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読み始めー街とその不確かな壁

※ネタバレありませんのでご安心を^ ^

ある時期から、発売日になるとゲームソフトかApple新製品かみたいな過熱ぶりで、すっかり儀式化しましたね。村上春樹。今や音楽ソフトでこうなることはない(サブスクのせいで)でしょうから、この数十年続いてきた風物詩的な映像もやがて見られなくなっていくのかもしれません。媒体が変わってしまうのって、他人が別の何かに乗り換えるーたとえばスマホとかーの見ても、心が騒ぐ年ごろではなくなりましたが、自分がまきこまれると、少なからず思うところが立ち上がるという…これが年のせい?^^;

SNSはもちろん、本書いてまで村上春樹作品を語る人が増えて、その熱量には驚きます。ぼくは村上作品好きですけど、誰よりも好きとか思わないし、誰よりわかるとか思わない。それよりもどうしてスガシカオと共鳴するのかとかその方が興味ある。前も書いたことあるけど、「午後のパレード」聴いた瞬間に「うわーやられた!」って思ったんですよね。

今回のやつは、前日だったかな、前々日だったか新聞にざっくりな記事が出ちゃって、つい目にしてしまって後悔しましたけど、ハードボイルドワンダーランド的な展開なんですね…ここはいいですよね?書いても。もう発売日後だし。

ハードボイルドワンダーランドは何度かトライしたくらい最初意味が分からなくて、苦手な作品でした。ひとは本を読むときにどういうところを「とっかかり」にしていくのか。もちろんひとそれぞれなんでしょうけど、同じものでなくてもーここが活字媒体の魅力ですよねー浮かび上がる映像を追いかけていくんだと思いますが、あっちとこっちの意味が分からなかったんですよね。

パラレルワールド、という概念は意外に身近なところにある、というのを最近強く思います。古くはSFの世界で主流だったと思うけれど、村上作品読んでSFっていう人、聞いたことないから、みんなそう思ってないと思うんですが、思ってないですよね?でも、ある時期からその感じ強いなあって僕は思っています。わりとここ数作はすべてそれで言えるようなところもある気がする…個人の印象なのでコアなファンの人怒らないでください(笑)。夢、ですよね。夢を見る。あの夢。叶える方じゃないやつ。夢って覚えてないっていうひと多いと思いますけど、そっちのほうが健全だと思う。この年になって、覚えていることが少しずつ増えているんです。若い人、わからないでしょうね。夢の中に出てくる風景は、最初のうちは一瞬昔どこかで見たような、と思っていたけれど、どうやらまったく違うようだと気づいて…この時点でヤバいと思いませんか?夢の中に出てくる街が広がって行くんです。パラレルワールド的なのはそこに出てくる身近な存在が現実にも存在している。あれ?あれ?と思いながら進んで行ってある時ハッと目が覚める。

これが起こるようになってから、ハードボイルドワンダーランドの世界というかパラレルワールドの世界観が人ごとじゃなくなって、壊れそうになってるなー自分とか思っていました。人ごとじゃなくなるとあれが理解できるような気になる。理解じゃないなあ。そこにあるものとして認めざるを得ない感じ。じきに自分の見ている夢の中の街の覚えている場所がどんどん増えて、今住んでる場所と同じ量に達したら、もう戻って来れなくなるんじゃないか。想像力たくましいですかね?病んでる?50代以降のみなさんいかがでしょう?^ ^まだ笑う余裕はあります。昨日もうちの猫が出てきたけど、猫が飛び出してった屋根は現実とはちょっと違うんだよな。こわいこわい。


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