見出し画像

【経営者の久保淳一 #01】たとえ難聴でも、人と接する仕事で認めてもらえる。

こんにちは。小野寺です。

このnoteは片耳が聞こえない15才、
中学三年生の君へ贈るメッセージです。

今回は会社経営をされている
久保淳一さんにお話を伺いました。

久保さんは子どもの頃から両耳が難聴で、
特に左耳はほぼ聴こえていませんが、

持ち前のコミュニケーションスキルで
道を切り開いてきました。

それでは、久保さんの
インタビューをどうぞ!

■難聴を人に話したのはいつ?


――― これまでどんなお仕事をされてきましたか。

私は高校を卒業してすぐに
働き始めたんですけども、

自分で就職先を選べるような
かしこい学生ではありませんでした。

なので筆記試験がない仕事を探し、
なんとか家電量販店に就職することができました。

そこで接客販売をしていたんですけども、
やっぱり耳がよく聴こえないので
お客様に聞き返すことも多かったです。

当時は難聴をオープンにする時代でもなく、
私は転職するまで隠し通しました。


――― 難聴を隠すことはつらくなかったですか。


自分で平気と思うようにしていても
心は正直で、つらいときはありましたね。

ただ「根性論」の時代だったので、
泣き言を言う暇もなかった、
というのが実際のところです。

その次の職場は、
携帯電話専門の販売店でした。

6人ぐらいの小さな会社ですが、
一日数百件の契約を取るぐらい、

たぶん当時の日本でトップクラスの
販売実績があるお店だったと思います。

その会社の同僚とは仲が良かったので、
「このメンバーには話しても良いのかも」
と思って、思い切って難聴を伝えました。

そしたら「隠す必要なんてない」って
言ってもらえて、嬉しかったですね。

大人になるまで周りに言えなかったけど、
言って良かったと思いました。


■人と関わる仕事は大変?


――― 久保さんは難聴に負けず、かなりの実績を摘まれてきたのですね。


いえいえ、それほどでもないです。

ただ人と接するのが好きなので、
それが営業で役立っている気はします。

大手の携帯電話会社で営業していた頃は、
常に上位の成績を残すことができました。

でも実は、自分の中で一番ハマった仕事は
コールセンターの仕事だったんです。

別の大手携帯電話会社からスカウトされて
コールセンター業務をしてみたら、

そこでは片耳難聴のハンデを
ほとんど感じなかったんです。

片耳が聴こえれば問題がない環境で、
大好きなコミュニケーションができる仕事が
楽しくて、そこでは12年間働きました。

なにより心の支えになったのは、
当時の部長さんからいただいた

「俺はなにがあってもお前の味方だから」
という言葉でした。

それで期待に応えたい気持ちから
難聴を言い訳にしなくなったんです。

「耳のせいで」なんて言ったら
部長の顔に泥を塗ることになるぞっていう。

その会社で管理職として勤めた後、
昨年私はコールセンターのコンサルや
営業代行をする会社を立ち上げました。

このnoteを呼んでくれる若い人には、
「たとえ難聴でも、人と接する仕事で
 認めてもらえるんだ」

って思っていただけると嬉しいですね。


(続きは明日公開!お楽しみに!)

↓「片耳が聞こえない十五の君へ」のSNSを今すぐフォロー!
Twitter: https://twitter.com/katamimiyou
Instagram: https://www.instagram.com/katamimiyou/
Facebook: https://www.facebook.com/katamimiyou/

▼インタビューにご協力をいただける社会人を募集しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?