「これはどう読んだらいいんだ?」と、専門家たちが議論しているような、難解なものです。なにしろ平がなや片かなというものがまだない時代に、漢字だけで書かれたものですから、「どう読むか」さえもが簡単なことではないのです。だから、私としても「ここまでの「古事記」に興味をもたれた方は、どうぞ原典の「古事記」を読んでみてください。」とはいいにくいのですが、しかし、いくら「難解だ」といわれても、「古事記」はやはり、日本語で書かれた本なのです。「いつか、「古事記」の原文なんてものを読んでみようかな。」と思ってください。そう思ってくださる方がいると、私もしあわせです。


20091117 第1刷発行
20130420 第4刷発行
2016年02月19日 11:16

○美男美術史入門 ~女子のための鑑賞レッスン~   池間 草著 美術出版社{西洋美術}
これ「美男」を鑑賞して、西洋絵画をちょっとだけ触れてみよう。というものなんですね。

昔から「やおい」もしくは「ボーイズラブ」好きな乙女は存在しておりました。最近は「腐女子」などといわれております。まあ、文化ですよね。(「やおいは文化だ!」的な?)

ミシマの小説に「聖セバスティアヌス」(レーニ作)が出てきますから、当時は「なんというかこれ、美術として愛でていいのかしらん?」と複雑な心境で絵画をみたものです。どうして少年を扇情的に描いたのかというと、そういう嗜好のおっちゃんがいたからにほかなりません。ちなみに私は、ソドマの「聖セバスィアヌスの殉教」のほうが好みです。ソドマさん、通称がソドミア(男色)からきているそうです。本名はジョヴァンニ・アントニオ・パッツィ(1477~1549)というそうな。ほかにも、ミケランジェロの「瀕死の奴隷」(彫刻)が、おそろしいほど扇情的。現代のアダルトものより「危険物」っぽい。


古典文化の復興がさけばれたルネサンス期は、プラトン的な男同士の友愛に寛容である一方で、キリスト教の禁欲主義的な風潮もありました。フランスでは男色のことを「フィレンツェの悪徳」と呼ぶほどこの都市にはソドミアが蔓延し、1432~1502年に設置された同性愛を取り締まる夜間警察は、70年間で1万人以上の告発、2000人以上の有罪判決があったことを記録しています。芸術家たちの工房も、その巣窟のひとつであったそうな(抜粋)

美術には、ずっとあるわけです。ギリシャ哲学とかしてるおっちゃんも、美少年好きだったわけです。イタリアの工房は、国で禁じられていた同性愛の隠れ蓑になっていたとか。
そうそう、レオナルド・ダ・ヴィンチですね。自分や好きな少年の顔の天使やらマリア像を描いてしまう。女性の生々しさがダ・ヴィンチの絵にはない。この人工物的な絵が私はたまらなく好きだ(もちろん、美人なおねえさんも好きだけれども)

レオナルドといえばレオナルド・ディカプリオの「太陽と月に背いて」(ランボーとヴェルレーヌの話。レオ様は美少年ランボー役)ですよ!!レオ様のうつくしーい背中からのお尻が観れます(笑)いやいや、天才のレオは、やっぱり天才役がぴったりなんですよ。タイタニックより前の映画。うつくしーい美少年の苦悩やら怒りやら・・・・美少年好きのかたはぜひ。てか、私は「ヴェニスに死す」の上をいく映画だと思っております。

閑話休題。ものすごく納得できるコラムがあったので転記します。西洋美術「分かる」「分からない」じゃなくて、「これが好き」ってそれだけで、絵画鑑賞してもいいんじゃないかな?って私も思うので・・・・

