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02.家庭が壊れていく手前

私が3~4歳の頃、母親が入院しました。
胃がんの手術を受けるためです。そのことを知ったのは大人になってから。

後から聞いた話をまとめると、
母親は胃の調子が悪いということで近所の開業医のところで胃腸薬をもらい飲んでいたとのこと。
ある日、父親がそれを知って大きい病院に連れていき胃がんの診断をされたということでした。

近所の開業医は私自身も治療に行っていた記憶が断片的にあります。
歩いていける距離の地域に唯一ある内科でした。

後日、父親が

あのヤブ医者が!

と何かに付けて言っていたのは、母親の死を病院のせいにしたかったからでしょうが、私はその荒れている父親の言葉は不快でしかありませんでした。

病院を擁護したいのではなく、父親の荒くれている様子が怖かったからです。

また、私は母親が薬を飲んでいた記憶がないのです。私の見ていないところで飲んでいたのだろうと思います。兄は知っていたかもしれないけど、今はもうそれを確認することはできません。

そのあたりで記憶に残っているのは、お母さんのお見舞いに行くのに私のお気に入りの丸いバックルのついたベルトがついているワンピースを着ていこう、とちょっとしたお出かけ気分で病院にいったということくらいです。

病室の母親は記憶からでてこなく、どのくらい入院したのかも、その間の食事をどうしていたのかも覚えていません。
その時期の父親と兄はどうしていたのかも出てこず、あえて記憶から消している可能性が高いです。

思い出したくないことなのかもしれないけど、今はそこどまりです。

それから1年以内くらいだと思うのですが、我が家は一軒家を買って引っ越しすることになりました。

これも母親が独断で決め、父親が躊躇したようなことを大人になってから聞きました。
引っ越しの為に、父親は同じ業界で転職をしました。当時そのことは分かってなかったのですが、先日勤め先の名称から会社を検索することで分かった次第です。

母方の身内の方に引っ越しの日取りや方角を見てもらい、ああでもないこうでもないと騒いでいたことが鮮明に残っています。
占いに身をゆだねている母親を見て、そんなんで決めるなよって幼心の私は思っていました。それを口にすることはなかったのですが。


母親の胃がんの手術についてですが、成功でも失敗でもなく、開いただけでおなかを閉じたと大人になってから親類から教えてもらいました。
その時すでに腫瘍を取り除くことができなかったとのこと。転移していたのか、切り取れない部位に張り付いていたのか、詳しいことは分からずじまいですが、初期の段階ではなかったんだということです。

この段階で、母親は自分の本当の病名を知らなかったそうです。
今は本人に告知するのが当たり前の時代ですが、当時は告知するかどうかを家族にゆだねるのが主流だったと、それも後から知りました。

その時点で病名を知っていたのは、母親のきょうだい夫婦と母親の父(私から見たら祖父)、父親、父親のきょうだいだけで、本人には胃潰瘍と伝えていたそうです。

退院してからも、変わりない日々が続いていましたが、引っ越ししたことで私達一家の環境は大きく変わっていきます。

それまでの生活は借家でした。
母親は、生まれてから結婚後もずっと同じ市内で生活していたため、誰かしら知り合いがいる生活でした。学生時代からの友達もいて、私は母親にくっついてバスに揺られて一緒に付いていく事もありました。
親類がうちに遊びに来た時の会話の中に、学生時代からの友達の〇〇ちゃんという名前が出てくることもあり、母親の孤独さを感じることもありませんでした。

父親の方も職場仲間と野球をしたり、家族どうして集まって旅行に行ったりなど、私を含めて外部との関りがありました。

両親ともに外部との関りがあったことで機能不全家庭でありながらも、何とか家庭がギリギリ機能していたんだろう推測できます。

私自身は近所の子とうまく関わることができず、孤独になりがちでしたが、日曜日には親類や父親の友人家族が来てくれたりして、楽しい時間もそれなりに味わうことができていました。

前回の投稿で、私は家庭内では女王様だけど外では引っ込み思案だったと書きましたが、そのことを次回の投稿で書いていきます。


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