心を痛めている人目線の「家族」とは
心が健全な人にとって「家族」とは暖かいもの。
自分の本音を言える場所だから思春期も当然ある。成長していく上でいろいろな経験をし、それを受け入れられ時には注意され、自我を形成していける場所。
帰れる場所であり飛び立てれる場所。
心を痛めている人にとっては真逆。
自分の本音は言えるか?言えるわけがない。受け入れてもらえない。言えてもひどい目にあうから言わない選択肢を選ぶ。
もっというと本音を殺してしまっているから、自分の本音が分からない。
家族、親の言いなりになることが生きていられる手段であり自分を守ることになっている。
そのような機能不全家族の中で育ち、時には誰かに助けを求めることを試みようとするも
親を大切にしなきゃ
そんなこと言ってはダメだよ
でも育ててきてもらったんでしょう
みんなそうだよ、親の嫌なところあるよ
という分かってもらえない言葉で片付けられてしまう。
誰にも共感されない気持ちを納めるべく
そうか、自分の甘えなんだと片づけてしまい
誰かに聴いてもおうと試みた本音は、心の奥底にしまい込む。
そして本来の自分からどんどん遠ざかっていく。
本音は消えることなく、ずっと蓄積されて自分の心を壊していきます。
心を痛めている人にとって「家族を大切に」ということばが呪いの言葉だったと気づけば、そこから自分を取り戻していけるようになります。
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