*美男鑑賞心得
知性と痴性をバランスよく、変態性を胸に秘め優雅に鑑賞する

*鑑賞の注意点
・現実を見失わない程度に高らかに妄想する
・いつかこんな男性と・・・・は考えないほうが身のため
・変態が一段落したら、最終的にはちゃんとする

美術鑑賞に変態と妄想を持ちだすとしかめっ面されそうですが、あながち間違っているとも思えず。例えば、男性の裸婦鑑賞は高尚な趣味か。男性作家はアカデミスムの対象としてのみ裸婦を描くのか。出た、フェミニスト!という感じですが、いいたいことはその逆で、性ある限り異性を偏った視線で見つめてしまうのは男女とも避けられないということ。史実として見ても、画家たちはキリスト教社会においてあからさまな裸体を描くことは不道徳とされていたにもかかわらず、神話や歴史など何かと理由をつけて裸婦を描いてきたのです。芸術という名のもとに、大胆不敵な振る舞いを!芸術家は偉大です。(略)
フェミニズムついでに申し上げると、美男より美女が描かれた作品の方が知名度が高いのも、近代に至るまで美術業界も男性中心社会であったことを示しているといえるでしょう。

20110411初版発行。
2015年10月13日 17:56

○名画に出てくる 幻想世界の住人たち 新人物往来社「編」 {西洋美術}
絵画が美しいですよ。ウォーターハウス、レイトンとか好みですねえ。妖精や人魚が出てくるから、その画家の名が出てきて当然かも知れませんが、やっぱり絵が好き。そして昔好きだった絵は好きなものですね。

以下、抜粋。感想。

彼女たちは航海するものにとってはロマンチックな存在であったが、同時に怖れの対象でもあった。嵐を呼ぶアイルランドのメロウ、歌声でライン川の船を沈めるドイツのローレライなどは、人魚や水のニンフたちより、ハルピュアに近いものといえそうだ。{人魚}

ギリシャ神話に登場する。その名前はラテン語で「掠め取る者」を意味する。元々は美しい羽と豊かな髪をもつ、美しい乙女の姿をしたクレタの女神であったが、いつしか醜い女性の顔と鳥の特徴をもち、鷲のような長いかぎ爪を備え、耳障りな声を立てて悪臭を放つ、死ぬことのない鳥になった。(略)王ピネウスは、アポロンから授かった予言の能力を悪用したため、盲目にされ、その上、さらなる罰としてハルピュアを差し向けられてしまう。盲目の王に食事が供された途端、ハルピュアがそれを横取りしてしまうのだ。ピネウスは餓死寸前のところで、イアソンらによって助けられた。{ハルピュア}

ギリシャ神話に登場する女性。上半身は美しい女性で、下半身は蛇の姿をしている。単独で現れることもあれば、群れをなすこともあり、子どもの生き血を好物とした。そのため、言うことをきかない子どもを脅すのにその名を使われたという。のちには若い男性を誘惑して虜にし、その血を吸い肉を食らう美しい魔女と考えられた。
彼女はもともとリビアの美少女で、ゼウスに愛されて何人かの子どもだが、嫉妬したゼウスの妃ヘラに子どもたちを殺されてしまった。それ以来、子を奪われた怒りと悲しみから、仕返しに他人の子どもをさらって食い殺すようになった。
また、ヘラは子どもだけではなく、ラミアの眠りを奪ったという話もある。不憫に思ったゼウスは、ラミアの目が取り外せるようにした。しかし彼女は目がついている間、さまよい歩いては子どもをさらったという。{ラミア}

セイレーンはギリシャ神話に登場する、上半身(顔)は女、下半身は鳥の魔物。楽神の子で、一人は竪琴、一人は歌、一人は笛を奏でる三人の乙女だともいわれる。英語のサイレンの語源でもあり、シチリア島近海の小島に住むともいい、甘い歌声、楽の音で船乗りを引き寄せ殺すのだ。彼女らの誘惑から生き延びた人間は神アポロンの子である竪琴の名手オルフェウスを乗せたアルゴー号と英雄オデュッセウスは部下に耳栓を、自身は身体をマストに縛りつけて通り、オルフェウスは彼女らに対抗して竪琴を奏で、通過した。その過ぎ行く姿を見た彼女たちは憤り自殺したという。また、芸術の神ムーサと音楽合戦を行って敗北し、羽をもがれてもいる。{セイレーン}

