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おりこう。

「猫飼っていいかなあ?」

母親から電話がかかってきた。

父が死んでから、実家でひとり暮らしの母。

「うちの庭に親猫が2匹子ども連れて来たんやけど、1匹残して行ったんよ。そのままにしといたらどっかに行くかと思ったんやけど…」

…行かなかったらしい。

一匹ずつ、猫を好きそうな家を訪ねては子どもを託して行く母猫の様子が浮かんで、いいんじゃないの、とそう言った。

これまで、実家には過去に3匹、猫がいたことがある。

もともと母は犬好きで、僕が小さい頃はスピッツを飼っていた。父親の転勤でアパートに引っ越すことになり、やむなく一時的に親戚の家に預けたらそのままいなくなったという、昭和の田舎ではよくあると言えばよくある、かわいそうな別れ方をして、「動物はもう飼わん」とよく言っていた。が、今の実家を建ててすぐ迷い込んできた黒猫をなんとなく受け入れ、気が付けばいつの間にか「クー」と名付けて餌をやっていた。いちおう建てたばかりだからと、倉庫に寝床を作っていたものの、猫の放し飼いはふつうのことだった昭和40年代は、猫同士の縄張り争いも多く、激烈な生存競争に敗れたのか、ある日突然いなくなってしまった。

2番目の猫は、実家の裏手にお稲荷さんのお社があるのだけれど、偶然そこで見つけたと言って母が連れて帰ってきた。おそらく捨てられていたのだろうが、きれいなシャムの子猫で、なんとなくまた家に住みついた。クーの時代より周囲に家も増え、犬を飼っている家が多かったせいか、野良猫はあまり寄り付かず、父に「ミッコ」と名付けられたこの猫はずいぶん自由を謳歌していた。正しいオス猫というか、かなり広く縄張りを持ち、交友関係も広かったようで、よくケガをして帰ってきた。最後はそのケガが致命傷になったのか9年で亡くなった。僕が大学の卒業式を終え、帰ってくるのを待っていたように、よれよれになりながらも生きていて、翌日買い物に出たほんのちょっとの隙に冷たくなっていた。

電話がかかってきたのは、3匹目の猫がいなくなった直後。「ひとり暮らしで寂しいわあ」という言葉に、親戚が「おためしで飼ってみたら」と子猫を連れて来てくれた。ところがこの猫が、あまりにも元気でやんちゃで、母は早々に音を上げ、返したばかりだった。

「ついこないだまでさんざん文句言ってたのに」と笑いながら、どうせもう餌をやっているんだろうと思っていた。

3匹目に名付けていた名前をそのままその「新入り」に引き継ぎ、4匹目の猫も「メル」と呼ばれることになった。

最初期。

メルはオスの割にはおとなしい猫で、というか母親のしつけが厳しかったのか、家ではたいそう聞き分けのいい猫だった。基本的には倉庫の中で飼っていたのだが、餌の時間と母親の機嫌を見計らって家の中で過ごしていた。母親も上手にギブ&テイクで自分の淋しい時間を紛らわすいい相手として、猫を上手にしつけていた。メル、と呼ぶと必ず「にやん」と返事をし、家に上がるときには玄関のたたきでコテンと横になって足を拭いてもらうのを待ち、餌をもらう時には我慢強くおすわりして待っていた。ちゃんとできると「おりこう。」と撫でてもらうのが一連の流れ。母は膝の関節を手術していて正座が出来ないので、たまに僕が実家に帰った時にはあぐらをかいた上に丸く収まって寝るのが好きだった。

体調不良期。

1年経った頃、「メルがおかしい」と電話がかかってきた。家に入らず、庭の隅でずっと座っている、と。しばらくして元に戻ったがやっぱりなんだか様子がおかしい、というので病院に連れて行った。骨盤骨折。猫にはよくあると獣医さんに聞かされたが、そのせいで便が出にくくなっている、という。餌を変えて様子を見ましょう、と柔らかい便になる餌に変えて様子を見ることになった。数か月はそれでよかったが、今度は母親が骨折で入院し、僕は毎日仕事が終わると実家に走っていく日々になった。ある日急に猫の様子がおかしくなった。人懐こい猫で誰にでも愛想を振りまくのでだれかに餌をもらったのかもしれない。例の便が出にくい時の感じでずっと丸まっている。病院に連れて行くとやっぱりそうだった。母親が退院して、しばらくして、よい獣医さんがいるというのでそこに相談に行った。猫の避妊手術を頼みに行ったら「猫がいいって言いましたか?」と問うような面白いお医者さんだ。レントゲン写真を見て、これはダメかもしれんけど、やってみましょう、と手術することになった。骨盤が骨折で狭まったことで詰まった便のために拡張してしまった腸の切除。骨盤の拡張。貧血があるということで状態を整えてから、と秋の日、手術を行った。ひとつひとつ順番に手術を行い、全部で5回くらい手術をしただろうか。メルはほんとうによく頑張った。が、術後の経過が一進一退という感じでなかなか退院できず、半年ほど入院していた。ときどき様子を見に行くと、最初は体も起こせなかったのが、不自由な体で立ち上がって、じきに病院内を歩いては出口のところで帰りたそうにしたり、退院するまで、獣医さんには本当によくしてもらった。