美しい人間、とりわけ乙女の姿で表され、湖や川、泉など水中で暮らす。情熱的で愛情深い精霊で、人間と恋して結ばれる、または人間との悲恋の伝承が多い。ウンディーネ自身は、本来は魂をもたないが、人間と恋に落ち、その人間の子を産めば魂を得るという。だが、ウンディーネと恋におちた人間が川や泉の傍らで彼女をなじると、彼女は水の中から出られなくなってしまうのだ。そして、最終的にはその裏切った相手の命を奪わなくてはいけない掟さえあるという。{ウンディーネ}


↑これね、ローレライって、セイレーンだと思っていたのです。セイレーンはギリシャ神話からきたものだから、ドイツものの「ローレライ」は正確にはセイレーンではないのかもね。で、精霊ではなく、悪霊扱いなんですね。どうして惑わす悪霊って上半身が美しい乙女の姿で描かれるのかしら(乳があるから?)別に美少年でもいいんじゃないとか思うけど。
それでもって「水」の性質を持つ悪霊なのね。
絵画にでてくる曲線に、わくわくしてしまうのですが。私は強い女が好きですよ。
そして、ラミア。またまた上半身女性の悪いもの。これ、鬼子母神にちかいものがありますよね。たぶんさまざまな神話に登場すると思う。「飲み込む女」のイメージですね。母というのは大きな洞窟のようなものであり、すべてを飲み込むものでもある。
女性を神聖視する一方、恐れを抱く。20世紀末美術によくでてくる題材ですが、まあ私はこれが好きなんです。この「のみこむ」のイメージはいろいろな映画やドラマにも使われていて、「ナウシカ」のきょしん兵の場面にも、この「のみこむ」イメージを感じるのです。

ギリシャ神話に登場する、上半身は人間、下半身は馬の種族。山間部や洞穴で住み生肉を食す。その性質は荒々しく争いを好み、血塗られた伝説が多い。西洋絵画ではバッカスの従者、またテッサリア人のラピテス族と戦うシーンなどが好んで描かれる。
祖は主神ゼウスの妻ヘラ女神に恋慕したイクシオンとされる。この愚かな恋慕に起こったゼウスとヘラは雲をヘラの形に似せて与え、この雲と交わったイクシオンの子としてケンタウロスは生まれたという。彼らは英雄ヘラクレスに滅ぼされるが、ケンタウロスのネッソスが仕掛けた罠によってヘラクレスもまた命を落とす。
なかには唯一、賢者と称された文武両道のケイロンというケンタウロスがおり、彼は英雄アキレウスやイアソン、医者アスクレピオスの教師も務めた。その徳から死後、いて座となり、現在も夜空に輝き続けている。{ケンタウロス}

↑ヘラに恋慕した。とか、恐れ知らず(笑)なんか、面白いです。
愚かな恋慕に怒った「ゼウスとヘラ」というのが面白いですね。ゼウスに恋してもヘラしか怒らないのに、ヘラに恋慕したら当のヘラも怒るんですね。なんで??
ケイロンに興味があるので、ついつい調べてしまう。いて座になったケイロン。なんだかかっこよさげですが、半分馬ですからね。ケンタウロスははあてにならない面もありそうです。哲学とかも、地に足がついていないものですし。(頭の中のことは可視化して初めて現実に生きていくのではないかと思うのですよ)人の痛みは癒せるのに、自分の痛みは耐え切れなかったケイロン。不死身だから、苦しくても死ねなかった。で、不死身の能力を人にあげちゃう。そんな、話を聞くと、ちょいちょい思うところがあります。

セレクトされている絵画が美しい!!
ぜひ、お手元に。

20120429第1刷発行。


2015年10月13日 14:38

巨匠たちが描いた 神と天使と悪魔  新人物往来社「編」 {西洋美術}
美しい美術書です。
まぁ、美しい!!
美術書好きで、よく目にしますが、とにかく絵のセレクトが好きなんだよなあ・・・。
新古典主義ものとか、わくわくしますねえ^^
運命の女ってやつですよ^^

1ギリシャ・ローマ神話の神々
2キリスト教世界の天使と悪魔たち
3北欧神話の神々と怪物たち

少しずつ説明があるのも親切設計!!名画206点を収録しているそうな。

神話なんて・・・と思う方もいるかもしれませんが、改めて好きなところを抜粋。

主神ゼウスのティタン族の娘レトの娘で、太陽神アポロンとは双子にあたる。山野を支配し、動物の多産・繁殖・狩猟を司る動物の守護神として、月の女神。西洋絵画では、三日月の額飾りを身につけて描かれることもある。ローマ神話では、ディアナ(英語名ダイアナ)と同一視されている。(略)主神ゼウスに純潔を誓った処女神でもあるアルテミスは、侍女たちにも処女を誓わせており、父ゼウスと交わった従者カリストには厳しい罰を与えてくる。また猟師のアクタイオンは偶然、水浴中のアルテミスの裸体を見てしまい、気づいた女神によって鹿に姿を変えさせられた。あわれ、猟師は猟犬に殺され、八つ裂きにされたのだ{アルテミス/ディアナ}

↑なんだかこの物語、昔から好きなんですね。「純潔を守る」という名のもとに、ものすごく冷酷な面をみせるアルテミス。裸体見られたくらいで、何も鹿に変えなくてもいいのに。「正義」の名のもとにすることの冷淡さ。そんなものを感じるんですね。で、月の女神でございます。その、月の冷ややかさ。妙に好きなのです。例えるならば、クールベのお肌の「つるん」というイメージ。神様ってけっこうわがまま(例:ゼウス)そして、アルテミスの冷酷さは「正義」の非情さを感じるのです。でも、「理由はどうあれ、だめなものはだめ」と言い切るアルテミスはなんとなく好きなんですよね。


リリスは、最初の人間であるアダムのもとを飛び出して、悪魔と関係を持ち、数多くの子どもを産んだ。「アダムのもとに戻らなければ、子どもを毎日百人ずつ殺す」という神に遣わされた天使の脅しを拒み、その復讐としてアダムとイブの子孫である人間の子どもを襲うようになった。彼女は名だたる悪魔に慕われ、たくさんの子どもを産んだ。サタンという夫を持っても、リリスは前夫アダムとの関係を続けたという。

↑アダム、なにやってるんですか(笑)?
これを読んでいて、神と人間の関係を考えました。「神」って絶対的な正義ですかねえ?100人ずつ人間を殺す・・・なんて神のすることとは思えませぬ。悪魔とされるリリスがいたから、人間が増えたのかもねえ。人間の社会が、神と悪魔の混沌としたところから成り立っており、その泥臭い混沌とした人間の営みが愛しく思えてくるのです。


こんな感じで私の大好きな物語です。絵のセレクトがよく、すばらしい本です。

20120531第1版発行

2015年10月13日 09:59

◎恋愛美術館   西岡文彦著  朝日出版社 {西洋美術}
この著者のかた、存じませんでした。テレビ番組にも出演されているそうです。

1952年生まれ。多摩美術大学教授 版画家。「平易でドラマティックな美術の第一人者」(本のカバーの説明より)

ドラマティックといっても「ナルシズム」になっていない感じが好き。音楽評論、美術評論って自分の文章読め~~~的な文章が多いから、警戒心が働いてしまう。

モディリアーニとか、ロダンの話とか、いくらでも「自分に酔って」書ける素材なのですが、丁度いい塩梅。(その、ドラマ性(湿っぽい感じ)がニホンジンは好きなんだよね。)

で、この本は最後の2章に関しては(「モンマルトルの夜会 ミューズの涙」「モンマルトルの娘 愛の墓碑銘」)そんなひつこさも感じたのですが、他の9章が実に秀逸。

 性が「行為」として始まる前から人生がそうであったように、「行為」としての性が終わっても人生は続く。性は、人が生きている限り続いていくものである。
 ただし、その性には、年齢に応じたありようというものがある。乳児が立って歩けず、老人が俊足で走れないように、性もまた成長と成熟に見合ったかたちで変容していく。それは、性欲であれ食欲であれ同じことである。
 若く頑健な身に美味なものが、成熟し老成した身にも美味であるとは限らない。脳も肉体の一部である以上、そこで生まれる快感も肉体的な現実の反映でしかないからである。
 もともと快感は、体に見合ったものを求めるためのサインに他ならず、体の状態が変われば、快感の対象も変わる。乳児が飲酒しないように、成人して母乳を飲む人もいない。
 問題は、こうした快感の変移を「衰え」とみなす身体感が存在することにある。
 「老成」というものに肯定的な価値を見出さない限り、これに伴う性欲や食欲の自然な変容は「衰え」としか認識できないことにある。
 かつて無力な乳児であったように、人はいつしか老いてゆく。
 若い時分に夢中になった猛々しく征服的な歓びが、老いてなお快楽をもたらすとは限らないのである。性に限らず、年にそぐわぬ快楽を追い求めることは、自身の成長と成熟に見合った人生そのものを手放すことでしかないのである。(「ピカソ 性の修羅 愛の地獄」より)