自由を取り戻した頃。

家に帰ってきてからは、すっかり元気になって、元通りの生活ができるようになった。外では走り回り、飛び降りるのは少しきつそうだったが、ジャンプ力も戻り、家の中で過ごす時間も増え、ときには母親のベッドで寝ることもあったという。

日向ぼっこが大好き。

それから1年ちょっと経った去年の夏。僕が転勤して、実家に寄りつきやすくなったこともあり、ちょこちょこ実家に帰っていたのだが、メルは僕の車の音を聞き分けていて、どこからか「にやん」と鳴きながら帰ってくる。僕がいる間は合法的に家に上がれるので、さっさと膝の上で丸くなっていた。


9月の終わりのある日。母が泣き声で電話をかけてきた。

夏の前あたりからちょっとやせたかなと思っていたが、見るたびに細くなっているような気がして、ある日母に「メルはちゃんと食べてる?」と聞いた。母はちゃんと食べてるよ、と言ったものの、気になったらしく、件の獣医さんに連れて行ったという。

「猫は人間の言葉がわかるから、絶対に猫のおるところで言ったらだめって言われたんやけど…メルがもう長くないって…」

猫はどこにおるん?、と聞くと「ここで寝てる」…医者の忠告を完全に無視している母にもあきれたが、「貧血がひどくて心臓に負担がかかっているので、もう治療は難しい」と言われた、という。

痩せてはいたが、ついこないだまでいたってふつうに走り回っていたのに、本当にそんなことがあるのかと信じられない気がしたが、お医者さんがそう言ったなら、もう最期まで今までどおりにしてやろうよ、と言って受話器を置いた。メルが聴いてたんだろうなあと思いながら。

数日おきに実家に寄った。メルは空き家になっている隣の家の日当たりのいい木の下で座っているのが日課だったが、だんだん横たわっている感じになった。動く力もなくなったのか毎日母親が迎えに行って餌を食べさせ、寝かすものの、気がつくとまた同じ場所で横たわっていたという。

最後に撮った写真。

「メルがいなくなった…」電話を受けたのはその数日後。ああ、死期を悟ると動物は姿を隠すというから、と思ってそう言うと、母もそう思っていたらしく「そうやなあ、でももう一回会いたいなあ」、寂しそうに言った。

まる1日が過ぎ、2日目の朝。「メルがいた!帰って来た!」母親から電話がかかって来た。前の日1日、近所中歩き回って猫を探していたらしい。その想いが通じたのだろうか。あるいはその姿を見ていたのだろうか。朝、母親がカーテンを開けると、裏庭の母の部屋の窓から見える木の下に座っていたという。

4時間だけ偶然空き時間があった。咄嗟に有休を取って実家に向かった。

実家に着くと、母親が驚きながらも、よかった、心細かった、とそう言った。

連れて帰ってベッドの上に寝かせたというので、寝室に行ってみた。が、いない。母も驚いてまた猫探し。と、母が浴槽の底に横たわっている猫を見つけた。空っぽだったことにひと安心しながらも、落ちたのか、痛かっただろうにと思った。もう飛び降りるような体力も残っていなかったろう。抱き上げようとしたが、苦しそうにするので、いつも通り抱っこすることも出来ず、力なく横たわる猫を撫でてやることしか出来なかった。

出来るだけ一緒にいたかったが、残り時間が限られている。猫は間違いなくあと何時間も生きていないだろうに、そんな時にも戻る時間のことを考えている自分に、冷たい人間だなともう一人の自分が言っていた。

母親が見ていられないというので、茶の間でお茶でもと、ほんの少し猫のそばを離れた。お茶を入れてひと口飲んだその時、猫のいる方から「ことん」と音がした。慌てて覗くと、横たわったメルと目が合った。

頭の下に手を入れて猫の前足をさすってやった。メル、大丈夫、一緒にいるからね、と言うと、苦しそうな中で弱く「にやん」と2回鳴いた。そこからしばらく苦しそうな時間が波のように続いたあと、やがてゆっくり、ゆっくり、呼吸が少なくなり、浅くなり、止まった。

母が「ああ、もう息をしていない」と言って、あんたが帰って来てくれてよかった、私一人だったらとても見ていられなかった、メルを看取ってくれてありがとう、そう言った。

職場に戻る車の中で、メルに話しかけていた。お前最期までおりこうだったな。猫のくせに気遣い過ぎなんだよ。うちに来て幸せだったか?自分が死にそうにきついのに、母さんのことが心配でわざわざ戻って来たのか?母さんが年だから、自分の方が先に消えようとしたのか?ひさしぶりに泣いた。

翌日、メルを由布山の見えるペット霊園に連れて行った。夕方の静けさの中でお別れをして、メルは本当にいなくなった。

実家に帰っても、駆け寄ってくる姿はない。それでもついつい、いつもの隣の木の下を覗き込んで、苦笑いしてしまう。母は母で、メルの写真についつい話しかけてしまうと言う。最後の数日、毎日のように隣の家まで歩いて抱っこして連れて帰って、メル、あんたきっと私を鍛えてくれたんやなあ。

猫の「いた」暮らし。バイバイ、メル。

膝の上で。








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