↑ピカソは女性遍歴がすごい!!70になっても、奥さんに愛人との情事を自慢したそうです。これ、奥さんなら「だから?」とか、思ってしまいそうですね(笑)芸術家は色を好むっていうけれど、色を好むから芸術家ではないんだよね。そう、自分の身体にそぐわない、考え、行為は美しくない。きっと、人それぞれ必要な要素が違うように、同じ人でも年によって必要な要素が違うと思うのです。この文章をよんでいて、そんなことを思いました。ピカソはいつまでも「男」でありたかったそうですが、なんだか「男根信仰」っぽくっていまいち私には「わからん」。これ、ピカソ好きなら、ピカソの良さがわかるんだろうか?「若々しい生命力」的に・・・・

 もともと恋とは、相手のなかに理想を見出す心情のこと。その情熱をここまで直截に視覚化してみせる絵画も珍しい。(略)
 プラトンは、イデアを求める人間の情熱こそが「エロス」の本質であるとした。
 地上には決して存在しないかもしれぬイデアを仰ぎ見る、その同じ思いで、自らにないものを備えた存在に恋焦がれる、そんな情熱をエロスの本質としたのである。
 であるからこそ、エロスによって喚起される最も激しい情熱すなわち恋愛は、人間に天上的なイデアを希求させ、魂を天上界へと飛翔させることにもなるのだろう。恋愛感情がしばしば「天にも昇る思い」あるいは「愛の翼」といった、飛翔や翼にまつわる言葉で表現されるのはこのためなのだろう。
 ジェロームの描く、ピュグマリオンの天を仰ぐかのような姿は、まさにそうした魂の飛翔、エロスの天界への道行を表している。天上のイデアである理想の美を現実の肉体として抱いた瞬間の、その熱狂を表すのにこれほどふさわしい姿はない。
 ガラテアを仰ぎ見るピュグマリオンの姿が、見る者の胸を熱くするのは、そこに哲学的な憧憬や宗教的な崇拝にも似た熱烈な恋慕の情がみなぎっているからである。 
 イデアを求める、エロスの熱狂が描かれているからなのである。(「ジェローム 芸術、それは美神との恋」より)

↑ジェローム「ピュグマリオンとガラテア」(1890)の絵画についての文章。
この絵を見ると苦しくなるのです。たぶん、今まで私はこんな感じで(憧憬や崇拝のように)恋をしてきたのだと思う。私は頭でっかちで、それでも熱烈に恋をしてきたのだと思う。自分に備わっていないから恋こがれるのだろう、きっと。まあ、現実の人間には・・・・なかなかいませんけどね(笑)
「善」「美」などを知りたい、触れたいと思うのは自然なことでして、なんかね「哲学的な恋」って胸を打つ。
本来、女性なら「ガラテア」目線で、絵画を見るのかも知れないけど、私は「ピュグマリオン」目線でこの絵を見てしまう。うわ~、像が現実化してよかったねえ・・・・ってしみじみしてしまう。それは、ピュグマリオンの「妄想」でしかないんだけどね。かなわぬ恋と知ってて、恋をする気持ちとか、純粋に「好き」って思う気持ちとか・・・・私はピュグマリオンの気持ちに沿って考えてしまいます。ほんとうに、美しい絵。そして、どうしてきゅんきゅんするのかな・・・って考えてしまう、私の好きな絵です。


抜粋した部分はちょっとくせのあるところなので、全体的にはもっと読みやすいはずです。美術評論を読まない方もぜひ!!

20110525 初版第1刷発行。
2015年08月10日 12:41

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